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旅の写真集  キプロス共和国(前編)HEADLINE

キプロス観光の旅行記を兼ねた写真集(前編)です。ここでは、キプロスの空の表玄関であるラルナカとその近郊、国内随一のビーチ・リゾート アヤ・ナパ、最大の都市で首都でもあるニコシア等、主に国土の東半分をご紹介します。

《ラルナカ ①》

日本人には馴染みが薄いですが、トルコの南の地中海に浮かび南国情緒豊かなキプロスは、ヨーロッパ人にとってはお手頃でメジャーなリゾートアイランド国家の一つです。
《ラルナカ ②》

その中でも島の南岸に位置する Larnaka には同国最大の国際空港があることから、ほとんどの観光客が最初に降り立つ町です。
《ラルナカ ③》

海岸沿いにはいくつものリゾートマンションが建ち、ビーチには所狭しと並べられたパラソルの下にデッキチェアがひしめいています。
《ラルナカ ④》

ユーロ圏でもあり、公用語はギリシャ語なのですが、地理的にはほとんどトルコの離島のような感じなので、オスマン・トルコの影響を受けた建物などが数多く点在しているのも興味深いところです。
《ラルナカ ⑤》

12世紀後半のビザンチン帝国時代に建てられ、後にオスマン・トルコによって再建されたラルナカ要塞(Larnaka Fort 又は Larnaka Castle)も、そのような遺跡の一つで、現在は中世博物館(Medieval Museum)として一般公開されています。
《ラルナカ ⑥》

要塞の北側には、海岸沿いのメインストリート フィニコウデス・プロムナード(Fenikoudes Promenade、ヤシの木通りの意)が伸びています。
《ラルナカ ⑦》

南側にもビーチが続いていますが、こちらはパラソルなどもなく天然な感じです。
《ラルナカ ⑧》

ラルナカ要塞から少しだけ内陸部に入ったところには聖ラザロ教会(Agios Lazaros)が建っています。
《ラルナカ ⑨》

9世紀に建てられたというこの教会には、イエスの友人で死の4日後にカ彼によって復活したとされるラザロの墓があります。
《ラルナカ ⑩》

ラザロ氏のことはよく知りませんが、夜の教会もライトアップされて少しロマンチックです。
《ラルナカ ⑪》

町の中心部にはお洒落なレストランなども建ち並んでいて洗練された雰囲気です。

ただ、ユーロ圏なのでどこのお店もお値段はちょっと高めです。
《ラルナカ ⑫》

町の外れにはキティオン(Ancient Kition)と呼ばれる紀元前13世紀初めに築かれた町の遺跡も残っています。

現在は、外壁の跡や基礎の部分しか見ることができませんが、中心部から徒歩圏なので散歩がてら訪れてみるのも悪くないと思います。
《ラルナカ ⑬》

一方、空港へ行く道の途中にあるソルト・レイク(Salt Lake)は徒歩では無理ですが、是非立ち寄って頂きたいスポットの一つです。
《ラルナカ ⑭》

湖畔には18世紀終わりに築造されたハラ・スルタン寺院(Hala Sultan Tekke)が建っていて遊歩道も整備されているので、のんびり散策するのにお薦めです。
《キプロス料理》

キプロス料理はギリシャやトルコの影響を受けたものが多く、シーフードも新鮮なので食べ物で不自由を感じることはあまりありません。

そんな中でもソーセージのような肉の塊をグリルしてトマトやキュウリなどと一緒に薄いパン(ピタ)で挟んだギロピタ(Gyro Pitta)は国民食と言っていいほどの人気のファーストフードです。
《スタヴロヴーニ修道院 ①》

ラルナカの約20km西の海抜668mのスタヴロヴーニ山(十字架の山の意)の頂上に建つ Stavrovouni Monastery は、島で最も古い教会とされています。
《スタヴロヴーニ修道院 ②》

この修道院には古代ローマ帝国の皇后でコンスタンティヌス1世の母だったセント・ヘレナによって西暦327年に持ち込まれた聖なる十字架が保存されていますが、現在では女人禁制のため、彼女自身が生きていたとしても最早見ることができないという悲しい状況となっています。
《スタヴロヴーニ修道院 ③》

スタヴロヴーニ修道院の入口の向かいに建つアギオ・パンテス教会(Agioi Pántes Chapel)は比較的新しい建物ですが、かわいらしい外観が人気です。
《キロキティア ①》【世界遺産】

ラルナカの南西約30kmには、1998年に世界遺産に登録された Choirokoitia の遺跡があります。
《キロキティア ②》【世界遺産】

なだらかな丘の斜面に残る住居跡は、紀元前7000年頃のものだそうです。
《キロキティア ③》【世界遺産】

丘の麓に復元された円形の建物群は新築過ぎて現実感に欠ける雰囲気もありますが、石器時代当時の意外な建築技術の高さを知るにはよくできています。
《キロキティア ④》【世界遺産】

内部には、ここから発掘された人骨や石器、装飾品などの写真が地面に貼られていたりと、いたいけな努力も垣間見えて好感が持てます。
《レフカラの村 ①》

次に訪れたのは、キロキティアの北の山中に約10km入った所にある Lefkara の村です。
《レフカラの村 ②》

レースの刺繍が有名な村で、15世紀にはかのレオナルド・ダ・ヴィンチも訪れてこの刺繍を持ち帰り、今ではミラノ大聖堂の祭壇に飾られているほどだそうです。
《レフカラの村 ③》

でも、それはともかくとしても、村自体がヨーロッパの田舎町のような(というか実際そうなのですが)美しい佇まいです。
《レフカラの村 ④》

村の中心部にはレースを売り物にする土産店なども並んでいますが、観光客はラルナカからの日帰りの人が多いようで、一部の時間帯を除いてはとても落ち着いた雰囲気に包まれています。
《レフカラの村 ⑤》

一歩路地に入ると、あまり人とすれ違うこともありません。
《レフカラの村 ⑥》

石畳と石造りの建物が中世の面影を感じさせます。
《レフカラの村 ⑦》

ほとんどの道は車両は通行できずに歩行者専用です。
《レフカラの村 ⑧》

そのためかとてものんびりした風情です。
《レフカラの村 ⑨》

緑が適度に配置されているのもお洒落ですね。
《レフカラの村 ⑩》

時々短いトンネルなんかもあって結構変化に富んでいます。
《レフカラの村 ⑪》

唯一厄介なのは山中の村なので起伏が多く散策していると結構疲れることくらいでしょうか。
《レフカラの村 ⑫》

でもその分、高台からの眺めは格別です。
《レフカラの村 ⑬》

村の中心には14世紀建立の教会が建っています。
《レフカラの村 ⑭》

以上はメインの村であるパノ・レフカラ(Pano Lefkara)の様子ですが、その500mほど東には更に小さなカト・レフカラ(Kato Lefkara)という村もあります。
《レフカラの村 ⑮》

こちらも同様に狭い路地が走る静かな村ですが、パノ・レフカラに比べるとちょっと情緒に欠ける感じでした。

レフカラの村はラルナカからでも約40kmと距離的には比較的近いのですが、公共交通機関は日曜日を除く毎日1便だけバスがあるだけでとても不便です。

このように、キプロスはあまり広くはない割にどこも交通の便が悪いので、レンタカーを借りて効率的に回るのがお薦めです。
《アヤ・ナパ ①》

次にご紹介するのはラルナカから東に約50km、島の南東端に近い町 Agia Napa です。
《アヤ・ナパ ②》

町の中心部には16世紀初頭に建てられたアヤ・ナパ修道院が比較的保存状態も良く残っています。
《アヤ・ナパ ③》

ただし、アヤ・ナパはキプロスに多く見られるような遺跡がメインの町ではなく、人々は海の美しさを求めてやって来ます。
《アヤ・ナパ ④》

等朝の海は透明感も非常に高く、砂の質も良いので気持ち良く泳ぐことができます。
《アヤ・ナパ ⑤》

この辺りにはいくつものビーチが名を連ねていますが、その中でも特に美しいとされているのが町の中心部から西に3kmほどのところにあるニシ・ビーチ(Nissi Beach)です。
《アヤ・ナパ ⑥》

キプロス随一のビーチ・リゾートエリアなので、ビーチやメインストリート沿いには大規模ホテルが建ち並んでいて、セレブな雰囲気を漂わせています。
《アヤ・ナパ ⑦》

町のすぐ東にもビーチは続いています。
《アヤ・ナパ ⑧》

この辺りはプライベートとパブリックのビーチが軒を連ねていますが、どこもとても人気のようで非常に混み合っています。
《アヤ・ナパ ⑨》

砂浜のビーチもきれいですが、町から更に数キロ東側に進むと美しい岩場の海岸線も見られます。
《アヤ・ナパ ⑩》

エメラルド・グリーンの海は非常に透明度が高く、これぞ地中海リゾートと言った風格です。
《アヤ・ナパ ⑪》

アーチ状になった岩場などもあって風光明媚を絵に描いたような美しさです。
《アヤ・ナパ ⑫》

海岸沿いには数キロに渡って遊歩道が設けられているので、特に泳ぐことなく散策するだけでも贅沢な気分に浸れます。
《アヤ・ナパ ⑬》

アヤ・ナパから7kmほど東のグレコ岬(Cape Greco)は国立公園になっていて、これまた多くの人たちがハイキングなどに訪れます。
《アヤ・ナパ ⑭》

天然のロック・ブリッジなどもあって、変化に富んだ景色が楽しめます。

先述のとおりキプロス国内の移動はレンタカーがお薦めなのですが、アヤ・ナパに関してはラルナカや首都のニコシア(Nicosia)とのバスの便も悪くないので、バスでアクセスして周辺はレンタル・バイクで回るというのもいいと思います。
《ニコシア ①》

ラルナカが空の玄関口なのでキプロス観光の起点はラルナカになってしまうのは仕方ありませんが、首都は島のほぼ中央に位置する国内最大の都市ニコシアです。
《ニコシア ②》

なお、世間では広く一般的にニコシアと呼ばれていますが、地元ではギリシャ語でレフコシア(Λευκωσία、英語表記は Lefkosia)、トルコ語でレフコシャ(Lefkoşa)となります。
《ニコシア ③》

旧市街中心部にはカフェやレストラン、土産物店などが並び、お洒落で落ち着いた雰囲気に満ちています。
《ニコシア ④》

旧市街は16世紀に建てられた円周約4.5kmの城壁で囲まれていて、途中には11の砦と3つの門が設けられていました。

そのうちの最大のものが旧市街南東にあるファマグスタ門(Famagusta Gate)です。
《ニコシア ⑤》

そのファマグスタ門の200mほど南には、自由の記念像(Liberty Monument)が建っています。
《ニコシア ⑥》

これは、イギリス統治下で独立を求めて活動して投獄されていた14人の闘士が1960年の独立を前に釈放された様子を表わしたものだそうです。
《ニコシア ⑦》

ところで、キプロス島には現在、国際的にはキプロス共和国一国が存在することとされていますが、島の北側約3分の1は実質的にはトルコの支配下にあり、北キプロス・トルコ共和国(北キプロス)として独立を主張しています。

左の写真の建物にはトルコと北キプロスの国旗が掲げられているのが見えます。
《ニコシア ⑧》

両国の境界線は朝鮮半島で言う38度線のようなグリーンラインと呼ばれる緩衝区域となっているのですが、そのグリーンラインはニコシアの旧市街のど真ん中を横断しているため、ニコシアは現在、世界に残る唯一の分断された首都となっています。

左の写真はグリーンライン近くの路地ですが、人通りはまばらです。
《ニコシア ⑨》

グリーンラインは現在でも国連平和維持軍の監視下にありますが、以前ほどの緊張はなくなっています。

とはいうものの、このグリーンラインに近接したエリアには往時の面影を残すような廃墟と化した建物が多く見られます。
《ニコシア ⑩》

キプロス共和国自体はギリシャ系住民がほとんどを占める国家なのですが、もともとギリシャ系とトルコ系の住民が混在して居住していたこともあって、南側の市内にはいくつかのモスクも残っています。

写真はそのうちの代表的なものの一つオメリエ・モスク(Omeriye Mosque)です。
《ニコシア ⑪》

そんな感じで南北に分断されたニコシアですが、不幸中の幸いと言うべきか、現在では両区域間の往来は、いくつか設置されたクロスポイントを通過すれば24時間自由にできるようになりました。
《ニコシア ⑫》

写真は旧市街の中心にあるメインのクロスポイントです。

パスポートを提示すれば、スタンプを押されることもなく荷物検査もなく簡単に通過できます。

以前は日帰りのみ可能だったと言うことですが、現在ではトルコ側で宿泊することも問題ありません。
《ニコシア ⑬》

境界近くのビルの最上階には、シャコラス・タワー展望台(Shacolas Tower Observatory)という名の展望台があり、ここからは旧市街を含む両国の景色が楽しめます(入場料は2017年現在2ユーロ)。
《ニコシア ⑭》

北側の眺めです。
《ニコシア ⑮》

北ニコシアを代表する建造物とも言えるセリミエ・モスク(Selimiye Mosque)の2つの尖塔が堂々と聳え立っています。
《ニコシア ⑯》

写真では小さくて見づらいですが、セミリエ・モスクには北キプロスとトルコの国旗が、手前の境界にはギリシャの国旗がはためいているのが象徴的です。
《ニコシア ⑰》

独立性をアピールする狙いからか、北側の山の斜面には北キプロスとトルコの国旗が描かれています。

因みに国旗については、民間においては通常、ギリシャ系住民はギリシャの国旗を、トルコ系住民はトルコの国旗を用いることが多いそうです。
《ニコシア ⑱》

南側の様子です。

旧市街の外に位置する新市街には多くの高層ビルが密集しているのが見えます。

北側の若干荒涼とした景観との違いが印象的です。

ただ、北側にも大きな都市はいくつもあるので、必ずしもどちらが栄えていると断言できるほどのものでもありません。
《クリオンの古代遺跡 ①》

ニコシアから北キプロスへの訪問(詳細はこちら)を終えた後、再び(南)キプロスを西に向かいました。

ニコシアの南西約100km、ラルナカからだと西に約80kmに位置する Ancient Kourion は、ぶどう畑が広がるなだらかな丘陵地帯に広がる2~3世紀に栄えた町の遺跡です。
《クリオンの古代遺跡 ②》

遺跡に入ってまず目に入るのがとても大きな屋根で覆われたエウストリオスの家(House of Eustolios)です。

なお、屋根はレプリカでも、ましてやもちろんオリジナルでもなく、ただ単に遺跡を保護するためにものです。
《クリオンの古代遺跡 ③》

これだけ大規模な保護がされているだけあって、床には見事なモザイク画が残っています。
《クリオンの古代遺跡 ④》

エウストリオスの家以外は野ざらしです。
《クリオンの古代遺跡 ⑤》

ローマ時代の公共浴場跡は土台の柱だけが残っています。
《クリオンの古代遺跡 ⑥》

遺跡自体は歴史はあるものの夢の跡といった印象で若干荒涼とした印象を受けます。
《クリオンの古代遺跡 ⑦》

それでも、時期が良かったのか一面に花が咲く様子ははきれいでした。
《コロッシ城》

クリオンの遺跡の約5km東にある Kolossi Castle は、13世紀に建てられたそうですが、城というよりは塔に近い構造物です。

入場料は2ユーロ以下でしたが、見ての通りという感じだったので思い留まりました。
《ペトラ・トゥ・ロミウ海岸 ①》

クリオンの約30km西に位置する Petra tu Romiou は、ギリシャ神話で愛と美と性を司る女神とされるアフロディーテ生誕の地とされる場所です。
《ペトラ・トゥ・ロミウ海岸 ②》

ただし、そのような由緒ある場所であるにも関わらず特に目立った案内や看板もありません。
《ペトラ・トゥ・ロミウ海岸 ③》

でも一か所だけ辛うじて十数人程度の人で賑わっている場所がありました。

特に能書きとかありませんでしたが、恐らくここがアフロディーテが上陸した現場だと思われます。
《ペトラ・トゥ・ロミウ海岸 ④》

その証拠にすぐ近くに結構きれいな砂のビーチがあったのにここには誰もいません。


後編では更に西に向かいます。

キプロス共和国の写真集(後編)へ進む。

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