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北キプロス観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここでは、地中海東部に浮かぶキプロス島の北半分を占める北キプロスについてご紹介します。

《北レフコシャ》

東西ベルリンが統一されたのは1990年のことですが、それから30年近く経った現在でも残る世界で唯一分断された首都が南北キプロスのニコシア(Nicosia)です。
《国境検問所》

ニコシアにあるキプロスから北キプロスへ入るための検問所です。
パスポートを見せるだけで(入出国印を押されることもなく)簡単に通り抜けることができます。

なお、ニコシアというのは国際的に通用する英語名で、キプロス側ではギリシャ語でレフコシア、北キプロスではトルコ語でレフコシャと呼ばれていますが、このページではトルコによる支配地域だという点を強調する意味でトルコ語表記で統一させて頂きます。
《北レフコシャ中心部 ①》

島の南側のキプロス共和国の国民の78%がギリシャ系の民族であるのに対して、北キプロスはトルコ語を話すトルコ系の民族が99%を占めています。
《北レフコシャ中心部 ②》

そのため、国境を越えた途端に商店やレストランの看板の表記はトルコ語に早変わりします。
《北レフコシャ中心部 ③》

日本のガイドブックでは北キプロスについての紹介は皆無なので、南側とどれほど違うのか、普通に歩いていて大丈夫なのかなどとちょっと警戒していましたが、所詮はトルコの海外領のようなものなので大した違いは感じられませんでした。
《北レフコシャ中心部 ④》

敢えて言えば南側よりもほんの少しだけ観光客の姿が少ない程度でしょうか。
  《北レフコシャ中心部 ⑤》

それでもちょっとした観光スポットに近づくとどこからともなく人は集まってきます。
《セリミエ・モスク ①》

Selimiye Mosque は、このページの1枚目の写真の中央に聳え立つ立派なモスクで1326年に落成した大変歴史ある建物です。

キプロスの南と北で一番の違いと言えば、南には教会が多いのに焚いて北側はモスクが主流とうことです。
正にギリシャとトルコの違いそのものです。
《セリミエ・モスク ②》

大人の事情とは無関係に、どちらの国でも子供は無邪気です。
《北レフコシャ中心部 ⑥》

中心部にはお洒落なカフェなどもあり、普通の国と全く変わったところはありません。
《ビュユック・ハン ①》

Büyük Han はキプロス島で最大の隊商宿で、島内で最も美しいとさえ言われている建築物です。
《ビュユック・ハン ②》

オスマン帝国がヴェネツィア共和国に代わりキプロス島を支配するようになった翌年の1572年に建てられた大変歴史のある建物です。その後、大英帝国占領期には牢獄として使われたこともありましたが、1893年には貧しい人のための宿泊所に改装されました。
《ビュユック・ハン ③》

1990年代後半になってカフェや民芸品ギャラリーなどに改装されて、現在では北レフコシャで最も人気のある観光スポットとなっています。
《ビュユック・ハン ④》

2階の回廊には土産物店などが軒を連ねています。
《ビュユック・ハン ⑤》

伝統的な建築様式が本場のトルコのバザールのような雰囲気を醸し出しています。
《北レフコシャの路地》

中心部でも主要な通りを少し外れると急に人通りがなくなります。

ただ、所々に見られるオスマン建築の建物はとても風情があります。
《アラブ・アフメト・モスク》

Arab Ahmet Mosque は、旧市街の西寄りの裏路地に建つ16世紀に建てられたモスクです。
典型的なオスマン様式の建物で、キプロスで唯一トルコ式のドーム(ドームは中央に一つ、入口上部に3つ、四隅に一つずつあります)を備えたモスクとなっています。
《グリーンライン ①》

先ほどから何度も触れているとおりキプロス島は現在でも南北に分断されており、島には東から西までを横断する形で全長約300kmの Green Line(又の名を UN Buffer Zone in Cyprus)という緩衝地帯(停戦ライン)が設けられています。

そしてそのグリーンラインはレフコシャの町のほぼ中央を横断し町を分断しているのです。左の写真だと右側が北キプロス、左側がキプロスになります。
《グリーンライン ②》

この部分は現在でも「国際連合キプロス平和維持軍」(UNFICYP)によってパトロールされていて、所々に監視塔なども建っていますが、最近は状況が安定していることからそれほどの緊張感はありません。

因みに、はためく旗は左が北キプロス、右がトルコの国旗です。
《グリーンライン ③》

緩衝地帯のすぐ脇には公園などもあり、地元の人たちがのんびり散策している姿も見かけられます。
《北レフコシャの街並み ①》

レフコシャの旧市街は、キプロス領土内も含めて城壁に囲まれています。

写真奥に見えるのはギレネ(Girne、英語及びギリシャ語だとキレニア(Kyrenia))門です。
(なお、このページではここから先、北キプロス内の地名は通常最も通用する英語表記に統一させて頂きます。)

この門を出たところが各方面行きのミニバス乗り場になっています。
《北レフコシャの街並み ②》

キレニア門の手前にあるアタテュルク広場(Atatürk Myd.)はあまり広くはありませんが、トルコ共和国建国の父とされるケマル・アタテュルク(Kemal Atatürk)からその名前が付いた広場で、歴史的に多くのイベントやデモが開催された最も有名な場所の一つです。
《北レフコシャの街並み ③》

キレニア門の外側にはアタテュルクの銅像が立ち旧市街への来訪者を迎えてくれます。

足元にはアタテュルクの数ある名言の一つ「Ne mutlu Türküm Diyene」 (私はトルコ人だ、と言えること、なんと幸せなのだろう!)と書かれたプレートが埋め込まれています。。

この言葉は、この地の人たちにとって特に格別なものであるに違いありません。
《北レフコシャの街並み ④》

政府関係のビルのようでしたが、公共的な建物には必ずと言っていいほどトルコと北キプロスの国旗が並べて掲示又は掲揚されています。
《港町キレニア》

北レフコシャから約25km北、ミニバスで30分強の場所にある港町キレニアは紀元前10世紀頃を起源とする町で、北キプロスで最も美しい町です。
《キレニアの街並み ①》

地中海の要項が降り注ぐ海辺の町は、北キプロスを代表するリゾートです。
《キレニアの街並み ②》

中心部にはお洒落なレストランやショップが建ち並んでいます。
《キレニアの街並み ③》

それでも、まだまだ観光客がとても多いとは言えない状況なので、ちょっと裏道に入るとのんびりとした風情もあります。
《キレニアの街並み ④》

地中海の穏やかな荒波が打ち寄せる海岸では(写真には写っていませんが)地元の人たちが釣りをしたりして平和な日常が繰り広げられています。
《キレニアの路地 ①》

裏路地に入るとエーゲ海の小島にでも迷い込んだような佇まいです。
《キレニアの路地 ②》

それでも、突然モスクが見えたりするので北アフリカのチュニジアやモロッコのような雰囲気も感じられます。
《キレニアの路地 ②》

お洒落な洋風レストラン(厳密にはトルコ風なんですけど)などもあって、本当に今自分がどこの国にいるのかわからなくなるような錯覚に陥ってしまいます。
《キレニアの港 ①》

そんな感じで町全体が美しいキレニアですが、その中でも最も有名なのが港と城塞です。
《キレニアの港 ②》

小さな湾を取り囲むような形で並ぶレストランはまるで地中海の真珠と言っても過言ではありません。
《キレニアの港 ③》

昼間からワインやビールを飲んで優雅に過ごしている人も見られますが、夜になるとより多くの客が席を占め、この一帯は一段と輝きを増します。
《キレニアの港 ④》

オスマン調の建物とのコンビネーションも素敵なコントラストを醸し出しています。
《キレニアの港 ⑤》

港には大小様々なクルーズ船が停泊してセレブ感を演出しています。
《キレニアの港 ⑥》

向かい側に続く埠頭から見た様子です。
背後に見える山脈の裏側がレフコシャ方面です。
《キレニア城 ①》

古代ローマ時代には海上交易の要衝だっただけあって、港の入口には堅牢な城塞であるキレニア城が聳え立っています。

この城の歴史はビザンティンまで遡り、この地の支配者であったビザンティン、十字軍、ヴェネツィア共和国、オスマン帝国や大英帝国などに引き継がれ利用されてきました。
《キレニア城 ②》

城の中央部分は塔と城壁に囲まれた四角い庭になっており、その庭を取り囲んでいる建物(城壁)には兵士の詰所や居住区の遺構が今も残っています。
《キレニア城 ③》

また、城壁の上はエメラルドグリーンの海が見渡せる絶好のビューポイントです。
《聖ヒラリオン城 ①》

キレニアの南約15km、レフコシャへ続く幹線道路から山道を登った山の上に建つ St Hilarion Castle は、このエリアでは外せない観光スポットです。
《聖ヒラリオン城 ②》

写真だとただの険しい岩山にしか見えませんが、よく見ると山の中腹に城壁があり、そこから上が城塞となっているのです。
《キレニア遠景 ①》

城塞へ続く山道からは地中海をバックにした美しいキレニアの町が一望できます。

中央奥に見えるのが先ほどご紹介したキレニア城です。
《聖ヒラリオン城 ③》

聖ヒラリオン城は元々、7世紀から8世紀にかけてアラブ群の侵略に備えて監視施設として設置されたのを皮切りに、10世紀には教会や修道院も建設され、12世紀終わり頃から総合的な城塞施設として利用されるようになりました。
《聖ヒラリオン城 ④》

現在見られる遺跡のほとんどは13世紀に造られた部分だそうです。
《聖ヒラリオン城 ⑤》

天然の要塞のような立地なので、山の中腹にある駐車場から上がってくるだけでも随分疲れます。
《キレニア遠景 ②》

城の頂上付近から見たキレニアの町の様子です。
《キレニア遠景 ③》

高層ビルも立ち並び、結構大きな町であることがわかります。
《ベラパイス修道院 ①》

Bellapais Abbey(トルコ語では Beylerbeyi)は、キレニアの町の中心部から6kmほど南東にある12世紀に建てられた修道院です。
《ベラパイス修道院 ②》

公共交通機関が無く車でしかアクセスできないのが残念ですが、キレニア近郊では聖ヒラリオン城と並ぶ人気の観光スポットとなっています。
《ベラパイス修道院 ③》

一部廃墟化している部分もありますが、随所にゴシック建築の名残が見られます。
《ベラパイス修道院 ④》

現在残っている建物は主に14世紀に増築された部分ですが、13世紀に建てられた左の写真の教会は保存状態も非常に良く保たれています。
《ベラパイス修道院 ⑤》

毎年5月から6月にかけてはミュージックフェスティバルが開かれ多くの人で賑わうそうです。
《ベラパイス修道院 ⑥》

余談ですが、日本のガイドブックで北キプロスの観光地を紹介するものは一冊もありませんが、ロンリープラネット(2015年版)のキプロス版の表紙の写真はこの修道院です。
《北部海岸線》

キレニア周辺の観光を終えて次に向かったのは北キプロス東部の町ファマグスタ(Famagusta、トルコ語ではGazi Mağusa(ガージマーウサ))です。

途中の北の海岸線には所々にオスマン時代の遺跡が見られます。
《ファマグスタ近郊のビーチ》

ファマグスタの北にはいくつかのパブリック・ビーチがあります。

幅も適度に広く、海も砂もきれいなのですが、こんなにいい天気なのにビーチで手持ちぶさたに寝そべっている妙齢のギャルが数人いる程度で海水浴を楽しんでいる人はほとんどいませんでした。

すごい穴場だと思います。
《サラミス遺跡 ①》

それらのビーチを過ぎて少し南に進んだ先、ファマグスタの町からだと手前8kmほどのところにあるのが古代ギリシャ時代の遺跡 Ancient Salamis です。
《サラミス遺跡 ②》

サラミスは紀元前1180年頃に建てられた古代都市で、キプロス島全体の中でも有数の考古学遺跡です。
《サラミス遺跡 ③》

入場して間もなく見えるのが運動場(Gymnasium)を取り囲む大理石の列柱です。
《サラミス遺跡 ④》

列柱はレプリカがほとんどですが、オリジナルに近い部材を使っているそうなので雰囲気は出ているはずです。
《サラミス遺跡 ⑤》

こちらはサウナ(Roman Baths)の跡です。床下に熱い蒸気を通すことで室内が蒸し風呂状態になるという仕組みです。
《サラミス遺跡 ⑥》

紀元前後に築造された劇場(The Theatre)は、当時15,000人の観客が収容できたとされています。
この規模からすると明らかにちょっと詰め込み過ぎですね。
《サラミス遺跡 ⑦》

劇場の客席上部から北の運動場方向を眺めた様子です。
青い海とのコントラストがとても素晴らしいです。
《サラミス遺跡 ⑧》

上流階級の人たちのために建てられた住宅街ローマン・ヴィラ(Roman Villa)の遺構です。

(レプリカの)柱が数本残るだけで「兵どもが夢の跡」といった風情です。
《サラミス遺跡 ⑨》

アゴラ(集会場)とゼウス神殿(Agora & Temple of Zeus)の跡です。

これまた柱の基礎部分が残るだけですが、本数が多い上にレプリカでない分、当時の栄華が偲ばれます。
《サラミス遺跡 ⑩》

こちらは貯水槽(Reservoir)です。
50kmの長さの水路でサラミスの町に供給されていた水を貯めていたのだそうです。
《サラミス遺跡 ⑪》

4世紀に建てられたという教会(Kambanopetra Basilica)の跡です。
とても大きな教会だったとされています(実際のところ敷地面積はだだっ広いです)が今は見る影くらいしかありません。
《サラミス遺跡 ⑫》

遺跡のすぐ東側には地中海が広がっています。

ここは海水浴場ではなかったので残念ながら水着のお姉さんとかはいませんでしたが、それにも関わらず水も砂浜も相変わらずとてもきれいでした。
《ファマグスタの新しいモスク》

ファマグスタの町に入ると、城壁に囲まれた旧市街の入口の北西のロータリーでとても美しいモスクが出迎えてくれました。
Osman Fazil Polat Pasha Mosque という比較的新しくできたモスクだそうです。
《オセロ・タワー》

旧市街を取り囲む城壁の東側には Othello's Tower と呼ばれる塔門があります。
12世紀に建てられたこの門は当初は旧市街へのメインゲートでしたが、後に、シェークスピアのオセロに"a port in Cyprus"、 "Cyprus, the Citadel" という記述が登場したことからオセロ門と呼ばれるようになったそうです。
《ファマグスタ旧市街》

この日たまたまそうだったのか、いつもそうなのかは不明ですが、旧市街は比較的閑散としていて観光客はおろか地元の人もあまり多く歩いていませんでした。
《ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク ①》

ファマガスタ旧市街で最大の見どころと言えるのが1328年に落成した Lala Mustafa Pasha Mosque です。
《ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク ②》

元々はキリスト教の大聖堂として建てられたため、フランス特有の後期ゴシック様式の建築物ですが、1571年にファマグスタがオスマン帝国に陥落後、用途をモスクに変えられたという経緯があります。
《ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク ③》

その際、偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム教の教義により、大聖堂内の像、十字架上のキリスト像、フレスコ画、絵画、墓石、ステンドグラスの窓といったもの全てが、取り除かれるか塗り込められてしまいました。

ただし、構造物本体を本格的に建て直すまでには至らなかったため、内部は教会のような雰囲気に満ちています。
《ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク ④》

正面に当初あった2つの塔は、地震と1571年のオスマン軍の砲撃によりひどく損傷を受け破壊されてしまいましたが、後にオスマン帝国により向かって左側にミナレットが再建されました。
《聖ゲオルギオス教会》

ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスクの1ブロック南に建つ St. George Greek Orthodox Church は、ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスクより少し早い1300年頃に完成したという古いギリシャ正教会です。

ロンリープラネットにはとても写真映えがする教会と紹介されていたので楽しみにして向かいましたが、これがベストショットといったところです。
《ファマガスタの城壁 ①》

旧市街を取り囲む長さ約3kmに及ぶヴェネチア城壁(Venetian Walls)は、14世紀に築造され、その後ヴェネチアの治世16世紀に高さ15m、厚さ8mにもなる現在の強固なものに補強されたものです。

レフコシャの城壁と同じく途中14の砦と5つの門が設置されていますが、非常に強固な造りであることから保存状態は極めて良いため、城壁の上部は歩いて1周することができます。
《ファマガスタの城壁 ②》

今回の北キプロスの旅はレンタカーを使っての2泊3日の訪問でしたが、国土はそれほど広くないため、この日程でも十分楽しむことができました。

私はキレニアでレンタカーを借りましたが、キプロスの会社でも追加料金で国境越えをさせてくれるところもあるようなので、キプロスを訪れる機会があったら是非北にも足を伸ばしてみて下さい。必ず満足できると思います。




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