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旅の写真集  タイ王国(その4)HEADLINE

インド観光の旅行記を兼ねた写真集(その4)です。ここでは、タイ北東部のラオス国境近くの町ノーン・カイから南下し、ウドン・ターニー郊外の世界遺産バンチェン、更に南のナコーン・ラーチャシーマー近郊のピマーイ遺跡の様子をご紹介します。

《ノーン・カイ ①》

タイ東北部に位置する Nong Khai は、ラオスの首都ビエンチャン(Vientiane)から程近い国境の町です。
《ノーン・カイ ②》

ラオスとの国境にはメコン川が流れていますが、1994年完成のタイ・ラオス友好橋(Thai-Laos Friendship Bridge)により、ビエンチャン(Vientiane)との間はバスで1時間ほど(イミグレーション手続きに係る時間を除く)で簡単にアクセスできます。
《ノーン・カイ ③》

地元の人は渡し舟でも気軽に往き来しているようです。
《ノーン・カイ ④》

社会主義色の濃いラオスやベトナムに近いこともあってか、街中にはそれらの国でよく見られるような国威発揚色の強い壁画が見られます。
《ワット・ケーク ①》

ノーン・カイは国境の町ではあるものの、町の規模もそれほど大きくありませんし、対岸のビエンチャンほど見どころも多くありません。

そんな中、多くのマニアが訪れるのが、市街地中心部から5kmほど離れた所にある寺院 Wat Khaek(別名 サーラー・ケーオ・クー(Sala Keo Kou))です。
市内中心部からはトゥクトゥクで10分ほどでアクセスできます。
《ワット・ケーク ②》

タイの寺院というのは煌びやかで美しいものが多いものの素人目にはどれも同じように見えてしまうのですが、ここは特別です。
《ワット・ケーク ③》

寺院とはいうものの、敷地内は庭園のようになっていて、そこかしこに独特の雰囲気を持つ様々な像が展示されています。
《ワット・ケーク ④》

主にコンクリートで制作されたこれらの像は、ラオスの僧侶であったルアンプー・ブンルア・スラリット(Luang Pu Bunleua Sulilat)という人物によって造られたものです。
《ワット・ケーク ⑤》

スラリットはこのワット・ケークの対岸にあるビエンチャン郊外にワット・シェンクアン(Wat Xieng Khuan、通称ブッダ・パーク)という寺院を開き活動していたのですが、1975年にラオスが社会主義革命を果たすと同時にタイに亡命し、1996年に亡くなるまでここで同様の創作活動を続けました。
《ワット・ケーク ⑥》

仏教とヒンドゥー教、更にはバラモン教や土着宗教までを過激に融合させた多神教的な新興宗教の祖とも言われ、そこに展開されるオリジナル・ワールドはどれも独創性に満ちています。
《ワット・ケーク ⑦》

それぞれの作品には仏教やタイにおける寓話や説話などが表現されているそうですが、その内容を知らなくても、一つ一つの像が持つインパクトは異常に強烈です。
《ワット・ケーク ⑧》

各作品には一応解説らしきものが付されているのですが、タイ語で書かれているため全く理解できません。
《ワット・ケーク ⑨》

ただ、この象と犬の像は、ネットで調べたところ、地位やお金のある人(象)を嫉妬して口汚くののしる(犬の)行為を戒めているのだそうです。

ただ、どうして犬が自動車らしきもののハンドルを握ったりしているのかは謎のままです。
《ワット・ケーク ⑩》

こちらは「王たちの争いを諌める仏陀」だそうです。

非常に似た作品がラオス側のワット・シェンクアンにあったのをよく憶えています。
《ワット・ケーク ⑪》

何ですかね、これは。

とても含蓄に富んでいそうな構図ですが、残念ながら解読不能です。
《ワット・ケーク ⑫》

これも。

表面的には愉快な孫悟空のようです。
《ワット・ケーク ⑬》

こちらはタイの寺院でも時々見られるヒンドゥー教のナーガ(蛇神)に由来する生き物のようです。
《ワット・ケーク ⑭》

これまでに生まれた多くのラスボスのモチーフになったのではないかと思わせるユニーバーサルなデザインです。
《ワット・ケーク ⑮》

敷地内の一番奥にあるのは、ナマズが口を開けたような入口が魅力的な閉鎖空間です。
《ワット・ケーク ⑯》

ほぼ円形をしたナマズの胴体部分は低いながらも塀に囲まれていて周囲には数多くの輩が取り巻いていますが、内部にも何やら興味深い造形物がひしめいているのが窺えます。
《ワット・ケーク ⑰》

このスペースのテーマは仏教やインドの宗教における「カルマ」(業、因果応報)だそうです。

塀の内側は2重に仕切られた円になっていて、外側は老いや病など人が一生で出会う一般的な業が語られています。
《ワット・ケーク ⑱》

ベンチに座った若い二人と年老いた(というか既に骨となった)二人が微妙な距離を置いてシンメトリーに配置されています。
《ワット・ケーク ⑲》

あの世に行っても離れられない二人を表現しているのでしょうが、これもまた業の深さというものなのでしょうか。
《ワット・ケーク ⑳》

一方、内側の円の中心には3つの面を持つ神が6本の手を差し伸べている像が設置されています。
《ワット・ケーク ㉑》

こちらは、輪廻転生、前世からの行いが現世にもたらす影響について説いているそうです。
《ワット・ケーク ㉒》

まあ、こういった能書きは後で調べてようやく理解できた(気になった)ものですが、実際、現場にいるときはこれらの造形物のアクの強さにやられっぱなしで、この表現方法の素晴らしさに理屈抜きの感動の連続でした。
《ワット・ケーク ㉓》

写真と説明が今イチなので説得力に欠ける部分もあると思いますが、タイの他の寺院とは明らかに一線を画したオリジナリティー溢れる場所なので、少しでも興味を持って頂けたら、是非訪れてみて下さい。

恐らく後悔することは無いと思います。
《ワット・ケーク ㉔》

バンコクからだとバスで約10時間かかるらしいので、これだけのためにバンコクから遙々やって来るのはどうかと思いますが、前述のとおりビエンチャンからだと片道2時間もあれば訪問できるので、ラオス側のワット・シェンクアンと併せて楽しんでみて下さい。
《ウドーン・ターニー》

Udon Thani はバンコクの北東約550km(東京~大阪と同じくらいの距離)に位置するタイ北東部の交通の要衝で、タイ国内でも有数の大都市です。
《バン・チェン ①》【世界遺産】

そんなウドン・ターニーの中心部から東に約45kmに位置する Ban Chiang は、1992年にユネスコの世界遺産に登録された先史時代の遺跡です。
《バン・チェン ②》【世界遺産】

ただし、遺跡といっても古い建物等が残っている訳ではなく、ここで発掘された土器や人骨などが展示されている博物館が主役です。
《バン・チェン ③》【世界遺産】

とはいうものの、出土した素焼きの土器などは、紀元前3,600年から紀元後200年くらいの非常に古いものです。
《バン・チェン ④》【世界遺産】

独特の彩色や渦型の文様が施されたこれらの土器には、中国やインドなどの影響は見られずバン・チェンのオリジナルのデザインであることから、東南アジアに独自の先史文明があったことを示す貴重な遺跡と認められています。
《バン・チェン ⑤》【世界遺産】

例えば、これらの土器で今から3,000年から2,300年前のものとされますが、保存状態も非常に良いものが揃っています。
《バン・チェン ⑥》【世界遺産】

こちらは幼児用の骨壺ですが、左側のもので紀元前3,000年から2,000年、右側のもので紀元前2,000年から1,500年くらいのものだそうです。
《バン・チェン ⑦》【世界遺産】

埋葬された人骨もきれいに残っています。
《バン・チェン ⑧》【世界遺産】

こういった貴重な発掘資料は、どこの国でも通常首都などにある大きな国立博物館に移管され展示される場合が多いですが、19720年に前国王のラーマ9世(ブミボン国王)が訪れた際に「この遺跡の物品はこの地にあるべきであり、バンコクの博物館で展示すべきではない」と言ったことにより、バーンチエンに国立博物館が設立されたという経緯があります。
《バン・チェン ⑨》【世界遺産】

博物館から徒歩10分ほどのところにある寺院ワット・ポー・シー・ナイ(Wat Po Si Nai)の敷地内には実際の発掘現場が残されています。
《バン・チェン ⑩》【世界遺産】

内部は広くはありませんが、発掘当時の写真や発掘時の状況がきれいに再現されていてとても参考になります。

バン・チェンへは、ウドーン・ターニー中心部からサコーン・ナコーン(Sakhon Nkhon)など東方面行きのバスに乗って途中下車し、そこからトゥクトゥクで15分ほどでアクセスできます。
《ウドーン・ターニーのバスターミナル ①》

ウドーン・ターニーは大きな町なので、市内には3か所の長距離バスターミナルがありますが、この後は北西部のタイを代表する遺跡スコータイ(Sukhothai)に向かうためピッサヌローク(Phitsanulok)に移動しました。
両都市とも国内では相当大きな規模なのでバスは頻発していると思っていましたが1日4便と意外に少なかったのが意外でした。
《ウドーン・ターニーのバスターミナル ②》

このバスに乗って約7時間でピッサヌロークです。

この先の旅の様子は、旅の写真集(スコータイ)をご覧下さい。

上記旅行は2018年3月のものですが、それから約4年前の2013年末にはウドーン・ターニーの約300km南のナコーン・ラーチャシーマー(Nakhon Ratchasima)を訪問していますので、その時の様子を以下にご紹介します。
《ピマーイ遺跡公園 ①》

ナコーン・ラーチャシーマー周辺の平原には約1,000年前のクメール帝国時代に建てられた多くの遺跡が点在しています。
《ピマーイ遺跡公園 ②》

中でもナコーン・ラーチャシーマー中心部から東に約60kmに位置する Phimai は、アンコールへとつながるクメール古道の重要な終着点の一つで、アンコール遺跡から北西にわずか260km、規模もタイ国内では最大であることから、国内屈指のクメール遺跡とされています。
《ピマーイ遺跡公園 ③》

南の入り口から入り、塔門に向って進むと、塔門の南側に砂岩で作られた幅4m、長さ32mの橋があります。
《ピマーイ遺跡公園 ④》

橋の欄干は七頭のナーガで飾られていることからナーガの橋と呼ばれています。
《ピマーイ遺跡公園 ⑤》

この橋は宗教的な聖域に入る一番初めの地点であるために人間界と天界をつなぐ橋とも考えられていて、これより先は神々の住む天界と考えられているそうです。
《ピマーイ遺跡公園 ⑥》

最深部にある中央祠堂は正にアンコール・ワットを彷彿とさせます。
《ピマーイ遺跡公園 ⑦》

アンコールワットが12世紀前半に建てられたのにタイして、ピマーイの建造物の多くは1108年までに完成していたとされているため、アンコールワットのモデルになったとも言われています。
《ピマーイ遺跡公園 ⑧》

ただ、建物はオリジナルとレプリカの煉瓦が混在し、レプリカもよく模して色づけされているので、どれがオリジナルか見分けがつきません。
《ピマーイ遺跡公園 ⑨》

入口の上部には踊るシヴァ神が彫られています。
《ピマーイ遺跡公園 ⑩》

外回廊に残る窓枠の石柱(写真左寄り)のデザインはアンコール・ワットのものとほぼ同じです・
《ピマーイ遺跡公園 ⑪》

中央祠堂は、外から見ると3つの仏塔が回廊で繋がった一体化した建造物に見えますが、実際は中庭状の中央部にプラサート・ピマーイ(Prasat Phimai)と呼ばれる本殿が配置されている構造です。
《ピマーイ遺跡公園 ⑫》

仏塔の構造はヒンドゥー寺院によく似ています。

アンコールの遺跡にはヒンドゥー教の遺跡と仏教の遺跡とが混在しているのです。
《ピマーイ遺跡公園 ⑬》

プラサート・ピマーイの内部には、白い仏像が安置されてます
この仏像はレプリカらしいですが、7頭のナーガに護られているデザインは素敵です。

なお、彫刻や仏像のオリジナルの多くは、遺跡公園の100mほど北にある国立博物館に保存、展示されています。
《ピマーイ遺跡公園 ⑭》

ピマーイはバンコクからバスで約4時間かかるナコン・ラーチャシーマーから更に1時間強かかる、あまり便利な観光地ではありませんが、その分観光客も少なく、のんびり散策することができます。

付近には規模は更に小さいですがいくつかの同様な遺跡も散在していますので、タイの寺院見学に飽きた際などには気分転換に訪れてみるのもいいと思います。

→ 旅の写真集 旅の写真集タイ王国(表紙)へ戻る。

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