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旅の写真集  ポーランド共和国(後編)HEADLINE

ポーランド観光の旅行記を兼ねた写真集の後編です。ここでは、首都ワルシャワ、アウシュビッツ・ビルケナウ、クラクフを経て南西部のヴロツワフに至る旅をご紹介します。

《ワルシャワ中心部 ①》

前編に引き続いてワルシャワ(Warszawa)中心部の様子です。

旧市街の歴史地区の南端の王宮広場の500mほど南に位置するラジヴィウ宮殿(Pałac Radziwiłłow)は、15世紀頃から第2次世界大戦開始まで数世紀にわたってポーランドの権力の中枢にあって国政に大きな影響を与えてきたラジヴィウ家の館でしたが、現在は大統領官邸となっている建物です。
《ワルシャワ中心部 ②》

旧市街の中心部は「ワルシャワ歴史地区(Historic Centre of Warsaw)というタイトルで世界遺産に登録されていますが、そこに至るまでの町並みも非常に美しく整備されています。
《ワルシャワ歴史地区 ①》【世界遺産】

旧市街の南端に位置する王宮広場(Plac Zamkowy)です。
《ワルシャワ歴史地区 ②》【世界遺産】

広場の中心には、1596年に首都をクラクフ(Kraków)からワルシャワに移した王ジグムント3世(Zygmunta Ⅲ)の碑が立っています。
《ワルシャワ歴史地区 ③》【世界遺産】

生憎の曇り空ですが、非常にカラフルな町並みです。
《ワルシャワ歴史地区 ④》【世界遺産】

広場の南東の角に建つ聖アンナ教会(Kościół Akademicki św. Anny)の展望台(Taras Widokowy)に登ると王宮広場が一望できます。
《ワルシャワ歴史地区 ⑤》【世界遺産】

ワルシャワの町は第2次世界大戦中に徹底的に破壊されてしまったため、今見えるまるで模型のような町並みは全て戦後に再建されたものだそうです。
《ワルシャワ歴史地区 ⑥》【世界遺産】

復興に当たっては戦前の市街地の絵画や図面などをもとに、18世紀後半の町並みが忠実に再現されたとのことで、その復興に対する熱意も世界遺産に登録される要因として評価されたそうです。
《ワルシャワ歴史地区 ⑦》【世界遺産】

旧市街の東側には国土を南北に縦貫する国内最長(1,047km)の川、ヴィスワ(Wisła)川が流れています。
《ワルシャワ歴史地区 ⑧》【世界遺産】

同じ色彩に統一されたトロリーバスと連結バスが網の目のように市内を走りまわっている光景も、現在のワルシャワを洗煉されたイメージに塗り替えています。
《ワルシャワ歴史地区 ⑨》【世界遺産】

王宮広場の北側の路地裏の広場です。
《ワルシャワ歴史地区 ⑩》【世界遺産】

小さなモニュメント(Dzwon na Kanonii、英語ではWishing Bell)を取り囲むような形で可愛らしいビルが建ち並んでいます。
《ワルシャワ歴史地区 ⑪》【世界遺産】

寄り添うように建っている姿が幼気な雰囲気を醸し出しています。
《ワルシャワ歴史地区 ⑫》【世界遺産】

更に50mほど北上したところにあるのが旧市街の中心とも言える市場広場(Rynek Starego Miasta)です。
《ワルシャワ歴史地区 ⑬》【世界遺産】

王宮広場が観光の中心地といった雰囲気であるのに対して、こちらは地元の人の生活に根付いた中心という感じです。
《ワルシャワ歴史地区 ⑭》【世界遺産】

市場広場という名前のとおり、広場を取り囲む建物にはレストランやバー、土産物屋などが軒を連ねている他、ご覧のような催事も頻繁に行なわれているようで非常に活気があります。
《ワルシャワ歴史地区 ⑮》【世界遺産】

市場広場の北にはバルバカン(Barbakan)と呼ばれる15~16世紀に造られた要塞跡の一部が残っています。

これも第2次世界大戦で破壊されたものが1954年に再建されたものだそうです。
《クラクフ駅》

ワルシャワの観光を終えると、次の目的地でありワルシャワの南約300kmに位置する国内第2の都市 Kraków に移動しました。

ワルシャワとの間にはインターシティ(IC)と呼ばれる特急が走っているので、最短で約3時間で到着することができます。
《クラクフ歴史地区 ①》【世界遺産】

クラクフは、ポーランドで最も歴史ある都市の一つで、11世紀から16世紀の終わりにワルシャワに遷都するまではポーランド王国の首都でした。
《クラクフ歴史地区 ②》【世界遺産】

旧市街の北側には、ワルシャワ同様、バルバカンがどっしりと構えています。
《クラクフ歴史地区 ③》【世界遺産】

バルバカンから入場すると、すぐ内側に上品なデザインのフロリアンスカ門(Brama Floriańska)があります。
《クラクフ歴史地区 ④》【世界遺産】

旧市街はポーランドでは珍しく奇跡的に第2次世界大戦での破壊を免れ、中世の町並みがそのまま残されています。
《クラクフ歴史地区 ⑤》【世界遺産】

そのようなこともあって、旧市街は「クラクフ歴史地区」というタイトルで1978年に世界遺産に登録されました。
《クラクフ歴史地区 ⑥》【世界遺産】

フロリアンスカ門から3ブロックほど南に歩くと旧市街の中心である中央市場広場(Rynek Główny)に出ます。

広場の中央には美しい外観の織物会館(Sukiennice)が建っています。
《クラクフ歴史地区 ⑦》【世界遺産】

そして織物会館の南にはタウン・ホール・タワー(Wieża Ratuszowa)が聳え立っています。

もともとは市庁舎に付属する塔だったものが、1820年に庁舎だけが取り壊され、この塔だけが残されたものだそうです。
《クラクフ歴史地区 ⑧》【世界遺産】

広場の東側に建つのは14世紀に建設された聖マリア教会(Kościół Wniebowzięcia Najświętszej Marii Panny) です。
《クラクフ歴史地区 ⑨》【世界遺産】

中央広場から更に南に約500mほど進んだところにあるのがヴァヴェル城(Zamek Królewski na Wawelu)です。
《クラクフ歴史地区 ⑩》【世界遺産】

1320年に着工し、その後数世紀に渡って増築されたヴァヴェル大聖堂(Katedra Wawelska)の鐘楼(左奥の緑色の塔)には、周囲8mというポーランド最大の鐘が吊るされています。
《クラクフ歴史地区 ⑪》【世界遺産】

中央の中庭を取り囲む形で建てられている建物も見事です。
《クラクフ歴史地区 ⑫》【世界遺産】

城の西側にはヴィスワ川が流れています。
《クラクフ歴史地区 ⑬》【世界遺産】

対岸から望むヴァヴェル城も優雅です。
《クラクフ歴史地区 ⑭》【世界遺産】

クラクフは大都会ではありますが以上のような見どころはほぼ1km四方に収まる旧市街に集中しているので半日もあれば一通り見て回ることができます。
《クラクフ歴史地区 ⑮》【世界遺産】

中央市場広場は日が暮れると更に活気を増します。

ライトアップされた織物会館を眺めながらお気に入りのレストランへ向かう人々が集まってくるためです。
《ポーランド料理 ①》

という訳で、私も宿から紹介してもらった店で夕食を楽しませてもらいました。

さすがに地元の食通お薦めのレストランだけあってとても美味しかったので、この機会にご紹介させて頂きます。

まずはビゴス(Bigos)と呼ばれるポーランドを代表するスープです。

この日はザワークラウトをダック風味のスープで煮込んだものでした。
《ポーランド料理 ②》

次はゴウォンプキ(Gołąbki)。

ポーランドの伝統的な家庭料理の一つである、いわゆるロールキャベツです。
《ポーランド料理 ③》

メインディッシュはゴロンカ(Golonka)と呼ばれる豚スネ肉の煮込みです。

ポーランドは豚料理がとても美味で、この店のこの料理も塩加減が絶妙な逸品で大満足できました。
《アウシュヴィッツ ①》【世界遺産】

翌日から2日間はレンタカーを借りて郊外の見どころを巡りました。

最初に訪れたのは、クラクフの西約50kmに位置する、ナチス・ドイツによる強制収容所 Auschwitz です。
《アウシュヴィッツ ②》【世界遺産】

入口に掲げられた ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)のスローガンには悪意しか感じられません。
《アウシュヴィッツ ③》【世界遺産】

そんな風に、はっきり言って胸が悪くなる施設ではありますが、ポーランドに入国する観光客のほとんどはここを避けて通ることはできないようで、毎年、約200万人の人々が訪れるそうです。
《アウシュヴィッツ ④》【世界遺産】

施設内は各種言語別のツアーのみで見学可能となっています。

さすがに日本語はありませんが、来場者が多いだけあって英語であれば非常に頻繁に出発します。
《アウシュヴィッツ ⑤》【世界遺産】

収容所には28の囚人棟があり、ピーク時には約28,000人が同時に収容され、最終的には(諸説あるものの)近接するビルケナウ(第2アウシュビッツ)収容所と合わせて150万人以上が殺害されたとのことです。
《アウシュヴィッツ ⑥》【世界遺産】

当初、囚人となったのはポーランド人でしたが、政治犯、共産主義者、ジプシー、精神障害者、同性愛者、捕虜となったソ連兵なども収容されることとなりました。
《アウシュヴィッツ ⑦》【世界遺産】

結果的に、犠牲者は28の民族に及び、そのおよそ3分の2がユダヤ人だったとされています。
《アウシュヴィッツ ⑧》【世界遺産】

1944年の暮れ、ソ連軍の接近に伴い、ナチス・ドイツは自分たちの所業を隠そうと収容所の多くの施設(特にガス室など)を破壊しましたが、間に合わずに残された施設は今も当時のままの姿で残されています。

各施設の間には写真のような鉄条網が設置され、張り巡らされた高圧電線には6000ボルトの電流が流されていたそうですが、絶望のあまり自ら触れて自殺する者もいたそうです。
《アウシュヴィッツ ⑨》【世界遺産】

こちらは「死の壁(Death Wall)」です。

政治犯や逃亡者、収容所内でのレジスタンス活動を行ったとされる2万人近くの者が裸で立たされ銃殺刑が執行された場所です。
《アウシュヴィッツ ⑩》【世界遺産】

ガス室は全てがナチスによって破壊されましたが、戦後、一つが復元されて公開されています。

ガス室は徹底した効率性が追求され、約30分で800人の処刑が可能だったとされています。
《ビルケナウ ①》【世界遺産】

第1収容所の見学を終えると約2kmほど離れた場所にある Birkenau にバスで移動します。
《ビルケナウ ②》【世界遺産】

ここには収容者を満載した鉄道車両が直接乗り入れることができる引き込み線が、アウシュビッツ・ビルケナウの象徴とも言える「死の門」をくぐる形で敷かれています。
《ビルケナウ ③》【世界遺産】

総面積は東京ドーム約37個分の1.75平方キロメートルで、300以上の建物から成り、ピーク時には約9万人(アウシュヴィッツ・ビルケナウ全体では満員の東京ドーム約3個分とも言える約14万人)が収容されていたそうです。
《ビルケナウ ④》【世界遺産】

収容所到着直後の選別で、労働に適さない女性、子供、老人など、収容者の70~75%が何らの記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれたそうですが、幸か不幸か生き残ることができた者たちは、最低限の藁が敷かれたベッドでの生活が待っていました。
《ビルケナウ ⑤》【世界遺産】

トイレは長大な縦長の大きな桶の上にコンクリートの板を置き、表面に丸い穴をあけただけのもので、使用は、午前と午後各1回に制限されており、目隠しになるものもなく一斉に使用を強制されたそうです。
《ビルケナウ ⑥》【世界遺産】

1940年の5月に開所以来、1945年の1月27日にソ連軍によって解放されるまで、4年半以上に渡って悪行の限りが尽くされたアウシュビッツ・ビルケナウは1979年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ①》

クラクフの南はマウォポルスカ(Małopolska、小ポーランドの意)と呼ばれる農業地域となっていて、周辺には「マーウォポルスカ南部の木造教会群」というタイトルで2003年にユネスコの世界遺産に登録された6つの教会が点在しているので、せっかくのレンタカーの旅なので巡ってみることにしました。

因みに、左の写真はその6つには含まれない教会(名前は不明)ですが、なかなか良い佇まいです。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ②》【世界遺産】

デンブノ(Dębno)という村にある大天使ミカエル聖堂(Kościół św. Michała Archanioła)は、15世紀後半に建てられたそうで、6つの教会の中でも比較的古い部類に入るものです。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ③》【世界遺産】

うろこ壁のような外傷が特徴的です。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ④》【世界遺産】

次に訪れたのはセンコヴァ(Sękowa)村の使徒聖ピリポと聖ヤコブの聖堂(Kościół św. Filipa i św. Jakuba)です。

1520年完成と6つの教会の中では最も新しいものです。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ⑤》【世界遺産】

こちらはビナロヴァ(Binarowa)の大天使ミカエル聖堂(Kościół pw. św. Michała Archanioła w Binarowej)で、1500年完成だそうです。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ⑥》【世界遺産】

この辺りの教会の難点は、そのほとんどが敷地が狭い上に木が覆い茂っているため、全容を写真に収めることが困難なことです。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ⑦》【世界遺産】

そんな中、比較的整った環境に建っているのがリプニツァ・ムロヴァナ村に15世紀終わりに建てられた聖レオナルド聖堂(Kościół św. Leonarda)でした。
《マーウォポルスカ南部の木造教会群 ⑧》

他にも2つあるのですが、スケジュールが押していたのでやむなく諦めました。

そんな中、次の目的地への移動中に見つけた教会がこちらです。

何の看板もなく名もない教会という感じでしたが、外観は6つの世界遺産の教会よりもチャーミングでとても気に入りました。

世界遺産などという権威に囚われずにのんびりと教会巡りをするのも楽しいかもしれません。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ①》【世界遺産】

日が暮れる少し前に到着したのがクラクフの南東約15kmにある Wieliczka の岩塩採掘場(Kopalnia soli Wieliczka)です。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ②》【世界遺産】

ここは13世紀に採掘が始まった、廃坑になっていないものとしては世界最古の塩坑(廃坑になっているものを含めても、同国内のボフニャ岩塩坑に次いで世界で2番目に古い)で、深さは地下327 m 、全長は300 km以上に及ぶそうです。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ③》【世界遺産】

内部には、観光客向けに3.5 km の坑道が整備されていて、入口で割り振れられたツアーで見学することができます。

年間110万人もの観光客が訪れるそうですが、アウシュビッツでさえ年間約200万人なので、如何に人気のアトラクションであるかが窺い知れます。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ④》【世界遺産】

ツアーは、最初に長い階段を降りながら坑内を見学した後、最後にエレベーターで一気に地上へ出るという内容なので、体力にあまり自信のない人でも参加できるものとなっています。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ⑤》【世界遺産】

途中には、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げた様々なモチーフを象った彫像が並んでいますが、最大の見どころは深さ100mのところにある大広間、聖キンガ礼拝堂(Kaplica św. Kingi)です。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ⑥》【世界遺産】

天井からはいくつものシャンデリアが華麗に吊り下がっていますが、これらも岩塩の結晶を細工した純塩製です。
《ヴィエリチカ岩塩鉱 ⑦》【世界遺産】

礼拝堂には岩塩製の最後の晩餐も飾られています。

ツアーは3時間ほどで終わるので無理をすればアウシュビッツと合わせて一日で回ることもできますが、非常に忙しく感動も薄れてしまうと思うので、半日ずつで二日間に分けた方がいいと思います。
《ヴロツワフ ①》

クラクフ周辺の観光を終えて次に向かったのは、クラクフの北西約270kmに位置する Wrocław です。

クラクフからワルシャワまでが約300kmで所要3時間であるのに対してこちらはそれより距離が短いにもかかわらず5時間半以上かかりました。
《ヴロツワフ ②》

別に遅れが発生したわけではなくもともとのスケジュールでこの有様です。

クラクフからドイツのベルリンに抜ける幹線なのですが。

おかげで駅前の立地抜群のホテルにチェックインしてちょっと落ち着いたら外は真っ暗になってしまいました。
《ヴロツワフ ③》

翌日の午前中は市内観光に出かけました。

ヴロツワフというのは日本では馴染みの薄い地名ですが、ポーランドでは最も古い都市の一つで人口も国内で第4というほどの大都市です。
《ヴロツワフ ④》

中心部にはポーランドらしいカラフルなビルが建ち並んでいます。
《ヴロツワフ ⑤》

13世紀に建てられたという市庁舎(Town Hall)は、荘厳かつ緻密で非常に美しい建物です。
《ヴロツワフ ⑥》

こちらの手前の2つの建物ははヤシュとマウゴシャの家(Kamienice Jaś i Małgosia、英語名はHansel and Gretel Houses)と呼ばれているそうですが、2階部分がゲートで繋がっていて仲が良さそうに見えるというだけで、実際のところはヘンゼルとグレーテルとは全く関係ないそうです。
《ヴロツワフ ⑦》

市内の主な見どころとしては、この程度で、あとは路地裏をぶらぶら歩いたりするのが楽しい過ごし方とされているようですが、21世紀に入ってから街角のあちこちに小人の像が置かるようになり、最近ではそれらを探し歩くというアトラクションも流行っているそうなので、暇つぶしにはもってこいだと思います。
《ヴロツワフの百周年記念ホール ①》【世界遺産】

ただ、私が訪れた2013年にはそのような情報は全く無く、個人的には中心部からトラムで10分ほどのところにある世界遺産の百周年記念ホール(Hala Stulecia)を訪れたくてヴロツワフに立ち寄ったに過ぎなかったため、早速午後にはこちらに向かいました。
《ヴロツワフの百周年記念ホール ②》【世界遺産】

このホールは、ナポレオン戦争時のライプツィヒの戦いで1813年にフランス軍を破ってからの100周年を記念して建設されたもので、当時の鉄筋コンクリート建築物としては世界最大で、のちのコンクリート建築にも影響を及ぼしたということで2006年にユネスコの世界遺産に登録されたそうですが、素人の目にはただの大きな体育館程度にしか見えず、そこそこ期待していた割には少し残念な内容でした。
《シヴィドニツァ》

100周年記念ホールにはちょっとがっかりでしたが、ヴロツワフからバスでそれぞれ1時間ほどのヤヴォル(Jawor)と Swidnica には同じく世界遺産に登録された教会があるということだったので、このうちのシヴィドニツァを訪れてみることにしました。

シヴィドニツァは町というより村といった規模の集落なのですが、中心部はご覧のように大都市にも負けないような立派な佇まいです。
《シヴィドニツァの平和教会 ①》

世界遺産の教会は中心部から徒歩5分ほどのところにあります。
《シヴィドニツァの平和教会 ②》

教会というよりはスイス辺りのリゾート地のホテルのような雰囲気を漂わせています。
《シヴィドニツァの平和教会 ③》

外装も特徴的ですが、内部には歴史を感じさせる装飾が残されていて非常に見応えがあります。
《シヴィドニツァの平和教会 ④》

写真には写っていませんが、あまり便利とは言えないような場所であるにもかかわらず、結構な観光客がいるのが意外に感じました。

個人的には、それだけ訪れる価値があるのだと思いました。
《ベルリンへの列車》

翌日は列車でドイツに移動し、ポツダム経由でベルリンに向かいました。

逆に言うと、ヴロツワフ周辺はベルリンから1泊でも十分楽しめるということです。

ドイツ観光のついでに南ポーランドも巡ってみるというのも非常にお薦めです。

→ 旅の写真集ポーランド(前編)に戻る。

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