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旅の写真集  ペルー共和国(後編)HEADLINE

ペルー観光の旅行記を兼ねた写真集(後編)です。ここでは、ボリビア国境近くのチチカカ湖畔の町プーノから北上し、世界遺産の町クスコとその近郊の遺跡を訪問後、ペルー旅行のハイライトとも言えるマチュピチュに至るまでをご紹介します。

《ボリビア国境からペルーへ》

いきなり蛇足ですが、前編ではアレキパ(Arequipa)までご紹介して後編はプーノ(Puno)からということなのですが、プーノ観光前にボリビアに入国した後にプーノの本格的観光をしたため、ここではボリビアからペルーに再入国したところから物話を始めさせていただきます。

左の写真は国境の緩衝地帯にある「ペルーへようこそ」を意味するモニュメントです。
《プーノ旧市街 ①》

チチカカ湖畔の町プーノは、標高3,850mという高所にありながら非常に坂が多い町なので、ちょっと歩くだけでもすぐに疲れます。

そのせいかどうかわかりませんが、市街地中心部をちょっと外れるとご覧の様に人通りのない寂しい路地が多く見られます。
《プーノ旧市街 ②》

プーノはチチカカ湖観光の起点となる町ですが、町自体には特に見どころはありません。
《プーノ旧市街 ③》

それでも、ちょっと高いところに上がると旧市街とチチカカ湖が一望でき、満更でもありません。
《プーノ旧市街 ④》

そんな訳で、チチカカ湖をもっとよく見ようと更に高いところを目指すことにしました。
《コンドルの丘へ続く階段 ①》

Mirador El Condor は、ロンリープラネットに「見晴らしは良いが銃撃や恐喝が報告されているのでお薦めできない」というようなことが記されているスポットなので訪問するつもりはなかったのですが、この階段の麓近くにあった宿のおばさんに勧められたので訊いてみると「昼間なら問題はない」と自信を持って断言されたのでこっそり訪ねてみることにしました。
《コンドルの丘へ続く階段 ②》

実際に数えることはしませんでしたが、この高所にもかかわらず階段は600段以上あるそうです。
《コンドルの丘へ続く階段 ③》

ボリビアで十分高地順応したにもかかわらず、50段くらい登るだけで息も絶え絶えになるので休みながら振り返りながらゆっくり登ります。
《コンドルの丘へ続く階段 ④》

間もなく頂上です。
《コンドルの丘からの眺め①》

頂上では若い女学生が二人ノートを広げて勉強している他に人はおらずちょっと寂しげでしたが、パトカーに乗った警察官も常駐していたのでセキュリティに抜かりはないようで安心しました。
《コンドルの丘からの眺め②》

お陰でとても苦労した甲斐あってこのような素晴らしい景色を堪能することができました。

なお、30分ほど滞在した後、帰り際には警察官に十分注意して帰るようにと言われました。ペルーの警察官は意外と親切だと思いました。
《ウロス島 ①》

翌日はチチカカ湖の2つの島を巡るツアーに参加しました。

まず最初に訪れたのは、プーノから7~8km沖に浮かぶ Isla Los Uros です。
《ウロス島 ②》

ここは島といっても普通の島と違って天然にできたものではなく、トトラと呼ばれる葦の一種を積み重ねてできた人工島です。

構造としては、湖面に顔を出すようにして生えているトトラを刈り取ってブロックのようにして束ねたものを3mほど重ねて浮かし、さらにその上に敷き藁のようにしてトトラを敷き詰めるというもので、文字通りの浮島です。
《ウロス島 ③》

また、ウロス島という大きな島が一つあるわけではなく、一つの島に2~5くらい(稀にもっとずっと大きなものもありますが)の小屋が建つ小島約300から成る、謂わば群島のようなものです。
《ウロス島 ④》

前述のとおり、地面にはトトラが敷き詰められているだけなので、上陸してみると足元は異常にふわふわもっこりしています。

ついでに、島の上に並ぶ小屋もまたトトラでできています。
《ウロス島 ⑤》

元来見世物のために作られたテーマパークとかではなく、先住民の人が住むために編み出されたものなので、ローカルな人々は実際にここで生活しています。

そのため、とてもよく燃えそうな島であるにもかかわらず火気厳禁というわけではなくキッチンもあります。
《ウロス島 ⑥》

場合によってはキッチンは屋内のこともあるようです。
《ウロス島 ⑦》

また、最近では各家にソーラーパネルも設置され、太陽光発電の恩恵に与っています。
《ウロス島 ⑧》

そんなトラディショナルな島ですが、最近ではチチカカ湖を訪れるほとんどの観光客が訪れるほどの人気スポットになっているため、抜け目なくお土産物が並べられていたりします。
《ウロス島 ⑨》

実際のところ、元々は漁業などで生計を立てていた人たちも最近では主に観光業に勤しむようになっており、収入のほとんどが観光客によるものといった本末転倒な人たちも少なくないようです。
《タキーレ島 ①》

ウロス島の次に向かったのは、プーノから35kmほどの沖合に浮かぶ Isla Taquile です。
《タキーレ島 ②》

今「浮かぶ」と書きましたが、これは言葉の綾で、こちらはウロス島と違って南北5kmほどの大きさの正真正銘の島です。
《タキーレ島 ③》

立派な段々畑もあり、農業の他、独特な模様の手織物業が盛んですが、今でも多くの島民たちは自給自足の物々交換で生活しているそうです。
《タキーレ島 ④》

タキーレ島の島民は非常にユニークで、プーノ周辺の人々はほとんどがアイマラ語(Aymara)を話すアイマラ族であるのに対して、ほとんど全員がケチュア語(Quechua)を話すケチュア民族です。
《タキーレ島 ⑤》

住民は約2,200人いるそうですが、島外から結婚相手を迎えることはほとんどないと言われています。
《タキーレ島 ⑥》

また、男性はほぼ全員が帽子を被り、その模様で独身か既婚か判断できるようになっていて、既婚の男性は赤の帽子、未婚の場合は赤と白だそうです。
《タキーレ島 ⑦》

そこから判断するとこの男性は差し詰め独身貴族、恋人募集中(かどうかは知りませんが)という状況のようです。
《タキーレ島 ⑧》

また、手織物が非常に盛んなのですが、編み物(knit)をするのは男性だけで女性はしない(ただし織り物(weave)はする)という独特の習慣があります。
《タキーレ島 ⑨》

一方で、女性は細かい刺繍の入ったブラウスとカラフルなレイヤースカートの上下の組み合わせに黒い頭巾という出で立ちです。
《タキーレ島 ⑩》

この日は島の頂上にある広場(Plaza de Taquile)で何やら壮大な催し物があり、多くの村人が集合していました。
《タキーレ島 ⑪》

行進の準備中か、小さな子供たちが整列している様子は可愛げがあります。
《タキーレ島 ⑫》

こちらはいい年頃の女性たちです。

子供たち同様、同じデザインのユニフォームに身を包んでいます。
《タキーレ島 ⑬》

音楽隊もスタンバイしています。
《タキーレ島 ⑭》

一方で、いい歳をしたおばさまたちも、どういう訳か皆同じ服装で座り込んでいました。

幸い見学だけのようです。
《タキーレ島 ⑮》

男性諸君もいい子に並んで見物です。
《タキーレ島 ⑯》

音楽隊の演奏を皮切りに単調な行進が始まりましたが、結局何のイベントだかわかりませんでした。

因みにこの日は金曜日。
文字通り老若男女入り乱れてのお祭り騒ぎでした。

皆さん仕事は大丈夫なのかとも思いましたが、まあ、閉鎖されたコミュニティにおいては、このようなイベントより重要な業務など無いのかもしれませんね。
《タキーレ島 ⑰》

広場の隅には世界の主要都市への距離標が立てられていました。

東京は16,335kmの彼方だそうです。

赤道1周が約4万kmですので、ほとんど地球の裏側といっても過言ではないかもしれません。
《タキーレ島 ⑱》

運良く盛大なイベントを見物した後は、のんびり船着場までの道を降りて行きます。
《タキーレ島 ⑲》

まるで海のようなチチカカ湖と段々畑とのコントラストがペルー情緒を感じさせてくれます。

因みに、アンデス地方に多く見られるこのような段々畑はアンデネス(Andenes)と呼ばれています。
《タキーレ島 ⑳》

集落の出口のゲートです。

チチカカ湖には他にもいくつかの島がありますが、ほとんどの人はこの2島を回るツアーに参加するようです。

プーノの宿泊施設であれば、ほとんどどこでも前日の夜までに申し込めばアレンジしてくれますので、気軽に参加してみて下さい。
《クスコ旧市街 ①》【世界遺産】

プーノの約400km北西にある Cuzco は、11~12世紀にかけて建設されたインカ帝国の首都で、町全体が1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。
《クスコ旧市街 ②》【世界遺産】

旧市街中心部にはインカ時代からの石組の壁や石畳が残っています。
《クスコ旧市街 ③》【世界遺産】

一方、スペイン征服後に整備されたアルマス広場(Plaza de Armas)を中心に、コロニアル建築も多く見られます。
《クスコ旧市街 ④》【世界遺産】

1560年に建設が始まり約100年後の1664年に完成した、アルマス広場の北東側に建つカテドラル(La Catedral)は、インカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたもので、クスコのランドマークとも言える存在です。
《クスコ旧市街 ⑤》【世界遺産】

一方、1571年に建造されたラ・コンパ-ニャ・デ・ヘスス教会(Iglesia de La Compañía de Jesús)は、広場の南東側、かつてのインカ帝国第11代皇帝ワイナ・カパック(Huayna Cápac)の宮殿があった場所に建っています。
《クスコ旧市街 ⑥》【世界遺産】

広場の南西側にはいかにもコロニアル風な建物が軒を連ねています。
《クスコ旧市街 ⑦》【世界遺産】

1ブロック南西には、ラ・メルセー教会修道院(Iglesia y Convento La Merced)が建っています。

1534年に建てられたものの1650年の地震で壊れ、現在のものは17世紀終わりに建て直されたものだそうです。
《クスコ旧市街 ⑧》【世界遺産】

アルマス広場から南東に3ブロックほど下ったところに建つサント・ドミンゴ教会(Iglesia de Santao Domingo)は、インカ帝国時代には太陽の神殿(Quorikancha)と呼ばれる壮大な神殿の跡に建てられています。
《クスコ旧市街 ⑨》【世界遺産】

征服者であるスペイン人は、黄金で埋め尽くされていたコリカンチャから欲しい物すべてを取り除いた後、建物を破壊し、残った土台の上にこの教会を建てたそうです。

このように、クスコに残るほとんどの教会や建築物は、インカ帝国の貴重な施設の犠牲の上に建設されたものなのです。
《クスコ旧市街 ⑩》【世界遺産】

旧市街中心部には非常に細い路地が多く張り巡らされています。
《クスコ旧市街 ⑪》【世界遺産】

これらの路地の両側の壁も、インカ時代に造られた石垣の上にコロニアル建築物が乗っかった形になっています。
《クスコ旧市街 ⑫》【世界遺産】

陰火の石組みは非常に精緻で頑丈なため、大きな地震の非常に多いこの地方でもその構造は古くから評価されていたため、基礎部分だけを残して、その上に自分達の建物を築造したわけです。
《クスコ旧市街 ⑬》【世界遺産】

石組みに使われている石は様々な形をしていますが、それらが見事に組み合わされて、「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われる壁を作り上げています。
《クスコ旧市街 ⑭》【世界遺産】

そん¥な精巧な造りを象徴するのが、アルマス広場の2ブロックほど東の宗教美術博物館(Museo de Arte Religioso)のアトゥンルミヨク通り(Hatunrumiyoc)沿いにある「12角の石」(La Piedra de los Doce Ángulos)です。

どうしてわざわざこんな難題に挑戦したのかわかりませんが、見事な嵌り具合です。
《クスコ旧市街 ⑮》【世界遺産】

一方、同じ宗教美術博物館の西側の壁には「14角の石」というものもあります。

この写真にも写っているのですがどこにあるかわかりますか?
《クスコ旧市街 ⑯》【世界遺産】

正解はドアの右、やや上の方です。

確かに数えると14の角があります。

ただし、これが本当にインカ時代の石組みかというのは疑問のようで、実際は後に侵略したスペイン人が自分達の技術の高さを示そうとして作り上げたものだとも言われています。
《クスコ旧市街 ⑰》【世界遺産】

ペルーを代表する観光地だけあって白壁の旧市街にはお土産物屋が並んでいます。
《クスコ旧市街 ⑱》【世界遺産】

中心部から徒歩15分ほどのところに旧市街を一望できる丘があるというので、せっかくなので訪れてみることにしました。
《クスコ旧市街 ⑲》【世界遺産】

丘というからには当然階段や坂を登っていかなければ行けないのですが、クスコは標高3,400mの高地にあるため、ちょっと歩くだけでも息がきれます。
《クスコ旧市街 ⑳》【世界遺産】

振り返ると随分向こうにアルマス広場が見えます。
《クスコ旧市街 ㉑》【世界遺産】

丘の頂上に建つのはサン・クリストバル教会(Iglesia de San Cristóbal)。

この教会自体は特に見どころという訳ではないのですが、この前の広場からの景色が絶品とされているのです。
《クスコ旧市街 ㉒》【世界遺産】

アルマス広場と、そこに面して建つラ・コンパ-ニャ・デ・ヘスス教会が見えます。

また、こうやってみると標高3,400mのクスコ市街地は盆地城の地形の上に広がっているのが判ります。

ということは周りを取り囲む山々は富士山より高いということなのです。
《クスコ旧市街 ㉓》【世界遺産】

絶景の名所だけあって地元のおばさんが店を広げていました。
《クスコ旧市街 ㉔》【世界遺産】

ペルーらしい小物が並んでいます。

普通に交渉すれば、市街地の店で買うよりよっぽど安い値段で手に入れることができるので、お土産は(事前に市内の店で相場を確認しておいた上で)このような店(特に周りに競合店がない方が望ましい)で買うのがお勧めです。
《クスコ旧市街 ㉕》【世界遺産】

再び旧市街中心部に戻ってきました。

右側の建物がクスコで泊った宿なのですが、実はこの建物は小学校も兼ねていて、宿はその小学校の中庭の先にあります。
《クスコ旧市街 ㉖》【世界遺産】

これが通りからの門を入ったところにある小学校の中庭です。
《クスコ旧市街 ㉗》【世界遺産】

これがペルーの小学校の典型的な(かどうか知りませんが)教室です。

机がどういうわけか三角形をしているのが特徴的です。
《クスコ旧市街 ㉘》【世界遺産】

昼休みの中庭の様子です。都市部の学校の性か運動らしい運動はできませんが、皆、子供らしい休憩時間を過ごしています。

因みに、右奥に見える扉が今回泊った宿の入口です。
《クスコ旧市街 ㉙》【世界遺産】

参考までに夜の宿の様子です。

随分な立地ではありますが、扉を一歩入ると植民地時代の面影の残る非常に伝統的な建物で、寛いだひとときを過ごすことができました。
《クスコ近郊ツアー》

市内を散策した翌日は、郊外の1日ツアーに参加しました。

クスコは旧市街自体も見どころ豊富ですが、周辺にもインカ時代の遺構が散在していおり、特にクスコの北に広がるインカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)は、ツアーに参加して回るのが効率的です。

写真はクスコの北東約30kmにあるタライ(Taray)のビューポイントから見た聖なる谷の様子です。
《ピサック遺跡 ①》

最初に訪れたのはクスコの約35km北東に位置する Pisac。
ここには、インカ時代の立派な遺跡が残っています。
《ピサック遺跡 ②》

この遺跡は遙か下に見える聖なる谷から随分登ったところにあり、美しい段々畑(アンデネス)と当時の城塞が残っています。
《ピサック遺跡 ③》

数百メートルの段差がある畑ではその高度に応じた違った種類の作物が栽培されていたと言うことで、当時から非常に戦略的な農業が営まれていたことがわかっています。
《ピサック遺跡 ④》

遙か下にピサックの村が見えます。

多くの観光客はツアーバスに乗って中腹まで来るのですが、ピサックの村からこの遺跡まで歩いて登って来るとなると約2時間かかるとのことです。

こうしてみるとここが如何に自然の要塞であるかということがご理解頂けると思います。
《ピサック遺跡 ⑤》

それにもかかわらず、山頂近くには念入りに石垣に守られた住居跡が見えます。

当時の住民たちは相当用心深かったようです。
《ピサック遺跡 ⑥》

さすがにほとんどの住居の屋根は失くなってしまっていますが、壁は結構残っています。

どこまでオリジナルか判りませんが、インカの石積みの技術の高さが窺えます。
《ピサック遺跡 ⑦》

一方、住居と反対側の山の中腹には、50cmくらいの高さの無数の穴がぼこぼこと空いているのが見えます。
《ピサック遺跡 ⑧》

これは、インカ当時の墓穴だそうで、元々は遺体などが埋葬されていたそうですが、墓泥棒によって荒らされてしまい、現在はほとんど穴だけが残っているという状況だそうです。
《ピサック遺跡 ⑨》

集落の頂上まで登ると段々畑が更に美しく見えます。

機能的にも優れていたようですが、見た目もローマ時代のコロッセウムの観客席ような曲線美です。
《ピサック遺跡 ⑩》

こちらは入口付近にある教会跡です。

ここからこの頂上付近までは歩いて15分ほどかかりました。

クスコほどではありませんが、3,000m近い高地なのでこのくらいのトレッキングでも結構しんどい感じです。

できれば高地順応してからの訪問をお勧めします。
《オリャンタイタンボ遺跡 ①》

次に訪れたのは、ピサックから約60km、クスコから直接訪れると北西約70kmのところにある Ollantaytambo です。
《オリャンタイタンボ遺跡 ②》

この日のツアーのハイライトとも言える、13世紀に造られたこの堅牢な要塞は、1536年に、スペインの征服者に反旗を翻したインカ帝国最後の皇帝(第15代)マンコ・インカ(Manco Inca)がここに潜み攻撃してきたスペイン人を見事に撃破したという、インカ軍にとってスペイン人に対する数少ない勝利の舞台となった場所です。
《オリャンタイタンボ遺跡 ③》

斜度40度くらいはありそうな斜面には段々畑が造られ、頂上までは300段ほどある畑の脇の階段を登らなければならず、これが難攻不落の要塞となっていたのです。

下から見るとその威圧的な構造は圧巻で、圧倒的な迫力で迫ってきます。
《オリャンタイタンボ遺跡 ④》

きつい階段を登って眼下を望むと、如何にこの要塞が強固なものであったかが実感できます。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑤》

頂上付近には神殿の跡も残っています。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑥》

こうして見ると、段々畑は非常に段差が大きく、畑としての役割よりも、要塞としての機能の方が重視されていたように思われます。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑦》

頂上付近から見たオリャンタイタンボの村の様子です。

山あいの小さな村ですが、この見事な遺跡と共に、ここはペルーでも最も人気のあるマチュピッチュ(Machu Picchu)に向かうための避けては通れない玄関口にもなっているため、多くの観光客が訪れる交通の要衝ともなっています。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑧》

時間のある旅行客には、オリャンタイタンボの向かいの山の中腹にあり同じくインカ時代の遺跡であるピンクイジュナ(Pinkuylluna)も人気です。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑨》

写真右がピンクイジュナの遺跡、ほぼ中央に見えるのがビラコチャ(Viracocha)の顔と言われる岩です。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑩》

オリャンタイタンボから見るととても際だった印象を受けるピンクイジュナの遺跡ですが、穀物倉庫だったと言われています。
《オリャンタイタンボ遺跡 ⑪》

一方で、クスコ王国の第8代皇帝であったビラコチャの顔と言われる岩は、ただの自然の造形物ですが個人的にはどちらかというとライオンの顔に似ていると思います。
《チンチェーロ ①》

オリャンタイタンボとクスコのちょうと中ほどの高原地帯にある Chinchero は、ちょっとしたインカの遺跡とコロニアル建築の教会が見どころとなっている人口600人あまりの小さな村です。
《チンチェーロ ②》

標高3,800m近くありますが、村の中は相変わらず階段や坂だらけです。
《チンチェーロ ③》

17世紀初めに建てられた教会の前にささやかなインカの石組みが残っています。
《チンチェーロ ④》

教会の前の広場にはやけに長い旗竿が何本も立ち、ペルーの国旗に混じってこの地域の旗らしき数種類がはためいていました。
《チンチェーロ ⑤》

この村では火曜、木曜、日曜に教会前の広場で開かれるローカル・マーケットが有名なのですが、訪れたこの日は水曜日であったにもかかわらず、それなりの規模の市が立っていました。

なお、このマーケットは観光客向けというよりは主に現地人同士のためのもので、ペルー国内でも最近では珍しくなった物々交換が主流だそうです。
《チンチェーロ ⑥》

陽が暮れかけた教会は物寂しげで旅情をかきたてられました。

これでこの日のツアーは終了です。遺跡の共通チケット(約2,200円)と昼食別で約1,600円とお手頃だし、大概の宿で申し込めるので、よほど時間がない場合以外は気軽に参加されることをお勧めします。十分満足できると思います。
《インカ・レイル》

クスコの次は、いよいよマチュピチュに向かいます。

マチュピチュの最寄りの村であるアグアス・カリエニェス(Aguas Calientes)へのアクセスは、インカ・トレイルという山道を徒歩で抜ける以外には、クスコからオリャンタイタンボ経由の鉄道しかありません(オリャンタイタンボから先は車道がないため)。

最近ではチケットを取るのも難しくなってきているので早めの準備が必要です。

写真はオリャンタイタンボ駅に停車するマチュピチュ行きの列車です。
《マチュピチュ駅 ①》

アグアス・カリエンテスの村の中央にあるのがマチュピチュ駅です。

このため、少々ややこしいですが、アグアス・カリエンテスの村自体がマチュピチュの村と呼ばれることもあります。

因みにマチュピチュ駅へはクスコ郊外のポロイ(Poroy)駅から約3時間半、オリャンタイタンボ駅から2時間弱かかります。
《マチュピチュ駅 ②》

ペルーはどこへ行っても軽犯罪に巻き込まれる可能性が非常に高いとされているのですが、ここマチュピチュに関しては夜でも安心して歩き回ることができる安全な村です。
《マチュピチュ遺跡行きバス乗り場 ①》

マチュピチュの遺跡とアグアス・カリエンテスの村との間には約400mの標高差があります。

徒歩でアクセスすることもできますが、1時間半ほどかかるため、ほとんどの観光客はシャトルバス(往復US$24、所要約20分)を利用します。

このため、朝7時前にも関わらずバス停には長蛇の列ができていました。
《マチュピチュ遺跡行きバス乗り場 ②》

こちらがチェット売り場です。

この時は空いていましたが、宿の主人によると混むときにはここでも随分並ばなければ行けないということだったので、チケットは前日のうちに買っておくのがお勧めです。
《マチュピチュ遺跡行きバス停 ③》

バス停は長蛇の列ですが、バスはふんだんに用意されていてピストン輸送で満席になり次第発車するので、思ったほど待たずに済みました。
《マチュピチュ遺跡 ①》【世界遺産】

2017年現在、マチュピチュ遺跡への入場は1日2,500人までと定められています。

そのため、チケットは売り切れてしまうことも多いので、事実上、ネットで事前に購入が必要です。

インターネットの発達で便利になった点は多くありますが、そのせいで逆に臨機応変な旅がし辛くなったのも事実です。
《マチュピチュ遺跡 ②》【世界遺産】

入場して順路通りに左に登って行くと間もなく、マチュピチュの定番の風景が目に入ってきます。

こういうのはもう少し後に取っておきたい気がしますが、順路なので仕方ありません。
《マチュピチュ遺跡 ③》【世界遺産】

更に登り続けると「葬儀の石」(La Roca Funeraria)と呼ばれる加工された大きな石があります。

これは貴族がミイラにされる際の儀式に使われたものとも言われていますが確かなことはわかっていません。
《マチュピチュ遺跡 ④》【世界遺産】

その葬儀の石を見張るために設置された見張り小屋(Racinto del Gurdian、右前方)付近からの眺望がマチュピチュの最も有名な構図とされています。
《マチュピチュ遺跡 ⑤》【世界遺産】

これが正にその見張り小屋付近からの眺めです。

今回は約20年ぶり2度目の訪問でしたが、変わらぬ景色、変わらぬ感動でした。
《マチュピチュ遺跡 ⑥》【世界遺産】

向かって左側をご覧頂ければわかるとおり、すごい絶壁の上に建っています。写真にうちって以内右側も同様です。

このように遺跡は山裾からは見えないため、インカ帝国を滅ぼしたスペイン人にも見つからず、破壊を免れたというわけです。
《マチュピチュ遺跡 ⑦》【世界遺産】

見張り小屋のすぐ下から西に向かう道はその先の山岳地帯に続いています。

これがインカ・トレイルです。
《マチュピチュ遺跡 ⑧》【世界遺産】

インカ・トレイルは、現地語のケチュア語で「カパック・ニャン(Qhapaq Ñan)と呼ばれる、コロンビア南部からエクアドル・ペルー・ボリビアを経てアルゼンチン北部まで広がっていたインカ帝国の40,000kmを越える道路網であるインカ道の一部で、マチュピチュへは通常、約38kmの道のりを3泊4日で踏破するのが通例となっていて、毎日平均10名ほどがこの道を通ってマチュピチュに到着します。
《マチュピチュ遺跡 ⑨》【世界遺産】

今回の旅行ではそんな余裕も気力もなかったので、数百メートルだけ歩いて引き返すことにしました。
《マチュピチュ遺跡 ⑩》【世界遺産】

順路に従って少し降りて行くと「市街地入口」(Puerta de Acceso a la Ciudad)があります。

謂わばマチュピチュの町への正門だったところです。
《マチュピチュ遺跡 ⑪》【世界遺産】

門をくぐると両側に住居の跡が残っています。

この辺りは王族や神官など比較的身分の高い人たちが住んでいたエリアだそうです。

ラパスなど標高の高い都市では、セレブは酸素の濃い低い土地に住むのが通例となっていますが、ここでは違うようです。
《マチュピチュ遺跡 ⑫》【世界遺産】

屋根は失くなってしまっていますが、壁は非常に頑丈な造りだったことが判ります。
《マチュピチュ遺跡 ⑬》【世界遺産】

市街地からは見張り小屋の向こうに雲に霞む標高2,940mのマチュピチュ山も見えます。
《マチュピチュ遺跡 ⑭》【世界遺産】

一方で見張り小屋の下には急斜面の段々畑が広がっています。
《マチュピチュ遺跡 ⑮》【世界遺産】

これらの段々畑の主たる目的は住民の食料を確保することだったわけですが、それだけでなく強固な石組みにより山崩れを防ぐ役割も担っていたそうです。
《マチュピチュ遺跡 ⑯》【世界遺産】

アルパカもいます。

因みに、マチュピチュにはアルパカとリャマがいて、実際のところ個人的にはなかなか違いが良く解っていないのですが、「リャマは羊に似たラクダ、アルパカは首の長い羊」「リャマの耳はバナナ状で長く背は平ら、アルパカの耳は小さく尖っていて背中は少し丸みを帯びている」という情報を元に判断しました。
《マチュピチュ遺跡 ⑰》【世界遺産】

手前が石切り場です。マチュピチュの建物や石垣に使われた石はここから切り出されていました。

正面に見えるのは標高2,690mのワイナピチュ(Wayna Picchu)です。
《マチュピチュ遺跡 ⑱》【世界遺産】

因みに、ワイナピチュというのはケチュア語で「若い峰」、マチュピチュというのは「老いた峰」という意味だそうです。
《マチュピチュ遺跡 ⑲》【世界遺産】

こちらは三方を壁に囲まれた「主神殿」(Templo Principal)です。

写真向かって右の角の石組みが崩れてしまっていますが、これは後年の地盤地下によるもので、構造的な欠陥ではないそうです。
《マチュピチュ遺跡 ⑳》【世界遺産】

その証拠に、横(前の写真の右側の壁の外側)から見た主神殿の壁です。

クスコで見たカミソリ一枚も通さない石組みと同じように精巧な造りに見えます。
《マチュピチュ遺跡 ㉑》【世界遺産】

主神殿に向かって右側にあるのが「3つの窓の神殿」(Templo de Las Tres Ventanas)です。

インカ発祥の2大伝説の一つに、3つの穴から8人の兄弟姉妹が湧き出し、そのうちの一人が初代皇帝のマンコ・カパック(Manqu Qhapaq)になったという話があり、この3つがその穴だと言われているそうです。
《マチュピチュ遺跡 ㉒》【世界遺産】

神殿付近から見張り小屋方面を見た様子です。
中央が先ほど触れた石切り場になります。
《マチュピチュ遺跡 ㉓》【世界遺産】

更に先に進んだマチュピチュ遺跡の最高点に当たる場所には「インティワタナ」(Intihuatana)と呼ばれ、当時日時計の役割をしていたと考えられている石の構造物があります。

地味ではありますが、マチュピチュを代表する人気スポットです。
《マチュピチュ遺跡 ㉔》【世界遺産】

インティワタナの下方には緑の芝に覆われた中央広場(Plaza Central)が広がっています。
《マチュピチュ遺跡 ㉕》【世界遺産】

そして、中央広場によって隔てられた反対側には平民の居住区が設けられていました。
《マチュピチュ遺跡 ㉖》【世界遺産】

遺跡の突き当たりから中央広場越しに見張り小屋方向を見た様子です。

中央広場は、神殿や神官の館などが建ち並ぶ右側の神聖な区域と一般大衆が暮らす左側の世俗的な区域を分ける役割も果たしていたのです。
《マチュピチュ遺跡 ㉗》【世界遺産】

先ほど段々畑は畑であるとともに山崩れ防止の意味合いもあったと書きましたが、ここから見ると、オリャンタイタンボのように堅牢な城塞としても機能していたように見えます。
《マチュピチュ遺跡 ㉘》【世界遺産】

居住区は手前から、貴族、技術者、庶民と区分けされていたそうで、貴族の住居が大きな石で立てられているのに対して、技術者、庶民と位が下がるに従って材料の石の大きさが小さくなっていくのが特徴的であるとされています。
《マチュピチュ遺跡 ㉙》【世界遺産】

遺跡の一番奥にはワイナピチュ山への登山道の入口があります。

頂上までは往復で約2時間半が目安ということです。

ただし、ここも2017年現在、1日400人までと入山規制がかかっているので、事前の予約が必要です。
《マチュピチュ遺跡 ㉚》【世界遺産】

今回は時間も気力もなく予約もしていなかったのでワイナピチュはまた次回(があるとは思えませんが)のお楽しみということにして、居住区に踏み込みました。

萱葺きだったと思われる屋根を除いて、保存状態は非常に良いと思います。
《マチュピチュ遺跡 ㉛》【世界遺産】

家屋の高さの割に路地がとても狭いことにちょっと違和感があります。
《マチュピチュ遺跡 ㉜》【世界遺産】

居住区域の外壁です。

相変わらずの見事な仕事振りです。
《マチュピチュ遺跡 ㉝》【世界遺産】

居住区域から見た見張り小屋方面の眺めです。
《マチュピチュ遺跡 ㉞》【世界遺産】

リャマもいます。
《マチュピチュ遺跡 ㉟》【世界遺産】

先ほどの定義によるとリャマのはずです。
《マチュピチュ遺跡 ㊱》【世界遺産】

マチュピチュ山に向かって左側の様子です。

左手前の山の向こうがアグアス・カリエンテスの村で、右手前の山の斜面に見えるつづら折りがシャトルバス用の道路です。

村から徒歩での場合は、この道に沿ってショートカットしながら1時間半かけて登ってくることになります。
《マチュピチュ遺跡 ㊲》【世界遺産】

眼下にはオリャンタイタンボとを結ぶ列車の引き込み線が見えます。

鉄道模型のジオラマの様に可愛らしい光景ですが、先述のように村と外界を結ぶ道路(車道)はありませんので、約千人いる村人と観光客にとっては滅茶苦茶貴重な輸送手段です。
《マチュピチュ遺跡 ㊳》【世界遺産】

引き続き順路を進むと「コンドルの神殿」(Templo del Condor)に出ます。

画面中央下に見える石がコンドルの顔の部分だそうです。

まあ、言われてみればくちばしの部分は何となくそう見えないこともありません。

これはコンドルの顔をモチーフに彫られたものだと思われています。
《マチュピチュ遺跡 ㊴》【世界遺産】

正面から見るとこんな感じですが、後の2枚の巨石がコンドルが羽を広げたように見えるということになっています。

どこまで本気かわかりませんが、ちょっと強引な感じはします。
《マチュピチュ遺跡 ㊵》【世界遺産】

更に進んだ辺りが遺跡の中心部になります。

上部が「太陽の神殿」(Templo del Sol)、下部の石室が「王の墓」(La Tumba Real)です。

王の墓とは言うものの、ここから王の遺品が発見されたことはないため、実際のところは何だったのか未だに不明です。
《マチュピチュ遺跡 ㊶》【世界遺産】

太陽の神殿を上から見た様子です。

マチュピチュで唯一の曲線を持った人口構造物で、当時の石造技術の高さを象徴する建物だと言われています。
《マチュピチュ遺跡 ㊷》【世界遺産】

この太陽の神殿には2つの窓が開いていて、一つの窓は夏至に、もう一つの窓は冬至に太陽の光が入り中央の台座を照らす構造となっているそうです。
《マチュピチュ遺跡 ㊸》【世界遺産】

太陽の神殿の脇には「16の水汲み場」(Las Fontanas)と呼ばれる水路があります。

この水路は神殿付近から市街地に向かって流れていて、所々で水が汲めるようになっています。
《マチュピチュ遺跡 ㊹》【世界遺産】

因みに、この「空中都市」とさえ言われるマチュピチュですが、建設されたのは15世紀半ばとされますが、住民はその約100年後の16世紀半ばにはこの町を捨てて移動したものとされています。
《マチュピチュ遺跡 ㊺》【世界遺産】

こんなに険しい山の中にこれほど立派な都市を築きスペイン人にも見つからずに済んだのに、どうして姿を消してしまったのかはとても不思議です。

遺跡だけでも十分立派であることに加え、このような謎も人々を魅了する大きな要因なのでしょう。
《アグアス・カリエンテスの村 ①》

下界に戻って来ました。

昼下がりの駅の様子です。

周辺の見どころと言えばマチュピチュの遺跡しかありませんが、それでも世界中から多くの観光客が訪れるだけあって、駅周辺には数多くの宿、レストラン、土産物屋などが密集しています。
《アグアス・カリエンテスの村 ②》

ただ、昼間は観光客は皆、高山病で体調を崩したりしていない限り、ほぼ例外なく遺跡に行ってしまうので村の中はどこも閑散としています。
《アグアス・カリエンテスの村 ③》

駅前の土産物街も商売あがったりの状況です。

多くの旅行客はクスコやオリャンタイタンボから列車に乗って午後に到着し、翌日の早朝から遺跡を観光し、その日の夕方かそのまた翌日の午前中の列車で戻るというのが標準的な行程です。

そのため、土産物屋は午後3時過ぎから深夜頃までが書き入れ時なのです。

以上の写真は2017年のものですが、ペルーは1998年にも訪れています。マチュピチュの遺跡などは混雑度を除いて大きな変化はありませんでしたが、一部変わっていた点や未訪問の場所などもありましたので、以下に何枚かご紹介させていただきます。
《20世紀のクスコ・ポロイ駅》

マチュピチュ行きの列車です。

さすがに車両は現在のものとは違いますが、それでも他国からのお下がりとかではなく、当時としては最新のモデルに見えます。

逆に現在でもこのくらいの車両が現役で大活躍中の国もざらにあると思います。
《20世紀のマチュピチュ駅》

マチュピチュには現在も2つのホームがあり紛らわしいのですが、こちらは上でご紹介したのとは違うホームです。

それでも駅の周辺は、今回訪れてみてあまりに大きな変わりようでびっくりしました。
《20世紀のオリャンタイタンボ ①》

オリャンタイタンボの広場には民族衣装に身を包んで写真をせがんでお駄賃を貰おうという兄妹がいました。

今回は見かけませんでしたが、今も元気で暮らしているのでしょうか。
《20世紀のオリャンタイタンボ ②》

オリャンタイタンボの遺跡の頂上にある巨石の脇では地元の女性達が団欒がてら編み物をしていました。

今ではこの巨石の周りは観光客だらけでこんなのどかな雰囲気は想像がつきません。
《20世紀のオリャンタイタンボ ③》

奥に見えるのはクイと呼ばれる野ネズミです。

これからグリルするところです。

やっぱり時代が違うなあと思われる方もいるかもしれませんが、クイは現在でもペルー全土で食べられている人気の食材です。
《20世紀のウロス島 ①》

島や建物自体は今も昔も変わりませんが、現在ではどこの島もすっかり観光地化されて驚くほど様変わりしていました。
《20世紀のウロス島 ②》

既に当時から有名な観光地ではありましたが、今とは比べものにならないほど素朴な印象でした。
《20世紀のウロス島 ③》

住民もローカル感たっぷりです。
《20世紀のウロス島 ④》

今とは違ってソーラーパネルも設置されておらず、バッテリーでの自家発電はあったと思いますが、夜のお伴はもっぱら焚き火が主役だったようです。
《20世紀のタキーレ島 ①》

一方で、タキーレ島は当時とほとんど変わっていない印象でした。
《20世紀のタキーレ島 ②》

敢えて言えば観光客の数くらいでしょうか。
《20世紀のタキーレ島 ③》

本編で書いたとおり、この島では男性がせっせと編み物をしていました。
《20世紀のタキーレ島 ④》

女性の服装もほとんど変わりません。
《20世紀のタキーレ島 ⑤》

今も元気でお過ごしでしょうか。
《20世紀のチュキート ①》

この時は、今回訪れなかったプーノの約20km南東の村 Chucuito の中心にあるフェルティリーダ寺院(Templo de la Fertilidad)も訪問しました。
《20世紀のチュキート ②》

ここは子宝祈願の寺院で庭には数多くのペニス状の石が屹立しています。

大きいもので高さ1.2mもあり、子宝を願う女性は恥じらいながらもこの石に跨がることによって懐妊するという言い伝えがあるそうです。

ペルー共和国の写真集(前編)に戻る。

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