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旅の写真集  マリ共和国(後編)HEADLINE

マリ観光の旅行記を兼ねた写真集の後編です。前半ではバンディアガラ(Bandiagara)のドゴン族の村を訪ねるトレッキングの旅をご紹介しましたが、ここではその続きである世界遺産の町ジェンネ(Djenné)とバニ川の畔の町モプティ(Mopti)への旅の写真を掲載しています。

《ジェンネへの道》

前回訪れたバンディアガラからジェンネまでは幹線道路を約180kmの道のりですが、途中いくつかの川を越えるため、待ち時間などを含めると約3時間半ほどかかります。
《フェリー待ち》

フェリーを待つ車の列には、すかさず地元の女性たちが食べ物などを売りに訪れます。
《フェリー》

こちらがフェリーです。

そこそこの大きさですが、交通量が多いので満員のピストン輸送状態です。
《川辺の風景》

一方で、川辺で馬を洗う人もいました。

あまり特別な風景とも言えませんが長閑な雰囲気でいいと思いました。。
《ジェンネのグランド・モスク ①》【世界遺産】

早速ですが、これがマリ旅行、更に言えば西アフリカ旅行のハイライトとも言える Djenné のグランド・モスク(Grande Mosquée)です。
《ジェンネの人々 ①》

ここジェンネのグランド・モスク前では、毎週月曜日にとても大きなマーケットが開かれるということで、私たちもそれに合わせて日曜日の夕方に到着しました。

なお、写真は月曜日の朝です。

12月29日という年末も押し迫った時期に本当に開催されるのか少々不安でしたが問題なさそうで一安心です。
《ジェンネのグランド・モスク ②》【世界遺産】

多くの売り手たちは、前日の夜までに現地入りして、できるだけ有利な場所(日陰など)を確保するそうです。

日本の花見と同じ要領ですが、毎週となると大変です。
《ジェンネの子供たち ①》

モスクの上から熱心に準備の様子を眺めている子供たちもいます。

世界遺産のモスクに勝手に登っていいのかとも思いますが、この地方ではモスクの壁の泥は毎年雨季前に塗り替えられるのでこの程度であれば特に問題はないようです。
《ジェンネの子供たち ②》

一方で、大人の事情には無関心に、いつも通りタイヤを転がして遊ぶ子供も多く見かけます。
《ジェンネの男たち》

それとは別に、商人でないのか、ただの客なのか、まだ調子の出ない大人もいます。
《ジェンネ旧市街》【世界遺産】

ジェンネはモスク本体だけでなく旧市街全体が世界遺産に登録されているだけあって、モスク前の広場の脇の建物も何気なくとても素敵です。
《ジェンネのグランド・モスク ③》【世界遺産】

通常、マーケットというのは午前中が勝負と相場が決まっているのですが、ここではテントの設営などに時間がかかるため、午後からが本番となります。
《荷物 ①》

そのため、昼前になっても続々と人や荷物が届きます。
《荷物 ②》

男たちはトラックが停まるのも待たずに、訓練された兵士のように颯爽とした身のこなしで持ち場に向かいます。
《マンデー・マーケット ①》

だんだんそれらしくなってきました。
《マンデー・マーケット ②》

ここまで移動するだけで疲れたのか、場所取りに飽きてしまったのか、荷物も解かずにまったりしています。
《マンデー・マーケット ③》

それでも、テントの設営は着々と進んでいるようです。
《マンデー・マーケット ④》

あまりテントだらけになってしまうと肝心のモスクが見えづらくなってしまう恐れがあるのですが、この人たちは観光に来たわけではないので無頓着です。
《マンデー・マーケット ⑤》

作業は、遅々として進んでいます。
《マンデー・マーケット ⑥》

ムスリムの女性は写真を撮られるのを嫌がる場合が多いのですが、ここの人たちはほとんど全く無関心なのでとても気持ちよく徘徊することができます。
《マンデー・マーケット ⑦》

とても綺麗な布地などもセッティングされました。

お土産に買って帰りたい欲求で胸が一杯になりましたが、重そうなので諦めました。

2~3枚だけでも買っておけばよかったとこの写真を見る度に今でも後悔しきりです。
《マンデー・マーケット ⑧》

八百屋さんです。
《マンデー・マーケット ⑨》

マリは内陸国で海はありませんが、ジェンネは、ニジェール(Niger)川とその支流のバニ(Bani)川に挟まれた広大な中州に位置しているため、川魚は沢山獲れます。
《マンデー・マーケット ⑩》

こんな暑い中、保冷車もなく大丈夫なのかという気もしますが、比較的新鮮に見えます。
《マンデー・マーケット ⑪》

採れ採れぴちぴちです。
《マンデー・マーケット ⑫》

保存用に乾燥したもの(俗に言う魚の干物)も多く出回っていて、こちらも人気商品です。
《マンデー・マーケット ⑬》

魚の開きですが、完全に乾燥していて魚節状態です。

いいお出汁がでそうですが、こちらの人はそのまま水で戻して調理するようです。

それにしてもひどく凶暴な顔をしています。
《マンデー・マーケット ⑭》

こちらは海老のように丸まってしまっている上、あまり見映えはよくありませんが、やはり干し魚です。
《マンデー・マーケット ⑮》

確定申告とか無いので、基本的にどの店もデューティーフリーです。
《マンデー・マーケット ⑯》

肉もふんだんにあります。
《ジェンネの人々 ②》

皆さん買い物が終わってご満悦の様子です。
《ジェンネの人々 ③》

よく見ると、男性はほとんど買い物かごを持っていません。

女性の方が買い物好きというのは全世界共通のようです。
《ジェンネの人々 ④》

おばさまたちは噂話も大好きです。
《ジェンネの子供たち ③》

一方で、子供たちは相変わらずタイヤを転がしています。

これで発電でもできたら画期的だと思うのですが仕方ありません。
《祭りのあと ①》

先ほどまであれほど賑やかだった市場も、夕方になるとあっという間にこの有り様です。
《祭りのあと ②》

写真ではうまく表現できていませんが、すごい土埃で、タオルなどで顔を覆っていないと息も出来ないほどです。
《ジェンネの夕暮れ》

何だか要領を得ない写真ですが、夕焼けはきれいです。
《祭りのあと ③》

翌朝のモスク前です。

昨日の騒ぎは夢だったんじゃなかろうかという気になります。
《祭りのあと ④》

それでも片隅では、一晩この町のどこかで過ごした人たちが帰り支度をしていました。
《祭りのあと ⑤》

売れ残りなのか戦利品なのか謎ですが、どちらにしろ凄い荷物です。
《祭りのあと ⑥》

セレブ気味のご婦人たちは乗合タクシーでご帰還です。

溢れんばかりの荷物はいいとしても、ヘッドライトが完全に目隠しされていますが、こんなんで車検を通るのでしょうか。

まあ、彼らは視力がとても良いので、安全上は全く問題ないと思いますが。
《ジェンネのグランド・モスク ③》【世界遺産】

随分遠回りをしてしまいましたが、これが本来のグランド・モスクです。
《ジェンネのグランド・モスク ④》【世界遺産】

もともとは1280年に建てられ、今の形に再建されたのは1907年だそうです。
《ジェンネのグランド・モスク ⑤》【世界遺産】

ジェンネ周辺で採れた泥から日干し煉瓦を積み重ね、上から特産の泥を塗って完成です。
《ジェンネのグランド・モスク ⑥》【世界遺産】

先述したとおり、雨季の前に壁の塗り直しが大々的に行なわれ、住民総出の一大イベントになります。

壁から突き出た棒はその際の足場として利用されます。
《ジェンネのグランド・モスク ⑦》【世界遺産】

このモスクを含め、ジェンネ旧市街は1988年にユネスコの世界遺産に登録されました。
《ジェンネのグランド・モスク ⑧》【世界遺産】

せっかく来たのだし、もう二度と来ることもないだろうということで、一人約2,000円(ほぼ相場通り)という大枚をはたいて中に入ってみました。
《ジェンネのグランド・モスク ⑨》【世界遺産】

入る価値は全くないと思いました。
《セヌサのモスク ①》

翌日は、ジェンネの10kmほど北にある Senoussa の村のモスクを訪ねました。

規模は大きくはありませんが、ジェンネのグランド・モスクとは違った味わいの美しいモスクです。
《セヌサのモスク ①》

見る角度によってまるで別のモスクのようにも見えます。
《フラニ族の女性 ①》

セヌサでは Fula 族の家庭も訪問しました。

Fula 族(地域によって微妙に綴りや発音が違いますがこの地域では Fula と書くようです。また、日本語では総称してフラニ族と呼ぶようです)の女性は正装した際の非常に美しい衣装が有名です。
《フラニ族の女性 ②》

その中でも、特に裕福な女性は kwotenai kanye と呼ばれる純金製のイヤリングを着用するのが伝統になっているそうですが、あまりに重いため、この女性のように赤いストラップを繋げてスカーフで支えることが多いそうです。

ただ、こうなると最早イヤリングとは言えない気もします。
《フラニ族の女性 ③》

上の写真の女性のご家族です。

左から二人目の女性は、日本の泥棒のように口の周りに黒い入れ墨を入れています。

これも若い女性のおしゃれの秘訣だそうです。日本人から見るとただのおしゃれ泥棒にしか見えないのが残念ですが。
《セレモのモスク ①》

次に訪れたのは、セヌサの5kmほど西にあるセレモという村です。

ここは川沿いの小さな村でしたが、ご多分に漏れず個性的なモスクが美しく聳えていました。
《セレモの村》

村への唯一の交通手段はピローグ(丸木舟)です。
《セレモの渡し》

とても小さな村ですが、ジェンネから近いだけあって結構多くの人々が行き来しています。
《セレモのモスク ②》

舟の上から見るモスクもまた格別です。
《セレモのモスク ③》

近くで見るとまた別のモスクのようです。
《セレモの村人》

時々訪れる観光客もいるようで、特に珍しがられる風でもなく、のんびりと散策することが出来ました。
《モプティの港》

所変わって、ジェンネから約130km北東の都市モプティ(Mopti)です。ジェンネからぎゅうぎゅう詰めの乗合タクシーで約3時間で着きました。
《バニ川 ①》

モプティは首都バマコ(Bamako)に次ぐ国内第2の都市で、全長4,180kmのニジェール川と、その支流である全長1,100kmのバニ川が合流する交通の要衝です。
《バニ川 ②》

漁業も非常に盛んです。
《バニ川 ③》

子供から大人まで家族総出で川に繰り出します。
《バニ川 ④》

漁業や運業だけでなく、炊事、洗濯、水浴び、排便、排尿、その他、川は人々の生活の糧です。
《バニ川 ⑤》

ちょっとした中州などには橋も架かっていて、皆さん軽やかな足取りで行き交っています。
《バニ川 ⑥》

漁業意外でも、この地域ではピローグが重要な交通手段としてもてはやされています。
《バニ川 ⑦》

そんな訳で、申し遅れましたが、私たちも1隻チャーターしてクルーズと洒落込むことにしました。

因みに料金は、ガイド付きで3時間で約3,000円でした。
《バニ川 ⑧》

子供たちもとてもフレンドリーで気が置けません。
《バニ川 ⑨》

大人も無関心なので居心地が良いです。
《バニ川 ⑧》

折角なので、途中、中州に上陸しました。
《中州の生活 ①》

中州といえども結構広くて、多くの人が生活しています。
《中州の生活 ②》

生活の糧は主に漁業で、獲った魚は新鮮なうちにここで加工しています。
《中州の生活 ③》

伝統的な燻製製法です。
《中州の生活 ④》

こんなに燃やしちゃったらただの焼き魚になっちゃうのではないかと思うくらいよく燃えていましたが、さすがに先祖伝来の伝統の技だけあって出来映えは上々のようです。
《中州の生活 ⑤》

できあがった商品は天日で干されて完成です。
《中州の生活 ⑥》

男性たちは明日の漁の準備に余念がありません。
《中州の生活 ⑦》

子供たちもよく働きます。
《中州の生活 ⑧》

再び舟に戻って周囲を巡ります。
《中州の生活 ⑨》

女性たちは近所付き合いを兼ねて川で洗濯です。
《中州の生活 ⑩》

子供たちはご機嫌に水浴びです。

ちん○丸出しで元気に手を振っていますが、あまりエロさも感じさせず、逆に爽やかで好感が持てます。
《中州の生活 ⑪》

こちらの少女は皿洗い中でしたが、カメラ目線で微笑んでくれました。
《モプティ ①》

クルーズも終わり、本土に戻ってきました。

どこへ行っても魚だらけです。
《モプティ ②》

と思ったら、乾燥野菜も売っていました。

手前左は干オクラです。

何でも干してしまうのは衛生的だしアミノ酸も沢山摂れるのでいいことだと思います。
《モプティ ③》

当たり前ですが、普通の雑貨屋も軒を並べています。

一時期のソ連などよりよっぽど商品は豊富です。
《モプティ ④》

浜辺も商店や商品で溢れ返っています。
《モプティ ⑤》

奥はアパレル関連、手前はカゴ関連です。
《おしゃれ泥棒》

個人的にはあまりお洒落とは思いませんが、ガングロちゃんやヤマンバメイクよりはキュートだと思います。
《コモゲル・モスク ①》

1933年に建てられた モプティのコモゲル・モスク(Mosquée de Komoguel)です。

一般的には、「モプティのグランド・モスク(Grande mosquée de Mopti)」と呼ばれています。
《コモゲル・モスク ②》

ファサード(正面入口)は南側にありますが、幹線道路に面した西側に3つの塔を建てて豪華さを演出しています。
《コモゲル・モスク ③》

こちらが南側にあるファサードです。質素ですが趣があります。
《モプティの夕暮れ》

満員で沈みそうな舟がアフリカ情緒を搔き立てるロマンチックな黄昏です。
《バマコへのバス ①》

モプティからバマコへはバスで7時間から10時間とのことでしたが、私たちの乗ったバスはどういうわけか途中で動かなくなってしまい、替わりのバスを待ったりしていたら、結局14時間かかってしまいました。
《バマコへのバス ②》

マリではヤギもトランクルームに保管されます。

ここが非常に重要な点で、ロンリー・プラネットによると、ヤギたちは長旅の途中で我慢できずに勝手に排便・排尿してしまうので、(彼らの下半身はズタ袋で包まれているものの)預けた荷物が汚染されないよう上の方に置かれるように欠かさず確認しましょうと書いてあったのでその通りにしたのですが、そこは地元のお客さんも十分勝手がわかっているので休憩の度に自分の荷物が上にくるように移動します。

私たちも異常なまでに神経を尖らせて何度も配置換えしたのですが、バマコに着いたときにはその努力も虚しく、大切なバックパックは糞尿塗れになっていました。
《バマコの町 ①》

町の北にある、ポイントGという格好のいい名前の丘の上から見た中心部の様子です。

碁盤の目状になっていて、ここから見る限りでは非常に整然としています。
《バマコの町 ②》

高層ビルが建ち並び、中心部を流れるニジェール川にはコンクリート製の橋がいくつも架かっている大都会です。


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