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旅の写真集  マリ共和国(前編)HEADLINE

マリ観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここではそのうちの前半部分、バンディアガラ地方への訪問についてご紹介させていただきます。他の各国のページと違って私生活を切り売りする絵日記風になってしまっているのが、できの悪いブログのようで誠に恐縮ですが、ご容赦下さい。

《モプティ空港》

首都バマコ(Bamako)からマリ航空の国内線に乗り換え、ジェンネ(Djenné)、トンブクトゥ(Tombouctou)と並ぶマリの3大ハイライトの一つバンディアガラ(Bandiagara)への玄関口である Mopti 空港に到着しました。

空港はとてもオープンな雰囲気で、友人を出迎える人たちが滑走路脇まで来て再会を喜んでいる姿にほのぼのとした気持ちになりました。。
《乗合タクシー》

空港近くの町セヴァーレ(Sevare)のタクシーターミナルから写真の8人乗り(定員10人)のタクシーで、約60km東の町バンディアガラに向かいました。

なお、後ほどご説明しますが、バンディアガラの町は、世界遺産の「バンディアガラの断崖(ドゴン人の土地)」の入口の町ですが、バンディアガラと言うと、一般的には(及びこのページでは)断崖の方を指します。
《ドボロの村 ①》

1時間ほどでバンディアガラの町に到着するや否や近寄ってきた客引き兼自称ツアー会社社長と交渉し、この日から4泊5日のバンディアガラ・トレッキングツアーをアレンジしてもらいました。

料金は、ガイド、ポーター付きで二人で300ユーロ。

相場的には平均的だったのですが、宿泊場所や食事の内容も定かでないので、この時点では高いのか安いのか不明です。
《ドボロの村 ②》

必要最小限の荷物をバックパックに詰め込み、自称若社長の事務所のあるバンディアガラのホテルに残りの荷物を預けた後、車で1時間ほどの村 Dobolo に着きました。

日干し煉瓦と土と萱で建てられた住居が乱立し、嫌でも気分が盛り上がってきます。
《ドボロの村 ③》

バンディアガラの入口とも言える村だけあってヨーロッパ等からの旅行者もそこそこいるため、村人もほどほどに観光客慣れしていて基本的に皆フレンドリーです。
《ドボロの村 ④》

村の近くには川が流れています。

この地方では水は非常に貴重です。そのおかげで周囲には畑も広がっていてます。
《ドボロの村 ⑤》

男性たちはのんびりと畑仕事に勤しんでいます。

この辺りでは小ぶりなタマネギが主産物で、首都のバマコなどにも運ばれていくそうです。
《ドボロの村 ⑥》

一方で水汲みは女性や子供たちの仕事です。
《ゴロンボの村 ①》

ドボロから1時間半ほど歩いてゴロンボ(Golombo)の村に着きました。

この日はこの村に泊まります。
《ゴロンボの村 ②》

村は岩山の上にあります。
《ゴロンボの村 ③》

ヤギが仲良く食事をしている傍らでは、石臼で脱穀していました。

食住接近を絵に描いたようなほほえましい風景です。
《ゴロンボの村 ④》

前ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏やアメリカの次期大統領のトランプ氏を彷彿とさせるような髪型の建物は穀物倉庫です。
《ゴロンボの村 ⑤》

アフリカはどこへ行っても子供が多いので将来が楽しみです。

日本の様に少子高齢化などで悩んでいる様子は微塵も見られません。
《ゴロンボの村 ⑥》

子供たちはとても好奇心旺盛で外国人の姿を見つけるとすぐ駆け寄って来ます。

何か物が欲しいということもあるようですが、何もあげなくてもふて腐れたり罵声を浴びせてくるようなこともなく、非常に気持ちよく接してくれます。
《ゴロンボの村 ⑦》

とてもキュートなお住まいです。
《初日の宿》

この日の宿はゴロンボの村の向かいの丘の上に建つ、部屋が5室ほどあるだけの質素な宿でした。

それでも室内には簡易ながらもベッドがあり、今回の3泊の中では断然最も居心地がよい部屋でした。

なお、地元の人たちは夜間は比較的涼しい屋根の上で寝ることが多いということで、ガイドも強風が吹きすさぶ屋上で寝ていました。

私たちも誘われましたが寒そうなので遠慮しました。
《初日の夕食》

鶏肉とキャベツのソテーです。

これに若干茹ですぎのスパゲッティという単純なメニューでしたが、一仕事終えた後の食事は、日本で食べるのと違って何故か美味しく感じます。
《ゴロンボの村 ⑧》

翌日はいよいよバンディアガラの断崖を目指します。

子供たちも途中まで見送りに来てくれました。

ただ、前日もそうでしたが、ある一線まで来ると、そこから先は皆足が突然動かなくなったように立ち止まってしまいます。

よほどきつく教育されているようです。

旅人や動物たちを生け捕りにする罠でも仕掛けられているのでしょうか。

少し心配になりました。
《ゴロンボの村 ⑨》

途中までロバ使いの家族と一緒に歩いてきたお陰で無事に村を出ることが出来ました。
《バンディアガラの断崖 ①》【世界遺産】

8:30にゴロンボの村を出発し、1時間ほど歩くと断崖の端に到着しました。
《バンディアガラの断崖 ②》【世界遺産】

バンディアガラの断崖というのは、標高差約500mの崖が150km以上に渡って続くもので、その崖の中腹や下の平原に、14世紀初めから住み始めたドゴン族による集落が点在し、その独特な文化と特異な景観が評価され、「バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)」というタイトルで1989年にユネスコの世界遺産に登録されました。
《バンディアガラの断崖 ③》【世界遺産】

この地域では現在でも約700の村落に25万人あまりの人々が暮らしているということです。

写真に断崖は写っていませんが、左側が断崖です。

この辺りに来ると、時々欧米のバックパッカーの人たちを見かけるようになります。
《ベニマトの村 ①》【世界遺産】

断崖から平原に降りて崖伝いにしばらく歩くとベニマト(Begnimato)の村に到着しました。

ドゴン族の集落としては最も有名なものの一つです。
《ベニマトの村 ②》

西アフリカなどでは特に、このような村を訪れるととりあえず村長さんの家を訪ねてご挨拶をする必要があります。

私たちもガイドの先導で連れて行ってもらいましたが、さすがに立派なお宅です。
《ベニマトの村 ③》

娘さんだか奥さんだかわかりませんが、明らかにセレブ感満載のきれいなお嬢さんが優雅なひとときを過ごしていらっしゃいました。
《ベニマトの村 ④》

この日は木曜日でしたが、ちょうど12月25日だったので、村の教会には続々と村人が集まって来ました。
《ベニマトの村 ⑤》

一方では音楽隊に先導されてやって来る人たちもいます。
《ベニマトの村 ⑥》

このクソ暑いのにフィンランドからサンタさんも駆けつけてくれました。
《ベニマトの村 ⑦》

教会の中ではどのような儀式が執り行われているのか知りませんが、入りきれなかった女性達が一心不乱に中を覗き込んでいます。
《ベニマトの村 ⑧》

一方で、傍らでは普段と変わらない業務に勤しんでいる方々もいらっしゃいます。
《ベニマトの村 ⑨》

こちらは路端料理のお店です。
《ベニマトの村 ⑩》【世界遺産】

ほとんどの村人が教会に集まってしまったので、村は落ち着き払っています。
《ベニマトの村 ⑪》【世界遺産】

そんな中でも宗教的な行事からは一歩引いて井戸端会議に興じる奥様方を発見しました。

どこの世界でもご近所付き合いには気を遣います。
《2日目の昼食》

クリスマスパーティーは午後からが本番だということだったので、とりあえず昼食を採って鋭気を養うことにしました。

今回のツアーでは1日1回、昼食か夕食のどちらかのみ肉料理が選べるという設定だったので、私たちは迷うことなく「肉は夜だ!! 毎晩肉だ!!」ということにしました。

その結果、この日の昼食はタマネギたっぷりのトマトソースをかけたクスクスでした。

盛りだけは非常に立派な何の変哲もない料理でしたが、運動の後ということもあって結構美味しく頂くことが出来ました。
《ベニマト付近の景観 ①》【世界遺産】

ベニマトは断崖の上に立つ村で、付近には奇岩などもあって、散策するのも楽しい場所です。
《ベニマト付近の景観 ②》【世界遺産】

見晴らしの良い崖の端からは、眼下に広がる平原が見渡せます。

この平原は100kmほど先の隣国ブルキナファソまで続きます。
《ベニマトの村 ⑫》【世界遺産】

家屋は基本的に平屋建てで屋上も活用できるような造りになっています。
《ベニマトの村 ⑬》【世界遺産】

大きな家にはシャワールームなども備えられていますが、基本的に囲いがあるだけの部屋でバケツの水を使って身体を清めるというスタイルです。
《ベニマトの村 ⑭》

教会でのミサも終わったようで、出てきた村人たちは輪になって踊り始めました。
《ベニマトの村 ⑮》

中には聖書を片手に参加している人も何人か見られます。

服装がカラフルなのでとても写真映えがします。
《ベニマトの村 ⑯》

子供たちも1年に数回しかないようなお祭り騒ぎを目の当たりににして呆然としています。
《ベニマトの村 ⑰》

それにしても綺麗な衣装です。
《ベニマトの村 ⑱》

因みに、マリは、国民の約90%がムスリムで、クリスチャンは約5%に過ぎません。それでも結構盛り上がっています。

大体、この村では、先ほどご紹介した教会はありましたがモスクのようなものは見かけませんでした。

ドゴンの人たちは第一に土着の宗教、第二にイスラム、第三がキリスト教と聞いていたのですが、一体どうなっているのでしょうか。
《ベニマトの村 ⑲》

まあ、日本だって無宗教といいながらも神道信者が約1億人、仏教徒が9千万人以上いるといわれているくらいですからあまり深く考える必要はないのかもしれません。

何だかわからなくても楽しいことはいいことですよね。
《サンタさんの正体》

サンタクロースはフィンランドから来たわけではなく、地元のおじさんのコスプレでした。
《2日目の夕食》

夕食は約束通り肉です。

少し茹ですぎのスパゲティでしたが、アメリカのレストランで食べるスパゲティに比べたら滅茶苦茶アルデンテで、味付けも悪くありませんでした。
《2日目の宿 ①》

宿と言えるのかどうか微妙でしたが、欧米人も泊まっていました。

私たちは前夜同様部屋の中を選びましたが、彼らの多くは、天井桟敷で満天の星空が楽しめてとてもご機嫌な様子でした。

なお、室内の方はというとご覧の様にベッドはなくゴザ敷きで、要望により薄いマットレスを用意してもらい、その上でマイ寝袋にくるまって寝るというスタイルです。

屋上も同様です。
《2日目の宿 ②》

これが翌朝に撮った宿の写真です。

一晩中吹きすさぶ強風の音が聞こえていましたが、欧米人の方は皆さんよく眠れたようで何よりでした。
《ドゥールーの村人 ①》

3日目の朝は7時にベニマトの村を出て2時間ほど歩いてドゥールー(Dourou)の村に到着しました。

写真は村の外れで見かけた家族です。

親子なのか兄弟姉妹なのかわからないところがミソなのかもしれません。
《ドゥールーの村人 ②》

ドゴンの村々では、子供たちは会うと必ず「ビドン、ビドン」と言ってきます。

これはイスラム圏で無断で写真を撮ったときなどに浴びせられる呪いの言葉などとは違い、フランス語で瓶や缶を表す bidon のことで、空いた水のペットボトルを欲しがっているのです。

これに川で汲んだ水や溜めた雨水などを入れて、学校に持って行ったりするのだそうです。

機会があったら勿体振らずに是非あげましょう。

とても喜ばれます。
《バンディアガラの断崖 ④》【世界遺産】

再び歩き始め、渓谷のような切り立った岩場の間を進むと、突然、前日にベニマトで見たような雄大な景色が広がる場所に出ました。
《バンディアガラの断崖 ⑤》【世界遺産】

ここからは崖を降りてしばらく平原を進みます。
《ノンボリの村 ①》【世界遺産】

下界に降りてしばらく歩きドゥールーから2時間弱でノンボリ(Nombori)の村に到着です。

村の外れにある井戸では村人たちがせっせと水を汲んでいました。
《バンディアガラの断崖@ノンボリ①》【世界遺産】

この村の背後に聳える崖の中腹には、ドゴン族がここに定住する前に住んでいたテレム(Tellem)人のそのまた前の先住民であったピグミーの人たちの岩穴式の住居が見られます。
《バンディアガラの断崖@ノンボリ ②》【世界遺産】

ずっと以前には、この辺りにもジャングルが広がっていてライオンなども棲んでいたため、安全保障の観点から動物たちのアクセス困難なこのような場所に居を構えたということです。

ただ、これでは本人たちもアクセスできないと思うのですが、命には替えられません。
《村の食堂》

結構お洒落な佇まいです。

色調も豊かで洗練された雰囲気ですが、夜になると真っ暗なので恐らく手元以外何も見えません。

できれば昼間のうちに訪れることをお薦めします。
《3日目の昼食》

お楽しみの昼食タイムです。

この日のメニューは冬瓜のトマトソース煮込みをご飯にかけたものでした。

しかしこれだけ調理するのに1時間半以上待たされました。

それにしても日に日に変り映えしない内容になってきました。

いくら食堂がお洒落でも調理人が同じなので仕方ありません。

腹が減っているのだけが救いです。
《ノンボリの村 ②》【世界遺産】

食後は腹ごなしに村内の散策に出かけました。
《ノンボリの村 ③》【世界遺産】

崖の下まで登って来ると、テレム人の住居跡が残っていました。

あまり保存状態はよくありませんが、それでも雰囲気は出ています。
《ノンボリの村 ④》

村の女の子たちは岩陰に隠れて何やら怪しげな打ち合わせの最中でした。

このような村でもちょっと油断しているとすぐにイジメのターゲットとかになってしまうのでしょうか。

世知辛い世の中になったものです。
《イジェリ・ナの村 ①》【世界遺産】

気を取り直して少し歩くと Idjeli-na の村です。

この辺りは小さな村が転々と散在しています。

小さな集落はあまり観光客慣れしていないため、その素朴さも魅力の一つです。
《イジェリ・ナの村 ②》【世界遺産】

ヤシの木なども生えていて、ちょっと見は右側がビーチになっているような南国情緒溢れる村並みです。
《イジェリ・ナの村 ③》【世界遺産】

実はビーチではなく涸れ川でした。

雨季には結構な水が流れるであろう様子が想像できます。
《イジェリ・ナの村 ④》【世界遺産】

村はずれには手作りのブランコで楽しむ青少年の姿が見られました。
《バンディアガラの断崖 ⑧》【世界遺産】

そんな長閑な村をのんびりと歩いていたら、遠くから地響きが聞こえてきました。
《バンディアガラの断崖 ⑨》【世界遺産】

気がつくと凄い勢いで牛の大群が押し寄せてきました。

一体どういうつもりなのか全く理解できません。

あと一歩のところで危うく難を逃れましたが、もうちょっと気が付くのが遅れたら大変な騒ぎになるところでした。
《ティレリの村 ①》【世界遺産】

ここもドゴン族の人たちの住居が斜面に並ぶ様子が美しい村です。
《ティレリの村 ②》【世界遺産】

最早珍しくもない日常的な風景になりつつありますが、それでも立派な世界遺産の村です。
《ティレリの村 ③》【世界遺産】

こんな場所でなく、もっとアクセスしやすい場所にあればもっとずっと人気のスポットになって村人たちもウハウハだったかもしれないのに、勿体ない話です。
《3日目の宿 ①》

この日の宿では、太陽光発電機がデッキチェアで寛いでいました。

ドゴンの村のほとんどは未だ電気が通じていないため、発電機は一家の大黒柱です。

昼間これを使ってバッテリーに充電し、夜間の裸電球や、今や日本以上に生活必需品となった携帯電話の充電に充てるという算段です。

多少態度がでかいのも止むを得ません。
《3日目の宿 ②》

この日の宿にはシャワーもあって快適でした。

左に見えるドラム缶の下がシャワールームです。ドラム缶の水は貴重なので、あまり水量は多くありません。
《ティレリの村 ④》

水は近くを流れる川から汲んできますが、川というのは多くの場合比較的低い場所を選んで流れているものなので、下りは空のバケツで楽ちんですが、昇りの際にバケツが重くなってしまうという何とも切ない状況が毎日続きます。

それでも水はあったほうがいいですよね。
《3日目の夕食》

もう小学生の夏休みの宿題の絵日記のようにマンネリ化した食事の話はこりごりだと自分でも思っているのですが、乗りかかった船のようなものなのでご容赦下さい。

もうすぐ終わりだし。

この日のメニューは鶏肉のトマトソース煮込みスパゲティーでした。

これは結構美味しかったです。

朝日ソーラーのお陰で冷えたビールも飲めたので大満足でした。
《ティレリの村の少女》

この辺りの子供たちは団体で行動する場合が多いようでしたが、この女の子は村のはずれに一人佇んでいました。

とても可愛かったので、飛行機でもらったキャンディーをあげたら小さな声で何度も何度も「メルシー」と言っていました。

本当に今でも夜中に夢に見そうなくらいかわいい女の子でした。
《イレリの村 ①》

ティレリから2時間ほど歩いて Ireli の村に到着です。

ここも断崖の上の方にはピグミーの住居跡、下部にはテレム人の遺跡が残っていますが、ノンボリのものよりも保存状態は良く見応えがあります。
《イレリの村 ②》

こちらがテレム人の住居跡です。

円筒形の穀物庫の立ち並ぶ様子が秀逸です。
《4日目の昼食》

ご飯にタマネギ入りトマトソースをかけたものに、サバの缶詰めが恭しく一切れ載ったものです。

何だか情けなくなってきましたが、もう少しの辛抱です。
《サンガ村近くの風景》

バンディアガラ観光(第1弾)もいよいよ終了です。

正味約3日間で約30km歩いて、4日目の3時前に Sanga の村に着きました。

バンディアガラの村と比べるととても小さいですが、それでも随分都会に戻ってきた気持ちになります。

ここから車でバンディアガラに向かい、この日はそこで宿泊し、翌日半日の第2弾のツアー(もとのツアーとセット)に出かけます。
《カニ・コンボレの村 ①》【世界遺産】

バンディアガラで久しぶりに文明的な生活を一晩堪能した後、翌日は車で Kani-Kombole の村に向かいました。

ここも断崖沿いのドゴン族の村で、この辺りの村の中でも外せないスポットなのですが、行程的に後回しにした方が効率的に回れるということで、この日訪れたものです。
《カニ・コンボレの村 ②》【世界遺産】

この村は、マリ各地でよく見られる特徴的なモスクが有名です。

イスラム教のモスクですが、中東などで見られるものとは大きく形が異なります。
《カニ・コンボレの村 ③》【世界遺産】

このようなモスクはスーダン・サヘル様式と呼ばれ、ジェンネ(Djenne)のものが有名なのですが、規模は違うものの、とてもアフリカ情緒に溢れ見応えがある建造物です。
《カニ・コンボレの村 ④》【世界遺産】

ミナレットには木の棒がいくつも突き刺さっていてこれが独特の景観を醸し出しているのですが、これはもともと外形的なデザインを目的としたものではなく、年に一度、表面の泥の塗り替えを行なう際の足場として使われるために埋め込まれているものだそうです。
《カニ・コンボレの村 ⑤》【世界遺産】

お菓子の城というかワッフルのような佇まいです。
《カニ・コンボレの村 ⑥》【世界遺産】

すぐ横には川が流れていて、これもまた気の利いたコラボレーションです。
《カニ・コンボレの村 ⑦》【世界遺産】

村の男性たちは川の土手の泥を掘り固めて日干しレンガを造っていました。
《カニ・コンボレの村 ⑧》【世界遺産】

一方、相変わらず女性たちは水汲み、洗濯、子供のお守りと良く働きます。
《テリの村 ①》【世界遺産】

カニ・コンボレから車で10分ほど(徒歩だと1時間程度とのこと)のところにある Teli は、保存状態の良いテレム人の住居跡で有名な村です。

村の中心部から崖に向かって登っていくと、確かに非常にきれいな遺跡が残っていました。
《テリの村 ②》【世界遺産】

今回の私たちのトレッキングコースはちょっと変則的でしたが、一般的にバンディアガラのトレッキングは南から入る場合が多く、その際には、カニ・コンボレ及びテリが最初の集落になります。

今回訪れた村の中ではこれら2つが最も印象的で素晴らしかったので、結果的に最後に訪れることが出来たのはラッキーでした。
《テリの村 ③》【世界遺産】

一方で、多くの旅行者が初めて訪れる村ということもあって、これらの村はまだ慣れない旅行者の足元を見て料金を請求したりする例も多いと聞きます。

信頼のおけそうなガイドを雇ったり、訪問前にバンディアガラの村で情報収集するなどしてから出発することをお薦めします。
《テリの村 ④》【世界遺産】

テレム人の住居跡のある崖の中腹から見たテリの村です。

半砂漠地帯のオアシスの雰囲気が漂うこじんまりとした村です。

これでバンディアガーラの4泊5日の旅を無事終え、マリ最大の見どころとも言える Djenne に向かいます。

乗合いタクシーで3時間半ほどの道のりです。


旅の写真集マリ(後編)へ進む。

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