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旅の写真集  リビア国(後編)HEADLINE

リビア観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここではその後半部分として、トリポリ近郊とリビア第2の都市ベンガジの西に広がる非常に素晴らしい古代遺跡群を中心にご紹介します。

《カバウのカスル ①》

ガダーミス(Ghadamis)からの帰路では、前編でご紹介したナールート(Nalut)の東約40km(ガダーミスからだと約350km北西)に位置する Kabaw のカスル(Qasr、要塞型の食料貯蔵庫)に立ち寄りました。
《カバウのカスル ②》

カバウは村自体が小さいこともあって、ナールートのカスルほど規模は大きくなく、中央の広場を取り囲む形で4~5層の貯蔵室が配置されています。
《カバウのカスル ③》

また、上層への階段や通路もほとんどなく、各部屋の前にかかる板張りの足場だけが足がかりです。
《カバウのカスル ④》

板は元々無かったと思われるような部屋もあります。
  《カバウのカスル ⑤》

ただ、外壁には上層へ繋がる階段が設置されているので、ここを通って上に登り、ロープなどを使って荷物を吊り上げたり吊り降ろしたりしたのだと思われます。
《カバウのカスル ⑥》

700年以上の歴史を持つだけあって、不規則に増築を繰り返してきた様子が窺えます。
《カバウのカスル ⑦》

結構見応えがある遺跡でしたが、他に訪問者はおらず、好きなだけ写真を撮りながらゆっくり見学することができました。
《クサール・ハッジのカスル ①》

Qasr Al-Haj は、カバウの東約110km(トリポリからだと約130km)にある非常に小さな村ですが、ここにあるカスルは国内でも有数の規模で、また最も美しいものの一つとされています。
《クサール・ハッジのカスル ②》

これまで見てきたカサルと異なり、ほぼ円形の均等な4層構造で、中央は広い広場となっています。
《クサール・ハッジのカスル ③》

13世紀に敬虔なムスリムによって建てられたものとされ、トランクルームの数は当初コーランの章の数と同じ114室設けられていたそうです(現在では激しい論争の末に一部改築され119に増えているとのことです)。
《クサール・ハッジのカスル ④》

数カ所に階段が設置され、4階部分を周回する通路の他、内部にも回廊が巡らされていて、整然とした構造になっています。
《アポロニア遺跡 ①》

北に国内第2の都市ベンガジ(Benghazi)を抱えるリビア東部はキレナイカ(Cyrenaica)地方と呼ばれ、紀元前630年頃にギリシャ人が入植して以降繁栄を極め、北部地中海沿岸部には古代ギリシャ時代と、その後続くローマ帝国時代に築かれた遺跡が、数多く残っています。
《アポロニア遺跡 ②》

その中でも、ベンガジの約230km北東に位置するApollonia は、この地方の主要な貿易港として栄え、当時の5大都市の一つとして数えられた都市でした。
《アポロニア遺跡 ③》

残念ながら、当時の港湾施設だった遺跡の北側(海側)の半分は西暦365年に起きた大地震により海に沈んでしまい、現在残っているのはビザンティン帝国時代に建てられた教会や神殿跡だけとなっています。
《アポロニア遺跡 ④》

それでも、数多くの列柱(復元されたものも含む)の規模と、地中海をバックにした佇まいは、本家のギリシャやイタリア国内でもなかなか見られないほどの堂々たる遺跡振りです。
《アポロニア遺跡 ⑤》

遺跡のほぼ中央にある知事宮殿(Duke's Palace)は、6世紀に使われていた知事の公邸跡です。
列柱の上部がアーチ状になっているのが当時の建築技術の高さを示しているそうです。
《アポロニア遺跡 ⑥》

遺跡の入口から入って一番奥に当たる東の端に、紀元前3世紀に建設された劇場跡が残っています。古い割に保存状態も良く、海に面して建つ立地も素晴らしいので見応えがあります。
《キュレネ遺跡 ①》【世界遺産】

アポロニア遺跡の南西約20kmにある Cyrene 遺跡は紀元前7世紀から栄え、キレナイカの語源ともなった、この地域の中心都市だったところです。
写真は、その中心部で、アポロンの聖域(Sanctuary of Apollon)と呼ばれるエリア(中央がアポロン神殿)を崖の上から眺めた様子です。
《キュレネ遺跡 ②》【世界遺産】

アポロンの聖域の入口付近には、ローマ浴場(トラヤヌス浴場(Trajan Baths))の遺構が残っています。
《キュレネ遺跡 ③》【世界遺産】

こちらは、紀元前5世紀に建設されたゼウス神殿(Temple of Zeus)です。幅32m、奥行70mという大きさは、本家のアテネのパルテノン神殿やオリンポスのゼウス神殿を凌ぐ規模だそうです。写真では判り辛いですが、柱の太さは根本付近で2m近くあります。
《キュレネ遺跡 ④》【世界遺産】

遺跡内に現存するものの多くは元々古代ギリシャ時代に建てられたものがローマの植民都市となった際に再建されたもので、ローマ都市として再建されたギリシャ都市の優れた遺跡として、キュレネ遺跡は1982年に世界遺産に登録されました。
《キュレネ遺跡 ⑤》【世界遺産】

紀元前2世紀に建てられたギュムナシオン(Gymnasium)です。写真は、南側の塀と南門です。
《キュレネ遺跡 ⑥》【世界遺産】

ギュムナシオンはジムの語源ともなったもので、本来肉体を鍛える場所でしたが、健全な肉体と精神の両立が重視されていた古代ギリシャでは、18才以上の男性が文武両道を目指すための公共施設として整備され、図書館や講堂も併設されていたそうです。写真は、その中のメインの施設であるパライストラ(palaestra)と呼ばれる運動場です。
《キュレネ遺跡 ⑦》【世界遺産】

こちらはギュムナシオンの内側から見たもう一つの出入口である南門です。ギュムナシオンは紀元前2世紀に建てられたものですので、この門だけでも結構立派な遺跡です。
《キュレネ遺跡 ⑧》【世界遺産】

ギュムナシオンの南門を出るとキュレネ遺跡のメインストリートであるバットス通り(Battus Street)です。なお、写真は出てすぐ撮ったものではなく、左奥がギュムナシオンになります。
《キュレネ遺跡 ⑨》【世界遺産】

バットス通り沿いに建つオデオン(Odeon)です。ギリシャ語で劇場という意味です。この向かいにはローマ帝国時代に造られた劇場がありますが、そちらは Roman Theater と呼ばれています。少し紛らわしいです。
《キュレネ遺跡 ⑩》【世界遺産】

バットス通りの西端に当たる、デメテルとコリーの聖域(Sanctuary of Demeter and Kore)と呼ばれるエリアです。デメテルというのは豊穣の女神でゼウスの姉ですが、コリーというのはデメテルとゼウスの間に生まれた一人娘だそうです。ギリシャ神話は人間関係がとても複雑です。
《アッサラーイ・アルハムラ城》

再度トリポリに戻って来ました。
アラビア語で「赤い城」という意味の As-Saray Al-Hamra は、7世紀半ばにアラブ人が築いた要塞を起源とするトリポリ城の正式名称です。内部にはリビア最大のジャマヒリーヤ国立博物館(Jamahiriya Museum)などがあります。
《アルテミス像》

ジャマヒリーヤ博物館内に展示されている Statue of Artemis です。アルテミスは、狩猟と貞節の女神でギリシャ神話の3大処女神の一人として有名だそうです。多産を司る神であったため、胸部には多数の卵形の装飾がされていますが、これには、彼女が多産を司る神であったことから多数の乳首を現わすものであるとする説と女神への生け贄とされた牡牛の睾丸を巻き付けているのだという説があるそうです。貞節の女神が多産を司るというのは、不純でも矛盾でもなく悪くないと思います。
《アテナ像》

こちらもギリシャ神話の3大処女神の一人 Athena さんです。因みにもう一人はヘスティア(Hestia)という方だそうですが個人的には初めて聞きました。
アテナさんは、知恵、芸術、工芸、戦略などの他、都市の守護神としての役割も持たれていたとのことで、忙しい毎日を送られていたようです。
《緑の広場》

通りを挟んでジャマヒリーヤ博物館の南東に位置するGreen Square は、2011年のカダフィ政権崩壊後、殉教者広場(Martyrs' Square )と名前を変えています。
カダフィ政権下では1969年のリビア革命の象徴とされていましたが、一見非常に平和な、市民の憩いの場でした。
《アルハムラ城壁》

2009年の訪問時には61才のカダフィ氏もまだご健在で、国外に向ける顔とは違い、国内の至る所で愛想を振りまいていました。
《カダフィ大佐 ①》

余命2年足らずとは思えないほど、溌剌とした笑顔に後光が差して明るい未来が象徴されています。
外交は滅茶苦茶でしたが、彼の提唱した直接民主制(ジャマーヒリーヤ)には個人的に非常に共感していただけに残念でした。
《トリポリのスーク ①》

アッサラーイ・アルハムラの前の道を一本奥に入ったところにあるスーク・アル・ムシール(Souq Al-Mushir)です。正面に見えるのは1870年に建てられた時計塔(エッ・サーア(Es-Saa)です。
《トリポリのスーク ②》

こちらはスーク・アル・ムシールの南から西に向かって伸びるスーク・アッターラ(Souq At-Tara)の金銀細工店です。トリポリにはいくつかスークがありますが、国民性なのか単に観光客慣れしていないからか、どこの店も基本的に地元の人をターゲットにしているため、店頭で立ち止まったりしていても積極的に声をかけてくることはほとんどなく、料金もがほぼ固定価格なので、安心して買い物をすることができます。
《トリポリのスーク ③》

あまり販売意欲が高くない分、他にすることもないので皆さん熱心に新製品の開発に勤しんでいました。
《トリポリ旧市街の路地》

スークから1本横に逸れると歩く人もまばらな細い路地が広がっています。
《トリポリのスーク ④》

こちらは衣類などの店が並ぶスーク・アル・ラバア(Souq Al-Rabaa)です。アーチ状の屋根にも情緒があります。
《トリポリのスーク ⑤》

女性用のドレスは、とてもきらきらで素敵ですが、日本へのお土産にはちょっと無理かな。
《カダフィ大佐 ②》

このとき購入した「緑の書」(The Green Book、因みに日本語版)は、当時愛読書の一つでした。まあ、言っていることとやっていることが違う政治家というのは世界中どこにでもいるものですが、言っていることがまともなだけ立派だと思います。当時は10カ国語以上に訳されリビア土産で最も人気の品でしたが、今でもAmazonなどで手に入るようなので興味のある方にはお薦めです。
《レプティス・マグナ遺跡 ①》【世界遺産】

Leptis Magna は、トリポリの約130km東にある北アフリカ最大の古代ローマ遺跡で、1982年に世界遺産に登録されています。
写真は、遺跡の入口を入ってすぐ出迎えてくれるセプティミウス・セウェルスの凱旋門(Arch of Septimius Severus)で、西暦193年にアフリカ出身で初のローマ皇帝となり、この都市の絶頂期を築き上げたセプティミウス・セウェルスの故郷への凱旋を称えるために建設されたものです。
《レプティス・マグナ遺跡 ②》【世界遺産】

セプティミウス・セウェルスの凱旋門には美しい彫刻が施されていますが、ほとんどはレプリカだそうで、本物はジャマヒリーヤ博物館に展示されています。
《レプティス・マグナ遺跡 ③》【世界遺産】

レプティス・マグナの見どころの一つハドリアヌス大浴場(Hadrianic Bath)です。これほど保存状態の良い古代ローマ浴場は、世界でもローマのトラヤヌス浴場とここだけだそうです。
なお、写真は日本の温泉でいえば露天風呂に当たる屋外浴場ですが、それを取り囲む形で温度の異なる浴室が配置され、入浴客は低温浴室から順に、身体を慣らしながら時間をかけて入浴を楽しんだそうです。
《レプティス・マグナ遺跡 ④》【世界遺産】

手前に見えるのが公衆トイレです。便座の下には水路が通る水洗式で、穴の空いた大理石製の石板の上に座って用を足すという形は立派な洋式トイレですが、間仕切りもなく隣の人と気軽に世間話をしながら楽しめるという面では既に中国式が導入されていたようです。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑤》【世界遺産】

こちらは泉の神ニンフを祀る神殿ニンファエウム(Nymphaeum)です。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑥》【世界遺産】

列柱には大理石や御影石が使われ、豪華さを演出しています。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑦》【世界遺産】

2世紀から3世紀にかけて建設された セプティミウス・セウェルスのフォーラム(Severan Forum)です。地面に大理石が敷かれた幅60m、奥行100mの広大なオープンエアの広場は町の中心の集会場として多くの人々が集う場所でした。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑧》【世界遺産】

このフォーラムでは至る所で、魔除けの役割を果たしていたと考えられるメドゥーサのレリーフが見られます。なお、メドゥーサは、ギリシャ神話に登場する、見たものを石に変える能力を持つとされる怪物ですが、こう見えても女性です。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑨》【世界遺産】

今では無造作に地面に置かれていたりしますが、レプティス・マグナの名物の一つです。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑩》【世界遺産】

フォーラムの北東にあるセプティミウス・セウェルスのバシリカ(Severan Basillica)の南の祭壇です。つまりこの壁の向こうがフォーラムになります。なお、バシリカというのは、古代ローマ時代に建てられた長方形の建物で、内部に採光用の高窓と列柱のアーケードを持つ公共用の多目的ホールです。
《レプティス・マグナ遺跡 ⑪》【世界遺産】

こちらは同バシリカの北の祭壇です。
レプティス・マグナ遺跡 ⑫》【世界遺産】

列柱の頂部に残る、2匹の犬だかライオンだかに支えられた梁の部分が優れた遺跡っぽさを醸し出していて好感が持てます。
レプティス・マグナ遺跡 ⑬》【世界遺産】

柱に彫られたレリーフも緻密で味があります。
レプティス・マグナ遺跡 ⑭》【世界遺産】

北の祭壇の内部から見たバシリカの様子です。
レプティス・マグナ遺跡 ⑮》【世界遺産】

ローマ劇場(RomanTheater)は、アフリカ大陸では最大級のもので、ステージの大きさだけでも長さ約45m、幅約8mあります。
レプティス・マグナ遺跡 ⑯》【世界遺産】

ステージの後ろに林立する列柱は西暦42年に完成した神殿の跡だそうで、バックに広がる地中海とのコントラストが非常にファンタスティックです。
レプティス・マグナ遺跡 ⑰》【世界遺産】

リビアの古代遺跡は、一般的に、イタリアやギリシャ、更には中東などで見られる遺跡よりも保存状態が良いものが多いので非常に見応えがあります。
  《サブラタ遺跡 ①》【世界遺産】

最後に訪れたのは、トリポリの西約70kmにある Sabratha の遺跡です。レプティス・マグナと同様、2世紀半ばに絶頂期を迎え、1982年に世界遺産に登録されました。写真は、入口近くにある高さ25mの Mausoleum of Bes です。因みにベスは古代エジプトの魔除けの神だそうですが、この塔の具体的な役割は未だ解明されていないとのことです。
《サブラタ遺跡 ②》【世界遺産】

こちらは公共浴場の入口です。英語で Saeward Bath と呼ばれるこの浴場は名前のとおり海に面していて、さながら展望露天風呂といった趣向だったと思われます。
《サブラタ遺跡 ③》【世界遺産】

浴室には非常に美しいモザイクの床(オリジナル)が残っています。
《サブラタ遺跡 ④》【世界遺産】

サブラタ遺跡のハイライトともいえるローマ劇場です。
《サブラタ遺跡 ⑤》【世界遺産】

規模はレプティス・マグナに若干劣りますが、美しさではこちらの方が勝っています。
《サブラタ遺跡 ⑥》【世界遺産】

ステージの台座正面部には当時の人々を描いたレリーフも良い状態で残っています。
《サブラタ遺跡 ⑦》【世界遺産】

ステージの背後に聳える楽屋部分は、ほぼ当時のまま美しく壮観な3層構造を保っています。
《サブラタ遺跡 ⑧》【世界遺産】

大理石の列柱に支えられた正面は、デザインも素材も超一流でセレブ感たっぷりです。
《サブラタ遺跡 ⑨》【世界遺産】

細かい仕事にも抜かりありません。
《サブラタ遺跡 ⑩》【世界遺産】

レプティス・マグナのメドゥーサほど有名ではありませんが、やはり魔除けでしょうか。日本人の感覚からするとあまり気味の良い表情ではありませんが、効果はありそうです。
《リビア航空機》

国内移動で何度もお世話になった航空会社です。2009年の訪問時には、中東の産油国と比べても運賃は非常に安かったですが、内戦やISの影響で現在は休業中のようです。
《トリポリ空港》

帰りのエミレーツ航空の機内から撮った一見立派なターミナルビルは、外見と違い最低限の施設しかなく寂しい雰囲気でしたが、それでも出発ロビーはヨーロッパからの観光客で賑わっていて、皆、一様に非常に満足げだったのが印象的でした。確かに、私たちがこれまで訪れた国の中でも最も素晴らしい観光資源に恵まれた国の一つでしたが、現在では渡航が不可能な国になってしまったのが残念でなりません。


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