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旅の写真集  カザフスタン共和国HEADLINE

カザフスタン観光の旅行記を兼ねた写真集です。

《国境からの乗合タクシー》

ウズベキスタンの首都タシケント(Tashkent)近くの国境から入国し、シムケント(Shymkent)行きの乗合タクシー(ベンツ)に乗ったところ、15分ほど走ったところでパンクしてタイヤ交換となりました。突然のことでびっくりしましたが、パンク野郎というのは大抵突然襲ってくるものなので仕方ありません。それにしても最近パンクづいていて、ここ1年半ほどで3度目の海外パンクです(うち2回はレンタカー)。皆さんもパンクには気を付けましょう。
《アリスタン・バブ廟 ①》

カザフスタン南西部にある国内第2の都市シムケントの約170km北西にある Aristan-Bab Mausoleum は、イスラム教を土着の宗教と融合させて12世紀半ばに中央アジアに布教したホージャ・アフマド・ヤサウィー(Kozha Akhmad Yasaui)氏の霊廟です。
《アリスタン・バブ廟 ②》

1907年に建てられたもので、ここから約60km北のトゥルキスタン(Turkistan)にある世界遺産でもあるホージャ・アフマド・ヤサウィー廟への巡礼者はほぼ必ずここに寄っていくほどの人気のスポットです。
《アリスタン・バブ廟 ③》

敷地内には美しいドームを持つモスクも併設されています。
《アリスタン・バブ廟 ④》

敷地外の道路を挟んだ北側には、最近建てられたと思われる更に立派なモスクも鎮座しています。
《カザフスタン南部の道》

アリスタン・バブ廟からトゥルキスタンに向かう道です。カザフスタン南部の道路は、このように草原の中をまっすぐ延びている傾向があります。
《踏切 ①》

何てことのない踏切ですが、昔の日本各地で見られたように、こんな1日に数本しか列車が通らない(であろう)踏切にもきちんと小屋が建てられ係員が常駐しているので、安全確保には抜かりありません。
《踏切 ②》

国によっては、橋や空港や駅や踏切などの写真を撮っていると西側のスパイと認定されラーゲリ送りになってしまうケースもあるようですが、ここではそのようなことはなく、わざわざ小屋の中から出て来た係員は嬉しそうに遠くを指さして何やら熱心に説明を始めてくれました。
《踏切からの風景》

彼らが指さす先、遙か彼方にはいくつかのモスクが見えました。どうやら、彼らは自慢のモスクを自慢しようという魂胆だったようです。何とも心温まるおもてなしです。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ①》【世界遺産】

ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟(Kozha Akhmad Yasaui Mausoleum)は、1397年からティムールの指示によって建てられましたが、1405年にティムールが死亡したことにより工事は中断され、20世紀の終わりまで未完成のままだったところ、1994年以降、トルコ政府による3500万USドルにのぼる援助を受けて全面的に修復工事が行なわれ、2003年に世界遺産に登録されました。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ②》【世界遺産】

ただし、正面部分(ファサード)は、未だ未完で、タイル等によるの装飾がされないままの形で残っているのが特徴的です。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ③》【世界遺産】

中央アジア恒例の霊廟前での結婚記念撮影会です。
日本で例えると、結婚式後に明治神宮や伊勢神宮にお参りするといった感じでしょうか。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ④》【世界遺産】

裏側は正面側と違って非常に美しいタイルで彩られています。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ⑤》【世界遺産】

奥に見えるのは、ラビヤ・スルタン・ベギム廟(Mausoleum of Rabigha-Sultan Begum)です。元々15世紀に建てられたものが1898年に破壊されてしまい、現在のものはそのレプリカだそうです。因みに、ラビヤ・スルタン・ベギムとは、ティムールの孫娘さんだそうです。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ⑥》【世界遺産】

中央の青いドームは直径が18.2mあり中央アジア最大だそうです。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ⑦》【世界遺産】

巨大なドームを持つ美しいタイル張りの建築物は、ウズベキスタンの3大ハイライトとも言われるサマルカンド、ブハラ、ヒヴァなどが有名ですが、それらに勝るとも劣らない美しさです。ウズベキスタンに比べてこちらは若干陰が薄い感じがしますが、実際にはこちらの方が歴史が古く、ウズベキスタンの建築物のモデルになったものだそうです。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ⑧》【世界遺産】

裏側の正面にあるドームは、サマルカンドにあってティムールが眠っているグリ・アミール廟(Gur-i Amir Mausoleum)に似て若干縦に長い形状となっています。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ⑨》【世界遺産】

建物の大きさも中央アジアで最大級のもので、幅が45.8m、奥行き62.7m、高さは38.7mあり、内部には18.2m四方の中央の大広間を含め大小35の部屋があります。
《ラビヤ・スルタン・ベギム廟》

これが先ほどご紹介したラビヤ・スルタン・ベギム廟です。因みに、奥に見えるこれまた美しい建物はホージャ・アフマド・ヤサウィー・モスク(Kozha Akhmed Yasaui Mosque)です。
《ホージャ・アフマド・ヤサウィー廟 ⑫》【世界遺産】

廟の北側には城壁も残っていて、ヤサウィー廟、ベギム廟、ヤサウィー・モスクの贅沢なコラボレーションを楽しむことができます。
《シムケントのバスターミナル》

シムケントから次の目的地であるキルギスのビシュケク(Bishkek)に向かうためにバスターミナルにやって来ました。途中の町タラズ(Taraz)で乗り換え、合計9時間の旅です。シムケントはカザフスタン南西部の交通の要衝なので、大小様々なバスや乗合タクシーが並んでいます。
《バスターミナルのパン屋さん》

長距離の移動では途中で食事休憩もありますが、中央アジアの人たちはいつもこのような大きくて固いパンが手元にないと不安らしく、皆、大量に買い込んでいました。

この後のキルギスの写真集はこちらをご参照下さい。
《アルマティ》

無事、キルギスの観光を終えた後、ビシュケクから乗合タクシーやバスを乗り継いでカザフスタン最大の都市アルマティ(Almaty)に到着しました。人口約150万人を越える大都市ですが、中心部は碁盤の目状に区画整理されていて緑も多く、非常にさわやかな町並みです。
《アルマティの地下鉄駅》

2011年にメトロが開通しました。中央アジアではウズベキスタンのタシケントに続く2番目の地下鉄です。駅は入口もホームも非常におしゃれな佇まいです。1路線しかありませんが、10分に1本程度の頻度で運行されているのでハマれば便利です。ただし、頻繁にパスポートチェックがあるので、常にパスポートを携帯することが必要です。
《横断歩道の標識》

子供たちが渡る様子がかわいらしいですが、最初に見たときにはエチオピアのゲエズ文字を連想してしまいました。ご存じない人にはどうでもいい話ですが。
《アルマティの市章 ①》

市バスの側面のマーク2種です。アルマティはカザフ語で「リンゴの里」を意味し、街の至る所でリンゴをモチーフにしたモニュメントやロゴが見られます。左側の目的は不明ですがその一種でしょう。一方、右側はアルマティの市章です。雪山をバックにユキヒョウがセクシーなポーズでバラ(?)を咥えています。
《アルマティの市章 ①》

交差点など、そこかしこで愛嬌を振りまいていて、もう皆メロメロです。個人的には市章にあまり造詣は深くないのですが、世界で最も好きな市章であることは間違いありません。
《生鮮市場 ①》

市街地中心部やや北にある Green Market です。果物、野菜の他、肉、魚、乳製品、ナッツ、スパイスなど、食料品なら何でも揃っています。
《生鮮市場 ②》

ご紹介が遅れましたが、中央アジアのスイカとメロンは秀逸です。特にスイカは、バカでかいのに味が濃く(大概、日本のものよりも美味しいです)、人間の大人3人分の頭くらいの大きさで200円もしないという優れものです。スイカやメロン好きな方はこれだけのために一夏この辺りで過ごしても十分元が取れると思います。
《生鮮市場 ③》

中央アジアの人たちは遊牧民族が多く、海も遠いため、お肉が大好きです。こんなに捌いちゃって大丈夫なのかしらと思うほど大量の肉が市場に蔓延しています。
《ある日の昼食 ①》

生鮮市場の2階に、如何にも地元の人向けという雰囲気の食堂があったので、ここで昼食を摂ることにしました。食事はどういうわけか 540テンゲ(約180円、小サイズは440テンゲ)均一でした。
《ある日の昼食 ②》

マントゥ(manty、中国や北インドではモモと呼ばれる水餃子)とプロフ(plov、肉の載った炊き込みご飯、この時は羊肉)を食べました。どちらも非常に美味しくて大満足できました。なお、右上のスープのようにも見えるものは紅茶です。
《セントラル・モスク》

生鮮市場の数百メートル北にある、1999年に建てられたという比較的新しいモスクですが、3000人の信者が同時に礼拝できるホールを備えた国内有数の規模のものです。
《ゼンコフ教会 ①》

中心部のやや北東にあるパンフィロフ公園(Panfilov Park)の中心に建つZenkov Cathedral は、1907年に完成したもので、メルヘンチックな色彩が魅力的ですが、釘を含め完全木造建築という隠れたチャームポイントも備える立派なロシア正教教会です。
《ゼンコフ教会 ②》

教会が許されなかったソ連時代には博物館やコンサートホールとして利用されていましたが、1995年にめでたく教会として再出発することとなりました。
《ゼンコフ教会内部の祭壇》

今では内装もすっかり復元され、美しいイコンや壁画で装飾されています。
《パンフィロフ公園の戦争記念碑》

先ほどから名前の挙がっているパンフィロフ公園ですが、正式には「28人のパンフィロフ戦士公園」(Park of 28 Panfilov Guardsmen)というもので、第二次世界大戦中の1941年の対ドイツ戦においてモスクワ郊外で戦死したパンフィロフ将軍率いる28人のカザフ共和国出身兵士を讃えるために造られた公園です。
《パンフィロフ公園の無名戦士の墓》

上の写真のモニュメントは、ソビエトの全15の共和国からの兵士がソ連の地図から飛び出す様子を表して彼らの健闘を讃えたもので、その前には、ロシア内戦(1917~22年)及び第二次世界大戦(1941~45年)で亡くなった無名戦士の墓が設置され、永遠の火を灯しています。
《アルマティ中心部の町並み》

アルマティの街の南には4000m級の山々が連なる山脈が迫っているため、街全体が南に向かって緩やかな上り坂になっています。そのため方角を把握するのは簡単ですが、米国や旧ソ連の国々に見られるように1つの区画が非常に広いし、特に南に向かう際には疲れるので、油断しないようにしましょう。
《コク・トベの丘に向かうロープウエー》

市街地南東にある Kok-Tobe の丘は市内が見渡せる人気のスポットで、ロープウエー又はバスで簡単にアクセスすることができます。
《コク・トベの丘 ①》

頂上の海抜は約1,100mで、ちょっとした遊園地のようになっていて、市民の憩いの場となっています。
《コク・トベの丘 ②》

可愛いお姉さんもいっぱいいて安心です。
《コク・トベの丘のカフェ》

お洒落で見晴らしのいいカフェ・レストランもあって、手頃な料金で優雅なひとときを過ごすこともできます。
《コク・トベの丘から見たアルマティ中心部》

広大な平原に突如高層ビルが立ち並ぶ姿はお見事です。
《ビートルズの像》

地元では「ビートルズのメンバー4人が揃ったモニュメントは世界でここだけ」という無茶な主張がされているそうですが、私はちょうど2ヶ月ほど前にリバプールで彼らに会いました。その時の印象と違い、全体的に実物より頭が大きめのような気がしますが、等身大だという主張が受けてか、記念撮影目当ての訪問者が後を絶たないほどの人気ぶりでした。
《市街地中心部から望むコク・トベの丘》

写真中央辺りに見えるか見えないか微妙な大きさで写っているのが山頂付近のアトラクション群です。なお、右に見える電波塔は東京スカイツリーには敵わないものの、東京タワーに勝るとも劣らない372mの高さを誇っています。
《アルマティ中心部の歴史的建造物》

ソ連時代の面影を残す建物もこの町では珍しくなってしまいましたが、まだ現役で活躍中のものもあり、得も言えぬ風格を漂わせています。
《共和国広場前を走るサトパエフ通り》

市街地中心部やや南にある共和国広場(Republika Alany)では、1986年12月17日に起きたソ連でのペレストロイカ開始以来の初めての大規模抗議デモの際に、軍及び警察によって約250人の市民が犠牲になりました。
《独立記念碑 ①》

共和国広場に立つ高さ約28mの Independence Monument は、2006年に建てられたもので Golden Warrior Monument(黄金の戦士の像)とも呼ばれています。
《独立記念碑 ②》

頂部には翼を広げたユキヒョウの上にサカ族(紀元前5世紀頃にこの辺りを支配していた民族)の王子(1969年にアルマティから約50km離れた場所で黄金の豪華な衣装を纏った姿で発掘されGolden Manと呼ばれています)が乗っている銅像が設置されています。私を含めて普通の人にはどうでもいい情報ですが、なかなか資料が無くこの記事を書くために調べるのに1時間以上かかってしまいました。それもどうでもいいことですが。
《自由の夜明けの碑》

Dawn of Freedom Monument は、独立記念碑の西の Zheltoksan(12月)通りに建つ記念碑で、先述の共和国広場で犠牲になった人々を讃えるために2006年に設置されたものです。
《国立中央博物館》

通常、博物館の外観にはほとんど興味がないのですが、ここは青い屋根がいかにもカザフスタンチックだったのでとても気に入りました。
《セントラル・パーク ①》

先ほどコク・トベの丘をご紹介しましたが、アルマティで公園と言えば、市街地中心部のちょっと東にある、ここ Central Park(別名Gorky Park)も大人気です。
《セントラル・パーク ②》

園内には各種アトラクション(遊具)の他、池や水族館、動物園、映画館なども配備されていて、いつも家族連れで賑わっています。
《セントラル・パーク ③》

構造自体は非常に単純なものがほとんどですが、皆さんとても盛り上がっていて見ているだけで幸せな気持ちになってきます。
《レストランのお姉さん》

話は変わりますが、カザフスタンはきれいな女性が多いことでも有名です。
《ある日の夕食》

ラムと野菜のグリルです。10年ほど前にウズベキスタンを初訪問した際には、中央アジア料理はどれもドライな感じであまり馴染めなかったのですが、私が成長したのかこれらの国が成長したのかわかりませんが、今回はどこの都市でもほとんどの店の料理が非常に美味しく感じられました。
《カザフスタンの若者文化》

カザフスタンは他の中央アジア各国と同様ムスリム国家(ムスリムが約70%、クリスチャンが約25%)なのですが、アルコールに対する抵抗はほとんど見られません。ていうかロシアの影響もあってか、比較的お酒大好きでおまけに強いです。ビールも10リットルチューブとか頼んで飲んでいます。あと、これも他の中央アジア諸国同様とてもフレンドリーです。食事をしているとすぐに話しかけられて一緒に食べよう、飲もうということになります。ついでに言うと、この写真の若者たちはもともと男女別々に来ていたのに、途中で男性が声をかけて机をくっつけて合コン状態になってしまいました。完全に肉食文化です。
《最後の晩餐 ①》

そんな訳で、最後の夜も大きなレストランで盛大にやろうと意気込んでいたのですが、昼間にちょっとしたテロがあった関係で大きな店は臨時休業となってしまい、仕方ないので宿の近くのシャシュリク屋(串焼き)で済ますことにしました。
《最後の晩餐 ②》

店頭には選り取り見取りの肉や野菜の串が並べられて注文を待っています。どれも美味しそうで安い(1本100~150円)のでつい頼みすぎてしまいますが、一串が大きいのであまり欲張るのは良くありません。初心者は一人3~4串くらいにしておくのが無難だと思います。
《最後の晩餐 ③》

薪が見えますが、炭火焼きです。遠赤外線でじっくり焼くので出来上がるまでに時間がかかりますが、その分とても美味しくいただけます。
《最後の晩餐 ④》

焼き上がる頃には2杯目のビールも残り僅かとなってしまいました。
《最後の晩餐 ⑤》

この日は、途中から、隣に座っていた日系2大自動車会社の現地法人の役員の方々(幼なじみだそうです)の席にお招き頂き、その後大好物のワイン(ボトル)をご馳走になりました。お二人とも大の日本びいきで、今働いている会社は2社とも世界一だと何度もおっしゃっていました。自分の働く会社に誇りを持てるということは、本当に羨ましいことです。最後の晩餐を非常に楽しく過ごすことができてとてもいい思い出になりました。



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