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旅の写真集  イスラエル国(後編)HEADLINE

イスラエル観光の旅行記を兼ねた写真集(後編)です。ここでは、北部の都市 ティベリア、ナザレ、アッコー及びハイファ並びに死海を望む要塞 マサダ遺跡をご紹介します。

《ヨルダン川西岸》

ヨルダン川西岸(West Bank)というとパレスチナのイメージが強いですが、ヨルダン川の西岸は北の3分の1ほどはイスラエル領となっています。
写真は、イスラエルとヨルダンの国境を結ぶシェイフ・フセイン橋(Sheikh Hussein Bridge)付近の様子です。
《ティベリア》

今回の旅ではエルサレムからレンタカーで東に向かい、ヨルダン川沿いにパレスチナ領内から国道90号線を北上しました。
エルサレムから約170km、3時間弱でガリラヤ湖(Sea of Galilee)畔のイスラエルの町 Tiberias に到着です。
始めの4分の3ほどはパレスチナ領内ですがこの幹線道路上はイスラエルが実効支配しているので途中ボーダーの検問所もなくイスラエル国内を走る感覚でドライブできます。
《ガリラヤ湖》

ガリラヤ湖はヨルダン川の途中にある南北約21km、東西約13kmのイスラエル国内最大の湖です。湖面の海抜はマイナス213mで、湖としてはこの下流にある死海に次ぐ海抜の低さを誇っています。
《ティベリアの町 ①》

ティベリアは西暦20年頃に建設された非常に歴史ある町なのですが、度重なる戦争や地震の影響で多くが破壊されてしまいました。

写真のジャーマ・アル・アマリ(Al-Amari Mosque)は、1743年に建てられたイスラム寺院で、1948年の第1次中東戦争以前からほぼそのままの姿で残る数少ない建物の一つです。
《ティベリアの町 ②》

中心部には「十字軍の城壁」(Crusader Castle)と呼ばれる城壁跡も僅かに残っています。
この城壁はもともとはこの町の建設当時に当時の領主であったヘロデ・アンティパス(Herod Antipas)によって築かれたものですが、十字軍によって強化されたことからこの名前が付いています。
《ティベリアの町 ③》

ガリラヤ湖畔にはちょっとした湖水浴場やリゾート施設なども点在しており、ティベリアは今日ではイスラエル国民にとって人気の観光スポットとなっています。
《周遊バスの停留所》

ティベリア郊外のガリラヤ湖畔には多くの見どころが点在しています。
イスラエル国内の移動はレンタカーが便利なのですが、レンタカー利用でない人でも湖畔を周遊するバスがあるのでこれを利用することもできます。
ただ、バス停表示は全てヘブライ文字で判読不可能な上、便数も少ないので事前に入念な調査・検討が必要です。
《山上の垂訓教会 ①》

Church of Mount Beatitudes は、イエスが八福の教え(キリスト教における8つの重要な教え)を説いたとされるガリラヤ湖の北の丘の上に1930年に建てられた教会です。
《山上の垂訓教会 ①》

内部には、「右の頬を打たれれば、左も向けなさい」、「汝の敵を愛せよ」、「狭き門より入れ」などの8つの教えがラテン語で記されています。
《カペナウム》

Capernaum は、山上の垂訓教会の南のガリラヤ湖畔にありイエスが住んでいたとされる人口1,500人ほどの古都で、現在は遺跡となっています。
彼が説教したとされるシナゴーグはこれらの廃墟の下に埋もれていると考えられています。
《12使徒教会 ①》

カペナウムの200mほど西にある Monastery of the Twelve Apostles は、1925年に建てられたギリシャ正教会です。
《12使徒教会 ②》

ピンクのドームと屋根の上のやたら数の多い十字架がチャーミングです。
《12使徒教会 ③》

内部のドームの天井画もとても綺麗です。
《パンと魚の奇跡の教会 ①》

カペナウムから湖畔沿いに2kmほどティベリア方向に戻ったところにあるのが Church of the Multiplication of the Loaves & Fishes です。
《パンと魚の奇跡の教会 ②》

この辺りには変な名前の教会が多いですが、ここについては、イエスが5つのパンと2匹の魚に祝福を施した結果5,000人を満腹にさせるだけの量に増やしたという奇跡に由来するそうです。
《パンと魚の奇跡の教会 ③》

床にはパンと魚のモザイク画が描かれています。
《パンと魚の奇跡の教会 ④》

2匹の魚の中央にあるバスケットには4斤のパンが入っているのが見えます。
《パンと魚の奇跡の教会 ⑤》

これらのモザイク画は5世紀頃に描かれたものを1982年の教会堂の再建に合わせて忠実に復元したもので、この地域に残る最も古いデザインだそうです。
《ペテロ首位権の教会 ①》

パンと魚の奇跡の教会のすぐ近くにある Church of the Primacy of St Peter は、イエスが漁師のペテロとアンデレの兄弟に出会って最初の弟子にした場所だそうです。
《ペテロ首位権の教会 ②》

教会の祭壇は大きな岩でできていますが、この岩の上で復活後のイエスが弟子に食事を与えたとされています。
《戦闘機》

頭上で轟音がしたので見上げてみると、護衛でもしているのか3機の戦闘機が大型機を取り囲んで超高速で去って行きました。
イエスの足跡を辿る旅の最中に突然現実の世界に引き戻されてしまい、ここが彼のイスラエルだと改めて実感しました。
《ナザレの町》

ティベリアの西約30kmに位置する内陸部の町 Nazareth は、イエスが幼少期から宣教を始める30歳くらいまでの生涯の大部分を過ごしたとされる町であり、世界中のキリスト教徒を惹きつけています。
《ナザレ旧市街》

ナザレの町は丘の斜面に広がっているため、旧市街中心部には非常に狭く坂や階段の多い路地が張り巡らされています。
《メンザ・クリスティ教会》

Mensa Christi は、1861年に建てられた小さな教会です。
内部には復活後のイエスが弟子と食事をしたとされるテーブルが残っています。
ガリラヤ湖畔のペテロ首位権の教会にも同様のものがありましたが、イエスの生涯については諸説ある(そもそも、人間である(かどうかもわかりませんが)イエスが本当に復活したのかという点から若干怪しい部分があります)ので、どちらが本物かはわかりません。
《受胎告知教会 ①》

ナザレのシンボルとも言える Basilica od the Annunciation は、聖母マリアが精霊により受胎告知を受けたとされる洞窟(もとマリアの家)の上に中東最大のキリスト教会です。
《受胎告知教会 ②》

教会自体はもともと、ローマ帝国内でキリスト教を公認したコンスタンティヌス1世の母親である聖ヘレナの指示で4世紀に建てられたもので、その後破壊と再建が繰り返され、現在の建物は1969年に完成したものです。
《受胎告知教会 ③》

受胎告知教会というのは世界中どこへ行ってもありますが、もちろんここがオリジナルです。
《受胎告知教会 ④》

1階は大規模なミサが行なえる構造で、内部壁面には各国から寄せられた聖母マリア関係の絵が飾られていて、日本の長谷川路可及び彼の弟子たちによる日本画風モザイク「華の聖母子」もあります。
《受胎告知教会 ⑤》

地下にも祭壇があり、小規模なミサが行えるようになっています。
《受胎告知教会 ⑥》

その祭壇の奥にあるのがマリアが告知を受けたとされる洞窟です。
《聖ヨセフ教会》

受胎告知教会の北に隣接して建つ St Joseph's Church は、マリアの夫ヨセフが大工の仕事をしていたという場所に1914年に建てられた教会です。
《聖ガブリエル教会》

受胎告知教会の約800m北にある St Gabriel's Church は、ギリシャ正教会が、マリアが受胎告知を受けたと主張する井戸の源泉の上に17世紀に建てられた教会です。そのため別名 Greek Orthodox Church of the Annunciation と呼ばれています。
因みに、先ほどご紹介した受胎告知教会は、カトリック教会が主張する告知の場所だそうです。
処女懐胎自体、当時の医学では難しいとされているのに随分熱心な論争です。
《マリアの井戸》

Mary's Well は、マリアが水を汲みに行った際に実際に天使と出会ったと言われる井戸の跡に建てられた井戸の跡です(現在は水はもう出ません)。

なお、マリアは自宅で告知を受けたという説もあるそうです。
《青年イエスの教会》

1923年完成の Basilica of Jesus the Adolescent は、イエスがナザレで青年時代を過ごしたことを記念して建てられたというきれいな教会です。
高台にあるので、ナザレ市街の見晴らしが比較的良いのが魅力とされています。
《青年イエスの教会から見たナザレの町 ①》

これがその眺めです。
《青年イエスの教会から見たナザレの町 ②》

受胎告知教会(カトリック主張の方)も見えます。
《アッコーの町 ①》【世界遺産】

ナザレの北西約40kmの地中海沿岸、北のレバノン国境まで20km足らずに位置する Akko(又は Acre)は、紀元前20世紀頃からその名を知られ、紀元前16世紀にはフェニキア人の港湾都市として繁栄していたという非常に歴史ある町です。
《アッコーの町 ②》【世界遺産】

古くから聖地エルサレムへの入口として栄えたため、十字軍時代にはキリスト教とイスラム教が町の支配を巡って激しい戦いを繰り広げた歴史があるため、旧市街は立派な城壁に囲まれています。このような歴史と構造物が評価され、アッコー旧市街は2001年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
《アッコーの町 ③》【世界遺産】

旧市街にはアラブ人が多く住んでおり、ユダヤ人は城壁の外に広がる新市街に多く住んでいます。
《アッコーの町 ④》【世界遺産】

旧市街はバザールやレストランなども多く、庶民的な雰囲気です。
《アッコーの町 ⑤》【世界遺産】

その旧市街のランドマークともなっているのが1781年に建てられた緑のドームが目印のイスラム寺院、ジャーム・アル・ジャッザール(Al-Jazzar Mosque)です。
《十字軍の町 ①》【世界遺産】

ジャーム・アル・ジャッザールの周囲には Underground Crusaer City と呼ばれる地下要塞が広がっています。
写真は、その入口の城塞です。
《十字軍の町 ①》【世界遺産】

十字軍は聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の保護及び聖地エルサレムの防衛を任務としていましたが、この十字軍の町は、三大騎士騎士修道会の1つであった聖ヨハネ騎士団(別名ホスピタル騎士団)の医療に関する本部が置かれていた場所で、12世紀頃に構築されたものです。
《十字軍の町 ①》【世界遺産】

奥にある騎士のホール(Knights Hall)は、オスマン朝時代には要塞としての役割を担っていましたが、現在ではコンサートやフェスティバルの会場として活躍しているそうです。
《ハンマーム》【世界遺産】

十字軍の町の南にある Hammam al-Pasha は、かつての浴場(本来の意味のトルコ風呂)で、現在は博物館になっており、当時の様子が再現されたモニュメントが展示されたりしています。
《十字軍のトンネル》【世界遺産】

先ほどの十字軍の町は聖ヨハネ騎士団による施設でしたが、この Templer's Tunnel は、その英語の名称からも判るとおり、三大騎士騎士修道会の別の1つであるテンプル騎士団によって13世紀頃に建設されたものでしたが、長い間その存在は知られておらず、1994年になって偶然発見されたものです。
《ハイファの町 ①》【世界遺産】

アッコーの南約25kmの町 Haifa は、テルアビブ、エルサレムに次ぐ国内第3の都市で、イスラエルの海の玄関口であるため、港町の活気に溢れた町です。
《ハイファの町 ②》

ハイファの町は海岸沿いに開けていますがカルメル山(Mt Carmel)が海沿いまで迫ってきているのでとても坂が多く、中東のサンフランシスコと呼ばれることもあります(実際両市は姉妹都市となっています)。
《ハイファの町 ③》

カルメル山の中腹には見どころが点在しているので、ご覧の様なキュートな3連のロープウエイを利用して登って来ることもできます。また、少し内陸部にはこれとは別にカルメリット(Carmelit)と呼ばれるケーブルカー式の(イスラエル唯一の)地下鉄も走っているので、こちらも便利です。
《バーブ廟とバハーイー庭園 ①》【世界遺産】

そんなハイファの一番の目玉は何と言ってもカルメル山の中腹にある Shrine of Bab and Bahai Garden です。
《バーブ廟とバハーイー庭園 ②》【世界遺産】

バハーイー庭園とバーブ廟は19世紀にイランで創始されたバハーイー教の聖地となっています。
イランで厳しい弾圧に遭い、イラク、トルコを経てアッコーに追放された創始者バッハーウッラー(Bahá'u'lláh)がここで教団の基礎を固めました。そのため、こことアッコーが同教の2大聖地となっています。
日本ではあまり馴染みのない宗教ですが、信徒数は全世界で600万人を超え、その教義では、アブラハム、モーゼ、仏陀、イエス、ムハンマド、ゾロアスターと多くの者を神の啓示者としています。
《バーブ廟とバハーイー庭園 ③》【世界遺産】

そんな人気教団の本拠地ですが、ロンリープラネットによれば、バハーイー庭園から見るハイファの街並みは、イスラエルの中でも最も絵になる景色と評されています。
《バーブ廟とバハーイー庭園 ④》【世界遺産】

そのような背景が考慮され、「ハイファ及び西ガリラヤ地方のバハイ聖地群」というタイトルで2008年に世界文化遺産に登録されています。

なお、新興宗教の宗教施設としては世界初の登録となっています。
《ステラ・マリス修道院 ①》

バハーイー庭園同様、カルメル山の中腹にある Stella Maris Carmelite Monastery は1836年に建てられた修道院です。

ただし、こちらはバハーイー教とは関係ないので残念ながら世界遺産ではありません。
《ステラ・マリス修道院 ②》

北側の展望台から見えるハイファの警官はバハーイー庭園からと同様素晴らしいものですが、内部の装飾がとても美しいことでも有名です。
《ステラ・マリス修道院 ③》

特に天井画は素晴らしいです。
《カイザリア遺跡 ①》

ハイファの南約40km、テルアビブに向かうちょうど中間に位置する Caesarea は、地中海に面した遺跡です。
《カイザリア遺跡 ②》

城壁は主に十字軍の時代に築造されましたが、町自体は紀元前1世紀頃からあり、当時の遺構なども僅かに残っています。
《カイザリア遺跡 ③》

ただ、そのほとんどは跡形もなく、競技場跡が広い砂浜のように広がっているのがメイン・アトラクションです。
《カイザリア遺跡 ④》

南の方には神殿跡らしきものもありますが、ほとんどレプリカであまり感じるものはありません。
《カイザリア遺跡 ⑤》

美しいレプリカの柱ですが、どうせここまで立てたのならもう少し造ったらどうなのかと考えさせられます。
《カイザリア遺跡 ⑥》

最も南には、1960年代に発掘されその後修復された円形競技場があります。
最近では野外コンサートなどに利用されているそうですが、懸命の修復の甲斐あってか妙に新しい感じで、遺跡という雰囲気はほとんど残っていないのが残念です。
《マサダ ①》【世界遺産】

ところ変わって、こちらはエルサレムの約100km南、車で2時間弱の死海の畔にある古代要塞、Masada です。

因みに、マサダとはヘブライ語で要塞の意味だそうです。
《マサダ ②》【世界遺産】

死海からの高さ約400mある岩山の山頂に、紀元前100年頃に造られた要塞跡が広がっています。
《マサダ ③》【世界遺産】

西暦70年、ローマ軍の攻撃を受けてエルサレムを明け渡したユダヤ人はこの天然の地形を利用して築造された要塞に約1,000人が逃げ込んで籠城して抵抗しましましたが、3年後の西暦73年に陥落し、その後1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ民族は長い離散の歴史を歩むことになった、ユダヤ人にとっては忘れられない場所とされています。
《マサダ ④》【世界遺産】

現在でもイスラエル軍の入隊宣誓式はここで行なわれ、「ノー・モア・マサダ」(もちろんヘブライ語ですが)という言葉で締めくくられるのだそうです。
《マサダ ⑤》【世界遺産】

難攻不落と言われたこの堅牢な要塞も、現在では下界からロープウエイが通じていて、比較的容易に攻略することができるようになりました。(ただ、徒歩で登ると所要1~1.5時間かかるそうです。)
《マサダ ⑥》【世界遺産】

陥落後のマサダはローマ軍により徹底破壊され、長い間その所在が分からなくなっていたそうですが、1838年にドイツ人考古学者によって所在が確認されました。
《マサダ ⑦》【世界遺産】

北の神殿と呼ばれる場所は3段状のテラスになっています。

最上部は展望台になっていて、ここからは死海の眺めが良いと言われています。
《マサダ ⑧》【世界遺産】

右奥に死海が見えます。

随分高いところにいるように見えますが、死海の水面の標高が大体-400mなので、ここはちょうど海抜0mくらいに当たるため、実際は大したことはありません。
《マサダ ⑨》【世界遺産】

北の神殿には古代の列柱の遺構も残っています。
《マサダ ⑩》【世界遺産】

大浴場跡だそうです。
《マサダ ⑪》【世界遺産】

マサダは国立公園となっていますが、2001年にはユネスコの世界遺産にも登録されました。
イスラエル国内(もちろんパレスチナは除きます)では最も世界遺産らしい世界遺産だと思います。
《ラクダ》

マサダ周辺はイスラエル南部に広がるネゲヴ砂漠(Negev Desert)の入口に当たるため非常に乾燥した気候です。
時折ラクダの姿も見られます。
《テル・ベール・シェバの村》

マサダの西約60km、エルサレムからだと南に約100kmに位置する Be'er Sheva の町はこの地方最大の都市ですが、そこから5kmほど東の小さな村 テル・ベール・シェバにある小さな丘は、イスラエルに200以上あるテル(Tel、遺跡丘)の1つです。
《テル・ベール・シェバ ①》【世界遺産】

国内にあるテルのうち、南部の メギド(Megiddo)、ハツォール(Hazor)、ベール・シェバの3か所は、聖書ゆかりの遺丘群として2005年に世界遺産に登録されています。
今回訪れたのはベール・シェバで、紀元前4000年頃からの遺跡が堆積しているとされ、現在地表に現れているのは紀元前10~前7世紀頃のものだそうです。
《テル・ベール・シェバ ②》【世界遺産】

ここの売りは優れた水道施設で、古代ユダヤ時代のものにもかかわらず、町が包囲されたときのことを想定して、深さ17mの縦穴の下に700kℓの貯水槽が設置されているのです。
《マムシト国立公園 ①》【世界遺産】

ベール・シェバの南西約50kmに位置する Mamshit は、紀元前3世紀頃から栄えたネゲヴ砂漠の香料交易路沿いの町で、同交易路沿いの アヴダット(Avdat)、シヴタ(Shivta)、ハルザ(Haluza)と共に「香料の道-ネゲヴ砂漠都市」というタイトルで2005年に世界遺産に登録されました。
《マムシト国立公園 ②》【世界遺産】

他の3つの町と比較して遺跡としての保存状態が非常に良く、天井を支えるアーチなども原形を留めています。
《マムシト国立公園 ③》【世界遺産】

こちらは教会跡です。
《マムシト国立公園 ④》【世界遺産】

教会の建物内部の床にあったフレスコ画も、現在は屋根が失くなっているにもかかわらずきれいに残っています。
《死海 ①》

イスラエル南西部のヨルダンとの国境地帯に広がる死海は先述したように水面の標高がマイナス400m以上と、世界一標高が低い塩水湖です。
《死海 ②》

また、死海は塩分濃度が非常に高く、含有量は通常の海水の約10倍の33%もあるため、浮かびながら本や雑誌が読めることでも有名です。
《死海 ③》

そのため湖畔には多くのリゾートホテルが建ち並んでいます。

比較的ポピュラーなのはヨルダン側ですが、こちらのイスラエル側にも所々で営業しています。
《死海 ④》

湖畔にはリゾートホテルだけでなく、豊富なミネラルを含んだ水を利用するための工場もいくつか見られます。

写真のこちらは、塩関連の施設かと思いましたがマグネシウムの精製施設でした。
《死海 ⑤》

イスラエルは物価が非常に高くシャバットなど変わった風習もあって旅行者には過ごしにくい国ですが、異文化を体験するという意味では有意義な体験ができると思います。
治安に関しては、一般の人の印象とは違い(有事を除いては)滅茶苦茶良好ですので、安全のための出費は厭わないという方にもお薦めの国です。


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