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旅の写真集  イスラエル国(前編)HEADLINE

イスラエル観光の旅行記を兼ねた写真集(前編)です。ここでは、イスラエルが自身で首都と主張しているエルサレムと実質的な首都であるテルアビブをご紹介します。

*エルサレムの旧市街は東エルサレムに位置しており、国連に加盟している多くの国が認めるパレスチナ固有の領土です。ただし、現在はイスラエルが占領、実効支配しておりイスラエルの領土としての色彩が強くなってしまっているため、ここではエルサレム旧市街(近郊のオリーブ山周辺も含む)はイスラエルのページ内でご紹介させていただくことにしました。悪しからずご了承下さい。

《エルサレム新市街 ①》

イスラエルが首都と主張する Jerusalem は、約50km離れたテルアビブ(Tel Aviv)近郊のベン・グリオン空港から乗合路線タクシーで約1時間と便は悪くありませんが、イスラエルはどこも何でもそうですが、約2,000円と意外に高額なのに早速驚かされます。

旧市街自体はそれほど広くはありませんが、2011年に完成した写真のLRT(ライトレール)は新市街と旧市街を結んでいるので便利です。
《エルサレム新市街 ②》

新市街には落ち着いた商店街などもあって、後ほどご紹介する旧市街とは雰囲気が随分違います。
《エルサレム新市街 ③》

私が最初に宿泊したのは旧市街の西の入口であるヤッフォ門(Jaffa Gate)から1kmほど西のホステルでしたが、途中にはお洒落なブランド・ショップや土産物店が並ぶマミラ・モール(Mamila Mall)があり、比較的飽きずに歩くことができました。
《エルサレム新市街 ④》

マミラ・モールの途中から見た新市街の様子です。

中東と西欧がコラボしたような美しい建物が建ち並んでいます。
《旧市街の城壁》【世界遺産】

約1k㎡ある旧市街は、ご覧のような城壁に囲まれています。

中央に立つのがダビデの塔(Tower of David)です。
《ヤッフォ門 ①》【世界遺産】

旧市街の城壁には8つの門があります(そのうちもともとあったのは6つ)が、ダビデの塔の脇にあるのがヤッフォ門です。

テルアビブ近郊にある港町ヤッフォから水揚げされた荷物がここを通って運ばれていたことからこの名が付きました。
《ヤッフォ門 ②》【世界遺産】

ヤッフォ門のすっぐ隣には、1898年に車が通れる道が整備されました。

8つある門のうちで、ここまで立派な車道を備えた門はここだけです。
《ヤッフォ門 ③》【世界遺産】

新市街とを結ぶメインの入口となっているだけあって人通りも絶えません。
《シタデル》【世界遺産】

ヤッファ門を入って少し歩くと右側にあるのがダビデの塔を擁する Citadel(要塞)です。

エルサレムの城壁は紀元前8世紀末頃から造られ始めたそうですが、その城壁に増改築を繰り返して建てられたのがこの城塞です。

その途中、紀元前37年頃に建てられたのがダビデの塔です。

なお、現在「ダビデの塔」というと、塔単体同様、シタデル全体を指す場合もあるので注意が必要です。
《ダビデの塔から見た岩のドーム》【世界遺産】

ダビデの塔からは、500mほど東に建つ岩のドーム(Dome of the Rock)を望むこともできます。
《旧市街の路地 ①》

ダビデの塔から先、旧市街を進むと両側には様々な店が軒を連ねています。

なお、エルサレム旧市街の約220もの歴史的建造物は、ヨルダンからの申請によって「エルサレムの旧市街とその城壁群」というタイトルで1981年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。第3国からの申請による世界遺産の認定は世界的に見てもここだけです。
《旧市街の路地 ②》【世界遺産】

土産物屋も多いですが、地元の人が利用するような商店も並んでいます。
《旧市街の路地 ③》

こちらはカーペットや織物専門店の脇道です。
《旧市街の路地 ④》

あまりにも有名ですが、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地となっています。

このため旧市街は、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、ムスリム地区、アルメニア人地区に分かれていますが、特に敷居などはないため、様々な民族、宗教色の人たちが呉越同舟しています。
《旧市街の路地 ⑤》

「Visit Palestine」関連の商品で勝負している土産物屋もありました。

エルサレムというとイスラエルの印象が強いですが、実際はパレスチナの領土なので、いいお土産になるかもしれません。
《旧市街の路地 ⑥》

路地が入り組んでいて建物も複雑な形状をしているので、なかなか情緒ある雰囲気が感じられます。
《旧市街の路地 ⑦》

中心部に近づくに従って、路地は細くなります。
《旧市街の路地 ⑧》

旧市街にはフレッシュ・フルーツジュースを売っている店が結構あります。

これがとても美味しいのでお薦めです。
《ヴィア・ドロローサ ①》

Via Dolorosa はラテン語で「苦難の(又は悲しみの)道」の意味で、イエスがローマ総督の官邸での裁判で有罪とされてから十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩き息絶えるまでの道で、途中14のキーポイント(ステーションと呼ばれます)があります。

この道は旧市街中心部にあり、毎週金曜日にはフランシスコ派の修道士が十字架を背負って祈祷文を読みながら行進する他、多くのツアーでもこれに倣ってイエスの歩んだ道を辿ります。
《ヴィア・ドロローサ ②》

各ステーションには目印としてエルサレム市によって円形の金属製プレートが埋め込まれています。

ここは、第Ⅰステーションで、現在は El Omariya School という男子校の敷地になっていて中には入れませんが、イエスが死刑判決を受けた場所とされています。
《ヴィア・ドロローサ ③》

第Ⅱステーションは「鞭打ちの教会」の跡です。ここでイエスは十字架を背負わされ、茨の冠を被せられた後、ローマ軍の兵士たちによって鞭で打たれたのだそうです。
《ヴィア・ドロローサ ④》

左側がイエスが十字架の重みに絶えかねて最初に倒れたとされる第Ⅲステーションで、右側が母マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる第Ⅳステーションです。

ここには1881年に「苦悩の母マリア教会」(Chapel of the Fainting)が建てられています。
《ヴィア・ドロローサ ⑤》

第Ⅴステーションからゴルゴダの丘にかけては坂になっている(現在は階段)のですが、ここで田舎から出て来たキレネ人のシモンがイエスの代わりに十字架を背負わされたそうです。
《ヴィア・ドロローサ ⑥》

第Ⅵステーションは、ベロニカという女性が自分の持っていた布でイエスの顔を拭いた場所だそうです。その後、ベロニカはローマ皇帝ティベリウスに招かれてローマへ赴き、皇帝が患っていた難病をこの布を使って癒したとされていて、この布の現物は5世紀以降、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に安置されています(非公開)。
《ヴィア・ドロローサ ⑦》

第Ⅶステーションは、イエスが2度目に倒れたとされる場所です。
《ヴィア・ドロローサ ⑧》

第Ⅷステーションの写真はありませんが、ここはイエスの苦難を見て嘆き悲しむ婦人たちに対してイエスが「エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」と語った場所だそうです。

写真はイエスが3度目倒れたとされる第Ⅸステーションです。
《聖墳墓教会 ①》【世界遺産】

イエスが十字架にかけられ、磔にされたゴルゴダの丘に建つのがキリスト教徒にとって世界で最も重要とされる聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)です。
起源は4世紀の終わりまで遡りますが、その後何度も破壊や再建が繰り返され、現在の形に近くなったのは12世紀半ばとされています。

因みに、写真右の小さな聖堂が、第Ⅹステーションにあたる、イエスが着ていた衣服を剥ぎ取られたとされる場所です。
《聖墳墓教会 ②》【世界遺産】

第XIステーション(十字架に釘付けにされた場所)、第XIIステーション(息を引き取った場所)、第XIIIステーション(マリアが亡骸を受け取った場所)、第XIVステーション(イエスの墓)は、共に聖墳墓教会の内部にあります。

左の写真は、第XIIステーションの上部に設置されたイエスのイコンと像です。
《聖墳墓教会 ③》【世界遺産】

イエスの遺体は十字架から降ろされた後に「塗油の石(Anointing Stone)」と呼ばれる石の上に横たえられた後、香油で清められ亜麻布に包まれ埋葬処置を施されたそうです。

ここが第XIIIステーションになります。
《聖墳墓教会 ④》【世界遺産】

イエス所縁の塗油の石に少しでも触れようと多くの人たちが列を成して順番を待ち、祈りを捧げています。
《聖墳墓教会 ⑤》【世界遺産】

ヴィア・ドロローサの終着点である第XIVステーションに当たるイエスの墓です。
《聖墳墓教会 ⑥》【世界遺産】

イエスの時代にはただの洞穴だったそうですが、今では大理石の立派な建物に覆われ、美しく装飾されています。
《聖墳墓教会 ⑦》【世界遺産】

天井には「全能者ハリストス(キリスト)」を表わす非常に美しいイコンが描かれています。
《旧市街の路地 ⑨》

イエスの悲しい足跡を辿った後は、当てもなく旧市街を散策してみます。
《旧市街の路地 ⑩》

観光客でごった返す通りも多いですが、ちょっと脇道に入ると人影もまばらでのどこな雰囲気に包まれています。
《旧市街の路地 ⑪》

外敵の侵入に備えるためだったのか、やたらと壁が高い建物も目立ちます。
《旧市街の路地 ⑫》

建物を潜り抜けるトンネルや階段、高い壁など路地の風景は変化に富んでいます。
《旧市街の路地 ⑬》

前述のように、エルサレムは3つの宗教の聖地として古くから争いが続いていますが、そのような背景を知らなければ、道行く人々を見ている限り(少なくとも見かけ上は)至って平和に見えます。
《旧市街の路地 ⑭》

道行く人々の服装も様々です。
  《旧市街の遺跡》

歴史のある町だけあって旧市街には遺跡らしきものも時々見られますが、他の中東諸国ほどではありません。
《ダマスカス門 ①》【世界遺産】

8つある城門の中でいつも最も賑わっているのが旧市街の北の玄関口 Damascus Gate です。

門の内側には生鮮食料品を売る小さな商店が軒を連ねています。
《ダマスカス門 ②》【世界遺産】

地元のヘブライ語ではシェケム(Šəḵem、現在のパレスチナ自治区のナーブルス)に続く道ということでシェケム門とも呼ばれているそうですが、ここから北へ向かう街道は遙かシリアのダマスカスとを結ぶ交易路として栄えていたことからこの名が付けられました。
《ダマスカス門 ③》【世界遺産】

そんなダマスカス門を眺めるテラスで休憩していたら、門番の兵士が怪しい(と思われる)人物を取り囲んで尋問していました。

結局その人物は公衆の面前で入念に身体検査をさせられた挙句無事解放されましたが、イスラエルではこのような光景は結構日常茶飯事です。

そのため、我々日本人のイメージとは違い、治安は異常に良いです。
《オリーブ山から見た旧市街 ①》【世界遺産】

旧市街の東に位置する Mount of Olives からの旧市街の眺めはエルサレムを代表する景色ということで、ダマスカス門の近くから75番のバス(約150円、所要約15分)に乗って出かけました。
《オリーブ山から見た旧市街 ②》【世界遺産】

中央に見えるのがエルサレムのシンボルとも言える岩のドームです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教にとってそれぞれ異なった意味で重要な「聖なる岩」(Foundation Stone)を取り囲む形で西暦691年にウマイヤ朝のカリフによって建てられたドームは、イスラム教徒にとってメッカのカーバ神殿、メディナの預言者のモスクに次ぐ第3の聖地となっています。
《オリーブ山から見た旧市街 ③》【世界遺産】

3宗教間のエルサレムの権利関係は複雑ですが、岩のドームのある場所は神殿の丘と呼ばれ、現在はイスラム教徒の管理下にあり、南西の壁の外側の一部(左の写真ではドームの奥やや中央寄り)だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にあります。
《オリーブ山》

オリーブ山からの帰途にはいくつかの教会が建ち並んでいます。

左下に見えるファサードのモザイク画が美しい建物が万国民の教会(Church of All Nations)、右上がマグダレーヌのマリア教会(Church of Mary Magdalene)です。
《ユダヤ人地区から見た岩のドーム》【世界遺産】

旧市街南西のユダヤ人地区にあるビューポイントから見た岩のドームです。
《岩のドームと嘆きの壁 ①》【世界遺産】

先述のとおり、神殿の丘の南西部分にはユダヤ教徒にとっての最高の聖地とされている嘆きの壁(Western Wall)があります。
《岩のドームと嘆きの壁 ②》【世界遺産】

この壁は、もともとはヘロデ王時代(紀元前1世紀)に増築されたユダヤ教で最も神聖な建物であったエルサレム神殿の西側の外壁の一部で、全長約490m(うち地上部分は57mあり、壁の前が礼拝の場所になっています。

因みに左の写真で歩道橋のように見える構造物は神殿の丘への歩行者用通路です。
《嘆きの壁 ①》【世界遺産】

壁の地上部分はパーテーションで仕切られており、壁に向かって左側が男性用、右側が女性用となっています。
《嘆きの壁 ②》【世界遺産】

左の写真で奥に見える入口はウィルソン・アーチ(Wilson's Arch)と呼ばれる屋内の祈祷所への入口です。
《嘆きの壁 ③》【世界遺産】

多くのユダヤ教徒が熱心に祈りを捧げていますが、他宗教の一般人でも入場することができます(入場料は無料)。
《ユダヤ教徒の男性》

黒のシルクハットに上下黒のスーツ、もじゃもじゃの髭というのがユダヤ人の正装です。
《嘆きの壁 ④》【世界遺産】

こちらが男性用の礼拝場所です。
《嘆きの壁 ⑤》【世界遺産】

女性用の礼拝スペースは男性用に比べると狭い(短い)ですが、壁に面している点では平等です。
《嘆きの壁 ⑥》【世界遺産】

ウィルソン・アーチから入った奥にある祈祷所は男性専用です。
《嘆きの壁 ⑦》【世界遺産】

これらの敷地内では、ユダヤ教の安息日である金曜日の日没から土曜日の夕方まで(シャバット、Sabbath)と祝日以外であれば、写真撮影も自由です。
《神殿の丘》【世界遺産】

嘆きの壁の次は、先ほどご紹介した歩道橋を渡って神殿の丘を訪れました。

ここも厳しい保安検査はあるものの入場は無料です。
《岩のドーム》【世界遺産】

イスラム教のモスクの典型のようなデザインですが、先述のとおりこのドームは神聖な岩を覆った記念堂であり、礼拝所ではありません。

また、外部の装飾は16世紀半ばに貼り直されたもので、かつては樹木や草花、建物を画いたガラス・モザイクだったそうです。
《アル・アクサー・モスク》【世界遺産】

一方、同じ神殿の丘の敷地内にある Al-Aqsa Mosque はイスラムの最初期に建てられた由緒あるモスクで、当初は現在のカーバ神殿以前のイスラム教の最高聖地とされており、最初キブラ(ムスリムが礼拝を行なう方向)はここの方向に定められ西暦624年にカーバ神殿に変更されたという経緯があるほどの権威あるモスクなのです。
《神殿の丘から見たオリーブ山》

オリーブ山から神殿の丘がよく見えるということは、逆に言えば神殿の丘からオリーブ山もよく見えます。
《エルサレムの子供たち》

当然のことながら神殿の丘は地元の子供たちにとっても重要な場所のようで、ボディーガードのような出で立ちのユダヤ人保育士に連れられて社会科見学に訪れていました。
《エルサレムの若者》

一方こちらは普通の若者です。服装は正装でしたが、煙草を吸ったり(エルサレムでは路上喫煙禁止)、奥の白いシャツの少年を虐めたりと、あまり気持ちの良い輩ではありませんでした。

どこにでも不遜な態度の若者というのはいるようです。
《テルアビブ旧市街 ①》

テルアビブ中心部の南にある地中海沿いの港町ヤッフォはテルアビブの新市街を望む歴史ある町です。

中でもオールド・ヤッフォ(Old Jaffa)は、散策するにはもってこいのお洒落な雰囲気のエリアです。
《テルアビブ旧市街 ②》

そんなヤッフォの中心部に建つ美しい建物が18世紀から19世紀にかけて建てられたジャーマ・アル・マフムディーヤ(Al-Mahmudiya Mosque)です。
《テルアビブ旧市街 ③》

生憎、ムスリム以外は入場することはできませんが、周囲はイスラミックな雰囲気に包まれています。
《テルアビブ旧市街 ④》

ジャーマ・アル・マフムディーヤの東200mほどの海岸沿いにはもう一つジャーマ・アル・バフル(Al-Bahr Mosque、海のモスクの意)というモスクが建っています。

16世紀に建てられたヤッフォで最も古いモスクだそうです。
《テルアビブ旧市街 ⑤》

海岸沿いに並ぶ建物もお洒落な感じです。
《ヤッフォから見るテルアビブ中心部 ①》

この辺りからは約3km北のテルアビブ新市街の高層ビル群がよく見えます。
《ヤッフォから見るテルアビブ中心部 ②》

イスラエルはエルサレムが自国の首都と言い張っていますが、国際的にはほとんど認められていないため、日本を含む各国はテルアビブに大使館を構えており、ここが事実上の首都となっています。
《テルアビブ旧市街 ⑥》

ジャーマ・アル・バフルは小高い丘になっていて、海岸沿いからは雰囲気のある細い階段を登ってアクセスできます。
《テルアビブ旧市街 ⑦》

アラビアンな感じの路地です。
《テルアビブ旧市街 ⑧》

頂上には1654年創建の聖ペテロ教会(St. Peter's Church)が建っています。
《テルアビブ旧市街 ⑨》

その隣には謎のキャラクターで溢れかえる池が人々の視線を集めていました。
《夕暮れのテルアビブ》

ヤッフォ地区は以前はスラムが多く治安はあまり良くなかったそうですが、近年では国内の他の都市同様、暗くなってからでも問題なく外を歩くことができるようになりました。

後編では、北部の町、ティベリヤ、ナザレ、アッコー、ハイファ、マサダ国立公園などをご紹介します。

イスラエルの写真集(後編)へ進む。

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