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旅の写真集  ギリシャ共和国(前編)HEADLINE

ギリシャ観光の旅行記を兼ねた写真集(前編)です。ここでは、ギリシャ北西部に浮かぶコルフ島から本土に渡り、メテオラ、テッサロニキ、デルフィを経て、首都アテネに向かう世界遺産尽しの旅をご紹介します。

《ケルキラ島 ①》

ギリシャには美しい島々が多数ありますが、そのほとんどはエーゲ海に集中しています。

そんな中、ギリシャで最も美しい島の一つとも呼ばれる Kerkyra(島)はギリシャ北西部のアルバニア国境に近いイオニア海に浮かんでいます。
《ケルキラ島 ②》

また、イオニア海を挟んで西約100kmにはイタリア(かかとの部分)が迫っていてフェリーなど交通の便も良いので、イタリア語の Corfu(島)という呼び名も使われています。(どちらかというとこちらの方が一般的なようです。)
《パレオ・フルリオ ①》

島の呼び名は2つありますが、中心都市はケルキラで統一されていてコルフとは呼ばれません。

一方で、旧市街には要塞が2つ建っています。

町の東、海にせり出して聳え立つのが Palaio Frourio(旧要塞の意)です。
《パレオ・フルリオ ②》

この要塞は、もともと8世紀初頭のビザンチン帝国時代に築造されたものが、その後、オスマン・トルコの脅威に備えるために増改築が繰り返され、現在の形になったのは16世紀になってからのことだそうです。
《パレオ・フルリオ ③》

そんな訳で、要塞は広い堀に囲まれています。
《パレオ・フルリオ ④》

橋を渡って内部に入るとまず目に付くのは時計塔です。

ベネツィア様式ですが、何となくアラブの雰囲気を感じさせるデザインです。
《パレオ・フルリオ ⑤》

この要塞の頂上から見る旧市街の景色は素晴らしいということなので、最も高台にある灯台前の展望台を目指します。
《パレオ・フルリオから見た旧市街 ①》【世界遺産】

これが旧市街の様子です。
《パレオ・フルリオから見た旧市街 ②》【世界遺産】

奥に見えるのはもう一つの要塞、Neo Frourio(新要塞)です。
《パレオ・フルリオから見た旧市街 ③》

南の方角には美しい海岸線が見えます。

コルフ島は美しいビーチが多く存在することでも有名です。
《ケルキラ旧市街 ①》【世界遺産】

要塞から町の概要を掴んだ後は旧市街を歩いてみます。

イタリアが近く、アドリア海の入り口という戦略上重要な場所に位置していたことから、コルフ島は古来からローマ帝国、ノルマン王国(現シチリア島)、ベネツィア帝国などの支配を入れ替わり受けてきたこともあって、路地の雰囲気はイタリアに似ています。
《ケルキラ旧市街 ②》【世界遺産】

その後19世紀にはイギリスの支配下となったこともあって、そのころ建造された建物とイタリア風の建物が美しく調和していることなどが評価され、この旧市街は2007年にユネスコの世界遺産に登録されました。

写真は、旧市街の中心に建つ16世紀終わりに建てられた聖スピリドン教会(Agios Spyridon)です。
《ネオ・フルリオから見た旧市街 ①》【世界遺産】

ちょうど日が西に傾いてきた頃に新要塞に登頂しました。

16世紀後半に建てられたベネツィア様式の要塞ですが、旧要塞に比べると比較的新しいので新要塞と呼ばれています。
《ネオ・フルリオから見た旧市街 ②》【世界遺産】

光の具合がちょうど良いのでカラフルな街並みが映えて見えます。
《ネオ・フルリオから見た旧市街 ③》【世界遺産】

旧市街の多くの路地は狭く折れ曲がっていて、ベネツィアの街並みに似ているのがわかります。
《ネオ・フルリオから見た旧市街 ④》【世界遺産】

正面に当たる真東には、先ほど訪れた旧要塞が見えます。
《ネオ・フルリオから見た旧市街 ⑤》【世界遺産】

奥に見えるのはギリシャ本土です。

《ネオ・フルリオから見た旧市街 ⑥》【世界遺産】

更に左はアルバニアになります。
《ネオ・フルリオから見た旧市街 ⑥》【世界遺産】

アルバニアとは最も狭いところで2km足らずの海峡を挟んでいるだけなので、フェリーも運航されています。

ケルキラの港からはこの他にギリシャ本土とを結ぶフェリーもありますが、地理的には首都アテネよりイタリアの方が近いので、多くのイタリア人観光客が船で訪れます。
《カノニ ①》

ケルキラの町の約5km南にある Kanoni は、コルフ島を訪れる観光客が必ず立ち寄るほどの小さな名所です。
《カノニ ②》

ヴラヘルナ修道院(Vlacherna Monastery)は、桟橋を渡った小さな島に建つ小さな教会です。
《カノニ ③》

その奥に浮かぶのがネズミ島(Pondikonisi)です。

確かにネズミに少し似ているこの島は、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」にに登場するほど古くからある由緒ある島なのです。

なお、すぐ近くにはコルフ空港があるため、この辺りは飛行機の離発着を見物する人にも人気のスポットとなっています。
《カノニ ④》

ネズミ島にあるネズミ教会(Pondikonisi Monastery)です。

島には小さな土産物屋が併設されたこの本当に小さな教会しかありませんが、ホメロスの世界に惹かれてか、毎日多くのツアー客が訪れます。
《カノニ ⑤》

この島には先ほどの桟橋からご覧の様なボートで渡ります。

チャーターではなく約30分おきに出ているので、せっかくここまで来たらついでに立ち寄ってみるのがいいと思います。
《ギリシャ本土行きフェリー》

対岸の町イグメニッツァ(Igoumenitsa)へは2~3時間おきに出ているフェリーで1時間半の距離です。

この日は、中北部の町メテオラ(Meteora)に向かうため、朝8時過ぎの便での移動です。
《フェリーから見たケルキラ ①》

港を出ると市街地に沿って旧要塞の沖を進みます。
《フェリーから見たケルキラ ②》

要塞は朝日に照らされて輝いていました。
《フェリーから見たケルキラ ③》

何てことのない町の景色も光の具合で随分美しく見えます。
《メテオラ ①》【世界遺産】

朝ケルキラを出てフェリーとバスを乗り継いでメテオラ観光の拠点となるカランバカ(Kalambaka)に着いたのは午後5時になってしまいました。
《メテオラ ②》【世界遺産】

メテオラは平原に突き出る奇岩群の景観だけでも珍しい上に、それらの頂上にはいくつもの修道院が建つという世界でも稀に見る奇観が有名なギリシャ北部の主要な観光スポットの一つです。
《メテオラ ③》【世界遺産】

なお、メテオラとは、ギリシャ語で「中空の」を意味する「メテオロス」に由来するということで、カランバカの町の中心部からも天空に聳える修道院を垣間見ることができます。
《メガロ・メテオロン修道院 ①》【世界遺産】

そんな訳で、翌日は1日かけてこれらの修道院を回りました。
《メガロ・メテオロン修道院 ②》【世界遺産】

まず訪れたのは Megalo Meteoro Monastery です。

カランバカの町からこの修道院の近くの駐車場までを結ぶバスに乗り、その後は徒歩で各修道院間を移動するのが一般的です。
《メガロ・メテオロン修道院 ③》【世界遺産】

メガロ・メテオロン修道院の駐車場からは、バリアフリーという概念が導入される以前に造られた、断崖絶壁を伝う階段を登ってアクセスします。

この修道院はメテオラで最初に奇岩の頂上に造られたもので、規模も最大だったためメテオラの全修道院を統括するようになり、メタモルフォシス修道院(Metamorfosis Monastery)という本名があるにもかかわらず、大メテオラという意味のメガロ・メテオロンという名称で呼ばれるようになりました。
《メガロ・メテオロン修道院 ④》【世界遺産】

修道院とはいうものの、まるで要塞のような佇まいです。

ケルキラの要塞よりも防御能力は高そうです。
《メガロ・メテオロン修道院 ⑤》【世界遺産】

苦労して内部に入ると、天空の修道院とは思えない落ち着いた雰囲気に満ち溢れています。
《メガロ・メテオロン修道院 ①》【世界遺産】

修道院からは、麓に広がるカストラキ(Kastraki、カランバカの隣)の村が見渡せます。
《ヴァルラーム修道院 ①》【世界遺産】

次に向かったのは Varlaam Monastery です。
《ヴァルラーム修道院 ②》【世界遺産】

こちらも、メガロ・メテオロンに負けず劣らず険しい岩山の頂上に建てられています。
《ヴァルラーム修道院 ③》【世界遺産】

メテオラでは9世紀頃から奇岩の麓や洞窟で、ギリシャ正教の修道士たちが隠遁生活を始めていたそうですが、岩山の頂上に修道院が建てられるようになったのは14世紀以降のことだそうです。
《ルサヌ修道院 ①》【世界遺産】

最盛期の15~16世紀にはその数は24もあったそうですが、現在では前述のとおり6つの修道院のみが活動中です。

写真はヴァルラーム修道院の近くから見た Roussanou Monastery です。
《ヴァルラーム修道院 ④》【世界遺産】

逆にルサヌ修道院近くから見たヴァルラーム修道院です。

難攻不落感が全面に押し出され得ています。
《ヴァルラーム修道院 ⑤》【世界遺産】

日本の隠れキリシタンも正々堂々とこのように構えていたらよかったろうにと思わないでもありませんが、ここで修道生活を送っていた人たちは隠れるのが主な目的だった訳ではなく(大体地上から丸見えだし)、より神に近い場所を求めてこのような場所を選んだのだそうです。
《ルサヌ修道院 ②》【世界遺産】

比較的低い岩山の頂上に建っているルサヌ修道院は1545年創立で、現在は女子修道院となっています。
《メテオラ ④》【世界遺産】

修道院が無くても珍しい景観です。

ユネスコの世界遺産は通常、文化遺産と自然遺産に別れますが、ここメテオラは両面が評価され、1988年に文化・自然複合遺産として登録されています。
《アギオス・ニコラオス修道院 ①》【世界遺産】

Agios Nikolaos Monastery もルサヌ修道院同様比較的小さな建物ですが、14世紀創建と、現存するメテオラの修道院の中では古い部類に入ります。
《修道院群》【世界遺産】

よく見づらいですが右奥からメガロ・メテオロン、ヴァルラーム、左下に下がってルサヌ、その左に小さく見えるのがアギオス・ニコラオス修道院 です。
《ルサヌ修道院 ④》【世界遺産】

上の写真と同じ場所、先ほどと反対方向から見たルサヌ修道院です。見る角度によって全く趣が異なります。
《アギア・トリアダ修道院 ①》【世界遺産】

岩山の間からはカランバカの街並みが見えます。

左側の岩山の上に建つのは Agia Triada Monastery です。
《アギア・トリアダ修道院 ②》【世界遺産】

1475年に建てられたこの修道院は、全面がほぼ垂直な岩山の上に建っています。
《アギア・トリアダ修道院 ③》【世界遺産】

そのため、メテオラを象徴する景色として、写真集や絵はがきなどに最もよく登場する修道院となっています。
《カランバカの町 ①》

アギア・トリアダ修道院付近から見たカランバカの街並みです。

白壁に赤いレンガの屋根と、地中海沿岸の南ヨーロッパ特有の建物が建ち並んでいます。
《アギオス・ステファノス修道院 ①》【世界遺産】

メテオラの修道院群の中で最も東に位置する Agios Stefanos Monastery は、メテオラの他の修道院とは違って、ある意味最も修道院らしい佇まいをした立派な建物です。
《アギオス・ステファノス修道院 ②》【世界遺産】

ルサヌ修道院同様、女子修道院となっています。
《アギオス・ステファノス修道院 ③》【世界遺産】

だからという訳ではないでしょうが、内部は手入れが行き届いていてとても綺麗です。
《カランバカの町 ②》

アギア・トリアダ修道院近くからもよく見えましたが、カランバカの眺めはアギオス・ステファノス修道院からのものが最も素晴らしいとされています。
《カランバカへの帰路 ①》【世界遺産】

6つの修道院を見学した後は、アギア・トリアダ修道院の脇からカランバカへ通じるトレッキングコースを降りるのが一般的なルートです。
《カランバカへの帰路 ②》【世界遺産】

岩山の間を抜ける小径が続きますが、下りだし特に傾斜がきつい場所もほとんどありませんので、周りの風景を楽しみながら楽に進むことができます。
《メテオラ ⑤》【世界遺産】

メテオラは、ざっと見て回るだけであればアテネから日帰りで往復することもできないわけではありませんが、普通に6つの修道院を回るのであれば、前日にはカランバカ(あるいはカストラキ)に到着し、朝から観光するのが妥当です。
急げばその日のうちにアテネに戻ることはできるので1泊でも可能ですが、個人的には2泊しないとちょっと忙しいと思います。
《テッサロニキ ①》

メテオラの次に訪れたのは、北部最大、ギリシャ国内でも首都アテネに次ぐ第2の都市 Thessaloniki です。

カランバカからは電車で約3時間で到着しました。
《テッサロニキ ②》

港に建つホワイト・タワーは15世紀にベネツィア人が築いた城壁の一部だそうですが、現在では町のシンボルの一つとなっています。
《テッサロニキ ③》

ホワイト・タワーの内部自体には特に見るべきものはありませんが、頂上の展望台からはテッサロニキの海岸沿いに建つビル群などが眼下に望めるので登ってみる価値はないこともないと思います。
《テッサロニキ ④》【世界遺産】

そんな大都市テッサロニキですが、市内にはローマ帝国及び東ローマ帝国の時代に建設された建築物やモザイクなどがいくつも残されており、「テッサロニーキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群」というタイトルで、15の構造物が1988年にユネスコの世界遺産に登録されています。

写真はその中の一つで11世紀に建てられたパナギア・ハルケオン教会(Panagia Chalkeon)です。
《テッサロニキ ⑤》【世界遺産】

こちらも世界遺産のアギオス・ディミトリオス教会(Agios Dimitrios)です。
《テッサロニキ ⑥》【世界遺産】

アギオス・ディミトリオス教会の内部です。

ギリシャ最大の教会だそうです。
《テッサロニキ ⑦》【世界遺産】

こちらは、西暦306年に建てられたというロトンダ(Rotonda)です。

もともとは当時の皇帝の霊廟として建てられたものが、約100年後の西暦400年にキリスト教の教会に改造され、オスマン・トルコの時代にはモスクとして使われていたこともあることから左に見えるようなミナレットも残されています。
《テッサロニキ ⑧》【世界遺産】

303年に建てられたというガレリウスの凱旋門(Arch of Galerius)です。

とても歴史のある建造物ですが、世界遺産には含まれていないようです。
《テッサロニキ ⑨》【世界遺産】

聖ソフィア教会(Agia Sofia)は、8世紀終わりの東ローマ(ビザンチン)帝国時代に建てられた数少ない教会のひとつで、ギリシャではこの時代に建設されたもので唯一残る建築物だそうです。
《テッサロニキ ⑩》

ホワイト・タワーから2kmほど丘に向かって歩くとビザンチン時代の城壁に突き当たります。

城壁自体も世界遺産なので十分見応えはありますが、この辺りから見るテッサロニキの街の眺めもそれに勝るとも劣りません。
《テッサロニキ ⑪》

テッサロニキの観光を終えると列車でアテネに向かいます。

東京~大阪間に匹敵する約500kmも離れていますが、ギリシャを代表する主要都市間だけあって列車も1日10本近く出ていて移動時間も約5時間と意外と早く着きます。
《デルフィ ①》

アテネで一泊すると、そのままアテネから約160km西に位置する古代ギリシャの聖地 Delphi に向かいました。
《デルフィ ②》

かつては宗教の中心地として栄えたデルフィですが、現在では中心部を東西に走る一本の目抜き通り(上の写真)から南北の斜面に階段状の通路が数本延びているだけのこぢんまりとした町(というか村に近い)です。
《デルフィ ③》

観光地の割には人通りが少ないですが、アテネからバスで片道約3時間と、日帰り圏内であるために多くの人がこの町に泊らずに帰ってしまう、更に言えば町に立ち寄ることすらなく、町から約600m離れた遺跡だけ観て帰ってしまうことによるのかもしれません。
《デルフィ遺跡 ①》【世界遺産】

紀元前6世紀頃に最盛期を迎えた「デルフィの信託」で有名なデルフィ遺跡ですが、規模はあまり大きくありません。
《デルフィ遺跡 ②》【世界遺産】

アテネ人の宝物庫(Athenian Treasury)は、アテネがマラトンの戦いでペルシア軍に勝利した感謝の印としてアポロン神に捧げた宝物庫だそうです。
《デルフィ遺跡 ③》【世界遺産】

遺跡の中央に位置するのがアポロン神殿(Temple of Apollon)です。
《デルフィ遺跡 ④》【世界遺産】

神殿は長さ約60m、幅約23mで、38本の列柱に支えられていましたが、現在残っている柱は6本だけとなっています。
《デルフィ遺跡 ⑤》【世界遺産】

最深部には古代劇場(Theater)が残っています。

デルフィでは現在のオリンピックのようなスポーツ大会や演劇祭も盛んだったのだそうです。
《デルフィ遺跡 ⑥》【世界遺産】

メインの遺跡の500mほど西にあるアテナの聖域(Sanctuary of Athena)にはトロス(Tholos)と呼ばれる円形神殿の跡が残っています。

これらデルフィの遺跡群は1987年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
《アテネ中心部 ①》

アテネは世界でも最も古い都市の一つで約3,400年の歴史があるそうですが、最近では特に市街地中心部はお洒落になって、普通の西欧諸国の大都市と変わらない様相です。
《アテネ中心部 ②》

とはいうものの、市街地開発をしようとして地面を掘ると次々と遺跡が出て来てしまうので、遅々として社会資本整備が進まないという課題も抱えています。
《アテネ中心部 ③》

特に中心部には古代遺跡が密集していて、繁華街のすぐ隣に重要な遺跡が何気なく建っているというような状況です。

写真はアドリアヌスの図書館(Library of Hadrian)と呼ばれる2世紀頃に建てられた図書館の壁です。
《アテネ中心部 ④》

古代アゴラ(Ancient Agora)と呼ばれるエリアに建つヘファイストス神殿(Temple of Hephaestus)です。パルテノン神殿に似ていますが、あちらが宗教的な中心地であるのに対してアゴラは人々が集まる集会場や市場の広がるエリアでした。
《アテネ中心部 ⑤》

どこまでがレプリカで、どこまで本気でずれているのかわかりませんが、オリジナルの神殿は紀元前5世紀終わりに完成したという年代物です。
《アテネ中心部 ⑥》

古代アゴラに隣接するローマン・アゴラ(Roman Agora)は、もうちょっと新しいローマ時代初期(紀元前1世紀~紀元後2世紀)のアゴラの遺跡です。
《アテネ中心部 ⑦》

アギオス・エレフテリオス教会(Church of Agios Eleftherios)は、12世紀に建てられたビザンチン様式の教会です。
《アテネ中心部 ⑧》

アクロポリスの丘の麓付近から見た古代アゴラ全景です。
左奥の方にヘファイストス神殿が見えます。
《アクロポリス遺跡 ①》【世界遺産】

ほぼ同じ場所から振り返って仰ぎ見た Acropolis です。

これまでご紹介したようにアテネには古き良き遺跡が数多くありますが、アクロポリス遺跡だけが1987年に世界遺産に登録されています。
《アクロポリス遺跡 ②》【世界遺産】

アクロポリスの麓にあるヘロデス・アッティコス音楽堂(Odeon of Herodes Atticus)です。西暦161年築造だそうです。
《アクロポリス遺跡 ③》【世界遺産】

プロピレア(Propylaia)と呼ばれる前門です。

人が多いのは仕方がないにしても、工事中だらけなのはちょっと興醒めです。
《アクロポリス遺跡 ④》【世界遺産】

内側から見たプロピレアです。
《アクロポリス遺跡 ⑤》【世界遺産】

プロピレアを抜けるとパルテノン神殿本殿が目に飛び込んできます。

ただ、前面に全面的に工作機械が据えられているのが何とも言えないほど残念です。

今回23年ぶりに訪れたのですが、23年前もここまでではありませんが、やはり大々的に工事中でした。
《アクロポリス遺跡 ⑥》【世界遺産】

本殿に向かって左側には紀元前408年に完成したとされるイオニア式神殿のエレクティオン(Erechtheion)と呼ばれる建物が建っています。
ここに設置された頭で屋根を支える6体の乙女像はパルテノンの本殿と同じくらい有名ですが、残念ながらここにあるのはレプリカで、オリジナルは麓にある新アクロポリス博物館(5体のみ。残る1体は大英博物館)に展示されています。
《アクロポリス遺跡 ⑦》【世界遺産】

裏側から見たパルテノン神殿です。
正面からよりはよほどましですが、それでも随分いろいろなものがちらかっているのが目に付きます。

なお、パルテノン神殿が現在のような形になったのは紀元前5世紀頃のことだそうです。その頃の姿に戻そうと30年以上も工事を続けていることになりますが、最初から作り直した方が早いような気さえします。
《アテネ中心部 ⑨》

アクロポリスの丘はもちろんそれ自体が素晴らしい場所なのですが、高いところにあるだけあって、ここから見るアテネ市街の景色もまた格別です。

左の写真は、ゼウス神殿と呼ばれる遺跡です。
《アテネ中心部 ⑩》

東の方角にはリカヴィトスの丘(Lykavittos Hill)が見えます。

この丘はアテネで最も高い丘で、アクロポリスの丘からエーゲ海まで見渡せるため、地元の人にも人気のスポットです。
《アクロポリス遺跡 ⑧》【世界遺産】

アクロポリスの丘の南東の麓にはギリシャ最古の劇場ディオニソス劇場(Theatre of Dionysus)があります。
《アクロポリス遺跡 ⑨》【世界遺産】

この石造りの劇場は紀元前325年に建設され、14,000人から17,000人の観客を収容可能だったそうです。その後劇場は使われなくなり、現在の形になったのは紀元後61年のローマ帝国時代ににネロ帝が修理させた後だそうです。
《アテネ中心部 ⑪》


アクロポリスの丘の麓、アテネ中心部への入口に当たる場所に建つのは、2世紀に建てられた高さ約18mのアドリアヌスの凱旋門(Hadrian’s Arch)です。
《アテネ中心部 ⑫》

そのアドリアヌス門をくぐって進むと、先ほどアクロポリスの丘から見えたゼウス神殿です。
《アテネ中心部 ⑬》

振り返るとパルテノン神殿が見えます。
《アテネ中心部 ⑭》

かつて104本あった柱は現在では15本が残るのみで、デルフィの遺跡同様、中途半端な風情ですが、そこがまた遺跡らしくて悪くはないと思います。
《アクロポリス遺跡 ⑩》【世界遺産】

アクロポリスを挟んでリカヴィトスの丘と反対側に位置するフィロパポスの丘(Filopappos Hill)は、アクロポリスを眺めるには絶好のビューポイントです。

アクロポリスの遠景写真はほとんどがこの丘から撮影されたものです。
《アクロポリス遺跡 ⑪》【世界遺産】

ただ、先ほども述べたように、アクロポリスはいつも工事中で足組の方が目立ってしまっているのが残念です。
《アクロポリス遺跡 ⑫》【世界遺産】

サグラダ・ファミリアの完成より時間がかかりそうです。
《アテネ中心部 ⑮》

アドリアヌス門の北約500mにあるのがアテネの中心とも言われるシンタグマ広場(Syntahma Square)です。

奥には、1842年完成(現在の形になったのは1931年)の国会議事堂が建っています。
《無名戦士の墓 ①》

国会議事堂自体には特に見るべきものはありませんが、その一段下がった手前には1821年から1827年まで続いた独立戦争で犠牲となった兵士達の霊を慰めるために造られた Tomb of the Unknown Soldier があり、ちょっとした見どころとなっています。
《無名戦士の墓 ②》

というのも、この施設の正面部の両側には伝統的な民族衣装に身を包んだ衛兵が立っており、30分ごとに左右の持ち場を交代するセレモニーが行なわれるからです。
《無名戦士の墓 ③》

そうこう言っているうちに始まりました。
《無名戦士の墓 ④》

どこの衛兵の交代式も同様ですが、ただ交代するだけでなく(傍目から見れば)若干大袈裟な振り付けを伴った一種のアトラクションです。
《無名戦士の墓 ⑤》

特にハイタッチをするわけでもなくすれ違いますが、すれ違いざまに両者が重なったところでぴたりと静止します。
《無名戦士の墓 ⑥》

数秒後、何の合図もないのにゼンマイ仕掛けのように二人同時に再起動します。
《無名戦士の墓 ⑦》

そして新たな持ち場に向かうのです。
《無名戦士の墓 ⑧》

30分おきというのはちょっと頻繁すぎるような気もしますが、ただ立っているだけというのは一番疲れる作業の一つなので、観光客向けのアトラクションを兼ねた一石二鳥を狙ったイベントかもしれません。
《無名戦士の墓 ⑨》

さらにご丁寧なことに、衛兵の交代も1時間おきに行なわれます。
《無名戦士の墓 ⑩》

こうして改めて見ると、何だか墓守をしてる時間より交代している時間の方が長いような気もしますが、実際のところそんな感じです。
《無名戦士の墓 ⑪》

新たな衛兵のスタンバイが完了しました。
《無名戦士の墓 ⑫》

1時間頑張った衛兵は、立ち続けだった疲れは顔には出さずに意気揚々と引き上げてきます。
《無名戦士の墓 ⑬》

スーパーバイザーに見守られて楽屋に戻ります。
《無名戦士の墓 ⑭》

まだ歩き続けていますが、前編はこの辺りで終了させて頂きます。

後編ではエーゲ海の美しい島々を訪れますので、ご興味があればそちらもご覧下さい。

なお、以上は2014年訪問時のものですが、ギリシャは1991年にも訪れています。参考までにその変化をご覧下さい。
《1991年のアクロポリス ①》【世界遺産】

フィロパポスの丘からの眺めは変わりません。

修復工事も2014年ほどではありませんが盛んに行なわれています。
《1991年のアクロポリス ②》【世界遺産】

麓から見上げたパルテノン神殿です。
《1991年のアクロポリス ③》【世界遺産】

観光客の数も現在とは比較にならないほど妥当な感じです。
《1991年のアクロポリス ④》【世界遺産】

夕方だったので逆光です。
《1991年のアクロポリス ⑤》【世界遺産】

若干の足組はありますが、許容範囲です。
《1991年のアクロポリス ⑥》【世界遺産】

エレクティオンにはまだ補修の陰は見えません。
《1991年のアクロポリス ⑦》【世界遺産】

美しい乙女達の周りにも障害物はありませんでした。

ギリシャ共和国の写真集(後編)へ進む。

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