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旅の写真集  エルサルバドル共和国HEADLINE

エルサルバドル観光の旅行記を兼ねた写真集です。

《エル・トゥンコの村》

ニカラグアのレオンを夜中の2時に出てシャトルバスで約10時間かけてエルサルバドルの首都サン・サルバドル(San Salvador)の南30kmほどのところにある太平洋岸の村 El Tunco に着きました。結構小さな村ですが、交通の便がよい(中米の主要都市間を結ぶシャトルバスの中継地点であると同時に、サンサルバドル、空港からともに1時間以内)こともあって、多くの若者が集まるツーリスト・ビレッジです。
《エル・トゥンコのメイン・ストリート》

この道は、村の中心部から海岸へ続くエル・トゥンコの目抜き通りです。約100mの短い道路ですが、両側にはレストランやショップなどが軒を連ねていて観光地らしさを醸し出しています。

なお、前の写真にもいましたが、海岸に限らず、多くの欧米人が水着姿のままで村中を歩き回っていて、とても開放的な雰囲気を感じます。
《エル・トゥンコの海岸 ①》

上の写真の通りを真っ直ぐ歩いてきて海岸に突き当たったところにあるのがエル・トゥンコの目印でもあるこの岩です。手前には大きな砂利浜が広がっていてあまり魅力的なビーチとは思えません。
《エル・トゥンコの海岸 ②》

それでも左側(東方向)には、特に美しくはありませんがそれなりの砂浜が見え、海水浴を楽しんでいる人たちも結構います。
《エル・トゥンコの海岸 ③》

ビーチ沿いにはちょっとお洒落めなレストランも数件建ち並んでムードを盛り上げています。
《エル・トゥンコの海岸 ④》

しばらく歩いて行って振り返って見た様子です。

足元が悪いのと砂の色が黒め勝ちなのが気になりますが、水自体は非常にきれいです。
《エル・トゥンコの海岸 ⑤》

一方、こちらは先ほどのメインストリートの右手(西方向)の様子です。賽の河原のような無愛想な石の浜が続いていますが、エルサルバドルは、中米で唯一カリブ海に面していない国なので、遠くに砂浜が見えるだけでも貴重です。
《エル・トゥンコの海岸 ⑥》

ただ、この辺りは波の感じが良いらしく、サーファーズ・パラダイスとしても有名です。

私は残念ながらサーフィンには全く造詣がないので今回は太平洋沿いの村はエル・トゥンコだけの訪問でしたが、サーフィンに限らず、小さなビーチ・ビレッジが点在していて穴場も多いらしいので、それらの村をのんびり渡り歩くのも悪くないと思います。
《乗合タクシー》

中米各国の特に地方部で非常に一般的な、トラックの荷台につかみ棒的な架台を設置して大量輸送を可能にした乗合タクシーです。
《サン・サルバドル近郊の幹線道路》

エル・トゥンコを出て国内西部の主要都市サンタ・アナ(Santa Ana)に向かうために首都サン・サルバドル近郊(手前)の Santa Tecla でバスを乗り換えた時の歩道橋から見た幹線道路の様子です。この辺りもそこそこ渋滞が見られますが、サン・サルバドル中心部は更に酷いとのことなので、エル・トゥンコ周辺からサンタ・アナ方面に向かう際には、ここでの乗換えが便利です。
《サンタ・アナ中心部 ①》

サン・サルバドルの西65kmほどに位置するサンタ・アナは、国内第2の都市ですが、サン・サルバドルに比べて比較的落ち着いた雰囲気の過ごしやすい町とされています。
《サンタ・アナ中心部 ②》

中米の路線バスの多くはアメリカのスクールバスが転用されています。多くは、オリジナルの黄色の塗装の車体がそのまま使われていますが、エルサルバドルの場合は、カラフルに塗り直され生まれ変わった姿で活躍しています。
《ププセリア ①》

エルサルバドルの名物料理ププサ(pupusa)は、トウモロコシの粉を練った生地に、挽肉、チーズ、豆などを挟んで焼いたミニお好み焼のようなもので、朝食や昼食として好まれています。ププサの専門店はププセリア(pupusería)と呼ばれ、周辺の中米諸国でも多くのププセリアを見かけます。その人気振りはメキシコのタコスを凌ぐほどです。
《ププセリア ②》

ホステルの主人に紹介されたこの店はとても素朴な佇まいながら、地元の人が入れ替わり立ち替わり訪れる人気店です。
《ププサ ①》

これがププサです。中身によって値段は異なりますが、1枚80円から100円程度です。

中身によって随分味が違うので、1度に3~4枚食べても決して飽きません。

奥にある付け合わせのキャベツのマリネはサービスで食べ放題です。
《ププサ ②》

表面上は唯の厚手のナンのようですが、中はこのようになっています。これはチーズと野菜のミックスでしたが、溶ろけるチーズと全体の塩加減が絶妙で本気で感動しました。

先述のように周辺国でもププセリアは比較的簡単に見つけることができますが、本場エルサルバドルの人気店の味は格別です。
《サンタ・アナの街角》

一見何の変哲もない色遣いがきれいな街並みですが、一番左のガレージのような建物が上でご紹介したププセリアです。看板もメニューも無く、店の名前すらあるのか無いのかわかりませんが、本当の名店というのは得てしてこんな感じです。でも知らなければ絶対入りませんよね。やはり美味しいレストランや食堂はバスターミナルや宿泊した宿などで地元の人に教えてもらって訪ねるのが一番です。
《タスマル遺跡の大神殿 ①》

エルサルバドルは立地(カリブ海に面していない)や国の大きさ(中米本土では面積が最小)もあって、周辺の中米諸国に比べて若干観光資源に乏しいのは否めません。

そんな中、多くの観光客が訪れるのは、マヤ時代の遺跡群です。
《タスマル遺跡の大神殿 ②》

マヤ遺跡自体も、メキシコのチツェン・イツァやパレンケ、グアテマラのティカル、ホンジュラスのコパンなどほどの規模も名声もありませんが、それでも世界遺産を含むいくつかの遺跡が特にサンタ・アナ近郊に散在しています。
《タスマル遺跡の大神殿 ③》

Tazumal は、サンタ・アナの西15kmほどにあるマヤ遺跡で、写真の大神殿は14回に渡って増改築が繰り返されたことが確認されていて、最も古いもので紀元前6世紀から3世紀頃、最も新しいもので6世紀から11世紀頃に築造されたとされています。
《タスマル遺跡の大神殿 ④》

写真は全て大神殿を撮ったものですが、角度がちょっと違うだけで、異なった趣を醸し出しているので、せっかくなので4枚掲載することにしました。
《サン・アンドレス遺跡 ①》

サン・サルバドルとサンタ・アナを結ぶ幹線道路のちょうど中ほど辺りに位置する Ruinas de San Andrés も、国内では有数のマヤ遺跡の一つです。
《サン・アンドレス遺跡の1号神殿 ①》

ここは、西暦600年頃から900年頃まで栄えた中心地で、最盛期には約12,000人が住んでいたとされています。
《サン・アンドレス遺跡の1号神殿 ②》

主な構造物としては写真の1号神殿(Main Pyramid)だけですが、敷地内全体がよく整備された公園のようになっているので、地元の人の憩いの場ともなっています。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ①》 【世界遺産】

次に訪れたのは、サン・アンドレスの北西7kmほどのところにある Joya de Cerén です。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ②》 【世界遺産】

これまでにご紹介したタスマルやサン・アンドレスと圧倒的に違うのは、ここはエルサルバドルで唯一の世界遺産なのです。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ③》 【世界遺産】

更に異なる点は、ここは農村集落の遺跡ということで、日干しレンガで造られた多くの住居に加え共同浴場や集会所などの庶民的な建造物、加えて寺院なども発掘されているところです。

他にも、畑や作物の化石や農耕具も数多く見つかっていて、約1400年前の庶民の生活を知る上で貴重な資料となっているそうです。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ④》 【世界遺産】

ただし、簡単な説明パネルはあるものの、各建築物の原形が一体どのようなものだったのかというような情報が十分でないため、若干何が何だか解らないという点が残念でした。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ⑤》 【世界遺産】

そんな中、少なくともこれは、倉庫として使われていた建物の跡だそうです。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ⑥》 【世界遺産】

これは随分以居心地が良さそうな施設ですが、リビングルームの跡でしょうか。多分違うと思いますが、勝手に想像を巡らすのも楽しいものです。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ⑦》 【世界遺産】

それにしても、これに至っては、もはや想像がつきません。

ただ、長い間火山灰に埋もれていたことからどれも非常に良好な状態であるため、遺跡は全て大規模な屋根に覆われて大切に保存されています。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ⑧》 【世界遺産】

テマスカル(Temazcal)と呼ばれるサウナ遺構のレプリカです。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ⑨》 【世界遺産】

不明瞭な写真ですが、要するにスチーム式泡風呂のようなイメージの入浴施設だったです。
《ホヤ・デ・セレン遺跡 ⑩》 【世界遺産】

敷地内の博物館には、この遺跡の本来の姿が模型で展示されていました。何の変哲もない村のようですが、1993年登録の世界遺産の原形です。
《エルサルバドルの若者》

私がこの遺跡を訪問した時、私以外の入場者はこの若者3人だけでした。それも遺跡を見に来たというよりはピクニック気取りのようでした。近くの町に住んでいるとのことで、皆さん中米らしい美男美女です。とてもフレンドリーな人たちで、喜んで写真を撮らせてもらえ、いい思い出になりました。
《サンタ・アナ中心部の街並み ①》

再びサンタ・アナです。
《サンタ・アナ中心部の街並み ②》

サンタ・アナでは、中心部においても高層建築物はほとんどなく、多くは平屋か2階建てです。また、他の中米諸国同様、建物の色遣いが美しいのも特徴的です。
《カルメン教会》

1852年に完成した Iglesia El Carmen は、サンタ・アナ市街地中心部にある3大教会の一つです。2001年の地震で大きな損傷をおけましたがその後修復されて、今は昔通りの可愛らしい姿を取り戻しています。
《リベルター公園》

カルメン教会から正面の道を500mほど北上していくと旧市街地区の中心 Parque Libertad に出ます。この公園には早朝から深夜まで多くの市民が訪れ、エルサルバドルの平和を象徴するような人々の憩いの場となっています。
《サンタ・アナ大聖堂 ①》

そのリベルター公園の東側に堂々と建つのが、サンタ・アナ最大規模の教会でかつ最大の見どころである Cathedral de Santa Ana です。
《サンタ・アナ大聖堂 ②》

1913年に完成した、中米では珍しいネオ・ゴシック様式の教会で、特に白く輝く正面の華麗な姿は圧倒的です。
《サンタ・アナ大聖堂 ③》

内部の柱やアーチ部分にはグレーとピンクが施され、荘厳でありながらもチャーミングな雰囲気を醸し出しています。
《サンタ・アナ国立劇場》

リベルター公園を取り囲むように歴史的建築物が建ち並んでいます。写真は1889年に建てられた Teatro Nacional de Santa Ana で、緑色の外観が非常に美しい建物です。
《カジノ・クラブ》

リベルター公園に面した北西の角に建つ Casino Santaneco は、何となくガウディの作品を思い起こさせるデザインです。
《市民ホール》

公園の西側に建つ Alcaldía Municipal de Santa Ana です。
《カルバリオ教会 ①》

旧市街中心部の北の外れ、サンタ・アナ大聖堂の500mほど西に建つ Iglesia El Calvario は、1825年に完成したものの、手抜き工事、ハリケーン、再建業者の倒産、資金不足など、度重なる不幸に見舞われ1882年に再建が完了したものの、2001年の大地震によって再び壊滅的な打撃を受け、その後再々々建されようやく現在に至っているという曰く付きの教会だそうです。
《カルバリオ教会 ②》

そんな可哀想な教会ですが、内部はとても愛らしく装飾され、今では再び地元密着型の教会として、人々を惹きつけているそうです。
《サンタ・アナ中心部の街並み ③》

エルサルバドルというと、1992年まで長く続いた激しい内戦のイメージが強いですが、今では一部の都市の一部の地域を除いて、治安はほとんど問題ない状況になっています。お近くを通りかかった際には、サンタ・アナくらいは立ち寄ってみては如何でしょうか。よほど運が悪くない限り悪いことはないと思います。
《エルサルバドル料理》

最後になりますが、先ほどププサをご紹介しましたが、いくらププサが人気だからといって3食ププサという訳ではありません。典型的な昼食や夕食のメニューとしては、写真のような鶏肉のソテーや牛肉や野菜の煮込みなどとピラフのような炊き込みご飯がセットになったものが一般的です。なお、ご飯を頼んでも、トルティーヤはデフォルトで付いて来るので安心です。



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