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旅の写真集  キューバ共和国(後編)HEADLINE

キューバ観光の旅行記を兼ねた写真集(後編)です。ここでは、世界遺産に登録されているトリニダーとカマグエイの他、コロニアルな雰囲気の残るサンティアゴ・デ・クーバ、バラコアなど東部の町の様子をご紹介します。

《トリニダー ①》【世界遺産】

ハバナの西 約320km、島のほぼ中央に位置する Trinidad は、16世紀初頭に建設された当時の面影を今に残すのどかな町で、ハバナに次ぐキューバ観光のハイライトともされています。
《トリニダー ②》【世界遺産】

到着時はちょうど学校の下校時刻に重なったため、大勢の学生たちで賑わっていました。
《トリニダー ③》【世界遺産】

中南米の旧市街はアルマス広場(Plaza de Armas)かマヨール広場(Plaza de Mayor)を中心に広がっているものと相場が決まっていますが、ここトリニダーではマヨール広場がその役割を担っています。
《トリニダー ④》【世界遺産】

随所に見られるガウディの建築物に触発されたような構造物がスペイン情緒を醸し出していて素敵です。
《トリニダー ⑤》【世界遺産】

トリニダーは1988年に旧市街全体の歴史的町並みがユネスコの世界遺産に登録されました。
《トリニダー ⑥》【世界遺産】

こちらは、その中でも代表的な建造物の一つサンティシマ教会(Iglesia Mayor Santísima Trinidad)です。
《トリニダー ⑦》【世界遺産】

こちらは革命博物館(Museo Nacíonal de la Lucha Contra Bandidos)の鐘楼。

25セント硬貨の表面にも描かれているので国内で知らない人はいないほど有名な建物です。
《トリニダー ⑧》【世界遺産】

ロマンティコ博物館(Museo Romántico)には、19世紀初頭にサトウキビ農園で大成功した大農園主らの所有していた家具などが展示されています。
《トリニダー ⑨》【世界遺産】

せっかくなので革命博物館に入ってみます。

目指すはあの鐘楼です。
《トリニダー ⑩》【世界遺産】

鐘楼の上部は見晴らし台のようになっていて美しい町並みが望めます。
《トリニダー ⑪》【世界遺産】

コロニアル建築を象徴する赤煉瓦の屋根が印象的です。
《トリニダー ⑫》【世界遺産】

これらの建物は主に18~19世紀に建てられたものだそうです。
《トリニダー ⑬》【世界遺産】

Google Mapを見ると分かりますが、これらの住居の多くは民宿を兼ねているので、市内には夥しい数の民泊施設「カサ・パルティクラル(Casa Particular)」があります。

そのため、キューバにおいてはここトリニダーに限らず宿泊先を見つけるのに苦労することはほとんどありません。
《トリニダー ⑭》【世界遺産】

マヨール広場もよく見えます。
《トリニダー ⑮》【世界遺産】

高いところに登った後は町中を散策するのが常道です。
《トリニダー ⑯》【世界遺産】

石畳の道の両側にカラフルな建物が並んでいて、どこを取っても絵になる風景です。
《トリニダー ⑰》【世界遺産】

人通りが少ない路地もありますが、キューバはどこも非常に安全なので安心して歩き回ることができます。
《トリニダー ⑱》【世界遺産】

200年程前の建物と50年くらい前のクラシック・カーのコントラストも絶妙です。
《トリニダー ⑲》【世界遺産】

いつも思うのですがこのようなカラフルな家並みの塗装色はどうやって決めるのでしょうか。

日本だと事なかれ主義であまり目立っちゃいけないという下心から無難な配色を目指すものですが、この人たちは、如何に自分らしさを表現するかというのが最大のテーマなのかビビッドなパステルカラーが目立ちます。
《トリニダー ⑳》【世界遺産】

町の中にはもう一カ所展望ポイントがあります。
《トリニダー ㉑》【世界遺産】

マヨール広場の南にある市立歴史博物館(Museo Histórico Municipal de Trinidad)です。
《トリニダー ㉒》【世界遺産】

革命博物館の鐘楼が、平屋建てが多い町並みにいいアクセントを加えています。
《トリニダー ㉓》【世界遺産】

再び町なかを散策します。
《トリニダー ㉔》【世界遺産】

クラシック・カーはハバナ特有のアトラクションと思われている方も多いかと思いますが、全土で普通に見られます。
《トリニダー ㉕》【世界遺産】

これがまた、本当に町並みと調和しているのです。
《トリニダー ㉖》

チェ・ゲバラも全国区の人気者です。
《トリニダー ㉗》【世界遺産】

随分陽が傾いてきました。
《トリニダー ㉘》【世界遺産】

夕暮れ時の黄昏れた雰囲気も素敵です。
《トリニダー ㉙》【世界遺産】

すっかり日が暮れたのでそろそろ夕食に繰り出します。
《ある日の夕食》

この日は町一番の人気レストランでお薦めのミックス串焼きプレートを頂きました。

プレゼンテーションも素晴らしいですが、味も抜群でした。
《夜のトリニダー ①》【世界遺産】

そしてトリニダードに来たら是非お薦めなのがローカル・カクテル、カンチャンチャラ(Canchanchara)です。

ラム酒にレモン果汁、ハチミツ、水を加えたハチミツの風味が強い大人のレモネードといった味わいで、食前酒にも食後酒にもぴったりです。
《夜のトリニダー ②》【世界遺産】

キューバ人は歌と踊りが大好きなので、町中は夜中まで陽気なリズムが鳴り響いてご機嫌です。
《ある日の朝食》

この日泊まったのは典型的なカサ・パルティクラルだったのですが、民宿らしい手作りの朝食が用意されました。

キューバ人はとても穏やかで親切な人が多いのですが、おもてなしの心も日本人以上かもしれません。
《移動時の風景》

トリニダーを発って次に向かったのは西に約260km離れたカマグエイ(Camagüey)です。

バスで約5時間の道のりなので途中ではトイレ休憩が何度かあります。

左の写真はそんな時に撮った1枚ですが、写っているのはトラックに見えますがローカルバスです。

荷台には人民が兵隊さんのように詰め込まれています。
《カマグエイ ①》

と言うわけで、カマグエイに到着すると、バスターミナルから旧市街へはビシ・タクシー(Bici-taxi)と呼ばれる三輪自転車で移動します。
《カマグエイ ②》

他の町ではあまり見かけませんが、どういう訳かこの町ではビシ・タクシーが人気の交通手段となっていて、市内を縦横無尽に走りまわっています。
《カマグエイ ③》【世界遺産】

路地では、手持ち無沙汰に客待ちしている車両も多く見受けられます。
《カマグエイ ④》【世界遺産】

家並み同様、車両もカラフルです。
《カマグエイ ⑤》【世界遺産】

カマグエイは、ハバナ、サンティアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)に次ぐ国内で3番目に大きな町ですが、上位2つの都市と違ってあまり猥雑な感じはしません。
《カマグエイ ⑥》【世界遺産】

キューバは信教の自由が保障されている多宗教国家ですが、やはり多数を占めるのはクリスチャンです。

そして、カマグエイは国内で最もキリスト教が盛んな都市とされていて、町歩きでは教会巡りが一つのアトラクションになります。
《カマグエイ ⑦》【世界遺産】

ということで、今回はその中でも有名どころいくつかを順に巡ります。

まず最初は1779年築造のソレダー教会(Iglesia de Nuestra Señora de la Soledad)。バロック建築の代表物件です。
《カマグエイ ⑧》【世界遺産】

こちらはメルセー教会(Iglesia de Nuestra Señora de la Merced)。

1748年完成だそうです。
《カマグエイ ⑨》【世界遺産】

脇の建物の壁にはチェ・ゲバラが施されています。

レストランかカフェが人目を引くためにデザインしたのかと思いましたが郵便局でした。
《カマグエイ ⑩》【世界遺産】

聖イエス教会(Iglesia de Nuestra Corazón de Sagrado Jesús)は、キューバでは珍しいネオ・ゴシックの教会です。
《カマグエイ ⑪》【世界遺産】

内部は荘厳な雰囲気ですが、ピンクの塗装がチャーミングです。
《カマグエイ ⑫》【世界遺産】

教会ばかりご紹介していますが、旧市街全体が2008年にユネスコの世界遺産に登録されただけあって、町並みにも随所に味わいがあります。
《カマグエイ ⑬》【世界遺産】

50年くらい時が止まっているような雰囲気もそこかしこで見られます。
《カマグエイ ⑭》【世界遺産】

街角の食料品店も、何となくキューバ的です。
《カマグエイ ⑮》【世界遺産】

同じ社会主義でもロシアとはちょっと違った安心感があります(ロシア行ったことありませんが)。
《カマグエイ ⑯》【世界遺産】

続いて訪れたのは、カテドラル(Catedral de Nuestra Señora de la Candelaria)です。
《カマグエイ ⑰》【世界遺産】

カテドラルというと大概その町で一番大きな教会ですが、ここはそうでもありませんでした。

ただ、現在の建物は19世紀に建て直されたものだそうですが、オリジナルは1530年建立だそうですので、その歴史には重みがあります。
《カマグエイ ⑱》【世界遺産】

次の教会へ向かいます。
《カマグエイ ⑲》【世界遺産】

街角には露天商。

全部売れても大した儲けにはならない品揃えです。

それとも既に大方売れてしまったのでしょうか。

どちらにしろ、とてものんびりした雰囲気です。
《カマグエイ ⑳》【世界遺産】

下校する少女たち。
《カマグエイ ㉑》

未成年女子のツーショット写真です。

日本だと変態扱いされそうですが、特に隠し撮りした訳でもないのに全く怪しまれませんでした。
《カマグエイ ㉒》

こちらも昔懐かしい感じの行商人さんです。
《カマグエイ ㉓》

至る所で見かけます。

上の写真はパン屋さん、こちらは何とケーキ屋さんでした。
《カマグエイ ㉔》【世界遺産】

そうこうしているうちに到着したのはサン・クリスト教会(Iglesia de San Cristo del Buen Viaje)です。

1723年創建後、19世紀に現在の形になったそうです。
《カマグエイ ㉕》【世界遺産】

この辺りは町の外れに当たるため少々うら寂しい通りが多く、若干スラムのような雰囲気も漂っていますが、何度も書きますがキューバではよほどのことがない限り、あまり危険な場所というのはありません。
《カマグエイ ㉖》【世界遺産】

日も暮れかかった頃に訪れたのはこの日最後のカルメン教会(Iglesia de Nuestra Señora del Carmen)です。

2つの鐘楼を持つ1825年築造のバロック建築です。
《カマグエイ ㉗》

キューバでは野球が小学校から大学までの必修科目として取り入れられていて最もポピュラーなスポーツですが、道具が買えない子供たち(かどうか分かりませんが)にはサッカーも人気のようです。

全員裸足なのが見ていて(文字通り)痛い感じです。
《カマグエイ ㉘》【世界遺産】

これでカマグエイの観光は終わりです。

夕食後はいつも通り千鳥足で家路に着きました。
《バスターミナル》

翌日は、ここ数日日課になっているバスでの移動です。
《ビアスール ①》

キューバでは通貨を始めいろいろな面で外国人とキューバ人の使う制度が2分されていますが、長距離バスも同様で、一般国民が主にInterprovincial Omnibus というバスで移動するのに対して、外国人旅行者はビアスール(Viazul)というバスをほぼ強制的に利用させられます。

確かに乗り心地は悪くありませんが、料金も雲泥の差(とはいうもののビアスールでも外国人からすると特に高くはないレベル)なので、ちょっと不公平な気もします。
《サンティアゴ・デ・クーバ ①》

カマグエイから7時間のバスの旅を経て到着したのはキューバ第二の都市 Santiago de Cuba です。
《サンティアゴ・デ・クーバ ②》

キューバに来てこれまで訪れた各都市はビーチリゾートのバラデロ(Varadero)を除いて全て旧市街がユネスコの世界遺産に登録されていましたが、ここサンティアゴ・デ・クーバは古い町並みが味わい深くはありますが、あいにく世界遺産ではありません。
《サンティアゴ・デ・クーバ ③》

因みに、サンティアゴ・デ・クーバのクーバはアルファベットで書くとCubaで国名と同じなのですが、地元の人はスペイン語の発音でクーバと呼ぶので町自体の名前はサンティアゴ・デ・「クーバ」と呼ばれています。
《サンティアゴ・デ・クーバ ④》

それなら国名もクーバじゃないのかと思わなくもありませんが、そこは大使館同士の決め事なので仕方ありません。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑤》

ということで、とりあえず市内観光を開始します。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑥》

こちらは、旧市街の中心のランドマークともなっているカテドラル(Catedral de Nuestra Señora de la Asunción)です。

もともと1520年代にこの地に建てられたものだそうですが、海賊の侵攻や地震によって何度か破壊され、現在のようなツイン・タワーの形になったのは1922年、その後2015年の大改修を経て今に至っているそうです。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑦》

中心部の通りのいくつかには線路や架線が残っていて、かつて走っていた路面電車の面影を感じさせてくれます。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑧》

こちらは旧市街の目抜き通りホセ・アントニオ・サコ通り(Jose Antonio Saco)です。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑨》

歩行者専用道路になっていて、早朝から夜遅くまで多くの人で賑わっています。

日本で言う新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街のような位置づけなのかもしれませんが、危険な香りは全くしません。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑩》

世界中を旅して来ましたが、正にキューバ、キューバ以外のどこでもないという風景です。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑪》

旧市街中心部の約1km北東に位置するモンカダ兵営(Cuartel Moncada)は、実際は失敗に終わったもののフィデル・カストロによるキューバ革命の火蓋を切った場所として現在は博物館になっています。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑫》

1953年7月26日にカストロが率いる革命軍がここを襲撃した際の弾痕が今も残されています。
《モロ要塞 ①》【世界遺産】

次に向かったのは市街地の約10km南にあるサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(Castillo de San Pedro de la Roca del Morro)です。
《モロ要塞 ②》【世界遺産】

度々海賊の襲撃を受けていたサンティアゴ・デ・クーバを守るために1643年に完成した要塞です。
《モロ要塞 ③》【世界遺産】

要塞、弾薬庫、礼拝堂、牢獄などが入り組んだこの施設は、南北アメリカで最も良い状態で保存された遺跡として、1997年にユネスコの世界遺産に登録されました。
《モロ要塞 ④》【世界遺産】

要塞上部からはサンティアゴ・デ・クーバに続く湾がよく見えます。

右奥が市街地中心部になります。

カリブ海から内陸に入った場所にあるため、古くから天然の良港として非常に重要な役割を果たしてきたのです。
《モロ要塞 ⑤》【世界遺産】

断崖の傾斜を利用した造りになっていて、高さは約60mあります。
《モロ要塞 ⑥》【世界遺産】

米西戦争や地震などにより何度も破壊され、修理、再建、統合され、メンテナンス不足のため20世紀初頭には一時的に衰退しましが、1960年代に現在の形に修復されたそうです。
《モロ要塞 ⑦》【世界遺産】

上部にはカリブ海の他の国々の要塞と同じように砲台が設置され、睨みを利かせています。
《モロ要塞 ⑧》【世界遺産】

市内からはタクシー(往復約US$20)しかアクセス方法はなく少々不便ですが、サンティアゴ・デ・クーバを訪れる人の多くが立ち寄る人気の観光スポットとなっています。
《夜のサンティアゴ・デ・クーバ ①》

ホセ・アントニオ・サコ通りは夜の10時を過ぎても賑わっています。
《夜のサンティアゴ・デ・クーバ ②》

他の道路も古びた町並みの割に危険な感じは全くしません。
《夜のサンティアゴ・デ・クーバ ③》

今はもう使われなくなった線路や架線がレトロな雰囲気を醸し出しています。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ①》

翌日にまず訪れたのは、市街地中心部から北西に約2kmのところにある、1868年に開かれた国内で最も有名な墓地 Cementerio de Santa Ifigenia です。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ②》

30分ごとに行なわれる衛兵の交代式は観光客にも人気のアトラクションです。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ③》

この墓地で最も有名なのがキューバ建国の父とも言われるホセ・マルティ(José Martí)の霊廟(左の写真の筒状の建築物)で、この霊廟を守るために衛兵が24時間体制で見張っているのです。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ④》

マルティは1902年のキューバ独立を見ることなく、1895年にスペインとの戦闘中に被弾して亡くなるのですが、革命軍は彼の遺体を回収するためにスペイン軍と熾烈な戦いを繰り返したという逸話があるほどです。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ⑤》

その後、彼の遺体はここに運ばれ、今は安らかに眠っています。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ⑥》

そして2016年にはキューバ革命の最高司令官だったフィデル・カストロ(Fidel Castro)もここに埋葬されました。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ⑦》

彼は遺言で、様々な機関や広場、公園、道路などの公共施設に自分の名前や肖像は使用されたくないと主張し、自分の名を冠した記念碑や像といったものも作ってはならないとしていたため、飾り気のない墓石には彼のファーストネームのプレートだけが設置されています。
《サンタ・イフィヘニア墓地 ⑧》

日当たりの良い園内には、この他にも革命軍のメンバーを始めとして多くのキューバの有名人が眠っています。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑬》

墓地の次に向かったのは、市街地の北の外れにある革命広場(Plaza de la Revolsión)です。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑭》

ただ、一般的に革命広場というとハバナのものを指すことが多いので、こちらは地元では広場の中心に設置された巨大なオブジェのモデルでキューバ独立軍の副司令官だった人物の名を取ってアントニオ・マセオ広場(Plaza Antonio Maceo Grajales)とも呼ばれています。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑮》

広場の前を走る市内バスです。

写真左後部の変な形の扉から乗降します。

夏はめちゃくちゃ暑そうです。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑯》

こちらは直射日光を浴びながらも比較的過ごしやすそうな馬車です。

馬車というのは他の国ではよく観光用に用意されていますが、ここキューバでは一般の人の輸送手段として、普通に利用されています。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑰》

一方、このモンカダ兵営のような色をした建物はパン屋さんです。

金融危機時の銀行の取り付け騒ぎのようになっていますが、キューバではどういうわけかどんな小さな店でも入場制限があって一定人数以上中に入れないので、多くの店の前でこのような風景が見られます。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑱》

ホセ・アントニオ・サコ通りに戻ってきました。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑲》

街角では、ホットドック、サンドイッチなど様々な食べ物が廉価で売られていますが、中途半端な時間だったのでおやつ代わりにチュロ(churro)と呼ばれるスティック状のドーナツを食べることにしました。
《サンティアゴ・デ・クーバ ⑳》

1本約4円のドーナツを5本買っただけですが、全身で喜びを表現してくれました。

キューバ人は本当に気持が良い人が多いです。
《サンティアゴ・デ・クーバ ㉑》

宿に戻ってビールを飲みながら食べました。

個人的に、昼間にお酒を飲むのは得意ではないのですが、サンティアゴ・デ・クーバの観光を無事に終えた開放感からつい羽目を外してしまったのでした。

因みに、キューバには Cristal という立派な国産ビールがあるのですが、この時はハイネケンしか手に入らず残念でした。
《モヒート》

そして夕食後は Mojito です。

もともとカクテルに関しての造詣は深くないのですが、数年前にカリブの島々を訪問してからラムベースのカクテル(と言っても専らピニャ・コラーダとモヒートばかり)をお洒落に嗜むようになりました。

何と言っても、日本の5分の1くらいの値段で楽しめるのが魅力です。
《夜のサンティアゴ・デ・クーバ ④》

私の旅には珍しく、同じ町に3泊もしてしまいました。

これだけ長い間いると思い入れが深くなってしまい別れが辛いですが仕方ありません。

明日はまた、5時間のバスの旅で次の目的地に向かいます。
《バラコア ①》

と言うわけでやって来たのはサンティアゴ・デ・クーバから約250km東にある Baracoa です。
《バラコア ②》

ハバナからだと約1,000kmもある文字通り最果ての町ですが、実は1511年にスペイン人の征服者により築かれたキューバ国内最古の町なのです。
《バラコア ③》

とはいうものの、2時間もあれば町の隅から隅まで散策することができるとても小さな町です。
《バラコア ④》

そんな訳で、町内の移動は徒歩か自転車タクシーということで、非常にのんびりした雰囲気に包まれています。
《バラコア ⑤》

町の中心の丘に建つエル・カスティージョ(El Castillo)という要塞は大幅改修されて、現在は大規模ホテルとして営業しています。
《バラコア ⑥》

ここからはバラコアの町が一望できるので、宿泊者以外でもほとんどの観光客が訪れるスポットとなっています。
《バラコア ⑦》

写真左の方には、かつての要塞の城壁の一部が残っています。

なお、右奥は飛行場で、ハバナからの定期便も週に3便ほどありますが、チケットは競争率が高いので相当前に予約しないと取るのは難しいとされています。
《バラコア ⑧》

町の約10km西にはユンケ山(El Yunque)という標高575mのテーブルマウンテンがあり、バード・ウオッチャーなどには人気のトレッキング・コースなどもあります。
《バラコア ⑨》

家並みはやはりカラフルですが、ハバナやサンティアゴ・デ・クーバでよく見られるような天井が高いコロニアル建築ではありません。
《バラコア ⑩》

キューバには珍しい普通の5階建てのアパートのような建築物もあります。
《アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園 ①》【世界遺産】

翌日は、Parque Nacional Alejandro de Humboldt を訪ねました。

3600種類もの動植物の固有種が発見されたことから、自然の豊かさとその多様性が認められ、2001年にユネスコの世界自然遺産に登録された600k㎡もの広大なエリアです。
《アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園 ②》【世界遺産】

約2,500円の一日ツアーに参加したのですが、バラコアの町を出たときには曇り空だったものが、約40km離れた公園に近づくに従って雨脚が強くなり、遂に生憎の大雨となってしまいました。
《アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園 ③》【世界遺産】

本来であれば、3~4時間歩いて珍しいハチドリやカタツムリを観察するという予定だったのですが、目立った成果はこの世界一小さいというカエル一匹だけで、2時間ほど歩いた末にずぶ濡れになってしまったので早々に引き上げることにしました。
《アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園 ④》【世界遺産】

帰路では、これもツアーに含まれていた、真っ白なパウダーサンドが美しいというマグワナ・ビーチ(Playa Maguana)に立ち寄ったのですが、あまりの寒さに逃げるように帰ることになりました。
《バラコア ⑪》

はるばるバラコアまで来たのはアレハンドロ・デ・フンボルト国立公園で物珍しい生き物たちに会うのが目的だったのですがとても残念でした。

バラコアには更に二日間滞在していたのですが、残りの2日も小雨模様で、ユンケ山等を訪問することもできませんでした。

お陰であまり見るべきものもない町内をぐるぐる歩いて回るだけでした。

写真は、そんな数少ない見どころの一つ、町の西端にある要塞跡です。
《ビアスール ②》

皮肉なものでハバナに戻る翌日は雲一つない晴天でした。
《ビアスール ③》

ハバナへは1日1本の急行バスで17時間半の長旅です。
《ハバナ ①》

無事、ハバナに戻ってきました。
《ハバナ ②》

10日ほど前に滞在していた際は快晴でしたが、その時とは打って変わってどんよりとした曇り空です。
《ハバナ ③》

少しすると、海が急に時化てきました。
《ハバナ ④》

海岸沿いのプロムナード、マレコン(Malecón)です。

相変らず無造作に様々な様式のクラシックカーが走りまわっています。
《ハバナ ④》

因みに、キューバのタクシーは通常メーターではなく交渉制ですが、このように車体上部にタクシーのサインを掲げているオールド・モデルのタクシーは、普通の黄色いタクシーよりも割安です(乗り心地が相当違います)。
《ハバナ ⑤》

こんな悪天候の中、オープンカーでご機嫌な観光客もいますね。
《ハバナ ⑥》

何だかクラシックカーレースのようになっていますが、たまたまです。
《最後の晩餐》

最後の夜は、ロンリープラネットでもイチ押しの今ハバナで人気急上昇中のレストラン、El Biky に30分並んで入りました。

この日頼んだのはポークグリルでしたが、盛り付けも味も素晴らしく、これで450円という値段も感動的でした。

因みに、付け合わせの茶色い豆入りライスはキューバ人の主食で、軽い塩味が絶妙なコングリ(Conguris)と呼ばれるものです。
《最後のピナ・コラーダ》

そして最後はピニャ・コラーダ。

ラムをベースに、パイナップルジュースとココナッツミルクを砕いた氷と一緒にシェイクして作るカクテルです。
《夜の革命広場 ①》

食後はほとんど人のいない道を30分ほど歩いて前編でご紹介した革命広場を訪れました。
《夜の革命広場 ②》

夜は観光客もほとんどいないにもかかわらず、誰のためにかにかわかりませんがライトアップされています。
《夜の革命広場 ③》

暗闇の中に浮かび上がる様子がとても幻想的で素敵です。
《夜の革命広場 ④》

キューバは2015年にオバマ政権下のアメリカと国交を回復してから更に注目度が上がっている国ですが、実際のところ、レトロ感たっぷりで夜でも安全な市内、陽気で親切な人々、美味しくて異常に安い食事など、魅力だらけの国です。

国土が比較的広いのに対して、交通網は非常によく整備されているとは言えませんが、時間のない人はハバナとバラデロ、トリニダーぐらい訪れてみるだけでも十分楽しめると思います。

是非、前向きにご検討下さい。

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