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旅の写真集  ボリビア多民族国(後編)HEADLINE

ボリビア観光の旅行記を兼ねた写真集(後編)です。ここでは、ボリビア観光のハイライトの一つウユニ塩湖から、かつて鉱山として栄えた世界遺産の町ポトシ、憲法上の首都であるスクレと巡る旅をご紹介します。

《ウユニの町 ①》

ラパスの約550km南に位置する Uyuni は、村の近郊にあるウユニ塩湖(Salar de Uyuni)観光の起点として世界中から多くの旅行客が訪れるボリビアを代表する観光地です。ラパスからウユニへはフライトもありますが、多くの観光客は10時間ほどかけて夜行バスで到着します。なお、多くのバスは快適性の麺で難があるとされてきましたが、最近人気の Todo Turismo 車のバスは非常に快適なので断然お薦めです。
《ウユニの町 ②》

そんなウユニの村ですが、その世界的名声にもかかわらず、約1.5km四方の碁盤の目状の土地に中低層の建物が並ぶ予想外に小さな村です。
《ウユニの町 ③》

それでも観光客からの恩恵のお陰で村の中心部はそこそこきれいに整備され、多くの旅行代理店や宿泊施設が並んでいます。
《ウユニの町 ④》

レストランも数多くありますが、一部を除いて非常にツーリスティックでいいお店は少ないようです。
《ウユニの町 ⑤》

私が宿泊したのは中心部から徒歩10分ほどの村の外れの宿でしたが、周囲には愛想のない建物が建ち並ぶだけの少し寂しい雰囲気でした。
それでも、標高約3,700mとほとんど富士山頂と同じ高さに位置するため空が近い感じで気分は満更ではありませんでした。
《ウユニの町 ⑥》

そんな村ではありますが、朝になると中心部にはウユニ塩湖に向かうツアー用の4WD車が列を成し、満員の観光客を乗せて次々と出発します。
《列車の墓 ①》

先述のようにウユニには数多くの旅行代理店が軒を連ねていて、どこも塩湖行きのツアーを主体に扱っていますが、どの社で申し込んでもコース、金額等はほとんど変わりません。

村を出て最初に訪れるのは中心部から車で10分ほどのところにある Cementerio de Trenes です。
《列車の墓 ②》

ここは、19世紀に鉄道車両工場だった場所で、現在では、ウユニから隣国チリの海岸線の町アントファガスタ(Antofagasta)へ塩や鉱物を運んだ蒸気機関車や貨物の車両が放置されています。
《列車の墓 ③》

野ざらしの車体は、標高の高い強い日差しと風雨に晒され保存状態は決して良くありません。
《列車の墓 ④》

逆にそれが人々の郷愁を誘うのか、はたまたインスタ映えするのか、塩湖が主たる目的でツアーに参加しているお客さんたちも結構ご機嫌で写真撮影に興じています。
《お土産屋》

その後、ツアーではお約束のように近くのコルチャニ(Colchani)の村のお土産物屋が並ぶ一角に立ち寄ります。

通常、こういったお店は皆さん食傷気味で冷やかし半分以下といったやる気の無さで訪れるものですが、ボリビアは物価が安いので、結構多くの人たちが積極的に買物をする姿が見られます。
《塩の目 ①》

コルチャニの村から車で5分ほど進むといよいよ広大なウユニ塩湖の入口です。(と言っても特にゲートがあるわけではありません。)
《塩の目 ②》

この塩湖との境目付近ではOjos del Salar という、地面から塩分濃度の高い塩水が湧き出す様子が見られます。
また、この辺りの水は硫黄も多く含んでいるので、日本の硫黄泉のような懐かしい香りを楽しむこともできます。
《塩の目 ③》

この「塩の目」地域を越えると、そこから先は延々と塩湖が続きます。
《ウユニ塩湖 ①》

ウユニ塩湖は、南北約100km、東西約250km(いずれも最長部)、面積約10,600k㎡という、琵琶湖約16個分の広さを持つ、約20億トンの巨大な塩の塊です。
乾季にはご覧のようにアイスバーンのような道を進むことができますが、雨季になると冠水して本当の湖になってしまうため、沿岸部付近しかアクセスできなくなります。
《ウユニ塩湖 ②》

その後、30分ほど走ると、昼食と休憩を兼ねて、プラヤ・ブランカ(Playa Blanca、直訳すると「白いビーチ」)という名の塩でできたホテル兼レストランに立ち寄ります。
《ウユニ塩湖 ③》

手前に見えるのが2017年からダカールラリーの中継地点となっていることを記念してのモニュメント、奥がホテル兼レストランです。
《ウユニ塩湖 ④》

遠くから見ると判り辛いですが、この建物は塩湖から取れた塩で建てられています。
《ウユニ塩湖 ⑤》

建物の隣には世界各国から訪れた旅行者が残していった時刻の国旗が強い風になびかれています。

因みに私が訪問した際には日本の国旗は飾られていませんでした。
《塩のホテル ①》

これが塩のホテルの内部です。屋根は塩ではありませんが、それ以外のほとんどの部分は塩でできたブロックを積み重ねて造られています。
《塩のホテル ②》

こっそり室内も拝見させてもらいました。ベッドも塩のブロックです。
このホテルは宿泊費も比較的安く(シングルでUS$20、ダブルでUS$40程度)気軽に一見ロマンチックな施設に泊まることができるということで一時期そこそこ人気がありましたが、建設自体が違法であった(塩湖内の保全地域内に建てられている)ことや、実際の居心地があまり良くないこともあって、最近ではあまり人気がありません。
ウユニで塩のホテルに宿泊したい場合には、少し高く付きますが、塩湖の縁に位置するいくつかのラグジュアリー・ホテルに泊まるのがお薦めです。
《塩のホテル ③》

そんな塩のホテルですが、塩湖内に他に適当な施設がないことから、ほとんどのウユニ塩湖ツアーでは昼食はここにあるレストランで食べることになります(とは言っても食料は全てツアー会社が持込み)。
お陰で、毎日超満員の大盛況です。
《ウユニ塩湖 ⑥》

食事を終えると再び白い大地を疾走します。
《ウユニ塩湖 ⑦》

それにしてもさえぎるものが何もない景色ですが、ある調査によると、ウユニ塩湖では(湖内にいくつかある島を除き)100km四方で高低差は50cm程しかないことが判明しており、「世界で最も平らな場所」とされています。
《ウユニ塩湖 ⑧》

白い大地に六角形の模様がどこまでも続いています。
《ウユニ塩湖 ⑨》

このように一面塩しか取柄が無いようなウユニ塩湖ですが、近年の調査によると、この塩の大地の下には世界の埋蔵量の約半分を占めるリチウムが眠っていると見積もられています。
自動車用の電池など、リチウム需要は将来的にますます高まると予想され、新たなリチウム産地としても注目されていて、日本の商社を始め世界中の企業から注目を集めていることから、今後の開発によって美観が損なわれたり環境破壊につながることなどが懸念されています。
《ウユニ塩湖 ⑩》

そんな中、塩湖の上にひれ伏している人がいますが、この人はリチウムを掘削しているわけではなく、ある重大な任務を帯びているのです。
《ウユニ塩湖 ⑪》

こんなことをしたり。
《ウユニ塩湖 ⑫》

こんなことをさせられたりと、参加者参加型のイベントに時間をかけてもらえます。

ウユニ塩湖では(どのツアーに参加しても)通常の観光以上にこのようなアトラクションに割かれる時間が長いため、他の参加者と仲良くなれて楽しい反面、時々疲れます。
《ウユニ塩湖 ⑪》

それはともかく、ウユニ塩湖は基本的に真っ平らな大地なのですが、そこには32の島が浮かんでいます。
《インカ・ワシ島 ①》

その中でも大きな島の一つである Isla Incahuasi は、コルチャニの村から約80kmとウユニ塩湖のほぼ中心に位置し、ツアーのメインの目的地となっています。
《インカ・ワシ島 ②》

入場料B$30(約500円)支払って入場すると、徒歩15分ほどの見晴らしの良いトレイルを楽しむことができます。
《インカ・ワシ島 ③》

表面は数多くのサボテンで覆われていますが、島自体は珊瑚の化石でできているとのことで、ここが太古の昔は海だったということがわかっているそうです。
《インカ・ワシ島 ④》

頂上から見る周囲の真っ白い景色は幻想的で、ウユニ塩湖を代表する景観です。
《インカ・ワシ島 ⑤》

西に向かって延びる轍は、この先チリ国境まで続いていて、ウユニから2泊3日のツアーに参加すれば、国境を越えてサン・ペドロ・デ・アタカマ(San Pedro de Atacama)に向かうこともできます。
《ウユニ塩湖 ⑫》

ただし、先述のとおり雨季にはこの広大な塩湖にも水が張ってしまい、この辺りまでアクセスできるのは乾季だけです。

しかし、その雨季のお陰で乾季にできたこのような轍は消え去り、翌年にはまた新たに生まれ変わった美しいウユニ塩湖が見られるという仕組みになっています。
《ウユニ塩湖 ⑬》

帰りがけに乾季でも水が溜まっていて鏡張りという現象が見られる場所に立ち寄りました。
《ウユニ塩湖 ⑭》

先述のとおりウユニ塩湖では高低差がほとんどないため、冠水した場所では、その水が波も立たないほど薄く広がるためにこのような美しい景色が見られるのです。
《ウユニ塩湖 ⑮》

ただし、このような情景は通常は雨季しか見られません。
以前、どこのツアー会社ガに参加しても内容はほぼ同じとご紹介しましたが、実は1社だけ、Hodaka Mountain Expedition という会社(日系に見えますが全く違います。ただし、店を仕切るおばちゃんは結構な日本語を操ります)だけは、乾季でもこのような場所を盛り込んだツアーを催行しているのです。
《ウユニ塩湖 ⑯》

ただ、日本では非常に人気でウユニ塩湖といえば鏡張りという印象もありますが、実際のところ、ほとんどの欧米人は真っ白なウユニに興味津々で未だ本格的な鏡張りブームは到来していないようで、この会社の主な利用者は日本人、韓国人、中国人が9割を占めているようでした。

そのような中、地元ボリビアのカップルと思われる二人が結婚記念と思しき記念写真撮影に興じていたのが印象的でした。
《ウユニ塩湖 ⑰》

黄昏時の鏡張りはとてもロマンチックでした。
《ウユニ塩湖 ⑱》

翌日は朝の3時に起きてサンライズ・ツアーに参加した後、夕方からはサンセット・ツアーに参加しました。

夕暮れ迫る塩湖も素敵です。
《ウユニ塩湖 ⑲》

サンライズ、サンセット・ツアーともに、太陽の出没を観察するというよりは、1日ツアー同様、不思議なポーズを取らされて写真を撮りまくるのがメインです。
《ウユニ塩湖 ⑳》

個人的には、そうでない自然体の写真の方が好きなのですが。
《ウユニ塩湖 ㉑》

でも、この日は風もほとんど無く、絶好の鏡張り日和でした。
《ウユニ塩湖 ㉒》

ただ、日没を楽しむというよりは人類の進化の歴史を考えたり。
《ウユニ塩湖 ㉓》

最後は千手観音菩薩像のまねごとをしたりして終了です。
《ウユニ塩湖 ㉔》

一人旅だったので団体行動が苦手な私は他の参加者に迷惑をかけるのではないかと若干心配でしたが、参加したツアーのガイドは皆フレンドリーで親切だったので楽しく過ごすことができました。
皆さんもこの写真集を見て尻込みせずに果敢にトライしてみて下さい。ここに掲載した何十倍もの団体写真がゲットできるのは約束できます。
ただ、特にサンライズ・ツアーは尋常じゃなく寒いので防寒対策に十分ご留意下さい。
《ある日の夕食》

ウユニにはあまりいいレストランは無いのですが、ただ1店、Wiphala Pub という店は見かけは大衆食堂のようでしたが食事は最高でした。
リャマヒレステーキのキヌア・ペースト添え(B$50、約800円)は素朴ですがとても美味しく、ビールもよく冷えていてとても心地よいひとときを過ごすことができました。

ボリビアではリャマステーキを何度か食べましたが食感(噛み心地)は豚、香りは鶏に近いと思います。アルパカ(こちらは少しビーフに近い食感)と合わせて、どちらも悪くないと思います。
《ポトシの街並み ①》【世界遺産】

ウユニを訪問した後は、ウユニの北東約200km、バスで約3時間半の山岳部に位置する Potosí を訪問しました。
《ポトシの街並み ②》【世界遺産】

ラパスもウユニも標高約3,700mと、充分すぎるほど高い場所にありましたが、ここポトシはそれに輪をかけた高所で、公称4,090mと、世界で最も高い場所にある都市の一つとされています。(因みに、前編でご紹介したエル・アルト市は4,150mあるので、既にここより高いです。)
《ポトシの街並み ③》【世界遺産】

ポトシの町は1546年に鉱山採掘のために設立され、その後栄枯盛衰を繰り返してきました。そのような歴史を刻んだ鉱山と街並みが共に1987年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
《ポトシの街並み ④》【世界遺産】

旧市街中心部にはスペイン統治時代のコロニアルな建築物が多く残っています。
《ポトシの街並み ⑤》【世界遺産】

モダンな雰囲気の商店街もあります。
《ポトシの街並み ⑥》【世界遺産】

1547年に建てられたサン・フランシスコ教会(Iglesia y Convento de San Francisco)は修道院を併設したポトシで最も古い教会です。
《ポトシの街並み ⑦》【世界遺産】

正面に見えるのがセロ・リコ(Cerro Rico、「富の山」の意)と呼ばれる当時から続く鉱山です。
《ポトシの街並み ⑧》【世界遺産】

旧市街の中心の11月10日広場に面して建つカテドラル(Catedral)は、1564年に建設が始まり1600年頃に完成したものの傷みが激しく、現在残っているものは19世紀初めに大幅に修復されたものだそうです。
《ポトシの街並み ⑨》【世界遺産】

一方、3ブロックほど離れた中央市場に面して建つサン・ロレンソ教会(Iglesia de San Lorenzo)も1572年に建てられた後19世紀に修復されている教会です。
《ポトシの街並み ⑩》【世界遺産】

ロンリープラネットによれば、ボリビアで最もフォトジェニックな装飾が施された教会ということです。
《ポトシの街並み ⑪》【世界遺産】

さすがに町全体が世界遺産に登録されているだけあって裏路地にも風情があります。
《ポトシの街並み ⑫》【世界遺産】

表通りは、昔ながらの構造にカラフルな色彩が施され、お洒落に仕上がっています。
《ポトシの街並み ⑬》【世界遺産】

ラ・コンペニーア・デ・ヘススの塔(Torre de la Compañia de Jeesús)から南の方角を見た様子です。
セロ・リコをバックにしたポトシの町は、絵はがきやガイドブックによく採用される代表的なポトシの景観です。
《ポトシの街並み ⑭》【世界遺産】

南東方向です。
中央やや意義寄りに見えるのがサン・フランシスコ教会の鐘楼です。
《ポトシの街並み ⑮》【世界遺産】

こちらは東方向です。
画面の左端に見えるのがカテドラルです。
《ポトシの街並み ⑯》【世界遺産】

そしてこれがラ・コンペニーア・デ・ヘススの塔本体です。
ガイドブックによると土・日曜日は閉まっているとのことで入場は諦めていたのですが、たまたま前を通りかかったら開いていたので慌てて入らせてもらいました。
とてもラッキーでした。
《ポトシの街並み ⑰》【世界遺産】

日没後のカテドラルは威厳を保ちつつチャーミングな感じが出ていて好感が持てます。
《ポトシの街並み ⑱》【世界遺産】

カテドラルの東にある8月6日広場も夜はライトアップされて素敵なムードに仕上がっています。
《ポトシの街並み ⑲》【世界遺産】

カテドラルの入口から11月10日広場を見た様子です。
メルヘンな感じが魅力的です。
《ポトシの街並み ⑳》【世界遺産】

カテドラルの内部です。外観同様堂々とした雰囲気に包まれています。
《ポトシの街並み ㉑》【世界遺産】

日曜の夜ということもあってか、夜更けになると人通りはめっきり少なくなりましたが、身の危険はほとんど感じない平和な町です。
《ポトシの街並み ㉒》【世界遺産】

翌日は、カテドラルの鐘楼に登ってみました(入場料B$10、約160円)。
月曜日だからか、礼拝客の数は前日ほどではなくまばらでした。
《ポトシの街並み ㉓》【世界遺産】

前の晩に訪れた8月6日広場です。広くはありませんが、多くの人々の憩いの場となっています。
《ポトシの街並み ㉔》【世界遺産】

カテドラルから南の方角を望んだ様子です。
手前に見えるのがサン・フランシスコ教会、背後に聳えるのがこの町を鉱山の町にしたセロ・リコです。
セロ・リコは、17世紀半ばまでの100年間に、世界の全産出量の半分に当たる16,000tの銀をスペインに送り込んだと言われ、その後も現在に至るまでスズを始め数種類の鉱物が採掘されている、文字通り「富の山」なのです。
《サン・フランシスコ教会 ①》

サン・フランシスコ教会の屋上からの眺めも素晴らしいということだったので、1日4回しかない教会内ガイド・ツアーに参加してみました。
《サン・フランシスコ教会 ②》

先述のとおり、この教会はポトシで最も古い教会ですが、町の歴史自体が非常に古いため、同時にボリビア最古の教会の一つでもあります。
《サン・フランシスコ教会 ③》
地下にはカタコンベ(地下墓地)が設置されており、多くのしゃれこうべが眠っています。
《サン・フランシスコ教会 ④》
いつの頃の方々だかわかりませんが、随分きれいに保存されています。
《サン・フランシスコ教会 ⑤》

こちらは偉い方だったようで着衣にくるまれています。
《ポトシの街並み ㉕》【世界遺産】

教会の屋上に出ました。
《サン・フランシスコ教会 ⑥》

鐘楼には立ち入れませんが、眺めは良いです。
《サン・フランシスコ教会 ⑦》

右手に見える塔はパリ・オルコ(Pari Orko)という、以前はポトシのシンボル的なタワーだったそうですが、現在では残念ながら閉鎖されています。
《サン・フランシスコ教会 ⑧》

北の方角にはカテドラルが見えます。

ポトシでは色々高いところに登り、どこも少しずつ違った味わいがありましたが、カテドラルからの眺めが一番良かったようです。
《ポトシの街並み ㉖》【世界遺産】

再び地上の様子です。
《ポトシの街並み ㉗》【世界遺産】

ボリビアというと皆さん民族衣装を着た小柄で小太りな方々という印象がありますが、若い人たちは至って普通な感じです。
《ポトシの街並み ㉘》【世界遺産】

それでも路地はどこもボリビア情緒に溢れています。
《ポトシの街並み ㉙》【世界遺産】

こんなに高地にもかかわらず(というか、だからこそなのかもしれませんが)、市内は坂だらけです。
ペルーからボリビアに入り、既に2週間ほど高地順応しているはずにもかかわらず、足取りは重く、いつも息も絶え絶えに歩かざるを得ません。
《スクレ歴史地区 ①》【世界遺産】

ポトシの次に訪れたのはポトシの北東約160kmに位置するボリビアの憲法上の首都 Sucre です。

首都とはいうものの、実際は最高裁判所があるだけで、その他の国家機関はほとんど全てラパスに移動しています。
《スクレ歴史地区 ②》【世界遺産】

標高は約2,750mと一般的には非常に高所ですが、ポトシの4,090mに比べると約1,300mも下ってきたわけで、そのせいかどうかわかりませんが、市内にはジャカランダの花が咲いていたりして、随分温かみを感じます。

そんな理由もあって、スクレは元々、ポトシで産出した銀を管理するために設立されたのが始まりで、当初は銀を意味する「ラ・プラタ」という名前の町でしたが、後に初代大統領の名に因んで「スクレ」と改名されました。
《スクレ歴史地区 ③》【世界遺産】

中心部は、若干の高低差がある地域もありますが、基本的に平らに近く、気楽に歩くことができます。
《スクレ歴史地区 ④》【世界遺産】

16世紀に銀の財力で整備されたコロニアル様式の古い町並みが残っている上、市街地美化の観点から建物の壁は白く塗ることが義務付けられていることから、「白の街」(Ciudad Blanca de América)と呼ばれることもあります。
《スクレ歴史地区 ⑤》【世界遺産】

町の中心にあるのが5月25日広場です。
《スクレの自由の家 ①》【世界遺産】

その5月25日広場に面して建ち、スクレで最も重要な建物が、自由の家(Casa de la Libertad)と呼ばれる、1825年にスペインからの独立宣言の調印式が行なわれた場所で、ボリビア誕生の地とされています。
《スクレの自由の家 ②》【世界遺産】

入口を入ってすぐ正面にあるのが独立ホール(El Salón de la Independencia)です。
《スクレの自由の家 ③》【世界遺産】

演壇の背後には、建国の父と称えられるシモン・ボリバル (Simón Bolívar、中央)とアントニオ・ホセ・デ・スクレ(Antonio José de Sucre、左)の他、第51代大統領ヒューゴ・バリビアン(Hugo Ballivián、右)の肖像画が飾られています。
《スクレの自由の家 ④》【世界遺産】

上部には国章をあしらったステンド・グラスが嵌め込まれています。
《スクレの自由の家 ⑤》【世界遺産】

2階に上がると、重さ4トンもある一刀彫りのボリバルの像が鎮座しています。
《スクレ歴史地区 ⑥》【世界遺産】

自由の家から2ブロック北に建つサン・フランシスコ教会(Iglesia de San Francisco)は、スクレの町の建設開始と同時に建築が着手されたという、1538年完成のスクレ最古の教会です。

ポトシ最古の教会もサン・フランシスコでしたが、スクレも同じです。
《スクレ歴史地区 ⑦》【世界遺産】

スクレには沢山の教会や修道院があります。1621年建築のサン・ミゲル教会(Iglesia San Miguél)もその一つです。
《スクレ歴史地区 ⑧》【世界遺産】

裏にはイスラム的なデザインが取り入れられたムーア様式の美しい中庭が設置されています。
《スクレ歴史地区 ⑨》【世界遺産】

こちらは、17世紀に建てられたサンタ・テレサ修道院です。
正面の塔の3つの鐘が目印です。
《スクレ歴史地区 ⑩》【世界遺産】

サン・フェリペ教会・修道院(Iglesia y Convento San Felipe Neri)は、1795年完成で、植民地時代のスクレを代表する建物の一つと言われています。
《スクレ歴史地区 ⑪》【世界遺産】

教会の脇では、学校帰りに駄菓子を買う子供たちに人気のお店が営業していました。
《スクレ歴史地区 ⑫》【世界遺産】

中心部の南東の外れの小高い丘の上には、市内の眺望が素晴らしいというラ・レコレータ修道院(Iglesia de La Recoleta)が建っています。
《スクレ歴史地区 ⑬》【世界遺産】

1601年築造のラ・レコレータ修道院自体は現在は博物館として公開されていますが、その中でもハイライトと言えるのが、1595年に日本の長崎で殉教した日本人キリシタンをモデルにした彫刻が刻まれた聖歌隊席です。
《スクレ歴史地区 ⑭》【世界遺産】

スクレはこのように美しい街並みや教会、設立の歴史などが評価され、1991年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
《スクレ歴史地区 ⑮》【世界遺産】

白い壁に赤い屋根の建造物が印象的が建ち並ぶ様子は、ボリビアの他の都市とは違った趣があります。
《スクレ歴史地区 ⑯》【世界遺産】

中心部の北西の外れにある最高裁判所付近には「Abogado」の看板を掲げる家が軒を連ねていました。
中南米ではアボカドはよく食べられていますが、どうしてこれほど多くの店が乱立しているのだろうと不思議に思ってあとで調べたらフルーツのアボカドは avocado であって abogadoではありませんでした。アボガドは弁護士事務所のことだそうです。
道理で店先にアボカドが積まれていない訳です。
《ボリーバル公園 ①》

最高裁判所の西には緑豊かなボリバル公園(Parque Bolívar)が広がっていて市民の憩いの場となっています。
《ボリーバル公園 ②》

そのほぼ中心に建つのが高さ約15mのミニ・エッフェル塔です。
どういう経緯で建てられたのか全く不明ですが、頂部からの眺めが良いと日本の有名ガイドブックに紹介されていたので調子に乗って登ってみましたが、周りに立つ木立の方がよっぽど高くて他には何も見えず、すっかり騙されてしまいがっがりでした。
《スクレ国際空港》

スクレは仮にもボリビアの首都だけあってラパスを含むいくつかの都市へのフライトがあります。

ペルーから陸路で入国後、ずっとバスで移動してきた私ですが、ここからラパスへはバスだと13時間かかるということだったので、ラパスへは飛行機を使うことにしました。
国内線はボリビア航空とアマゾナス航空のフライトがほとんどですが、アマゾナスは荷物の制限があるのでボリビア航空の方が便利です。
《サンタ・クルス ①》

最後に、おまけになりますが、1998年の第1回目の訪問の際には、ボリビア第2の都市 Santa Cruz も訪問しました。因みにこの際も往復飛行機でした(バスだとラパスから片道15時間程度)。
《サンタ・クルス ②》

標高500m足らずの緑が美しい常夏の町ですが、主な見どころは中心部のカテドラルくらいでしたので、残念ながらあまり訪れる価値は無いように感じました。

ボリビア共和国の写真集(前編)に戻る。

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