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旅の写真集  ブータン王国(後編)HEADLINE

ブータン観光の旅行記を兼ねた写真集の後編です。このページでは、国内中東部のブムタン地方から、ポプジカ、プナカ、首都ティンプーを経て、パロ近郊のタクツァン僧院を巡った復路の様子をご紹介します。

《ジャンパ・ラカン ①》

Jambey Lhakhang は、ブータンのほぼ中央に位置するトンサから標高3,400mのヨトン・ラ(Yatong La)、2,900mのキキ・ラ(Kiki La)を越えるトータル約60km、車で2時間弱のブムタン(Bumthang)地方の中心地ジャカル(Jakar)近郊にある寺です。
《ジャンパ・ラカン ②》

ブムタン地方はブータンに初めて仏教が伝わった聖地であり、7世紀に初めてチベットを統一したソンツェン・ガンポ王によって当時のチベット圏に108建てられた寺のうちの一つであるこの寺は、パロのキチュ・ラカン(Kichu Lhakhang)と並ぶブータン国内最古の寺2つのうちの一つです。
《ジャンパ・ラカン ③》

長い歴史を経て増改築が繰り返されてきたため、敷地内にはいくつもの建物が複雑に建ち並んでいます。
なお、ジャンパという名前は、本尊のチャンバ(弥勒菩薩)像に由来しているそうです。
《チョコルの田舎道 ①》

ブムタン地方はブータンに20ある行政区分の一つですが、国内でも最も古い寺や聖地が密集している地域です。ウラ(Ura)、 Chumey(チュメ)、タン(Tang)及びチョコル( Choekhor)の4つの谷から成っていますが、中でもチョコルはそれ自体がブムタンとも呼ばれるほどのこの地方の中心地です。
《チョコルの田園風景 ①》

そうはいうものの、チョコルの中心地でブムタン県の県庁所在地であるジャカルから1kmも歩くと、ご覧の様なのどかな田園風景が広がっています。
《チョコルの田園風景 ②》

ブムタン地方は標高約2,000mほどの高地なため、パロやティンプーで盛んな稲作はできず、ソバ、麦、じゃがいも等の栽培が中心となっています。
《チョコルの田園風景 ③》

畑の小屋も小さいながらも心がこもった装飾がされていたりしてほのぼのとした雰囲気です。
《チョコルの田舎道 ②》

相変わらず寺が多いので、僧侶も多く見かけます。
《クジェ・ラカン ①》

ジャンパ・ラカンから30分ほど歩くと Kurjey Lhakhang が見えてきます。
《クジェ・ラカン ③》

8世紀にこの地方に来た高僧がこの場所で深い瞑想に入り、その瞑想した場所に影(クジェ)が残ったとされ、その影を囲う形で建てられたことからこの名が付いた僧院です。
《クジェ・ラカン ③》

3棟の建物から成り、向かって一番右が1652年に建てられた最も古いもので、中央が1900年、一番左が1990年に建てられたものだそうです。ブータン王家との関係も深く、第3代国王の葬儀はここで執り行われたそうです。
《チョコルの集落》

昔ながらの伝統的な集落です。
《川辺の風景》

クジェ・ラカンの前を流れるブムタン川(チャムカル(Chamkhar)川とも言います)では、僧侶の方々が洗濯ついでに水泳だか水浴びだかを楽しんでいらっしゃいました。

聖職者でも脱いでしまえば普通の若者と変わりありません。
《タムシン・ラカン ①》

ブムタン川を挟んでクジェ・ラカンのちょうど対岸に位置する Tamshing Lhakhang は、1501年創建の僧院です。ただし、写真の僧坊など、多くの建物は19世紀末に修復された比較的新しいものです。
《タムシン・ラカン ②》

本堂1階の回廊に描かれた宗教画は、創建当時に描かれたもので、現存する国内最古のものの一つとされています。
《ジャカル・ゾン ①》

Jakar Dzongは、ジャカルの町の西の丘の上に建つ1549年創建のゾンです。その後、1646年に大改装され、1897年に起きた大地震で崩壊するなどして何度か建て直されたという経緯があります。
《ジャカル・ゾン ②》

前編でも書きましたが、ゾンは寺院としての機能だけでなく行政庁舎としての役割も持っています。ジャカル・ゾンもブムタンの県庁を兼ねているのですが、規模もあまり大きくはなく、人気(ひとけ)の少ないゾンでした。また、宗派の関係もあって、この地方の人々は、ゾンよりも他に数多くある寺を好んで訪れるそうで、それも人の少ない理由の一つのようです。
《メンバル・ツォ ①》

Membar Tsho は、ジャカルの町の中心部から幹線道路を東に向かって11kmほど登った山中にある渓谷で、かつての高僧がここの水底から教典や宝物を持ち帰ったという伝説から、その筋の人たちの間では非常に神聖な場所とされています。
《メンバル・ツォ ②》

この時も、何人かの信者が訪れて、ロウソクを手に何やら祈祷したりして思い思いの活動に余念がない様子でした。写真は、2人の僧侶風の男性たちが何か書いた紙を川に向かって投げ、一心に何か占っている場面です。
《メンバル・ツォ ③》

聖地だけあって、経文旗がはためいていて綺麗です。なお、チベットを起源とするルンタ(チベットではタルチョ)と呼ばれるこの5色の旗は、青・白・赤・緑・黄と順番が決まっていて、それぞれが天・風・火・水・地を表わしているそうです。
《ジャカル中心部の町並み》

ジャカルの中心部(通称チャムカル)のメインストリートです。江戸の情緒を今に伝える懐かしい町並みです。
《ジャカルの人々 ①》

長さ400mほどの道の両側には小さな小売店が並びます。
《ジャカルの人々 ②》

町屋の軒先では子供たちが質素に遊んでいます。
《ジャカルの人々 ③》

学校帰りの女の子たちです。皆、円筒状の弁当箱をぶら下げて歩いています。
《ジャカルの人々 ④》

こちらは中学生でしょうか。少し恥じらいが出てきた年頃なのか、弁当箱はバッグの中のようです。
《ジャカルの人々 ⑤》

一方、学生服姿の男性の若者は少なく、多くは法衣を纏っていました。
《ジャカルの人々 ⑥》

山口智子似の女の子と、背後から忍び寄る今風のギャルです。実際のところ、このようにハイカラな格好での町歩きは、都会以外ではあまり見かけませんでした。
《ジャカルで民泊》

遅ればせながら日本でも黎明期を迎えた民泊ですが、ブータンでは逆に、最近になってホテルなどの宿泊設備が整備されてきたものの、古くから役人の出張などの際には民泊が主流だったそうです。外国人観光客の間でもツアー中1泊程度は民泊を組み入れるのが人気とのことで、せっかくの機会なので私たちもお願いすることにしました。
《ジャンパ・ラカン ④》

この日お世話になったお宅は、午前中に訪れたジャンパ・ラカンのすぐ裏の丘の上に建つ典型的な民泊家屋で、お寺の眺めも抜群でした。
《民泊の寝室》

ブータンの民泊では、仏間で寝る場合も多いそうですが、このお宅は最近増築されたと思われる客用の小綺麗な寝室が備えられていて非常に快適でした。
《居間 ①》

結構広いお宅で居間だけでも15畳以上あり、家族と客人全員が集まっても余裕の空間です。
《居間 ②》

テレビは必需品ですが、その周りには家族の写真とともに皇族の写真やカレンダーがいくつも飾られ、人気の高さを感じました。
《民泊でおもてなし》

夕食は典型的なブータンの家庭料理をいただきました。豚バラ肉の煮物、焼き蕎麦(中華麺でなく本当のそば炒め)、焼きうどん、ニンジンとタマネギのサラダ、野菜スープなど、日本でも見られそうな料理でしたが味付けが少し薄いブータン風で、これに唐辛子とチーズを煮込んだエマ・ダツィと呼ばれるブータンでは欠かせない調味料を一緒に食べるといくらでもご飯が進み、食べ過ぎてしまいました。
《朝の紅茶》

ブータンの紅茶はミルク・ティーかバター茶です。せっかくなのでバター茶をお願いしました。予想していたほど癖もなく、美味しくいただきました。
《民泊で朝食》

朝食メニューは、卵焼きにインゲン豆のエマ・ダツィ煮にたっぷりのご飯でした。前夜に食べたエマ・ダツィがとても気に入ったので追加でお願いしたところ、とても喜んで出してくれました(写真一番左)。

ブータン料理は世界一辛い料理と言われ、特にエマ・ダツィはたっぷりの唐辛子とチーズを煮込んだものなのですが、チーズのお陰か意外にマイルドな仕上がりで非常に美味しいです。
《トンサ・ゾン》

復路は他に道がないので来た道を戻ります。2日前に通ったトンサ・ゾンも、展望台に着いたときに非常に晴れていたため、来る時よりも美しい写真が撮れました。
《ガンテの村》

トンサからペレ・ラを過ぎたところで南に逸れ、ブータンでも指折りの美しい自然景観が広がるというポブジカ(Phobjikha)地方に立ち寄ります。その途中にあるGantey Goempa は、1613年に創建された寺院ですが、そこへ向かう参道の様子も素朴で素敵です。
《ガンテ・ゴンパ内部 ①》

ガンテ・ゴンパとは、「山頂の寺」という意味だそうで、実際、この辺りの標高は約3,300mあります。
《ガンテ・ゴンパ内部 ②》

そんな高い場所にあるだけあって、ガンテ・ゴンパはチベット仏教四大宗派のうち最も古い歴史を持つニンマ派の寺院としてはブータン国内最大級のものだそうです。
《ガンテ・ゴンパ内部 ③》

軒先にはガルーダをモチーフにしたような装飾が施されていました。魔除けでしょうか。
《ガンテ・ゴンパ内部 ④》

こちらは寺院では定番の狛犬一族のようです。
《ポブジカ》

ポブジカは3,300m級の山々に囲まれたすり鉢状の盆地となっていて、毎年10月下旬から2月末頃までの間、500羽ほどのオグロヅルが飛来する鶴の里として有名です。

訪問したのは5月だったので鶴たちには会えませんでしたが、この写真の中央の湿原こそが彼らのお気に入りだそうで、時期が来れば鶴の楽園のようになるそうです。
《ポブジカのゲストハウス》

この日の宿は、そんな季節外れの楽園が眼下に広がる丘の中腹に建つゲストハウスでした。
《ゲストハウスの装飾》

壁の装飾もお茶目な感じで落ち着きます。
《ゲストハウスの女子》

こんな素敵な環境に囲まれて育った宿の女子もとても気さくで、写真よりもずっと美人でした。
《ゲストハウスの男児》

普通の男の子たちですが、服装がカラフルで良かったです。
《ワンデュ・ポダンの人々》

ポブジカで一夜を過ごした翌日は、再び西に向かいます。途中、往路で立ち寄ったワンデュ・ポダンに着くと大勢の人々が沿道に並んでいました。ガイドに確認してもらうと、何でもこの国で一番偉い坊さんが現在全国行脚中で、正に間もなくここを通過するとのことで、この機会にそのご勇姿を是非直接拝見したいということで集まっているとのことです。
《とても偉い人》

この黄色い方がブータンで一番偉いというお坊さんです。ちょっと若い気がしますが、少なくともガイドはそう言っていました。本当だとすれば大僧正ですよね。日本で言うと、池田大作先生のようなお立場でしょうか。庶民の皆さんは、この先生が手に持ったガラガラで先を争って頭を撫でて貰って有頂天になっていました。
《ワンデュ・ポダン・ゾン》

これも前編でご紹介しましたが、あのときは雨だったため、念のため晴天下での写真をアップさせていただきました。
《プナカ・ゾン ①》

ワンデュ・ポダンから北に20kmほど走ると、Punakha Dzong が見えて来ます。
《プナカ・ゾン ②》

1637年に創建され、国内ではシムトカ・ゾン(Semtokha Dzong)に次いで2番目に長い歴史を持つゾンですが、度重なる火災や地震や水害で何度も被害を受け、その都度大規模な改修や増築が行なわれてきた結果、現在では、ブータンで最も美しいゾンと言われています。
《プナカ・ゾン ③》

訪れたのは5月上旬でしたが、ちょうどジャカランダの紫の花が満開で、ブータンで最も美しいゾンを最も美しい時期に見ることができ、明らかに感動しました。
《プナカ・ゾン ④》

なお、このジャカランダという花(というか木)は中南米原産で、南部アフリカなどに植樹され美しく咲き乱れているのをよく目にしますが、ブータン国内ではここだけでしか見られないそうです。
《プナカ・ゾン内部 ①》

プナカの標高は1,350mと、パロやティンプーと比べても約1,000mも低く、ブータン国内の町の中では比較的温暖な気候であるため、1955年にティンプーが通年の首都に定められるまでは冬の間の首都だった場所で、現在でもブータンの宗教界の大僧正は、冬にはティンプーを出てこのプナカ・ゾンで修行をしているそうです。
《プナカ・ゾン内部 ②》

いつも通り美しいブータン建築です。
《プナカ・ゾン内部 ③》

欄干の装飾も神がかり的な美しさです。個人的には酷く抵抗がありますが今風に言うと「仏ってる!!」という感じでしょうか。
《プナカ・ゾン内部 ④》

僭越ながら、我が家の外壁にも導入したいほど惚れ惚れするデザインです。
《プナカ・ゾンの六道輪廻図》

前編でもご紹介しましたが、六道輪廻図は、中心には輪廻する原因の無知・憎しみ・貪欲の三毒が、その外側に、上から時計回りに、天、修羅、餓鬼、地獄、畜生、人の6つの世界が、最も外側に12の因縁が描かれているインドに起源を持つ世界観を表した図です。
《プナカ・ゾンの宇宙図》

「カーラチャクラ・タントラの宇宙図」(カーラは時、チャクラは輪、タントラは教典の意)と呼ばれるチベット仏教の世界観を描いた曼荼羅です。
《プナカ・ゾンの中庭》

ジャカランダ舞い散る境内は、男同士の僧侶でも肩を組みたくなるほどロマンチックです。
《食後の風景》

プナカ・ゾンを出てティンプーに向かう途中、ロペサ(Lobesa)の村のレストランに昼食で立ち寄った際、周囲の家々が唯ならぬ雰囲気を醸し出しているのを感じました。見なかったことにしようかとも思いましたが、そこら中に顔を覗かせているのでどうしても目に入ってしまいます。
【閲覧注意】《自転車と私》

誕生日プレゼントっぽく、リボンで飾られています。

気に入ってくれたら嬉しいな。大事に使ってね。。。

ということかと思ったらそうではなく、この近くにチミ・ラカン(Chimi Lhakhang)という有名な子宝寺院があることから村全体が1年中お祭りムードで、どの家の壁にも、ポーと呼ばれる男性器の絵が昼夜を問わず傍若無人かつ縦横無尽に描かれているのです。他にも、軒先には実物大やどう見ても誇張気味の木彫りのポーが取り付けられたり吊り下げられたりと大騒ぎです。お土産も、素材もサイズも色も豊富に各種取り揃えられているので安心です。
【取扱注意】《リボンの騎士》

この男性は随分凶暴な顔つきです。いくら神様でも仏様でもポー様でも、もう少し謙虚な方が好感が持てます。

なお、この村は特別ノリが良いですが、ブータンでは全土で多かれ少なかれポーを良く見かけます。興味のある方は、早速来週にでもポーを訪ねる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。
《ティンプー中心部》

色々ありましたが、ティンプーに戻って来ました。戻ったと言っても往路では通過しただけなので、訪れるのは初めてです。

写真は市街地中心部を走るノルジン通り(Norzin Lam)です。こうして見ると、国内の他のどの都市(というか町)とも圧倒的にステージが違います。
《ティンプーの時計塔広場》

ノルジン通りのそのまた中心にあるのが時計塔広場です。イベント・スペースとして利用されることが多いようで、この時も翌日に行なわれる地域物産展の準備中でした。
《ティンプーの交差点》

時計塔広場のすぐ近くにある、ノルジン通りとチョルテン通り(Chorten Lam)との交差点には、中央に美しいブースが設置されて警察官が交通整理をしています。

実は、ブータン国内にはティンプーを含め信号機が1機もありません。

1992年に(こことは別の場所に)設置されたことがあるそうですが、国情にそぐわない、多くの運転手が不慣れで逆に危険が増大するなどという理由で撤去されたそうです。
《交通警察》

ただし、この交差点を含め、ブータン国内の主な交差点は全てラウンドアバウトになっているので、信号機が無くても(更にはこの人たちがいなくても)現状では問題がないというのが実状です。
《ティンプーの映画館》

ノルジンラム沿いにあるノスタルジックなブータン最古の映画館です。上映しているのはほとんどブータン映画だそうです。
《ティンプーのタシチョ・ゾン ①》

ティンプーのゾンはティンプー・ゾンとは言わず、Tashichho Dzong(縁起の良い宗派のゾン)と呼ばれています。

ティンプーの最初のゾンは1216年にここから2kmほど北の高台に建てられたのですが1772年に火災で焼失し、現在の場所に移転した後も3度の火災や地震による被害を経て、最終的に現在のゾンは1962年に完成したものだそうです。
《ティンプーのタシチョ・ゾン ②》

中心部から2.5kmほど北にあるとても大きな建物ですが、国王のオフィスとブータン仏教の総本山を兼ねているため、本来はゾンに収容されるはずの官庁のためのスペースがなく、それらはゾンの南側に別棟で建てられた施設に収容されています。
《タシチョ・ゾンの衛兵》

国王のオフィスがあるだけあって、警備に余念がありません。
《タシチョ・ゾン内部》

ウォーリーのようになっていますが、ゾンなのでお坊さんもいます。建物は巨大ですが相変わらず細かい装飾が満遍なく施されています。
《ブータン料理》

以前、民泊手料理をご紹介しましたが、今回はティンプーの正宗レストランで出てきたものです。分かり辛(づら)い写真ですが、どれも非常に美味しかったです。特にエマ・ダツィは素晴らしかったです。ブータン料理は世界一辛(から)いと言われていて確かに辛(から)いですが、本当に世界一かどうかは微妙です。マイルドな味付けなので、辛(つら)いと感じることは少なくとも(多く見積もっても)一度もありませんでした。
《ティンプーのメモリアル・チョルテン》

時計塔広場から南側に歩いて10分弱のところに建つ1974年完成の Memorial Chirten は、43才の若さで亡くなった第3代国王の発願で建てられたことからその名が付いた美しい仏塔で、毎日多くの市民が訪れコルラ(時計回りに巡回して参拝)しています。
《パロ・ゾン ①》

到着した日に訪れたパロに戻って来ました。翌日のパロ近郊の観光を含め、最後に2泊します。
《パロ中心部の町並み》

郊外に国内唯一の国際空港があり、タクツァン僧院観光の拠点ともなるパロですが、その中心部は2本の大通りが並行して走る両側にレストランや商店が並ぶだけの非常に質素な町です。
《ポーのある風景》

パロ市街中心部にも、ポーは至る所に自然に溶け込んでいます。
《パロの人々》

幕末の江戸の風景をパロったような懐かしい風景です。
《パロ中心部から見たパロ・ゾン》

市街地中心部から見るパロ・ゾンは、田園地帯から見た時より大きく、威風堂々としています。
《パロ・ゾン ②》

夕暮れ時の日の当たり具合がとても素敵だったので、最後にもう一度その勇姿を写真に収めに参りました。
《パロ・ゾン ③》

なお、パロ・ゾンは、ネパールのカトマンズにあるボダナートと共に、1994年に日本でも公開されたベルナルド・ベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」のロケ地となったことでも有名です。
《パロの田園風景》

パロの中心部から5分も歩くと、民家が点在する緑豊かな田園地帯が広がっています。
《バス停》

町の外れのマイクロバス停では、地元の老若男女が思い思いの思いを胸にのんびりバスを待っていました。
《ブータン式風呂 ①》

この日は、ホテルにチェックインした後、伝統的なブータン式の風呂(ドツォ)を楽しもうということで、ホテルの敷地内の少し離れたところにあるドツォ小屋に向かいました。
《ブータン式風呂 ②》

小屋の中には木製の風呂桶が4つ並んでいました。仕切りはなく共同浴場形式ですが、風呂桶は各自1つを占有できます。
《ブータン式風呂 ③》

水が張られた風呂桶は2つに仕切られていて、そのうち全体の3分の1ほどを占める小さな方に、この道何十年のベテランと思われるおじさんが、裏の竈でギンギンに熱した大きな石を次々に投入します。
《ブータン式風呂 ④》

3~4個ほど入って暖かくなったところで板で仕切られた広い方に入り、その後は湯加減を確認しながら、自分にとって適温と思われるまで石を追加してもらうというシステムです。なお、石の数によって料金が変わってくるということはないので、アツアツが好みの方は、遠慮せずに追加注文しましょう(ただ、湯温は石を入れて時間差で上昇するので気を付けましょう)。
《ブータン式風呂 ⑤》

ドツォ小屋のすぐ裏にある竈です。ここで何時間もかけて加熱するそうです。
大量の薪と長い時間をかけてあの石たちができあがるのだと思うと、その有り難さを実感せずにはいられません。
《ゾン風ホテル》

パロ2泊のうちの最初の宿は、かつてのパロの知事宅を改装したというミニゾンチックな造りで、いわゆる古城ホテル的なロマンチックな雰囲気に浸ることができました。
《ライトアップされたパロ・ゾン》

ホテルはパロ・ゾンを正面に見る高台に建っていたので、ライトアップされたパロ・ゾンとその後ろのタ・ゾンの姿を夜遅くまで満喫できました。
《タクツァン僧院への道 ①》

翌日は、最後の訪問先としてブータン観光のハイライトの一つ Taktsang Lhakhang へ出かけました。

パロ中心部から12kmほど北にある駐車場まで車で移動し、そこから片道(往路)約2時間半のトレッキングに出発です。写真は駐車場付近から見たタクツァン僧院(中央やや左の山腹に見える白い建物)です。標高は約3,000mだそうです。
《タクツァン僧院への道 ②》

最初は、松林の中、小川沿いにチョルテンが並ぶなど平坦な道ですが、すぐに山道になり、時々急な坂道なども越えながら進みます。
《タクツァン僧院への道 ③》

だんだん疲れてきますが、途中にはトイレもあるので安心です。
《タクツァン僧院への道 ④》

1時間近く歩くと道はなだらかになり、目の前(写真中央付近)に第一展望台が見えて来ます。
《タクツァン僧院への道 ⑤》

約1時間かけて到着した第一展望台(標高約2,800m)からの眺めです。近いような遠いような微妙な距離感ですが、ここからゴールまでは、ここまでより更にきつい約1時間半の道のりです。
《タクツァン僧院への道 ⑥》

谷を避けるように回るので、さっきの展望台より明らかに遠くなっているように見えますが、仕方ありません。
《タクツァン僧院 ①》

40分ほど歩くと第二展望台(標高約3,100m)に到着です。ここからの眺めは絶景です。

因みに、タクは虎、ツァンは巣を意味するので、英語ではTiger's Nest Monastery と呼ばれることもありますが、色彩といい風格といい、その名前に恥じることのない素晴らしい美しさです。
《タクツァン僧院 ②》

よくこんなところに建てたものだと感心しますが、僧院というのは得てして険しい山の頂上や中腹に建てられているので、それ自体は珍しいものではありません。

なお、タクツァン僧院は1692年に建てられましたが、1998年4月19日に起きた火事で全焼し、現在のものは2004年に修復が完了されたものです。

ここまで、ブータン国内各地で色々なゾンや僧院を見てきましたが、そのほとんどが過去に火災や地震による被害を受けている事実には驚かされます。
《タクツァン僧院への道 ⑦》

第二展望台からの眺めだけでも、この僧院を訪れた目的はほぼ達成したようなものですが、せっかくここまで来たのだからもう少し(約40分)歩いて内部を拝観することにしました。

ただ、ここから先は滝を越えるために一度、急降下します。何のためにここまで登ってきたのか悲しくなりますが、これがその滝まで降りてきたところです。滝自体大したものではありませんが、すぐ脇の岩の割れ目に建つ仏塔がチャーミングです。
《タクツァン僧院への道 ⑧》

滝からは、最後の上りに備えます。もう少しの辛抱です。
《タクツァン僧院への道 ⑧》

無数のタルチョー(経文旗が舞う中を登って行きます。
《タクツァン僧院 ③》

遂に到着ですが、近すぎて全容が収まりきっていないのが残念です。

また、内部は写真撮影が禁止されていますので、写真だけが目的の人(そんな人がどのくらいいるのかわかりませんが)や、途中で疲れちゃった人は、途中に2つある展望台(できれば第二展望台)まででも十分楽しめるかもしれません。
《パロ近郊の風景》

古くから建つブータンの伝統的民家は、外見が美しく保たれているのはもちろんのこと、一つの建物に何世代もの家族が同居する場合も珍しくないので、国際的に見てもかなり大きく立派なものとなっていて、一戸一戸が近所の家屋と離れて独立性を保っています。
《キチュ・ラカン》

タクツァン僧院とパロ市街の中間に位置する Kichu Lhakhang は、ブムタンのジャンパ・ラカンと同様、7世紀に初めてチベットを統一したソンツェン・ガンポ王によって建てられた108の寺院のうちの一つで、この二つの寺院は国内最古のものとなっています。。
《パロ国際空港》

前編でもご紹介したドゥルック・エアーです。
《ドゥルック・エアー》

余程のことがない限りもう二度と乗ることはないと思うと感慨もひとしおです。
《上空から見たパロ空港》

周りを山に囲まれた狭い渓谷にあるパロ空港は、世界で最も離着陸が難しい国際空港の一つとされています。離陸後は270度くらい旋回しながら上昇します。
《パロ渓谷》

パロ渓谷だけでなく、国土全体が本当に山だらけです。上空を通過するだけでは、このような場所で多くの人々が古くからの伝統と信仰を守って暮らしているのは中々想像がつきません。

旅行費用は高いですが、皆さんも機会があれば是非訪れてみて下さい。ある程度人生観が変わるのは間違いないと思います。


旅の写真集ブータン(前編)に戻る。

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