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旅の写真集  タジキスタン共和国HEADLINE

タジキスタン観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここでは、ウズベキスタンとの国境の町ホジャンドから首都ドゥシャンベを経てタジキスタン観光のハイライトとも言えるパミール高原を周遊し、最後にウズベキスタン国境の町ペンジケントに至る行程をご紹介します。

《ホジャンド の町①》

タジキスタンへは国際線飛行機でドゥシャンベ空港へ入ることもできますが、ウズベキスタンから陸路で入るのも比較的簡単です。

タシケントからホジャンド(Khojand)、サマルカンドからパンジャケント(Panjikent)という2つのルートがありますが、今回はタシケントに入国してすぐにタジキスタンへ向かったのでタシケントから入りました。タシケントからホジャンドへは国境での手続きと乗換えも含め車で3~4時間ほどです。
《ホジャンドの町 ②》

1枚目の写真は新市街中心部の様子で、とても広い道路の両側の街路樹で保護された広い歩道沿いに比較的新しい大きなビルが建ち並ぶ旧ソ連の都市部のような雰囲気でしたが、旧市街(左の写真)中心部(写真はシャーク・ストリート)は、いかにも中央アジアという感じの佇まいです。
《ホジャンドの町 ③》

それでもこの道路(2枚目の写真)の下は比較的新しい地下街になっていて、1km以上にわたって多くの店が営業しています。
《ホジャンドの町 ④》

再び地上に出て中心部の勝利の広場(ploshchad Pobedy)に出ると、屋外マーケット(Panchshanbe Bazaar)が開かれていました。
《ホジャンドの町 ⑤》

昼過ぎにもかかわらず、多くの買い物客で賑わっていましたが、市場での買い物は女性の担当のようで、客のほとんどは地元のおばさん方でした。
《ホジャンドの町 ⑥》

因みに、タジキスタンは国民の90%以上がムスリムです。そして、同じムスリムでも中央アジア色の強い服装の人が多いです。
《ホジャンドの町 ⑦》

バザールには子供の遊び場も完備されているので、お子様連れの買い物客でも安心して訪れることができます。
《ホジャンドの町 ⑧》

ここのバザールは中央アジアでも有数の規模を誇るものだそうで何でも売っていますが、特に中央アジア特産のフルーツはふんだんに扱われています。
《ホジャンドの市場 ①》

建物に入ると常設のバザールが広がっています。
《ホジャンドの市場 ②》

中央アジア特有の現象ですが、多くの一般人は写真を撮られることに非常に好意的で、自分の方から写真を撮ってくれと言ってくるのでこちらとしてはとても好都合です。
《ホジャンドの市場 ③》

こちらはスパイス関連のお店です。
《ホジャンドの市場 ④》

ナッツ類も種類が豊富です。
《ホジャンドの市場 ⑤》

ドライフルーツも特産ですので、信じられないほど安いです。
《ホジャンドの市場 ⑥》

パンは固くて大きい円形のナンが主流です。

あくまで個人的には、固すぎてぽさぽさであまり好きではありませんが、この国の人達はこれが大好物なようで、凄い勢いで売れています。
《ホジャンドの市場 ⑦》

Wikipediaによると、タジク人の食卓において主菜はあるがナンがない場合、食事が不足していると言われるくらいナンは必需品なのだそうです。

また、ナンは非常に大切な物と考えられていることから、地面に落としたりした場合には、人々は物乞いや鶏のために落としたナンを棚などの上に置いておくそうです。
《ホジャンドの市場 ⑧》

一方で、ロシア系の人達には普通の食パン形式の物もたくさん売られています。
《ホジャンドの市場 ⑨》

特大スイカも山盛りです。これも1個200円くらいの激安価格です。
《ホジャンドの市場 ⑩》

メロンも無造作に転がしてあります。日本のものと負けず劣らずの味のものが信じられないくらいのお値段で手に入ります。
《ホジャンドの市場 ⑪》

肉は鶏肉、羊肉、牛肉が主で、当然のことながら豚肉は売っていません。
《ホジャンドの市場 ⑫》

こちらは穀類やパスタなどのお店です。
《ホジャンドの市場 ⑬》

果物売り場は相変らず種類も数も豊富です。
《ホジャンドの市場 ⑭》

先述のとおり昼過ぎに訪れたので、場内は盛りを過ぎぎてまったりした雰囲気になっています。
《ホジャンドの市場 ⑮》

こちらのトマトは3スムと表示されています。この時のレートで1スムは約13円でしたので、1kg40円の訳ありませんので、100gのお値段でしょうか。

先ほど家のトマトを計ったら1個150gぐらいだったので60円弱というところです。

安いことは安いけどスイカやメロンほどではないようです。
《ホジャンドの町 ⑨》

マーケットの隣にはシェイン・マッサル・アッディン廟(Mausoleum of Sheikh Massal ad-Din)が建っています。
《ホジャンドの町 ⑩》

14世紀に建てられたこの霊廟は12世紀に活躍した詩人でありホジャンドの統治者でもあったシェイン・マッサル・アッディンを偲んで建てられ、モスクやミナレットなどから形成されています。
《ホジャンドの町 ⑪》

シェイン・マッサル・アッディン廟から北西に1kmほど歩いたところには、シタデルと呼ばれる要塞があります。

もともとは10世紀の遺跡でしたが、外壁部分は21世になって建て直され、立派ではありますがあまり風情のないものとなっています。
《ホジャンドの町 ⑫》

内部は2014年に開園した公園になっていて奥には小さな霊廟も建っています。

こちらも14世紀の当地の詩人カマリ・フジャンディ(Kamol Khujandi)を称えるために建てられた記念碑だそうです。
《ホジャンドの町 ⑬》

公園の北側にはシルダリヤ川が流れていて、ホジャンドの北部の新市街との間にはロープウエイも架かっていて市民の足となっています。
《タジキスタンの食事 ①》

タジキスタン料理は典型的な中央アジア料理で、ウズベキスタンの料理に非常に似ています。

代表的なものとして、プロフ(炊き込みご飯)、マンテ(水餃子)、マスタヴァ(トマトスープ)、ラグマン(汁うどん)などがあります。

左の写真は、そのうちの一つラグマン(結構ボリュームがあって、これで約300円)です。
《タジキスタンの食事 ②》

こちらは地元の食堂で食べた定食です。安食堂では、ショーウインドウの中から好きな物を選んでお皿に盛ってもらうというスタイルが一般的です。

今回のメインはマトンハンバーグで、サラダもつけてこれも約300円でした。

《ホジャンドの町 ⑭》

ホジャンドで2泊した後、首都のドゥシャンベに向かいました。

バザールのすぐ近くのメインのバスターミナルからご覧のようなミニバン(マルシュルートカ)で、約5時間半の道のりです。
《ドゥシャンベ ①》

そうして着いたのがタジキスタンの圧倒的第一位の大都会ドゥシャンベです。

大通りの両側には高層ビルが林立する町並みはとても立派ですが、実際に近くで見ると張りぼて感に溢れる北朝鮮の平壌(行ったことないけど)のような雰囲気です。
《ドゥシャンベ ②》

ただ、かつて本格的な社会主義国家を標榜していただけあって、道幅は異常に広く、歩道だけでもこのような有様です。
《ドゥシャンベ ③》

こちらも同じ。

左側に見える車道は片側3車線は優にあり、公園のような中央分離帯を挟んで、反対車線も同様の構造です。
《ドゥシャンベ ④》

ドゥシャンベでの最も重大なミッションは、この後に訪れるパミール高原の入域許可証を取得することでした。

市街地南部にあるOVIRという事務所を訪れると、ガイドブックでは翌日発行とのところ、即日(同日の午後一番)に発行してくれるということで、3時間ほどの待ち時間で取得することができました。
《ドゥシャンベ ⑤》

入域許可証が取得できれば、あとはのんびりと観光するだけです。

まずはOVIRから徒歩15分ほどの所にあるドゥシャンベのランドマークとも言えるイスモイル・ソモニ記念碑を訪れました。

イスマイル・ソモニ氏は、建国の父であり、タジキスタンの通貨単位のソモニにその名を使われている他、同国の最高峰イスマイル・ソモニ峰の由来ともなっている歴史と国家の象徴的存在です。
《ドゥシャンベ ⑥》

ここから更にメインストリートを2kmほど北に歩くと高さ121mの独立記念塔(モヌメント・イスチクロル)が見えてきます。
《ドゥシャンベ ⑦》

6月の酷暑の中、敷地内には数人しか人がいませんでした(敷地内への入場は無料)。
《ドゥシャンベ ⑧》

塔の内部の施設は非常に整っていますが、入場料が約900円と、この国にしてみれば微妙な値段だったためか、普段から入場者はほとんどいない様子です。

私が入った時にも他には誰もいませんでした。
《ドゥシャンベ ⑨》

1階と2階の内部にはギャラリーや博物館があり、国の文化遺産や歴史に関する展示物を見ることができます。
《ドゥシャンベ ⑩》

特に1階には地元の民族衣装を着たとても美しいマネキンの方々が並んでいて、年甲斐もなく酷く萌えるレベルでした
《ドゥシャンベ ⑪》

この女性(と言ってもただのマネキン)は最高に美しく、9等身くらいの超美女で、30分くらい見惚れていました。

タジキスタンではこれくらいの美女がデフォルトで出てくるのかとこの時は結構期待しましたが、こんな美人が実際に登場することは決してありませんでした。
《ドゥシャンベ ⑫》

今はちょっと怪しいようですが、私が訪れた時にはエレベーターで最上階(14階)の展望台まで妙齢のギャルが付き添って案内してくれました。

これは東側の正面玄関の方角の構図です。
《ドゥシャンベ ⑬》

これは、少し西側のマンション群です。
《ドゥシャンベ ⑭》

こちらは南東の張りぼて居住地域です

夜になるととても美しい夜景が見られますが、どうやら人はあまり住んでいないようです。
《ドゥシャンベ ⑮》

北西側のモスクです、最近できたらしいですが、中央アジアでも有数の規模を誇る大型施設だとのことです。
《ドゥシャンベ ⑯》

北側には発電所が見えます。大都会の直近に大型発電所があるというのは、まあ、フェアな感じがして政策としては良い感じです。
《ドゥシャンベ ⑰》

翌朝は、新市街の南にあるバスターミナルからパミール高原方面行きのランクルに乗り込みました。

ランクルは満員になり次第発車で、長距離であることから朝早くにターミナルについておいた方が良いということで6時に着いてスタンバイしていましたが、定員の8人(運転手除く)が集まってようやく出発できたのは昼の12時でした。
《南部山岳地帯の道 ①》

ドゥシャンベからこの日の目的地であるパミール高原の入口の町ホーログ(Khorog)までは、順調に行って15時間ほどです。
《南部山岳地帯の道 ②》

とてもきつい車内にこれだけの長い時間閉じ込められるのは本当に厳しいですが、途中、ドゥシャンベから4時間ほど走ったのクリャブ(Kulob)の町を越えてパンジ川(Pyanji River)沿いに出ると素晴らしい絶景が広がります。
《南部山岳地帯の道 ③》

道路は川の向かって左側を走りますが、川の向こう側はアフガニスタンです。
《南部山岳地帯の道 ④》

アフガニスタンは非常に急峻な山岳地帯で知られていますが、正にどの方角から見ても絶壁と言えるような山々が連なっていて圧倒されます。
《南部山岳地帯の道 ⑤》

アフガニスタン側は細い山道が時々見られるだけですが、タジキスタン側は比較的きれいに舗装された道が続きます。タジキスタンは中央アジア最貧国と言われていますが、それでもアフガニスタンと比べると優位性が際立っていると感じました(ただしこの後しばらく行くと未舗装の道路を6時間ほど走らなくてはならなくなります。ただ、それでもアフガニスタン側と違って車は通行可能です)。
《南部山岳地帯の道 ⑥》

この辺りが未舗装区間です。

対岸には時々アフガニスタンの集落も見えます。
《ホーログの町 ①》

日没後も未舗装の道を延々と走り続けて夜中の3時にようやく宿につきました。昼食と夕食の休憩を含めて15時間の長旅でした。

さすがに疲れ果て、翌日は11時まで寝ていて、午後は市内の散策に出かけました。
《ホーログの町 ②》

タジキスタンのアフガニスタン国境付近は日本の外務省からはレベル3の渡航中止勧告が発出されていますが、街なかは至って平和です。

欧米の先進国よりも安心して歩けるほどのんびりしています。
《ホーログの町 ③》

川から水を引いた池(地元の人にとってはプール)では多くの子供や大人が水遊びを楽しんでいて、まるで地上の楽園のようです。
《ホーログの町 ④》

ホーログの町は標高2、100mほどに位置していますが、私が訪れた6月末のこの日は気温は30℃を超え、絶好の水遊び日和でした。
《ホーログの町 ⑤》

突然ですが、タジキスタンの大東をご存じでしょうか?

エモマリ・ラフモン(Emomali Rahmon)という人で、タジキスタンの街なかにはこの人の写真で溢れかえっています。
《ホーログの町 ⑥》

1952年生まれの彼は、1994年から大統領の座に就いて以来、30年以上もの間、ほぼ独裁態勢を続けています。
《ホーログの町 ⑦》

ロシアのプーチン大統領と非常に仲が良いことでも有名で、ネットなどでは「プーチンの犬」などと揶揄されることがしばしばあります。
《ホーログの町 ⑧》

再びホーログの町の話題に戻ります。

ホーログは、その立地と、ここへ来るまでの道のりを考えるととんでもなく田舎の町ですが、道路も町並みも非常にきれいです。
《ホーログの町 ⑨》

中心部の日没後の様子です。

一番高い建物でも5階建て程度ですが、中央アジア最貧国の田舎町とは思えないほど整然としています。
《ホーログの町 ⑩》

平和を絵に描いたような雰囲気で、夜に一人で歩いていても全く問題ありません。

川を1本隔てた対岸がアフガニスタンだとは、何度言われてもなかなか信じられない落ち着き様です。

人々も非常にフレンドリーで、とても心が温まります。
《パミール・ハイウエイ ①》

ホーログに2泊した後は、いよいよ今回のタジキスタン旅行のハイライトであるパミール・ハイウエイに向かいます。

この日の目的地であるムルガブ(Murgab)までは、再び4輪駆動車(今回はパジェロ)で約8時間の道のりです。
《パミール・ハイウエイ ②》

2日前と同様、右手にパンジ川を眺めながら少し南下します。
《パミール・ハイウエイ ③》

ホーログの町を出て20分もすると東に進路を取り、じりじりと標高を上げながら山岳地帯に入っていきます。
《パミール・ハイウエイ ④》

4千メートル級の山々が間近に迫ってきます。
《パミール・ハイウエイ ⑤》

1時間ほど山道を登ると、道はフラットになります。

これがパミール・ハイウエイです。
《パミール・ハイウエイ ⑥》

時折、中国国境(標高4,762mのクルマ峠(Kulma Pass))を越えて行き交うトラックとすれ違う他にはほとんど車は走っていません。
《パミール・ハイウエイ ⑦》

集落も、ホーログからムルガブまでの約300kmの間、片手に余るほどしかありません。
《パミール・ハイウエイ ⑧》

途中には塩湖のような場所もありました。

この辺りは正に天上の楽園といった趣です。
《パミール・ハイウエイ ⑨》

ホーログとムルガブの間にある一番大きなアリチュール(Alichur)の村で昼食休憩を取りました。
《パミール・ハイウエイ ⑩》

村といっても建物は20軒ほどしか建っていない本当に小さな集落です。

この村を出ると、隣の家まで東西どちらも2時間くらいかかるようなロケーションです。
《パミール・ハイウエイ ⑪》

再び東に向かって走り続けます。
《パミール・ハイウエイ ⑫》

この辺りはずっと標高4千メートルを超えていますが、ほぼ平らな高原地帯がずっと続いています。
《パミール・ハイウエイ ⑬》

森林限界をとうに超えているので、木は一本も生えていません。
《パミール・ハイウエイ ⑭》

高度は高いですが6月の日差しはきつく、昼はとても暑いですが、陽が陰ってきて日陰に入ると急に寒くなります。
《パミール・ハイウエイ ⑮》

ムルガブまであと数キロの地点まで来ると、放牧された馬などが現れ、人の雰囲気を感じられるようになります。
《パミール・ハイウエイ ⑯》

ホーログから約8時間(途中の昼食休憩を含む)走り続けて、日が暮れる前にようやくムルガブに到着しました。

これがムルガブの中心部です。こんな辺鄙な高地にも関わらず人口は6,000人ほどもいるそうですが、こぢんまりとした町です。

当初の予定では、ここから更に北上して国境を越えてキルギスに向かうことも考えましたが、数ヶ月前から両国間の政情が不安定のために国境が閉鎖されているとのことで、ここで1泊して再び来た道を戻ることにしました。
《パミール・ハイウエイ ⑰》

いくら風光明媚とは言え、同じ道(片道8時間)を中0日でとんぼ帰りするのは、いささか疲れます。

なお、私は追加料金を払って助手席を確保したのでまだましでしたが、後列には3人乗車していたので、彼らは相当辛かったと思います。

更に言えば、運転手と車は前日と同じでした。二日続けて(というかほぼ毎日?)片道8時間の結構単調な道を往復するのも相当気の滅入る仕事だと思いました。
《パミール・ハイウエイ ⑱》

まあ、天気がそこそこ良かったのは幸いでしたが。
《タジキスタンの食事 ③》

前日同様約8時間でホーログのホテル(2日前まで泊まっていた Zarya Hotel)に到着。

夕食はパンジ川の支流のグント川(Gunt River)に面した(と言うかせり出した)テラス席でテイクアウトのインドビリヤニを食べながら、シルシルというタジキスタン製のビール(1.5ℓのペットボトル入りでで約250円)を楽しみました。
《ホーログの町 ⑪》

翌日には約600km離れたドゥシャンベへ再び約15時間の長旅です。
《南部山岳地帯の道 ⑦》

ホテルを朝の8時に出て、4日前にドゥシャンベから来た道を再び戻り始めました。
《南部山岳地帯の道 ⑧》

相変わらずの悪路ですが、道は空いています。
《南部山岳地帯の道 ⑨》

1時間ほど走ると、土砂崩れがあったようで通行止めに出くわしました。

いくら空いているとは言え、途中何台かの車に抜かされたにもかかわらず、同じ方向に向かう車線には前に一台も車が停まっていなかったので、修復工事は始まったばかりのようでした。

それにもかかわらずもう工事車両が到着しているというのには驚きました。

この道は他に迂回道路が全くない上に、頻繁にこのようなことが起きるので迅速な対応が求められ、それがスムーズに遂行されていることに驚きました。

あるいは、もともと工事予定だったのでしょうか?
それなら相当アンラッキーですが。
《南部山岳地帯の道 ⑩》

通行止め解除を待っている間に見た風景です。

高原に咲く花がきれいでした。
《南部山岳地帯の道 ⑪》

30分ほど待ってようやく通行止め区間を通り抜け、再びパンジ川沿いの深い渓谷を進みます。
《南部山岳地帯の道 ⑫》

前回と逆で、今回は川の向かって左側がアフガニスタンですが、相変わらずの絶景です。
《南部山岳地帯の道 ⑬》

途中、アフガニスタンのとても小さな村が川越しに見られます。

タリバンはとても深い山奥を拠点としていますが、流石にこの辺りまで直接支配はしていないらしく、とても長閑な風情です。
《南部山岳地帯の道 ⑭》

更に2時間ほど走ると、10台以上のトラックが渋滞して停まっていましたが、こちらは普通車なので左車線を使って追い抜いて行きます。
《南部山岳地帯の道 ⑮》

先頭まで進むと、1台のトラックがわざとらしく道を中途半端に塞いで停車していました。

このトラックの運転手に訊くと、この先で道路修復工事があるということで、2時間ほど通行止めにするとのことです。

今回も我々の車は通行止めの先頭でした。先ほどの通行止めの後、10台以上に追い抜かれていたのに再び先頭とは本当に運が悪いです。
《南部山岳地帯の道 ⑯》

ただ、唯一幸いだったのは、止められた場所の向かいのアフガニスタン側に小さな集落があったことです。
《南部山岳地帯の道 ⑰》

もちろん川を泳いで渡って訪問することなどできませんが、一時でもアフガニスタンの人たちの日々の営みを肌で感じることができたのは良かったです。
《南部山岳地帯の道 ⑱》

結局、最初2時間と言われていた通行止めは3時間半もかかってしまいました。

おかげで我々の車が先頭だった渋滞もこんな有様で1km以上繋がっているようでした。

そんな訳でドゥシャンベに着いたのは夜中の3時近くになってしまいました。

こんな時間にもかかわらず予約していた宿に無事チェックインできたのは良かったですが19時間の長旅には肉体的にも精神的にもとても疲れ果てました。
《パンジャケント ①》

そんな訳で、ドゥシャンベには3泊して旅の疲れを十分癒やした後、次の目的地Penjikentに向かいました。

今回の移動はこれまでほどきつくなく、乗合いタクシーでドゥシャンベから4時間弱で到着しました。

パンジャケントはタジキスタン最西部の町で、ウズベキスタン国境まで約15km、サマルカンドまでも国境審査込みで2時間ほどという便利な立地です。
《パンジャケント ②》

パンジャケント近郊にはちょっとした観光スポットがいくつかあるので、ここには3泊することにしました。

まず最初に向かったのは、町の中心部から徒歩20分ほどの場所にある Ancient Penjikentという遺跡です。
《パンジャケント ③》

ここは5世紀から8世紀頃に栄えた古代都市の遺跡で、中央アジアのポンペイと呼ばれているそうそうです。
《パンジャケント ④》

ガイドブックなどには「当時の面影が残る」というようなことが書いてありましたが、風化しきった建物の土壁の残骸が見られるだけの、だだの丘に毛が生えたような場所でした。
《パンジャケント ⑤》

それでも時折このような大きな建物の残骸も見られたし、他に人は全くいないし、何より入場料が無料だったので、のんびりとお気楽に楽しむことができました。
《パンジャケント ⑥》

一番高いところからはパンジャ兼との町並みを望むこともできます。
《サラズム遺跡 ①》【世界遺産】

次に訪れたのはパンジャケントから西に車で約10分、ウズベキスタンとの国境まで約2kmほどのところにある Sarazm です。

パンジャケントからはマルシュルートカ(乗合いバス)でも行くことができますが、私の場合は、バス停で待っていたら地元のおじさんが「家が近くなのでタダで乗せていってやる」というのでお言葉に甘えました。タジキスタン人は基本的に皆さん非常に親切です。
《サラズム遺跡 ②》【世界遺産】

サラズムは紀元前4000年から紀元前3000年頃の都市遺跡で、中央アジアで最も古い定住地の一つとして知られ、2010年にタジキスタンで初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
《サラズム遺跡 ③》【世界遺産】

この遺跡は、古代の農業や金属加工の発展、並びに東西の文化交流の証拠を示しているそうです。
《サラズム遺跡 ④》【世界遺産】

遺跡内部は、広大な敷地に大きな屋根で保護された建物の遺構などが(結構修復された形で)10件弱残っています。
《サラズム遺跡 ⑤》【世界遺産】

各遺跡群の入口には案内文もあるのですが、あまり親切な説明ではないので、ほとんど理解できませんでした。

タジキスタン(パンジャケント)とウズベキスタン(サマルカンド)の国境越えの際には必ず通りかかるので、興味がある人は途中下車して見学するのもいいかもしれませんが、よほどのマニアでない限り、特に感動するようなものではないのかなと思いました。
《セブン・レイクス ①》

翌日はホテルで車をチャーターして約50km離れたところにある Seven Lakes を訪れました。

当初は、ブラジル人のカップルが一緒で1台US$70ということで合意していたのですが、前日になってその2人がキャンセルしたので、1台US$60に負けてもらいました。

予想外の負担になってしまいましたが、せっかくここまで来たし、他にすることもないので決行しました。
《セブン・レイクス ②》

セブン・レイクスというのは、文字通り、7つの湖が見られる観光スポットです。

上の写真とこの左側の写真が1つめの湖です。
《セブン・レイクス ③》

左の写真が2つめの湖です。

7つの湖は全部、川や地下水脈で繋がっているので水質は同じなのですが、どういう訳か湖によって水の色が違って見えます。
《セブン・レイクス ④》

これも下の方に微かに2つめの湖が見えますが、道路はどんどん標高を上げていきます。
《セブン・レイクス ⑤》

こちらは3つめ目の湖です。

なお、先ほどから1つ目とか2つ目とかと呼んでいますが、実際のところ、各湖ごとの名前は無いようです。

Google Mapを見ても、The ×th of the Seven Lakes と書いてあるだけです。
《セブン・レイクス ⑥》

これが4つめ目の湖です。

ここまでは各湖の脇に車を停めて写真を撮るだけで通過していましたが、ここでちょっと休憩が入りました。

地元の若者が集まってピクニックをしている様子なども見られました。
《セブン・レイクス ⑦》

4つ目の湖は縦に長く、南北に1km以上に渡っていますす。
《セブン・レイクス ⑧》

5つ目の湖は4つ目の湖の1kmほど南にあります。

7つの湖の中では最も小さいです
《セブン・レイクス ⑨》

これが6つ目。

6つ目と7つ目の湖は同じくらいの大きさ(どちらも外周3~4km)で、最大規模を競っています。
《セブン・レイクス ⑩》

6つ目の湖の周りが最も栄えていて湖畔には宿泊施設なども数軒建っています。
《セブン・レイクス ⑪》

ここでは車を停めて水遊びを楽しむ地元の方達も何組か見られました。
《セブン・レイクス ⑫》

7つの湖の中では水辺も広く、上流に位置しているので水も非常に澄んでいて、とても爽やかな雰囲気です。
《セブン・レイクス ⑬》

普通の車で行けるのは6つ目の湖の少し先までだったので、そこからは1km弱歩いて7つ目の湖に向かいます。
《セブン・レイクス ⑭》

先述のとおり、7つ目の湖は結構大きく、その周りには湖畔を散策する歩道が整備されています。
《セブン・レイクス ⑮》

ただ、どこまで行っても特に大きな変化は無さそうだったし、この日は小雨が少しぱらつく天候だったため、途中で引き返すことにして今回のプチ・トリップは終了しました。

7つ目の湖畔で過ごした約1時間含めて約6時間半のツアーでしたが、久しぶりにゆっくり自然を満喫することができ、まあ満足できる内容でした。
《パンジャケント ⑦》

再びパンジャケントに戻って来ました。

パンジャケントは中央アジアにありがちな非常に長閑な田舎町です。
《タジキスタンの食事 ④》

最後になりますが、左の写真は、パンジャケントで通い詰めたホテル前のファーストフード店でテイクアウトしたシャワルマです。これで220円くらいでした。

一般的にタジキスタンの食事はあまり美味しくないのですがこのシャワルマは絶品で、今まで世界中で食べた中で断トツで一番の美味しさでした。

何の変哲もないお店(ホテルの支配人の推薦はありましたが)でこのような食事に出会えた時の感動はひとしおです。

お陰で、とても気持ちよくタジキスタンの旅を締めくくることができました。



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