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旅の写真集 ベトナム社会主義共和国(前編)HEADLINE

ベトナム観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここでは、国内最大の都市ホーチミン・シティと中部の古都フエ周辺の様子をご紹介します。

《ホーチミン・シティ中心部 ①》

サイゴン川沿いに発展し、1975年まではサイゴンと呼ばれていた Ho Chi Minh City は、ベトナム南部に位置し、人口約900万人を抱える大都市です。
《ホーチミン・シティ中心部 ②》

ベトナム人の間ではHCMCと訳されることも多いですが、国内では今でも都市名としてはサイゴンという方が通じたりします。
《ホーチミン・シティ中心部 ③》

中心部には車も多く走っていますが、それを遙かに上回る数のバイクで満ち溢れています。
《ホーチミン・シティ中心部 ④》

信号機の無い交差点では、文字通り縦横無尽に走りまわっていますが、不思議と大きな事故は起きません。
《ホーチミン・シティ中心部 ⑤》

一方で、晴れた日中は気温がとても高いので、歩道を歩く人はまばらです。
《ホーチミン・シティ中心部 ⑥》

こちらは、ホーチミン人民委員会庁舎前ですが、一部の観光客を除いては、やはり人通りは多くありません。
《ホーチミン・シティ中心部 ⑦》

付近にはベトナムを象徴するノンラー(笠、現地では「ノン」とも呼ばれます)姿の女性が水まきをしていました。
《ホーチミン・シティ中心部 ⑧》

大通りの歩道にもノンラー姿の女性が座り込んでお店を広げていました、
《ホーチミン・シティ中心部 ⑨》

こういった簡易な天秤屋台は営業資金が更に少なくて済むのがいいですね。

東南アジアではタイなどでも時々見かけますが、これもベトナム情緒に溢れています。
《ベン・タイン市場 ①》

市街地中心部に位置する Chợ Bến Thành は、ホーチミン・シティの中央市場です。
《ベン・タイン市場 ②》

食料品、雑貨、衣料品まで何でも揃っていますが、多くの観光客が訪れるスポットでもあるため、値段は少し高めだし、交渉テクニックも必要です。
《ベン・タイン市場 ③》

フルーツ類などは、日本ではあまり見かけないものなども多く売られています。
《ベン・タイン市場 ④》

建物の内部には買い物に訪れた人が軽く食事できるようなフードコートもあります。
《ベン・タイン市場 ⑤》

フォーなどをテイクアウトして食べながら営業している様子なども東南アジアではよく見かけますね。
《ベン・タイン市場 ⑥》

2015年のデータによると、ベトナム人の一人当りの米の消費量は世界第4位とのことで、米は種類も量も豊富に扱われています。

因みに日本は第50位だそうです(量にするとベトナム人の約30%程度)。

米は日本の食文化などと言うのはちゃんちゃら可笑しいと反省しました。
《ベン・タイン市場 ⑦》

肉も各種取り揃えられています。
《ベン・タイン市場 ⑧》

新鮮な魚も豊富です。
《ベン・タイン市場 ⑨》

野菜なんかも売るほどあります。
《ベン・タイン市場 ⑩》

虫も食べますよ。
《ホーチミン市中心部 ⑩》


今回訪れたのは、ベトナム戦争終結25周年記念日(2000年4月30日)直後だったため市内はお祝いムードに溢れ、至る所に看板や装飾が施されていました。
《ホーチミン市中心部 ⑪》

こちらは正に25年前の1975年4月30日、解放軍の戦車が入城しベトナム戦争を終結させた統一会堂(旧大統領官邸)ですが、多くの垂れ幕に彩られていました。
《ホーチミン市中心部 ⑫》

街路にも国旗や赤い横断幕が張り巡らされていました。
《ホーチミン市中心部 ⑬》

市民たちは特にパレードなどをする訳でもなく、いつもと変わらない風でしたが、恐らく感慨はひとしおだと思います。
《ホーチミン市中心部 ⑭》

サイゴン大教会(聖母マリア教会)は19世紀末に建てられたカトリック教会です。

ベトナム国内では仏教に次いでカトリックが人気です。ただ、多くの人々は土着の宗教を信仰しているそうなので、国民全体に占めるカトリック教徒の割合は7%程度に過ぎないとのことです。

それでも日曜日になると多くの人々が連れ立ってここを訪れ、大盛況だそうです。
《フエ ①》

ホーチミン・シティの900kmほど北に位置する Huế は、中心部を流れるフオン川 Hương Giang 沿いに広がる、ベトナム中部を代表する都市の一つです。
《フエ ②》

フオン川を境に旧市街と新市街に分かれ、旧市街に残る阮朝(グエン朝、Nhà Nguyễn)の建造物群は世界遺産に指定されるほどの古都です。
《フエ ③》

その旧市街と新市街を結ぶのが、このチャンティエン(Trang Tien)橋です。
《フエ ④》

2000年当時、海外旅行でのホテルの事前予約などということはあまり常識的ではありませんでしたが、今回の旅ではゴールデンウイークの限られた日程を有意義に使わなくてはいけないという必要性から、そのチャンティエン橋の新市街地側の袂に建つ、歴史と格調と好立地とそれなりの料金を兼ね備えたホテル・サイゴン・モーリン(Saigon Morin)を日本から予約して2泊しました。
《フエ ⑤》

というのも、当時はネットでのホテル予約などまだまだ先の話で、当時ようやく普及し始めたメールを駆使して返事があった数少ないホテルがこちらだったのです。

おかげで人生でも10回くらいしか泊まったことのないプール付きのホテルになってしまいましたが、先ほどBooking.comで調べたら、今でもUS$50ほどで泊まれるようなので驚きました(評価も依然として高い上に当時より安くなってるし)。

とはいうものの、ベトナムは世界でも最も宿のCPが高い国の一つなので、次に訪れたときにまた泊まれるかどうかは微妙です。
《ドンバ市場 ①》

この暑い中、ホテルにプールが付いているのは非常に魅力的だし、ついホテルライフを満喫したくなりましたが、ゴールデンウイークの限られた時間の中でそんな悠長なことも言っていられず、部屋に荷物を置くと、早速、市内の散策に出かけました。
《ドンバ市場 ②》

チャンティエン橋を渡ってすぐのところにある Chợ Đông Ba は、ホーチミン・シティのベンタイン市場と同様、フエを代表する中央市場です。
《ドンバ市場 ③》

食料品や雑貨はもちろん、地元産の郷土品なども取り扱っていますが、観光地化していることもあり、料金は高めだし店員もしつこい人が多いので、見るだけにしておくのが無難です。
《ドンバ市場 ④》

建物の外にも天秤に商品を並べて道の上に勝手にお店を広げている人も多く見かけます。

主に自分の畑で取れた野菜などが売られているようです。
《阮朝王宮 ①》【世界遺産】

次に訪れたのは旧市街中心部に鎮座する阮朝王宮(別名「フエ王宮」)です。

阮朝とは、1802年から1945年にかけて存在したベトナムの王朝です(ただし、1887年10月17日から1945年3月10日にかけては、フランス領インドシナの一部としてフランスの支配下にありました)。

王宮を幾重にも取り囲む堀沿いにはバラック街が立ち並んでいます。
《阮朝王宮 ②》【世界遺産】

王宮正面の南に建つのが見張り台として使われていたフラッグタワーです。

1809年に建てられた後、ベトナム戦争や天災の被害を受けて何度も破壊され、現在のものは1969年に再建されたものだそうで、3層式の台座の高さは17.4m、塔の頂上までの高さは29.6mあります。
《阮朝王宮 ③》【世界遺産】

午門と呼ばれる皇宮の正門は、2階建ての建物で、正午になると太陽が門の真上に来るように設計されているそうです。
《阮朝王宮 ④》【世界遺産】

午門から振り返って見たフラッグタワーです。
《阮朝王宮 ⑤》【世界遺産】

午門を入ってすぐ正面に見えるのが政治の中心となっていた太和殿です。
《阮朝王宮 ⑥》【世界遺産】

太和殿は縦30.5m、横44m、高さ11.8mの平屋の建物です。

ベトナム戦争中の1968年にテト攻勢で完全に破壊されてしまいましたが、1970年に再建されました。
《阮朝王宮 ⑦》【世界遺産】

北側から見た太和殿です。

築30年とは思えない風格を備えています。
《阮朝王宮 ⑧》【世界遺産】

太和殿から左に進んだところに建つのは阮朝の菩提寺である顕臨閣です。
《阮朝王宮 ⑨》

周囲約2.5km(南北600m、東西620m)の城壁に囲まれた広大な敷地内には、この他にも多くの建物が修復されて残っています。

比較的新しいフエ王宮の建造物群ですが、ベトナムを代表する文化遺産なので、ゆっくり散策するのもいいと思います。
《フオン川のボート》

次に向かったのは、フエ王宮の西、フオン川の上流2kmほどの川沿いに建つティエンムー寺(Chùa Thiên Mụ)です。

陸路でも行けますが、川からの眺めが良いということで、乗合いボートを利用することにしました。
《ティエンムー寺 ①》【世界遺産】

これが水上から見たティエンムー寺です。
《ティエンムー寺 ②》【世界遺産】

1601年に建てられた高さ約21mの八角形の7層の塔はフエを代表する美しい構造物です。
《ティエンムー寺 ③》【世界遺産】

「慈悲の塔」とも呼ばれ、各層に仏像が安置されています。
《ティエンムー寺 ④》【世界遺産】

とても長閑で美しい寺ですが、かつてここの住職であったティック・クアン・ドック(Thích Quảng Đức)氏が、ベトナム戦争中の1963年6月11日に、当時の政権が行なっていた仏教徒への弾圧に抗議して、サイゴンのアメリカ大使館前でガソリンをかぶって焼身自殺したことでも有名です。

ドックは支援者たちが見つめる中、絶命するまで胡座をかいたままの姿勢を崩さず、その衝撃的な写真が世界中に広まると、ベトナム国内だけでなく国際世論に大きな影響を与えることとなりました。
《カイディン帝廟 ①》【世界遺産】

次に訪れたのは王宮の約10km南の郊外にある Lăng Khải Định)です。
《カイディン帝廟 ②》【世界遺産】

フエは100の寺があるとも言われる古都ですが、その多くは新市街の南の郊外に点在しているので、徒歩で回るのは余程のんびりした人以外はちょっと難しいです。
《カイディン帝廟 ③》【世界遺産】

日本の某有名ガイドブックなどではバイクや四輪のタクシーをチャーターするのが便利と書いてありましたが、ベトナムでの交渉は非常に面倒なことは知っていたし、これまでに何度も不愉快な思いをしたことがありました。

このため今回は、宿泊していた身分不相応な高級ホテルに紹介してもらったバイクタクシーで回ることにしました。
《カイディン帝廟 ④》【世界遺産】

カイディン帝廟は、1920年から1931年まで12年かけて造られた陵墓です。
《カイディン帝廟 ⑤》【世界遺産】

カイディン帝はフランスに擁立されたこともありフランスの影響を強く受けたことから、自身の陵墓もバロック様式を取り入れて建築するよう命じたそうです。
《カイディン帝廟 ⑥》【世界遺産】

こちらの啓成殿は、礼拝堂と墓所が置かれている廟内のメインの建物です。
《カイディン帝廟 ⑦》【世界遺産】

外壁も内装も非常に美しく仕上げられています。
《カイディン帝廟 ⑧》【世界遺産】

実物大のカイディン帝像は全身金箔で覆われ、光り輝いています。
《カイディン帝廟 ⑨》【世界遺産】

この像の地下9mに皇帝の遺体が安置されているそうです。
《ミン・マン帝廟 ①》【世界遺産】

Lăng Minh Mạng は、カイディン帝廟の約3km西にある1843年完成の陵墓です。
《ミン・マン帝廟 ②》【世界遺産】

第2代皇帝ミンマン帝は儒教的思想を重視していたため、中国の明や清の陵を参考にして建てられたそうです。
《ミン・マン帝廟 ③》【世界遺産】

13代続いたグエン王朝の最盛期の建築物群だけあって、フエに数ある廟の中でも最も美しいものとも言われています。
《トゥドゥク帝廟 ①》【世界遺産】

次に訪れたのは、ミン・マン帝廟の約7km北に位置する Lăng Tự Đức です。
《トゥドゥク帝廟 ②》【世界遺産】

第4代皇帝トゥドゥック帝(在位期間は1847~83と他の皇帝に比べて圧倒的に長い)の存命中の1867年に完成していて、生前は離宮として利用されていました。
《トゥドゥク帝廟 ③》【世界遺産】

寝殿として使われていた和謙殿です。

敷地内には合わせて50近い建築物がありますが、全部の名前に「謙」が使われています。

これは在位中の1858年にフランスの植民地化のきっかけとなる侵攻を許してしまったことを恥じて名付けられたものだそうです。
《トゥドゥク帝廟 ④》【世界遺産】

なお、トゥドゥック帝には109人の正室・側室がいましたが、幼い頃に天然痘にかかった影響で実子はおらず、時代皇帝は養子に迎えた甥が即位しました。
《トゥドゥク帝廟 ⑤》【世界遺産】

グエン朝の最盛期はトゥドック帝までの4代で、その後は衰退の道をたどります。
《トゥ・ヒェウ寺 ①》【世界遺産】

トゥドゥク帝廟のすぐ近くにある Chùa Từ Hiếu は、1843年建立の古寺です。
《トゥ・ヒェウ寺 ②》【世界遺産】

ガイドブックなどにもあまり詳しくは載っていない寺ですが、とても落ち着いた雰囲気に溢れていて心が和みます。

中央の半円形の池にはナマズが泳いでいて、彼らに餌をあげると徳が積めることとされているそうです。
《DMZツアー ①》

非武装中立地帯(Demilitarized Zone)は、フエの約100km北の北緯17度線近くを東西に流れるベンハイ川(Sông Bến Hải)沿いに幅約4km(片側2km)に渡って設けられ、1954年から1976年までの約22年間、南北ベトナムを分断する軍事境界線となっていました。
《DMZツアー ②》

現在は周辺の見どころと合わせてフエからの日帰りツアーなどで訪れるのが一般的ということで、私たちも参加することにしました。
《DMZツアー ③》

ベンハイ川を渡る国道1号線の旧ヒエン・ルオン橋(Cầu Hiền Lương)です。

1950年にフランス植民地当局が建設した鉄橋は、当時から今に至るまで南北分断の象徴とされて来ました。
《DMZツアー ④》

ヒエン・ルオン橋の近くには戦争終結の記念碑が建てられています。
《DMZツアー ⑤》

クアンチ(Quảng Trị)の町に建つ、弾痕が大量に残るロンフン教会(Nhà thờ Long Hưng)も、今では観光スポットの一つです。
《DMZツアー ⑥》

周辺に点在する少数民族の村も訪問しました。
《DMZツアー ⑦》

戦争終結から約四半世紀経ち、今では何も無かったかのような平和な雰囲気に満ちています。
《DMZツアー ⑧》

それでも辺りには当時の名残が見られます。
《DMZツアー ⑨》

この他にもヴィンモック・トンネル(Địa đạo Vịnh Mốc、地域住民が爆撃を避けるために掘り避難生活を送っていた地下道)なども訪問しますので、時間に余裕があれば是非ご参加されることをお勧めします。
《ダナンへの道 ①》

フエでの観光を終えると、次はフエの約90km南の町 Đà Nẵng にバスで向かいました。
《ダナンへの道 ②》

この辺りは海沿いの風光明媚な田園地帯を進むので、車窓からの素晴らしい景色が楽しめます。
《ダナンへの道 ③》

特に途中に点在する小さな漁村がとてもチャーミングな印象でした。
《ダナン大聖堂》

ダナンはベトナム中部では最大の都市ですが、市内には特にこれといった見どころはありません。

1923年のフランス統治時代に建てられたという大聖堂ぐらいでしょうか。
《五行山 ①》

そんなダナンを訪れる人が必ずと言っていいほど立ち寄るのが、市街地中心部から車で15分ほどのところにある Ngũ Hành Sơn です。

別名、マーブルマウンテンと呼ばれます(大理石と石灰岩からできているため)が、実際は5つの山から成っています。
《五行山 ②》

その中で標高109mと最も高いトゥイーソン(Thủy Sơn)には展望台もあり、他の4つの山が見渡せます。
《五行山 ③》

また、途中には5つの寺や6つの洞窟があります。

写真はそのうちの一つ、リン・ウン・パゴタ(Chùa Linh Ứng)です。
《五行山 ④》

内部には仏像が安置されています。
《五行山 ⑤》

シャーリー・ストゥーパ(Bảo tháp Xá Lợi)は地上からも見える7層建ての美しい塔です。
《ビンタイ市場》

ダナンでの観光はこれくらいにして、飛行機でホーチミン・シティに戻りました。

今回は氏の中心部から西に5kmほどのところにあるチョロン(Chợ Lớn)と呼ばれるチャイナ・タウンに宿泊しました。

写真はチョロンの台所、Chợ Bình Tây です。

最初の方で中心部のベン・タイン市場をご紹介しましたが、名前はとても似ているものの別物です。

ただ、内部は特に変わったところもないので割愛させて頂きます。
《ティエン・ハウ廟 ①》

同じくチャロン地区にある Chùa Bà Thiên Hậu は、1760年に建てられたベトナム最古の華僑寺です。
《ティエン・ハウ廟 ②》

天井から津市下げられた多くの渦巻き線香が、如何にも中国風です。

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