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旅の写真集  ウガンダ共和国EADLINE

ウガンダ観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここでは、国の南西部、ルワンダ国境近くに位置する国内で最も美しいと言われるブニオニ湖、ビクトリア湖から流れ出るナイル川の源流の町ジンジャ、首都カンパラの様子をご紹介します。

《ブニョニ湖 ①》

ルワンダから陸路でウガンダに入国した私は、まず、国の南西端、ルワンダ国境にほど近い場所にあり、ロンリープラネットをして、ウガンダ国内に数ある湖の中で最も美しい(「undoubtedly the loveliest」)と言わしめるほどの Lake Bunyoni を訪問しました。
《ブニョニ湖 ②》

同書によれば、この湖を訪れた際にはいくつか浮かぶ島の一つに宿泊してその素晴らしさを堪能すべしとのことだったので、その中でも最も評価の高い(けれども値段はそれほど高くはない)宿に2泊することにしました。

右前方に見えるのがその宿があるイタンビラ(Itambira)島です。
《ブニョニ湖 ③》

本土から専用のモーターボートで10分ほどで到着です。
《ブニョニ湖 ④》

敷地内にはご覧のようなキャビンが10棟弱点在しています。

小さく見えますが室内の広さはそこそこで、バス、トイレも付いています。
《ブニョニ湖 ⑤》

高台からの眺めです。

確かにきれいな景色ですが、これがウガンダで一番かと言われると「ふーん、そうなの」という程度です。
《ブニョニ湖 ⑥》

小さな島ですが、私が宿泊した宿の他にもう1軒ホテルがあり、その他に住民もほんの数家族住んでいます。
《ブニョニ湖 ⑦》

それなりに美しい湖ですが、湖以外何もないというのが実状です。
《ブニョニ湖 ⑧》

着いた日のうちに1時間ほどで島内の観光(と言ってもただ歩き回っただけ)を終えてしまったので、翌日は対岸(逆に言うと本土)に渡ってトレッキングを楽しむことにしました。
《ブニョニ湖 ⑨》

このあたりで、何のために島に宿泊したのかちょっと意味がわからなくなってきましたが仕方ありません。
《ブニョニ湖 ⑩》

地元の子供たちが湖で汲んだ水を担いで険しい坂道を登っていました。

結構大変な作業ですが、それでも水がいつでも手に入るというのはありがたいことです。
《ブニョニ湖 ⑪》

急な山道を30分ほど登ると家屋が点在する村に出ました。
《ブニョニ湖 ⑫》

広場では、元気にサッカーを楽しんでいる子供たちがいました。
《ブニョニ湖⑬》

さっき調べたらウガンダのFIFAランキングは80位程度のようですが、サッカーはアフリカではどこの国でも最も人気のあるスポーツです。

ただ、東アフリカ諸国は標高が高く持久力に優れている選手が多い(実際、ケニアやタンザニアはマラソン上位入賞の常連ですね)と思われる割にはどこもあまり強くはないのが不思議です。
《ブニョニ湖 ⑭》

こちらはボールの代わりにヤギを追いかけている子供たちです。
《ブニョニ湖 ⑮》

サッカーより運動量は多いらしく少々バテ気味のようです。
《ブニョニ湖 ⑯》

地元の女性たちです。

アフリカの人たちは肌の色によるのかカラフルな服装がよく似合います。
《ブニョニ湖 ⑰》

一部の国ではこうやって写真を撮っていたりするとすぐに「おカネちょうだい」だの「カネ払え」だのと言い寄ってくる場合も多いのですが、ウガンダではあまりそういうことはありません。
《ブニョニ湖 ⑱》

そんな感じで2時間ほどぶらぶらしていると丘の頂上の見晴らし台に着きました。

大小様々な島が数多く浮かんでいます。

先ほども書きましたが、ロンリープラネットによるとウガンダで最もラブリーな湖とのことです。
《ブニョニ湖 ⑲》

ただ、個人的には子供たちの方がラブリーだと思いました。
《ブニョニ湖 ⑳》

更に歩き続けます。

山(丘)の斜面は結構開墾されています。
《ブニョニ湖 ㉑》

この地域はほぼ赤道直下ですが、標高が1,500mほどあるので、お茶の栽培も盛んです。
《ブニョニ湖 ㉒》

ウガンダはコーヒーの生産国として有名なケニアやタンザニアに隣接していて気候も似ているので、コーヒー豆の木も結構よく見かけます。
《ブニョニ湖 ㉓》

こちらはヒエ(Finger Millet)の一種で、主に地酒(どぶろくのようなもの)の原料となります。
《カンムリヅル ①》

ホオジロカンムリヅル(Grey Crowned Crane) は、ウガンダの国鳥です。
《カンムリヅル ②》

ウガンダの国旗の中央にも描かれているとても美しい鳥ですが、東アフリカでは野鳥として時々目にすることができます。
《ブニョニ湖 ㉔》

他にすることもないので、5時間ほどのトレッキングが終わった後は、モーターボートで湖を周遊することにしました。
《ブニョニ湖 ㉕

この個人ツアーは(1隻あたり)約2時間でUS$40とアフリカ人の一般常識からすると考えられない値段でしたが、前日に夕食を共にした欧米人(国は忘れましたが)カップルによるととんでもなく素晴らしかったとのことだったので、(何度も言うように)他にすることもないのでお願いしたのです。
《ブニョニ湖 ㉖》

ただし、湖上には見るべきものは多くありません。

時折、地元の人々が島へ渡るボートで通り過ぎる程度で、長閑な雰囲気に満ちています。
《ブニョニ湖 ㉗》

そんな中、Punishment Island と呼ばれる小さな島は、婚前交渉で身籠もってしまった乙女たちが20世紀半ばまで罰として流されたという歴史を持つ島です。

彼女たちは食事も与えられずただ餓死するのを待つだけだったそうです。
《ブニョニ湖 ㉘》

正装に身を包んだ人たちが湖を渡って行きました。

こんな感じで、ブニョニ湖には基本的に何もありませんが、そこがいいと言えばいいところです。

ただ、湖畔の村のトレッキングも湖上のツアーも、、数ある湖畔の宿からでも楽しめるので、わざわざ島に宿泊する必要はないと思いました。
《カンパラのバスターミナル ①》

ブニョ二湖の観光を終えた私は、バスで8時間以上かけて約400km東に位置する首都 Kampala に移動し1泊した後、次の目的地ジンジャ(Jinja)に向かうため、Old Taxi Park と呼ばれる近郊都市行きのバスターミナルに赴きました。
《カンパラのバスターミナル ②》

数え切れないほどのミニバスが隙間もなく停められています。

これじゃあ身動き取れないだろうと思わせる無秩序状態に見えますが、そこは毎日、朝から晩までこの仕事をしているプロの人たちの集まりなので、不思議なほど機能しています。
《カンパラのバスターミナル ③》

今回の目的地ジンジャ行きの看板が見えました。

地名の下には料金も記載されているので明朗会計で安心です。
《ジンジャの町 ①》

ジンジャはカンパラの東約80kmにある、ビクトリア(Victoria)湖畔の町です。
《ジンジャの町 ②》

ビクトリア湖はタンザニアとウガンダとケニアに跨がるアフリカ最大、世界でも第3位の広さ(68,800k㎡)の湖ですが、その湖畔に数ある町の中でも特にジンジャが有名なのは、ナイル川(白ナイル)の始点とされる場所があるからです。
《ジンジャの町 ③》

そんな訳で、町は活気に満ちています。

東アフリカでお馴染みのバイクタクシー(ウガンダでは Boda-boda と呼ばれています)が至るところで客待ちをしているので、近郊の見どころへのアクセスも問題ありません。
《ナイル川源流 ①》

奥に見えるのがナイル川源流地点です。その奥がビクトリア湖で、ナイル川は手前に向かって流れています。

なお、ここから始まる白ナイル川はスーダンでエチオピアのタナ湖から流れてくる青ナイル川と合流するため、エチオピアにもナイル川の源流とされる場所はあるのですが、白ナイルの方が青ナイルより長いためこちらが本家とされています。
《ナイル川源流 ②》

因みに、(ここまで書いてきてどうかと思いますが)ビクトリア湖には多数の流入河川が存在し、一方でヴィクトリア湖からの流出河川はナイル川しか存在しないため、ヴィクトリア湖をナイル川水系に含み、そこに流れ込む河川の長さもナイル川の長さに加算するのが最近では一般的だそうです。

そういった観点からは、本当のナイル川の源流はここから更に約900km上流のブルンジ国内にあります。

ただ、ビクトリア湖に流入する河川にナイルと名の付く川は無いので「ナイル川」の始点はやはりここと言っても過言ではありません。
《ナイル川源流公園 ①》

そういった学者や知識人の定義はともかく、ここウガンダではあくまでもこの地点が源流なので、付近にはそれを前提とした公園が整備されています。
《ナイル川源流公園 ②》

そして国外から訪れる観光客より遙かに数多い人たち(特に学生)が国内各地から毎日訪れています。
《ナイル川源流公園 ③》

子供たちがどこまでナイル川の偉大さを理解しているのかわかりませんが、皆一心不乱に川を眺めています。
《ナイル川源流公園 ④》

こちらにとっては、学校によって制服のデザインが随分違うことの方が興味深いです。
《ナイル川源流公園 ⑤》

ビューポイントには英語で書かれた能書きがうやうやしく掲示されています。

ウガンダはアフリカでは珍しく英語が公用語なのです。
《ナイル川源流公園 ⑥》

引率の教師の指示でその文を全員で声に出して読まされていました。
《ナイル川源流公園 ⑦》

服装も様々ですが、小学生から大学生くらいまで年齢層も様々です。
《ナイル川源流公園 ⑧》

ナイル川はここから南スーダン、スーダンを経て、エジプトのアレキサンドリアまで5,760km続いています。

なお、ロンリープラネットによると、地中海まで無事にこの長い旅を終えることができるのは、このうち5%の水だけだそうです。

どういう計算かわかりませんが、何ともロマンチックな話です。
《ナイル川源流公園 ⑨》

国内有数の観光名所なのでお土産物屋も並んでいるのですが、地元の学生がほとんどなのでほぼ全員素通り状態でした。
《ナイル川源流公園 ⑩》

坂を登っていくと、丘の上には芝生が美しい広場がありました。

川辺からちょっと離れただけなのに人も少なく落ち着いたムードです。
《ナイル川源流公園 ⑪》

傍らにはブランコが設置されていて学生がとても無邪気に遊んでいました。
《ナイル川源流公園 ⑫》

写真撮影の許可を得るために声をかけたら、満面の笑みで了解いただきました。

いい歳をして何がそんなに楽しいのか不思議なほどの喜びようです。
《ナイル川源流公園 ⑬》

聞いてみると、カンパラにある東アフリカ有数の名門校、マケレレ大学の学生だそうです。

アフリカの受験事情はよく知らないものの、凄い競争を勝ち抜いてきた方々とは思えないほどのはしゃぎっぷりで、こちらもなんか幸せな気持ちになってしまいました。
《ナイル川源流公園 ⑭》

少し離れたところには、これまた各種ブランコが設置されていましたが、こちらも更にいい歳をした大人に占拠されていました。

最近の日本ではめっきり見られなくなった風景です。
《ナイル川源流公園 ⑮》

帰りがけには、道を塞ぐように歩いてきた中学生くらいの集団に行く手を阻まれてしまいました。

40人くらいいる全員とハイタッチさせられたのは言うまでもありません。
《ジンジャ市場 ①》

翌日は午前中時間があったので、宿のおばさんやロンリープラネットの薦めもあり、町の中心部のセントラル・マーケットを訪れてみました。
《ジンジャ市場 ②》

朝の10時過ぎの訪問だったため、ピーク時間は過ぎていたようですが、それでも多くの人でごった返していました。
《ジンジャ市場 ③》

3階建ての大きな建物の中では、1階が主に野菜やフルーツ、上階では衣類や雑貨などが売られていました。
《ジンジャ市場 ④》

特にTシャツなどのお土産物を買う目的があれば別ですが、観光客にとって見ていて楽しいのはやはり生鮮食品売り場です。
《ジンジャ市場 ⑤》

特にフルーツなどは種類も豊富で見応えがあります。
《ジンジャ市場 ⑥》

日本と違って、バナナは緑色のものが主流です。

生で食べるのではなく、煮たり蒸したりフライにしたりと様々な調理方法で食べられています。

果物というより野菜に近い感じです。
《ジンジャ市場 ⑦》

アフリカには飢えに苦しむ国も多いですが、ここではそのような雰囲気は感じられません。
《ジンジャ市場 ⑧》

人々の表情もとても明るく、愛想も非常に良いです。
《ジンジャ市場 ⑨》

カメラを構えるとにこやかに微笑んでくれたりポーズを取ったりと、とてもフレンドリーです。
《ジンジャ市場 ⑩》

特に何も買いませんでしたが、とても気持ちよく散策することができました。
《カンパラ中心部》

ジンジャ観光を終えると首都カンパラに戻ってきました。
《カスビ・トーム ①》【世界遺産】

カンパラ中心部のやや西の外れにある Kasubi Tombs は、2001年にユネスコの世界遺産に登録された、かつてのブガンダ王国(Buganda Kingdom、かつて現在のウガンダ共和国の一部を支配)の墓所です。
《カスビ・トーム ②》【世界遺産】

敷地の中央には1882年に建てられた初代カバカ(Kabaka、王の意)であったムテサ1世の宮殿がそびえ立っていたのですが、2010年に放火されて全焼してしまい、現在はこのような仮の姿となっています。
《カスビ・トーム ③》【世界遺産】

周囲には幸いにして被災を免れた歴代の王や王妃の墓が残っています。

中央の宮殿はこれを大きくしたようなイメージです。
《カスビ・トーム ④》【世界遺産】

裏庭には、その他の王族の墓が並んでいます。

ブガンダは他の王国と共に王制を廃止されましたが、1993年に文化的指導者としての復活が認められており、敷地内には現在でもその王族の末裔が住んでこれらの墓を管理しています。
《ナミレンベ教会》

カスビ・トームの約1km東(中心部寄り)にある Namirembe Cathedral は1919年に建てられた教会です。

丘の上にあって見晴らしが良いとされていますが、入場料が10,000シリング(約300円)と言うので、カンパラ市街の眺望は次に訪れるナショナル・モスクの方が良いと(バイクタクシーの運転手に)助言されたこともあって中には入りませんでした。
《ナショナル・モスク ①》

という訳でウガンダ観光の最後に訪れたのは旧市街地に建つ National Mosque です。
《ナショナル・モスク ②》

アミン大統領時代の1972年に建設が始まったものの資金難のため途中で工事が中断し、リビアのカダフィ大佐の支援により2007年にようやく完成したことから、地元では Gaddafi Mosque とも呼ばれています。
《ナショナル・モスク ③》

最大15,000人が一度に礼拝でき、ギャラリーでさらに1,100人、テラスはさらに3,500人を収容できるというウガンダで最も大きなモスクです。
《ナショナル・モスク ④》

ドーム天井のアラベスク文様は、派手ではありませんが相変わらず美しく描かれています。
《ナショナル・モスク ⑤》

メッカの方向を示すミフラーブの前には一人だけ信者が佇んで祈りを捧げていました。

因みに、ウガンダでは国民の8割弱がクリスチャンで、ムスリムは約12%とされています。

それでも一人しかいないのは、多くの一般信者は通常、このホールの外にあるギャラリーで礼拝を行なうことになっていることによるものです。
《ナショナル・モスクから見たカンパラ市街 ①》

ミナレットの頂上からの新市街方面の眺めです。

カンパラは丘が多く、坂道だらけなのがわかります。
《ナショナル・モスクから見たカンパラ市街 ②》

こちらは旧市街方向です。
《ナショナル・モスクから見たカンパラ市街 ③》

中央左下に見えるのが以前ご紹介したバス・ターミナルです。

因みに、空港はカンパラの約40km南のエンテベ(Entebbe)にあります。

深夜発着便が多いので、初日か最終日には宿も豊富でカンパラより落ち着いたエンテベに1泊するというのもお薦めです。



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