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旅の写真集 インドネシア共和国(その5)HEADLINE

インドネシア観光の旅行記を兼ねた写真集(その5)です。ここでは、インドネシア中部の美しい海に囲まれ、未だに独自の伝統文化が色濃く残る秘境スラウェシ島をご紹介します。

*本ページには一部の(特に動物愛好家の)方にとってはちょっとばかりグロい写真も掲載されていますのでご注意下さい。

《マカッサル ①》

スラウェシ(Sulawesi)島南部の都市 Makassar は、首都ジャカルタから飛行機で2時間強に位置する島内で最大の都市です。
《マカッサル ②》

市街地中心部は結構広く大勢の人で賑わっていますが、特にこれといった見どころはありません。
《マカッサル ③》

ただ、あえて言うと、昔から港湾都市として栄え、現在でも国内有数の貿易港であることから、比較的きれいに整備されている海岸部は気持ち良く散策できます。
《マカッサル ④》

ジャワ島やスマトラ島に比べるとそれほどではありませんが、やはり(都市部では特に)イスラム教が盛んなので、街中にはそこかしこにモスクが見られます。
写真は、海岸沿いに建つちょっと変わったデザインのモスク Masjid Amirul Mukminin です。
《タナ・トラジャ ①》

そんな感じのマカッサルに長居しても仕方ないので、翌日はスラウェシでも最もポピュラーな観光地である Tana Toraja に向かいました。
《タナ・トラジャ ②》

タナ・トラジャは、その中心となるランテパオ(Rantepao)の町までマカッサルからバスで約8時間の山奥にあるエリアで、伝統的な家屋や風習が残るインドネシアでも秘境と言える地域です。
《タナ・トラジャ ③》

日本ではトラジャというとトラジャ・コーヒーという比較的高級なブランドコーヒーが有名ですが、写真のレンポ(Lempo)村周辺には美しい棚田が広がっていて、収穫期には軽いトレッキングがてら美しい景色が楽しめるそうです。
《パラワの伝統的集落 ①》

ランテパオの10kmほど北にある Palawa は、小規模ながらトラジャ地方の伝統的なトンコナン家屋(Tongkonan、舟形家屋)の建ち並ぶ集落です。
《パラワの伝統的集落 ②》

三浦大輔氏ばりの立派なリーゼント型の正面を持つ高床式住居は、この地方でしか見られない独特のものです。
《パラワの伝統的集落 ③》

この地方に住むトラジャ族の人たちは、現在の中国の南部辺りから船に乗ってやって来た人々の子孫と言われていて、これらの伝統家屋は、かつてトラジャの人々が海洋民族だったことの名残だとされています。
《パラワの伝統的集落 ④》

各家屋の顔に当たる正面部分には繊細な模様が描かれています。
《パラワの伝統的集落 ⑤》

スラウェシは観光客もまだまだ少ないものの、貴重なビジネスチャンスを狙って、美しい織物や独特の風貌の人形などがひっそりと売られていたりしますが、あまり商売慣れしていないのでお互いストレスフリーです。
《織物の村サダン》

パラワの2kmほど北にはイカット(Ikat、インドネシア語で織物のこと)で有名な Sa'dan の村があります。

パイナップルの葉の繊維で編んだ珍しい織物(意外に手触りが良く上品な仕上がり)などが売られています。
《タナ・トラジャの葬儀 ①》

周辺の状況をざっと把握したところで、翌日にはタナ・トラジャ観光のハイライトとも言える葬儀の見学に向かいました。
《タナ・トラジャの葬儀 ②》

葬式が観光の目玉というのも相当違和感がありますが、実際のところ、この地方での葬式儀礼(ランブ・ソロ、Rambu Solo)は世界的に見ても非常に特異で一見の価値があるということで、スケジュールさえ合えば外せないイベントとされているのです。
《タナ・トラジャの葬儀 ③》

葬儀会場の入口にはキティーちゃんを始めとした人気キャラクターも用意されていて、暗い雰囲気はあまりありません。
《タナ・トラジャの葬儀 ④》

葬祭は農閑期の6月から8月くらいに行なわれることが多く、1週間程度続く場合もあります。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑤》

そのようなセレモニーの中でも最も見応えがあるのが、最後の3日間ほどに行なわれる動物の生け贄儀式です。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑥》

因みに今日供養される方はこの方です。
これからおいおいご説明しますが、このような祭礼はとてもお金がかかるので誰でもできるというものではなく、特権階級の人たちだけに許される儀式なのです。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑦》

まず、生け贄の水牛が登場します。

さらに高位な貴族の葬式ともなると、この前に闘牛などもあって観客も賭をしたりとすごい盛り上がりを見せるそうです。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑧》

今回はそこまでではありませんでしたが、この日は4頭の水牛が生け贄として捧げられました。

因みに、この日は葬祭の最終日だったので4頭とのことでしたが、この前の2日間にも合わせて10頭以上の牛が捧げられたとのことでした。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑨》

とか言っている間に既に2頭の牛が生け贄にされて地べたに転がっています。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑩》

そして今まさに3頭目が喉笛を電光石火の早業で一刀両断されたところです。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑪》

職人さんの手練れの技のお陰で牛はその場にもんどり打って倒れ、ほとんど苦しむことなく即死状態です。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑫》

日本の冠婚葬祭同様、司会者がいて進行状況を説明し、儀式は滞りなく進行していきます。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑬》

なお、これらの牛はこの辺りの物価で1頭100万円程度するということなので、1回の葬儀の費用は軽く1,000万円を超えてしまいます。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑭》

因みにインドネシアでは、首都ジャカルタでも大卒初任給は5万円以下というのが相場ですので、この金額がどれほど法外かご理解頂けるでしょうか。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑮》

このようなことから、トラジャでは「生きている間よりも死んでからの方がお金がかかる」とマジで言われているほどだそうです。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑯》

そうこうしているうちに牛は皮が剥がされて素っ裸にされてしまいました。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑰》

こんな壮大なイベントではありますが、シーズン中は地域内のどこかの村で毎週のように執り行なわれている行事なだけあって、皆さん慣れた手さばきで黙々と作業に勤しんでいます。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑱》

一方、いくら葬祭とは言っても、部外者(特に外国人観光客)などが土足で踏み込んでこのような神聖な儀式を見物したり遠慮もせずに写真を撮ったりしてもいいものかとも思われがちですが、日本もある種同様であるように、葬儀というのは一人でも多くの人が訪れて式に参加し死者に祈りを捧げるのが供養という考えがあるので、作業の邪魔さえしなければ意に介されることもなく、いい意味で無視され続けるので全く問題ありません。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑲》

なお、これらの葬儀への参加については、場所さえわかれば個人的に訪問することも全く差し支えないと思いますが、第一にどこで催行されているか把握するのは難しいし、アクセスの問題等もありますので、宿泊先のホテル等で場所を確認がてら、ガイドを雇うのがよいでしょう(というかガイドは積極的に斡旋されます)。
《タナ・トラジャの葬儀 ⑳》

通常であれば、(農閑期の葬祭シーズンであれば)こちらから申し出なくても、マカッサルから到着したバス停や宿のロビーで客捜しをしている自称ガイドが近づいてくるので心配は要りません。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉑》

なお、気になる料金ですが、一般的に葬儀への個人参加だけならタバコ1カートンか砂糖1袋程度と言われています。
タバコはわかりますがなぜ砂糖なのか理解に苦しみますが日本の某ガイドブックどころかロンリープラネットにもそう書いてあったので信頼できると思います。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉒》

また、このような葬儀を見学した後、近郊の村を訪れるというプライベートツアーをアレンジしてもらった場合には、車、ドライバー、運転手込みで1台当たり10,000円も払えばお釣りが来るレベルです。
インドネシアの物価を考えるとちょっと高めに思えるかもしれませんが、この地域には効率的な公共交通機関というものは無いに等しいので、これが最も妥当な方法だと思います。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉓》

それにしても皆さん手際が良いです。
1時間もしないうちにこんなになってしまっています。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉔》

メキシコの勇敢な警察官の末路のようになってしまいました。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉕》

奥で既に食べ始めているように見えますが、もうちょっと待って下さい。

これらの供物は美味しく調理されて参列者に振る舞われるのです。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉖》

ここまで牛を重点的にご紹介してきましたが、豚も葬祭には欠かせない生け贄動物です。通常、牛の10倍ほどの頭数が供されるようです。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉗》

なお、賢明な読者の方はお気づきだと思いますが、インドネシアはムスリム国家で国民の約90%がイスラム教徒なので通常豚にお目にかかることはほとんど無いのですが、トラジャ人については約85%がクリスチャンということなので、豚にとってはとんだ災難です。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉘》

豚がこんがり焼けるまで、儀式は続きます。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉙》

この建物は立派な葬祭場に見えますが、元々は亡くなった方が住んでいた集落の一家屋だっただけで、この地方では至極一般的な裕福な住宅です。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉚》

その家屋の前には次世代を担う若いギャルたちが出番を待っていました。
《タナ・トラジャの葬儀 ㉛》

今回の記事をご覧になってこれらの儀式に興味を持ったのはいいけれどどうやって葬儀の日程を確認すればいいんだと思われたた方でも(多分恐らくあまり)心配は要らないと思います。

前述のとおり農閑期であれば中規模以上の宿を予約した際、その期間に葬儀の予定はないかと聞いてみれば、(宿お抱えのツアーガイドの収入にも繋がるので)喜んで教えてくれると思います(先ほど、到着時の客引きについて書きましたが、これらは明らかに大規模なイベントなので、宿などでもスケジュールの把握は結構先までできているものなのです)。

ちょっとグロいけどやっぱりこういう特異な文化は見学したいという方には是非お勧めしたいイベントです。
《トンコナン家屋 ①》

こちらのお宅はこれだけの葬儀を催すほどの一族なので、トンコナン家屋の装飾の模様もとても洗練されているように見えます。
《トンコナン家屋 ②》

この儀式に合わせて補修したり塗り直したりもしたとは思いますが、とても美しく維持されています。
《トンコナン家屋 ③》

写真のように一族の敷地内にはいくつものトンコナン家屋が建ち並んでいます。

大きい建物は住居用として使用され、小さめのものは倉庫などとして利用されています。
《トンコナン家屋 ④》

こちらは一回り地小さく倉庫っぽいですが、それでも装飾やメンテに抜かりはないようです。
《トンコナン家屋 ⑤》

そんなトンコナン家屋ですが、基本的に高床式になっているし内部もあまり広くはないということで、生活するにはあまり便利ではないらしく、最近では同じ敷地内にもっとオーソドックスな機能的な建物を建ててそこに住んでいるという人たちも増えているそうです。
《トンコナン家屋 ⑥》

それでもトンコナン家屋はその所有者一族の歴史と財力を示す象徴なので、今でも大切に維持管理されているものが多いのです。
《ある日の昼食》

この日の昼食はミーゴレン(インドネシア風焼そば)にしました。
インドネシアの昼食としては、日本人の口に合うミーゴレン、ミーアヤム(鶏ラーメン)、ナシゴレン(インドネシア風炒飯)はどこでも安価で売られているので困ることはほとんどありません(当然美味しいランチ・プレートにも容易にありつけます)。
ただし、麺類については店によっては(屋台、きちんとしたレストンに関わらず)インスタント麺が供されることも多いので注意が必要です。
《トンコナン家屋 ⑦》

昼食後は、引き続き周辺のいくつかの集落のコンコナン家屋を訪問しました。
《トンコナン家屋 ⑧》

先ほどご説明したように、トンコナン家屋の横に比較的過ごしやすそうな高床式の家屋を建てて住んでいるのがわかります。
《トンコナン家屋 ⑨》

一方で、トンコナン家屋の正面には多数の水牛の角が数珠のように繋げられてぶら下がっています。

これは、過去の葬儀で何頭の水牛を生け贄にしてきたかを示すステイタス・シンボルです。
《トンコナン家屋 ⑩》

これらも倉庫のようです。
なお、厳密には、住居用をトンコナン、倉庫用をアランと呼ぶのですが、多くの場合、両方ともトンコナンと呼ばれます。
《トンコナン家屋 ⑪》

そういう意味では、こちらは明らかにアランです。
《トンコナン家屋 ⑫》

アランは主に穀物用の倉庫で、通気性の確保と共にネズミなどの侵入を防ぐため非常に高い高床となっています。
《トンコナン家屋 ⑬》

それにしても、芸術的な側面からはともかく、機能性の観点からは明らかにちょっと疑問が残るアンバランスな構造です。
《トンコナン家屋 ⑭》

前述のように、現在ではトンコナンの横に生活用住居を建てて住んでいる場合が多い上、このような伝統家屋に頼らなくても穀物を貯蔵できる技術が進んでいます。

それにもかかわらず、田舎でも富める者は富んでステイタスの誇示のために新たなトンコナンを建てるため、意外なことに昔に比べてこれらの建物の数は増えているそうです。
《トンコナン家屋 ⑮》

まあ、そのようなお金持ちのお陰でこのような伝統的な建築文化が朽ちることなく、同時に観光客を惹きつけることによって多くの人がそのおこぼれに預かれるという点で、このような箱物の建設は地域経済の活性化に役立っているようで何よりです。
《トンコナン家屋 ⑯》

そんな中、右の建物は規模も大きく土台もしっかりしていて立派な母屋です。
《トンコナン家屋 ⑰》

こちらの建物は非常に歴史を感じさせる佇まいですが、コンクリート剥き出しの階段がちょっぴり惜しい感じです。

最近ではこのように経済性と機能性を重視し過ぎるあまり、柱や階段にコンクリートを使用したり、屋根をトタンに張り替えるなどの残念な効率化も端々で見られるようになっているとのことです。
《トンコナン家屋 ⑱》

ただ、後世に残せるような立派な部分もそこかしこに垣間見られます。
《ケテ・ケスの集落 ①》

ランテパオの6kmほど南東にある Ke'te Kesu は、数あるトンコナンの集落の中でも最も有名で、ツアーなどでタナ・トラジャを訪れた際には必ずと言ってもいいほど立ち寄る集落です。
《ケテ・ケスの集落 ②》

派手さはありませんが、正統的な佇まいの建物が並んでいます。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ①》

集落自体は以上のような感じですが、ここには裏手に山がありその周辺が墓地になっており、この辺りも見どころということでガイドの案内で散策しました。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ②》

タナ・トラジャの埋葬方式は大きく分けて3種類あり、最近のものは小屋の中に棺を安置するといった形ですが、2つ目は岩陰や洞窟に簡素な棺を安置するというタイプです。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ③》

このような木製の棺に遺体を入れて葬ります。

古くなって棺が壊れてしまった場合などには頭蓋骨だけでも他の棺の上に置いたりしてあるますね。
適度に大切に扱われている感があっていいと思います。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ④》

墓地の入口のトンコナン様式の建物もお墓の一種だそうで、近年でこのようにスタイリッシュな形のものも登場してきているそうです。

ただ、これは特別に大きな部類の墓で、通常はもっとずっと小さいです。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ⑤》

階段を登っていくと岩の途中に棺が吊り下げられたりもしています。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ⑥》

この地方の人々にとっては土の中は不浄とされているそうで土葬の習慣は無いそうで、少しでも天国に近い上部の方が高級とされてきたそうです。

フィリピン北部のイフガオ族の集落などでも宙吊りの棺というのはポピュラーですね。
《ケテ・ケスの集落(裏山) ⑦》

ただ、どういう訳か蓋が開けられっぱなしの棺も多く見られます。

あまりおどろおどろしい雰囲気はありませんが、どうせなら蓋は閉めて少しでも安らかに眠らせてあげたい気はします。
《ケテ・ケスの集落 ③》

到着時には曇っていましたが、裏山から下りてくるとトンコナン家屋には陽が差していました。
《ケテ・ケスの集落 ④》

陽の当たり方だけでも随分雰囲気が違うものです。

団体ツアー客と遭遇しなかったのもラッキーでした。
《レモの岩窟墓 ①》

次にご紹介するのはランテパオの13kmほど南の Lemo という場所にある岩窟墓です。

因みに、左の写真は、先ほどご紹介した通常の小屋タイプの墓のうち大きさも手頃な一般的によく見られるタイプです。
《レモの岩窟墓 ②》

岩窟墓というのは切り立った岩山の側面に横穴を掘り、そこに死者を葬るという形の墓で、トラジャ族の墓の3つめのタイプです。
《レモの岩窟墓 ③》

タナ・トラジャにはいくつかの岩窟墓がありますが、その中でも最も保存状態が良いとされているのがここレモの岩窟墓です。
《レモの岩窟墓 ④》

写真で見える正方形に近い小さめの穴が死者が埋葬される穴で、それを取り囲むようにベランダのような長方形の浅い穴が掘られ、そこには頭にターバンを巻きカラフルな衣装を纏った人形が並んでいます。
《レモの岩窟墓 ⑤》

これらの人形はタウタウ(Tau Tau)と呼ばれ、死者の身代わりとして祀られているのです。
《レモの岩窟墓 ⑥》

多くのタウタウは両手を広げて前に伸ばしていますが、これはより多くの恵みを天から受けるためだそうです。
《レモの岩窟墓 ⑦》

前述のとおり、タナ・トラジャにはいくつかの岩窟墓があり、またそれ以外の場所でもタウタウの人形が供えられた墓は多く存在しましたが、近年では人形が盗まれるという不謹慎な事件が度々発生するようになったことから、多くの人形は屋内の鍵が掛けられた祠等で保存されるようになり、年々見るのが難しくなっているとのことです。
《レモの岩窟墓 ⑧》

なお、レモの岩窟墓は東を向いて掘られているため、ちょうど朝日が差す午前中の特に9時前後が観光のベストタイムです。

できればこの時間帯に訪れるのがいいと思います。
《レモの岩窟墓 ⑨》

これらのタウタウの岩窟墓から左側に登って行くと、横穴だけ掘られたタウタウ抜きの岩窟があります。

同じ横穴式の墓でも、このようなシンプルな形のものは一般庶民のものだそうです。
《ボリの葬祭場 ①》

次に訪れたのはランテパオの約10km北にある Bori です。
《ボリの葬祭場 ②》

ここは大きいもので高さ5mほどもある石柱が大小含めて100本以上も建ち並ぶ葬祭広場と呼ばれる場所です。
《ボリの葬祭場 ③》

中央には生け贄を捧げるための櫓が建っています。
《ボリの葬祭場 ④》

これらの石は墓石のようにも見えますが、棺や遺体はここには安置されておらず、あくまでシンボル的な意味合いの石柱を並べた公園(墓苑)のようなものだそうです。
《ボリの葬祭場 ⑤》

このような大きな石柱はボリ以外ではあまり見かけません。

それというのも、ボリは石の産地で、この一帯に住む人たちは一族から死者が出ると、その財力を示すために競って大きな石を建てて世間にアピールしてきたというこの土地ならではの独自の風習に由来するからです。
《ボリの葬祭場 ⑥》

それだけに他の見どころとは違った趣があります。
《ボリの葬祭場 ⑦》

何か古い遺跡のように見えますが、そういうわけでもなく、(もちろんとても古い石柱も沢山あるのですが)今でもこの土地の金持ちの家に死者が出るとぼちぼち新しい石柱が立てられ続けているそうです。
《ボリの葬祭場 ⑧》

葬祭広場の裏は丘になっており、そこには多くの遺体が安置されているそうです。
《アンパナの海 ①》

2泊3日のタナ・トラジャの観光を終え次に向かったのは北部の海です。
スラウェシ島は山が多く道路もよく整備されていないので、ランテパオからまずは約280km北にある途中の町テンテナ(Tentena)町までバスで10時間かけて移動し、翌日にそこから車をチャーターして6時間かけて更に約200km先にある中部海岸沿いの町 Ampana に到着しました。
《アンパナの海 ①》

アンパナを訪れたのは、ここの沖合にある美しい海が有名なトギアン諸島(Pulau Togian)を訪れるためです。

長旅の疲れもあったので、この日は奮発して約3,500円ほどするビーチサイドのコテージに泊まりました。

たまにはこんなささやかな贅沢もしてみるものです。
お陰でゆっくり休めました。
《アンパナの海 ③》

個人的には海に沈む夕陽というのはどこも同じにしか見えず、特に思い入れはないのですが、ビーチサードのコテージだけあって雰囲気には満足できました。
《ある日の夕食》

スラウェシ島は人口も少ないため海は非常にきれいで、どんな小さな町でもとても新鮮な魚料理を楽しむことができます。
この日の夕食は村の外れの小さな食堂で、十分に2人分はあるという大きさのタイのグリル(もちろん天然)にスープやサラダなどの付け合わせと食べ放題に近い量のライスが付いて約600円という破格のお値段。
味はもう表現できないほど美味しく、滅茶苦茶感動しました。これぞ旅の醍醐味です。
《トギアン諸島》

この日宿泊したホテルのフロントにあったトギアン諸島の地図と宿の案内です。

トギアン諸島はスラウェシ島の北部のトミニ湾(Teluk Tomini)に浮かぶロンリープラネットでもお薦めの隠れビーチアイランドで、アンパナの北約40km、フェリーで4時間ほどの距離にあります。
《トギアン諸島行きフェリー ①》

フェリーは地元の人たちでほぼ満員。
バイクは乗用車などの駐車スペースではなく客室の通路に保管されるのがインドネシア風です。
《トギアン諸島行きフェリー ②》

一般客室は簡易な2段ベッドになっています。

風通しも良く気持ちよさそうだった上段が確保できてご機嫌な4時間でした。
《トギアン諸島行きフェリー ③》

因みにこれが途中ですれ違ったほぼ同型のフェリーです。

如何にもアジアっぽい年季の入った船です。
《漁師船》

所々で漁師の姿をみかけます。

彼には彼なりの悩みもあるのでしょうが、あまり競争も激しくない環境で美味しい魚が獲れそうで羨ましいです。
《ワカイの港 ①》

トギアン諸島の玄関口は Wakai の港です。

あまり大きくはない港ですが、フェリー到着時にはそれなりに賑わいを見せます。
《ワカイの港 ②》

島内の交通は舟とバイクです。

バイクタクシーは少しでも回数を稼ごうと目ざとく客を拾ってはピストン輸送を繰り返します。
《ワカイの港 ③》

港の周辺には水上家屋が並び、さしずめインドネシアのバンダリスリブガワンといった雰囲気です。
《ワカイの港 ④》

この辺りは台風やサイクロンの通り道ではありませんが、暴風雨でにでも襲われようものならひとたまりもなさそうな、華奢な建物が目立ちます。
《ワカイの港 ⑤》

この日の宿は前日の宿から電話予約してもらっていたので埠頭ではバイクの兄ちゃんが待っていてくれました。

ここから更に小舟で30分ということで、とりあえず宿から迎えが来るまで水上家屋の一室で待たされました。
《ワカイの港 ⑥》

1時間ほど待つとご覧の様なバンカーボートがようやく到着しました。

いくら客が私一人しかいないといっても時間かかりすぎだと思いました。
だって、フェリーの到着時刻は事前に教えてあるんだもの。
《カディディリ島 ①》

この日の宿のある Pulau Kadidili は、ワカイからは最も近いもののロンリープラネットで結構熱烈に褒められていたことから選びました。
《カディディリ島 ②》

20分ほどボートに乗ると島が近づいてきました。

なかなか雰囲気の良い島で第一印象はとても良かったんですよ。
《カディディリ島 ③》

ボートで30分ということでしたが、少しだけ波が高かったこともあって、到着には1時間近くかかりました。
《カディディリ島 ④》

でも、島の周りの水は異常に綺麗だし、小さなビーチが所々に現れたりと、期待は高まる一方でした。
《カディディリ島 ⑤》

エメラルドグリーンの透明度の高い海にはボートの上からでも多くの魚が泳いでいるのがよく見えました。
《パラダイス・リゾート ①》

島の裏側に回るとようやく宿の専用の桟橋に到着です。
《パラダイス・リゾート ②》

広いロビーと食堂は非常にゴージャスとまではいきませんが、手入れも行き届いてなかなか気に入りました。
《パラダイス・リゾート ③》

様々なアクティビティーも用意されています。
《パラダイス・リゾート ④》

ビーチ側には桟橋もあって、ここで夕陽を眺めながら飲むビールはなかなかのものでした。
《パラダイス・リゾート ⑤》

敷地内にはビーチに面して10棟ほど、林の中に10棟ほどの合わせて約20棟のバンガローが建ち並んでいます。
《パラダイス・リゾート ⑥》

ただ、この宿(Kadidiri Paradise Resort)はロンリープラネットでは島内で3つ紹介されていた中でもイチ押しだったのですが、リゾートと言うにはちょっと物足りない感じです。

カディディリ・パラダイス・ロッジというのが妥当なところでしょう。
《パラダイス・リゾート ⑦》

3食込みということもあって料金は部屋当たりではなく一人当たりの設定で、最も高いハネムーン・バンガローで約5,000円/人、私は日本人のお手本のように上からも下からも3番目という約3,000円/人のバンガロー(それでもビーチサイド)を選択しました。
《パラダイス・リゾート ⑧》

自家発電なので電気とシャワーが夜しか使えないという点を除けば普通に快適な部屋でしたが、3日目の明け方に天井付近にヤシガニを発見した時には心底びびりました。

それまでは確認できなかったのでどうやって入ってきたのかは謎ですが、こいつは食うと美味いんだけど食われたらたまったもんじゃない奴で、下手をすると指の2本くらいはちょん切られていたところでした。

こいつのお陰でちょっとほろ苦い宿泊になってしまったのが残念です。
《ゴロンタロ行きフェリー》

トギアン諸島で3日間何もせずにリラックスした後には、ワカイのみなとから週に2便出る船でスラウェシ島北部の町 Gorontaro に向かいました。

アンパナから来るときの舟より立派でしたが途中揺れが酷く、純朴な多くのインドネシア人はこういう乗り物に慣れていないのか船酔いする人が激しく、出発直後から到着までの13時間の間、船内は阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れていました。
《ゴロンタロ中心部》

ゴロンタロは人口20万人ほどの、スラウェシ島では比較的大きな町ですが、市街地はそれほど広くないので通常の市民の移動手段としれ派ベチャ(三輪自転車の前部に座席があり後部の運転席で自転車を漕ぐスタイル)やオジェック(バイクタクシー)が主流です。

今回のスラウェシ旅行はここで終了し、空港からマカッサル経由でバリに移動しました。

スラウェシはインドネシアの中でもまだまだ観光客が少ない地域ですが、独自の興味深い文化が多く残っているので、興味のある方は訪問して損はないと思います。


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