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旅の写真集  インドネシア共和国(その6)HEADLINE

インドネシア観光の旅行記を兼ねた写真集(その6)です。ここでは、インドネシア最東部、隣国パプア・ニューギニアとニューギニア島を2分するインドネシア最大の秘境パプア州の独特な文化と手つかずの自然景観などをご紹介します。

《ニューギニア島》

インドネシアの最も東に位置する New Guinea は、島の東半分をパプア・ニューギニア(Papua New Guinea)が占める、グリーンランドに次いで世界で2番目に大きな島で、インドネシアで最も秘境とされるエリアでもあります。
《ジャヤプラの空港 ①》

Jayapura は、インドネシア人からは今でも旧称のイリアン・ジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれているパプア州の州都です。
《ジャヤプラの空港 ②》

秘境とはいうものの、ジャヤプラの郊外約40kmにあるセンタニ(Sentani)空港へは、ジャカルタ(Jakarta)、マカッサル(Makassar)から、毎日数便のフライトがあるので、ジャヤプラ自体は島の中では十分な都会と言えます。
《マッカーサー・モニュメント ①》

空港近くにある Tugu MacArthur からは、センタニ湖の眺めが素晴らしいというのでオジェック(Ojek)と呼ばれるバイクタクシーで出かけてみました。
《マッカーサー・モニュメント ②》

ここは第2次世界大戦中の1944年に米軍のダグラス・マッカーサーが司令部を置いたことからその名がついていますが、現在では小さな記念碑が建つ他は、ちょっとした展望台公園のようで、地元の人たちがレジャーシートを広げてピクニックを楽しんだりしてほのぼのとした雰囲気に包まれています。
《マッカーサー・モニュメントからの眺め ①》

眼下には空港の滑走路が見えます。
《マッカーサー・モニュメントからの眺め ②》

この空港は、島内各地とを結ぶハブ空港にもなっているので、中、小型機はそこそこ頻繁に離着陸しています。
《マッカーサー・モニュメントからの眺め ③》

空港の奥にはセンタニ湖が広がっています。
《マッカーサー・モニュメントからの眺め ④》

この湖の畔や点在する島では、今でも伝統的な文化が受け継がれているということなので、後ほど訪問することにします。
《トゥリガナ航空 ①》

そんな訳で、とりあえずはパプア観光のハイライトであるワメナ(Wamena)地方に向かいます。

Trigana Air Service はジャカルタに拠点を置く航空会社ですが、ジャヤプラとワメナを結ぶフライトは全てこの会社によって運航されています。
《ワメナへの道》

ワメナはジャヤプラから直線距離で約300km南西に位置していますが、周囲を4~5,000m級の山に囲まれた盆地にあるため、陸路での移動は不可能です。
《ワメナの町 ①》

そんな陸の孤島とも言える秘境ワメナですが、町の中心部は碁盤状に整備され、期待していたような裸で歩いている人もおらず、長閑ではありますが至って普通の町でした。
《ワメナの町 ②》

車も普通に走っているし、ショッピング・モールだってあります。
《ワメナの町 ③》

ここでは日本人の藤原さんという方が経営するインターネットカフェ(兼ボランティアでインフォメーションセンター)"Papua.com”に立ち寄り、お薦めのスポットなどを教えて頂き各種アレンジも(手数料無料で)お願いしました。(2012年訪問でしたが2018年現在も営業中とのことです。)

なお、藤原さんは元冒険家ということで、若い頃には新宿副都心の住友三角ビルに命綱なしで素手で登頂したりした挙句、珍しい蝶を探しに日本からパプアまでヨットで渡航しそのまま居着いてしまったという輝かしい経歴の持ち主なのです。
《イウィカの村 ①》

そんな藤原さんによれば、一番のお薦めというのが、伝統的な生活様式や風習が今も残る Jiwika という村で、特にここで見られる「戦闘の儀式」は見応えがあるとのことだったので、たまたま同時に訪れていた日本人の方と合わせて3名で、藤原さんにあっという間に手配して頂いた車で早速訪問しました。
《イウィカの村 ②》

到着してみると、なるほどと思えるような萱葺きの家の集落が点在する、雰囲気のある村です。
《戦闘の儀式 ①》

藤原さんに教えられたとおり更に進むと、何やら見張台のような塔が立っているのが見えました。
《戦闘の儀式 ②》

竹製と見られる塔の最上部には人影が見えます。
よく見るとほとんど裸です。
《戦闘の儀式 ③》

どうしたものかと思ってじっと見ていると、我々を認識したのか、弓矢を空中に向かって放ちました。
《戦闘の儀式 ④》

すると、それが合図ででもあったかのように、周囲の草むらの中から同じように軽装の男性たちが数人、突然現れました。
《戦闘の儀式 ⑤》

反対側からも槍を担いだ男性たちが駆けてきます。
《戦闘の儀式 ⑥》

そうこうしているうちに、戦闘モードに突入です。
《戦闘の儀式 ⑦》

こちらも応戦態勢です。
《戦闘の儀式 ⑧》

まるで訓練された劇のような調子で戦闘が始まりました。
《戦闘の儀式 ⑨》

そうです。
既にお気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、これは最初から藤原さんによって巧妙に仕組まれた「戦闘の儀式」というイベントだったのです。

依頼したのはもちろん私たちです。
《戦闘の儀式 ⑩》

しばらくすると皆さん輪になって踊り始めました。

儀式は無事終了のようです。
《ダニ族の人たち ①》

儀式の最後は役者が整列してカメラ目線です。
《ダニ族の人たち ②》

先ほど打ち放った弓矢もいつの間にかちゃんと回収して持って帰ります。
《ダニ族の人たち ③》

この期に及んで、まだ威嚇の姿勢を見せてくる挑発的(サービス精神旺盛)なメンバーもいました。
《ダニ族の人たち ④》

ここで、この一族の中で一番偉そうな人物が現れて我々を出迎えてくれました。

彼は先ほど見張台にいた人のようです。
《ダニ族の人たち ⑤》

「ワッ、ワッ、ワッ」と言いながら近寄ってきます。

これは重要事項で事前知識があったため、こちらも「ワッ、ワッ、ワッ」と返すと、大変満足してもらえたようで、満面の笑みを返してくれました。

パプアでは「ワッ、ワッ」(状況に応じて1回から3回程度)と言うのが親しい者同士の挨拶なのです。
《ダニ族の人たち ⑥》

彼はこの部族の酋長ということで、一番立派な髪飾りを着け、顔や身体にはペンキのようなもので装飾が施されています。
《ダニ族の人たち ⑦》

酋長の案内により村の中へと迎え入れられました。

左の写真が正門です。

非常に入りづらそうですが、これは敵が簡単に入って来るのを防ぐとともに、家畜が逃げないようにするための工夫のようです。
《ダニ族の人たち ⑧》

村の中の様子です。犬も一緒になって我々を出迎えてくれました。
《ダニ族の人たち ⑨》

村人が全員出揃いました。先ほどの戦闘の儀式にはいなかった女性もいます。
《ダニ族の人たち ⑩》

何が目当てか知りませんが皆さん非常ににこやかで、どうやらフレンドリーな方々のようです。

* 実際のところ、ダニ族は非常にフレンドリーなことで有名です。
《ダニ族の人たち ⑪》

因みにこの人たちはダニ族(Dani)という部族で、正真正銘のパプアの原住民です。
《ダニ族の人たち ⑫》

それでも現在では時々訪れる観光客をこのようにもてなして近代化との共生を図っているのです。

*確かに戦闘の儀式は大がかりな劇の傾向が強い(というか劇そのもの)ですが、この人たちの生活自体は今でも伝統を重んじた暮らし振りです。
《ダニ族の人たち ⑬》

男性同様、女性たちも上半身裸ですが、中には水玉模様を肌に施しているお洒落な女性もいます。
《ダニ族の人たち ⑭》

ここで酋長はかっこよくポーズをキメてくれました。
《ダニ族の人たち ⑮》

するとまた、それが合図だったかのように、酋長を囲んで村人がぐるぐる回り始めます。
《ダニ族の人たち ⑯》

何かきっかけがあると、すぐに輪になって踊ることになっているようです。

それにしても、この村の若い女性は皆さんナイスな恰幅ですね。
《夕餉の支度①》

そうこうしているうちに中央の広場ではキャンプファイアーの要領で石と薪が積み上げられていきます。
《夕餉の支度 ②》

火もくべられて、一帯は煙まみれです。

ここに子豚ちゃんを入れて燻蒸します。
《夕餉の支度 ③》

この日のメインディッシュである子豚の登場です。

この豚は、ここを訪問するのが決まった時点で藤原さんが手配してくれて後で届けてくれたものです。

なお、インドネシアはムスリム国家なので、ほとんどの地域では豚は禁忌とされていますが、ここパプアの原住民はアミニスト(自然崇拝)やクリスチャンが主体なので、特に問題はありません。
《夕餉の支度 ④》

子豚は酋長が弓矢で心臓を一突き、ゴルゴ13のように一撃で事を成し遂げなければいけません。
これは、コーランを唱えながら鋭利なナイフで一瞬で喉を切断するムスリムのハラールの屠畜の儀式に共通するものかもしれません。
《夕餉の支度 ⑤》

子豚は「きゅー」という断末魔の言葉を残して天国に旅立って行きました。

滴り落ちたる血は後で犬が残さずぺろぺろ舐めていました。
子豚も成仏できたことと思います。
《村の住民 ①》

ところで、説明が遅くなりましたが、この村の男の人はほとんど裸なのですが、裸一貫という訳ではなく、局部にはきちんとした被せものを着用しています。
これはコテカ(koteka)と呼ばれる男性用下着の一種で、日本語ではペニスケースなどと呼ばれます。

また、結構なお年寄りの持ち物でもいつでも元気に屹立していますが、実はこれには仕掛けがあります。先端に紐が付いていてそれを腰のベルトに繋げているためそれが可能になっているのです。
アンフェアな感じもしますが、ぶっちゃけた話、そうでもしないと威厳が保てないので仕方ありません。
逆に、素人の私などからすると、有事の際には抜けなくなって機を逸してしまうのではないかと不安になります。
《村の住民 ②》

なお、現在でもコテカだけの男性や腰蓑だけで上半身裸の女性など、ワメナ市内でも時々見かけることがありますが、ほとんどは年配の方なので過度の期待は禁物です。
《村の住民 ③》

一方で、煙草は昔から現在に至るまで人気の嗜好品で、男性も女性も、時にはティーン・エイジャーでさえも吸っているのをよく見かけます。
《夕餉の支度 ⑥》

子豚の燻蒸処理もほぼ完了したようです。
《夕餉の支度 ⑦》

燻製された子豚は腹を割いて解体します。
《夕餉の支度 ⑧》

犬が興味津々ながらもマナーを守って見つめているのが印象的です。
《夕餉の支度 ⑨》

その間に、女性たちは次の行程の準備に取りかかっています。
《夕餉の支度 ⑩》

穴を掘って、回りに草や葉っぱを丁寧に敷き詰めていきます。
《夕餉の支度 ⑪》

お洒落なお姉さんも大活躍です。
《夕餉の支度 ⑫》

一通り敷き詰めたら、今度は男たちが地ならしして子豚用のスペースを確保します。
《夕餉の支度 ⑬》

キャンプファイアーで熱した石を敷いていきます。
《夕餉の支度 ⑭》

ようやく窯の容易が整いました。

最後に豚肉を置いて葉っぱを被せて蒸し焼きにします。
《土産物屋 ①》

片隅では完全ハンドメイドの土産物を思い思いに並べ始める女性たちの姿もあります。

ただ、あまり商売慣れしていないのか、単にやる気がないだけなのか、ほとんど客引きもせずにただ座っているだけです。

客は私たち3人だけなので一向に盛り上がりません。
《土産物屋 ②》

そうはいうものの値段を聞いてみると製造直販というだけあって言い値の時点で随分安いです。町のマーケットの土産物屋などに比べれば破格と言ってもいいと思います。ちょっとでも値切れば相当お買い得だと思いました。

ただ、パプア初日で相場もわからなかったので残念ながらこの時は何も買わずに終わりました。
《家族で晩餐 ①》

いよいよ料理が完成したので食事の開始です。

基本的にこの子豚は私たちがお土産にプレゼントしたものなので皆さんで食べます。
《家族で晩餐 ②》

私たちも一口分けてもらいましたが、塩味のシンプルな味付けにもかかわらず、草の風味も程良く、とても美味しく仕上がっていました。
《家族で晩餐 ③》

参考までに、下世話な話ですが、この日の「戦闘の儀式」と「子豚の丸焼き」合わせて1,000,000ルピア(約9,000円)でした。参加者3人で分けると一人約3,000円です。写真撮り放題込みでこの金額は、決して高くはないと思います。
そもそも日本なら子豚一匹でそれくらいかかっても仕方ないレベルです。
《村の様子 ①》

食後(と言ってもほとんど食べていませんが)は周辺を散策しました。裏山からの景色がいいということなので上ってみたところ、周囲の様子がよく見えました。
《村の様子 ②》

これが、お世話になった集落です。

前述のように一つ一つの敷地が塀に囲まれています。
《村の様子 ③》

この日宿泊したのは、先ほどの集落の隣の敷地にあるロッジ(小屋)でした。
《村の様子 ④》

広場では子供たちがバスケットボールを使ってサッカーを楽しんでいました。
《村の様子 ⑤》

これがロッジの室内です。

ベッドも用意されていて居心地は悪くありませんでした。
《村の様子 ⑥》

宿泊費は2食付きで一人当たり100,000ルピア(約900円)でした。

夕食はイワシ缶のトマトソース煮にライス、スープ代わりにインスタントラーメンという内容です。(因みに朝食はナシゴレンと紅茶でした。)

コスト・パフォーマンスは悪くありません。
《塩の池へのトレッキング ①》

翌日の午前中は、近くの山の中腹にある塩の池(Air Garam)での塩の抽出を見物することになっていたので朝から出かけました(これもガイド付きで前日の料金に込み)。
《塩の池へのトレッキング ②》

塩の抽出作業は女性の仕事いうことで、前日の村からの若い女性2人に同行します。
《塩の池へのトレッキング ③》

途中、これから山に登るという段になって女性たちは落ち着きを取り戻すために一服タイムです。
《塩の池へのトレッキング ④》

彼女たちが吸っていたのは煙草ではなく自家製の葉巻でした。
何となくセレブな感じです。
《塩の池へのトレッキング ⑤》

村を出て1時間半ほどで塩の池に到着すると早速作業に取りかかります。

まず村から持ってきたバナナの茎の繊維を細かく切り裂いていきます。
《塩の池へのトレッキング ⑥》

次にそれを池の塩水に浸します。
《塩の池へのトレッキング ⑦》

塩がたっぷり付着するよう、丹念に作業を続けます。
《塩の池へのトレッキング ⑧》

その後、塩が付着したバナナの葉を乾燥させ、燃やしたあとで、残った灰を塩として持ち帰るのです。

普通の塩は村でも手に入りますが、このような伝統的な技法で採取したものの方が(恐らくミネラルが豊富で旨みがあることから)現地では重宝がられているそうです。
《イウィカのミイラ ①》

ワメナ周辺にはにはいくつかのミイラが保存されている村がありますが、イウィカもその一つです。
村の中心から約400m北に行ったところにある集落では、18世紀にこの地で酋長をしていたという男性のミイラを見ることができます。
《イウィカのミイラ ②》

一つの小屋から恭しく持ち出されてきたのが彼です。
《イウィカのミイラ ③》

炭化しているのではないかと思われるほど黒光りしていて、逆にあまり生々しくない感じですが、ちょっと扱いを間違えると壊れてしまいそうな様子です。
根本的にあまり安らかな寝顔には見えませんが、時々訪問する観光客にこうやって顔を見せることによって子孫の生活の糧になっていることを考えると、今は安らかにお休みになっているのかもしれません。
《ミイラの家の女性たち》

ミイラを見に来たのですが、それ以外の方々も並んで写真を撮らせてくれました。
《バリエム渓谷トレッキング ①》

一旦藤原さんのところに戻って昼食を頂いた後、午後から2泊3日のトレッキングに出発しました。
《バリエム渓谷トレッキング ②》

バリエム渓谷(Lembah Baliem)は、バリエム川沿いに広がる渓谷で、この周辺に点在する集落を渡り歩くことによって、大自然の原風景や伝統的な人々の暮らしに触れることができるということで人気があります。
《バリエム渓谷トレッキング ③》

途中、丸太一本の橋を渡ったり、雨で増水した川をガイドに背負われて越えたりと、想像以上に冒険的なイベントもありましたが、それ以外は概ね普通のトレッキングでした。
《バリエム渓谷トレッキング ④》

3時間ほど歩くとこの日の目的地キリセ(Kilise)に到着です。
《バリエム渓谷トレッキング ⑤》

この日の宿は食事無し(ガイドによる自炊)で一人140,000ルピア(約1,200円)と、前日よりもちょっとお高いだけあって美しい芝生の庭もあり、少しだけ贅沢な雰囲気でした。
《バリエム渓谷トレッキング ⑥》

庭からの眺めもなかなかのものです。
《バリエム渓谷トレッキング ⑦》

向かいの山腹には段々畑が見えます。

東南アジアの山奥ではよくこのような畑を目にしますが、上から下まで結構な標高差です。本当にご苦労様です。
《バリエム渓谷トレッキング ⑧》

翌日は対岸のウゲム(Ugem)に向かいました。

途中、名前もわからない小さな集落を時々通り過ぎます。
《バリエム渓谷トレッキング ⑨》

この日は水曜日でしたが、子供たちは学校にも行かずにのんびりと寛いでいました。

大体、学校はどこにあるのでしょうか。恐らく歩いて片道1時間以上はかかるものと思われます。

まあ、これでもワメナからどうにか徒歩圏なので、もっと山奥に住む子供たちから見れば幸せな方なのかもしれませんが。
《バリエム渓谷トレッキング ⑩》

石垣には、幸福の黄色いハンカチのように見渡す限り洗濯物が干してありました。

随分な数ですが、川は結構下を流れています。雨水でも溜めておいて利用するのでしょうか。
洗濯も一苦労です。
《バリエム渓谷トレッキング ⑪》

バリエム川に架かる吊橋が見えました。
《バリエム渓谷トレッキング ⑫》

結構しっかりとした橋に見えますが、下には増水した川が轟々と音を立てて流れており、地元民と思われる母子が酷く恐る恐る渡っているのが見えます。
《バリエム渓谷トレッキング ⑬》

橋の袂には、この様子を見て怖じ気づいたり、又は渡り終えて精も根も尽き果てた人が心の平安を取り戻すまでの心の隙を狙って、ちょっとした売店が営業していて、結構繁盛しています。
《バリエム渓谷トレッキング ⑭》

この売店で一息ついた後、私たちもチャレンジすることにしました。

結果的には、橋は少々横揺れが激しかったものの、天気も良かったので気持ち良く渡り終えることができました。
《バリエム渓谷トレッキング ⑮》

しばらく歩くとまた子供たちに出会いました。

子供が多いのは将来が楽しみですが、やはり学校ぐらい行かせてあげたいものです。
《バリエム渓谷トレッキング ⑯》

昼食はこの民家の台所を借りてガイドが野菜スープを作ってくれました。

横に長い萱葺きの建物はホナイ(honai)と呼ばれるパプアの伝統的な家屋建築です。
《バリエム渓谷トレッキング ⑰》

家の中は、暖炉の煙が立ち込めている上、昼間なのに真っ暗です。
《バリエム渓谷トレッキング ⑱》

これが出来上がったスープです。単純ですが味は悪くありません。
昼食はこれとビスケットだけでしたが、昼食なので十分満足できました。
《バリエム渓谷トレッキング ⑲》

庭では豚が飼われていました。
《バリエム渓谷トレッキング ⑳》

インドネシアでは珍しい光景です。
《バリエム渓谷トレッキング ㉑》

引き続き1時間ほど歩くとウゲムのこの日の宿に到着しました。
太陽光発電完備なので夜も安心です。
《バリエム渓谷トレッキング ㉒》

庭から見る景色は前日とほぼ同じような気がしました。
実際のところ、前日は川を挟んで向こう側だっただけなので、当然といえば当然なのです。
《バリエム渓谷トレッキング ㉓》

そうこうしているうちに翌日になりました。

生憎の天気で、下界には霧が立ちこめています。
《バリエム渓谷トレッキング ㉔》

ただし雨に降られるようなこともなく無事下山できました。
《バリエム渓谷トレッキング ㉕》

最終日の昼食は、藤原さんが持たせてくれた辛ラーメンにビスケットという内容です。

空腹は最高のスパイスという言葉を実感できました。
《バリエム渓谷トレッキング ㉖》

最後に渡った吊橋はところどころ踏み板が外れて下が丸見えでしたが、手摺りだけは比較的頑丈な造りだったので無事渡り終えることができました。
《バリエム渓谷トレッキング ㉗》

一歩でも足を踏み外していたら大変だったかもしれません。
《ワメナの町 ④》

2日振りに町に戻ってきました。

町外れの市場ですが凄い賑わいです。
この人たちの多くは今回歩いてきた村などから片道数時間かけて行商に来ているのかもしれません。
《ワメナの町 ⑤》

3日前に初めてワメナに着いたときには随分のどかな町だと思いましたが、山の中から出てくると圧倒的な都会感です。
《ワメナの町 ⑥》

ミニバスも走っています。

ただ、不思議なのはこれらの車がどうやってこの町に運ばれてきたのかです。

インドネシアの地図を見ても Google Map を見ても、ワメナと外界を繋ぐ道路はありません。
バリエム川を下っていくと一応海には出ますが、車を運ぶのに適している川とは思えません。
空輸するには割に合いませんし。。。

春日三球・照代を思い出しました。
《ワメナ郊外の風景 ①》

翌日は山岳地帯の湖 Danau Habbema をおとずれるよていでしたが、現地の天候が良くないということで、仕方なく近郊の村 Pugima 周辺を散策することにしました。

ミクロネシア地方の方のような格好をした女性も女性も見かけました。
《ワメナ郊外の風景 ②》

子供たちは非常にフレンドリーですが、服装も含めて、まるでアフリカの一風景のようです。
《ワメナ郊外の風景 ③》

これもアフリカによくありがちな風景です。
《ワメナ郊外の風景 ④》

この人たちも。
《ワメナ郊外の風景 ⑤》

子供たちの遊び道具がバイクのタイヤと壊れた乳母車というのも哀愁を誘います。
《ワメナ郊外の風景 ⑥》

インドネシアでは、全国民の約90%がムスリムですが、パプアでは4分の3がクリスチャンです。

そのため、結構小さな村でもキリスト教会を見かけます。
《ワメナ郊外の風景 ⑦》

帰りはバスで帰りましたが、途中に架かっていた鉄橋(写真左)が増水で落ちてしまっていました。
《ワメナ郊外の風景 ⑧》

そのためバスは通行できないということで、私たちは隣の建設中の橋を歩いて渡ったのですが、横を見るとトラックやバイクが勇猛果敢に落橋を突破していました。
《ワメナ最後の晩餐》

最終日は比較的いいホテルに宿泊していたので、併設のレストランで夕食を取りました。
ナシゴレン、ヌードルスープ、チキンサテ、エビチリという典型的なインドネシア料理(エビチリは除く)を久しぶりに堪能でき大満足の夜でした。
《ワメナの空港 ①》

翌日はワメナともお別れです。

到着時には特に気付きませんでしたが、大変質素なターミナルビルです。
《ワメナの空港 ②》

ターミナルに入るとトゥリガナ航空機が駐機しているのが見えましたが、前部が欠けています。
これから取り付けるにしても、こんなんで大丈夫なのかと本気で心配になりました。
《ワメナの空港 ③》

チェックインも終わり、前部の取り付け作業中に搭乗ゲート前で待ちます。
仮設の集会場のような待合室です。

*2015年12月に新たなターミナルビルが完成した結果、現在は立派な待合室が用意されているようです。
《トゥリガナ航空 ②》

搭乗アナウンスがあって飛行機を見ると、さっきとは違う機体でした。
とりあえず安心です。
ワメナ空港は山に囲まれた複雑な地形にある空港なので、事故が多いことでも知られるインドネシアの空港の中でも最も離着陸が難しい空港とされています。
先ほどの機体は着陸時に何らかのトラブルにより先端が外れてしまったのかもしれません。
《飛行機から見たセンタニ湖》

飛行機は2時間半ほど遅れたものの再びジャヤプラに戻って来ました。

ほんの5日間のご無沙汰でしたが懐かしい眺めです。
《パプア料理》

朝8時半に到着予定が11時になってしまったので、観光前に慌てて腹ごしらえのため、藤原さんに教えてもらった地元料理店に直行しました。
湖で採れた魚のスープ(酸味があり美味)に地元食 パペダ(Papeda、芋を裏ごしして蒸した味のない現地の主食)がお薦めということで注文したところ、パペダは見た目も食感も糊のようで味もなく、食べるのも難しくて美味いというには程遠い食べ物でしたが、いい思い出になりました。
《センタニ湖クルーズ ①》

パプア最後のアトラクションはセンタニ湖でのボートクルーズです。

クルーズといっても専用のクルーズ船などはなく、桟橋に泊っているボートの持ち主とコースと料金を交渉してから楽しむオーダーメイドです。
《センタニ湖クルーズ ②》

今回は、時間もあまりないので、対岸にあるアヤポ(Ayapo)の集落(左の写真)を船から眺め、湖の中ほどに浮かぶ小島アセイ島(Pulau Asei)で降りて若干観光するという、待ち時間を入れて約2時間の行程を 150,000ルピア(約1,400円)でお願いしました。
《センタニ湖クルーズ ③》

当然のことながら、ボートは地元の人の足にもなっています。
ただ、それほど頻繁には運航されていないようです。
《センタニ湖クルーズ ④》

アヤポの家並みです。東南アジアの湖畔や河畔によく見られるスタイルの水上家屋です。
《センタニ湖クルーズ ⑤》

写真では判り辛いですが、壁には大きな文字で持ち主の名前が書いてあります。
《センタニ湖クルーズ ⑥》

パステルカラーで個性を前面に押し出している家もあります。
《センタニ湖クルーズ ⑦》

バリエム渓谷の山の中と違って水はふんだんにあるので、洗濯には不自由しないようです。
《センタニ湖クルーズ ⑧》

女の子ですが、漁の手伝いだか網の手入れをしています。
《センタニ湖クルーズ ⑨》

こちらの男の子たちはコテカも使わずに素っ裸で股間丸見えです。
《センタニ湖クルーズ ⑩》

サイクロンなどに襲われたらひとたまりもなさそうな年季の入ったお宅です。
《センタニ湖クルーズ ⑪》

この辺りの山肌にはどうして木が生えていないのでしょうか。
《センタニ湖クルーズ ⑫》

アセイ島周辺には2つのとても小さな島がありますが、ここにも家が建っています。
《センタニ湖クルーズ ⑬》

いよいよアセイ島に近づいてきました。塀には何やらお洒落な模様が施されています。
《アセイ島 ①》

アセイ島の桟橋です。これまた写真では判り辛いですが、住民が満面の笑みで迎えてくれました。
《アセイ島 ②》

子供たちははしゃぎ過ぎて繰り返し海に飛び込んでいます。
そんなに外人(東洋人ですが)が珍しいのでしょうか。
《アセイ島 ③》

水上家屋へのアクセス通路は細長い板が渡してあるだけでした。
《アセイ島 ④》

ご近所づきあいも、この柵もない開放的な通路頼みです。
《アセイ島 ⑤》

島の奥の丘の上にはアセイ・オールド・チャーチ(Gareja Tua Asei)と呼ばれる可愛らしいデザインの教会が建っています。
ここに最初に教会が建てられたのは1930年代のことですが、第2次世界大戦中の1944年に日本軍によって破壊され、現在の建物は1950年の元旦に落成されたものだそうです。
《アセイ島 ⑥》

教会のある丘の上からはアヤポの集落が見えます。
《アセイ島 ⑦》

海岸にへばりつくように、横一列にきれいに並んでいます。
《アセイ島 ⑧》

ところで、アセイ島の一番人気は薄く伸ばした樹皮に描かれたペイント(Bark Paintings、インドネシア語では Lukisan Kulit Kayu)です。

アセイ島には土産物店などはないので、観光客が着いたときだけ徐ろに店を広げます。
《アセイ島 ⑨》

私たちは8割くらいこれが目当てでこの島を訪問したにもかかわらず、着いたときには全く店が開かれておらず途方に暮れかけていたのですが、帰り際に文字通り徐ろに商品を並べ始めたので助かりました。
2人だけの訪問客だったので売れるとは思わなかったのかもしれません。
《アセイ島 ⑩》

特に声を掛けてくることもなかったのですが、脇目も振らず、人目も憚らず、後の交渉のアドバンテージのことも考えず食いついてしまい3枚購入しました。

非常に気に入ったので、今でも家のタンスの中の陽の当たらないところに大切に保管してあります。今まで買った海外でのお土産の中でも3本指に入る満足度です。
《アセイ島 ⑪》

買物も無事終了し島を離れるときには、1時間弱の滞在にだったにもかかわらず島の若者たち(かどうか知りませんが)がとてもにこやかに見送ってくれました。

泣きそうになるくらい気持ちの良い訪問になりました。
《アセイ島 ⑫》

写真中央の丘の上に見えるのが教会です。

教会もいいですが、皆さんもパプア訪問の際には是非この島を訪れてこの類い希な芸術作品をご覧になって(気に入ったら買って)みて下さい。

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