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旅の写真集  インド共和国(その1)HEADLINE

インド観光の旅行記を兼ねた写真集(その1)です。ここでは、首都デリーと、その約200km南に位置する世界遺産の宝庫アグラ周辺の様子をご紹介します。

《パハール・ガンジ ①》

ニューデリー(New Delhi)駅前の西に広がる Pahar Ganji は、素晴らしい立地にもかかわらず、遙か昔から世界中のバックパッカーが集まる安宿の聖地とされています。

写真はその中心を東西に貫くメイン・ストリートであるメイン・バザール(Main Bazaar)です。
《パハール・ガンジ ②》

そのため、一方で、強引な客引きやしつこい旅行業者など、如何にも悪いインドの典型的な雰囲気に満ちていますので、インド初心者という方にはお薦めできないスポットです。

「インド人、嘘つかない」などと見え透いた嘘を言うインド人が多いのも特徴なので、話しかけられても全く無視するのが賢明です。
《ジャマー・マスジッド ①》

パハール・ガンジの2kmほど北東、旧市街(オールド・デリー)の中心部に建つ Jamma Masjid は、タージ・マハルを建設したことでも有名なムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(Shah Jahan)によって立案され、1644年から12年間かけて建設されたインド最大のモスクの一つです。
《ジャマー・マスジッド ②》

ジャマー・マスジッドは各国のモスクに非常によく見られる名称ですが、これは直訳すると「金曜のモスク」という意味で、金曜の集団礼拝の際に人々が集まる町の中枢のモスクであることを表わします。
《ジャマー・マスジッド ③》

そのため広い中庭は約25,000人が礼拝できる規模を誇っています。
《ジャマー・マスジッド ④》

中庭を取り囲む4辺のうちモスク本体のある西側以外の3辺を回廊式の柱廊が取り囲み、各辺の中央部分には入場門が聳え立っています。
《ジャマー・マスジッド ⑤》

モスクの両側に建つ高さ41mのミナレットの内部にはそれぞれ130段の螺旋階段が設置されており、左側のミナレットには登ることもできます。
写真はその途中から正面入口である東門を望んだ様子です。
《ジャマー・マスジッド ⑥》

なお、ジャマー・マスジッドというのは俗称で、正式名称は Masjid-i-Jahan-Numa といいます。
これは「世界を見渡す(ことができるほど大きな)モスク」という意味だそうですが、ミナレットの頂上まで登ると、その名のとおり確かにデリーの町が一望できますので、お薦めのビューポイントです。
《ジャマー・マスジッド ⑦》

モスクの東門から一歩出て下界を眺めた様子です。
内部とは打って変わって、インドの喧噪がいきなり間近に迫ってきます。
《インドの街角》

そんな中、インドの温もりを肌で感じながら次の目的地に向かいます。
《ラール・キラー ①》【世界遺産】

ジャマー・マスジッドの1kmほど北(メトロを使えば1駅)にあるのが、ジャマー・マスジッドと同じくシャー・ジャハーンによって1648年に築かれた城塞及び宮殿 Lal Qila です。
《ラール・キラー ②》【世界遺産】

赤い砂岩で造られたことからレッド・フォートとも呼ばれ、「レッド・フォートの建造物群」というタイトルで2007年に世界遺産に登録されました。
《ラール・キラー ③》【世界遺産】

ムガル帝国最盛期の建造物で、正門のラホール門と南門のデリー門はインドの城門建築の傑作とされているそうです。
《ラール・キラー ④》【世界遺産】

これがメイン・ゲートとなるラホール門(Lahore Gate)です。
《ラール・キラー ⑤》【世界遺産】

当時の首都だったデリーととともに要衝だった現在のパキスタンのラホールへの道がここから始まっていたことからこの名が付いています。

それにしても物凄い高さです。
《ラール・キラー ⑥》【世界遺産】

ラホール門を入ると両側に土産物屋の並ぶアーケード、チャッタ・チョウク(Chhatta Chowk)があります。
ここは、ムガル帝国時代にも王族の人々のために宝石、貴金属、シルクなどの他、様々な物を売る店が建ち並んでいたそうです。
《ラール・キラー ⑦》【世界遺産】

チャッタ・チョウクを抜けると最初に見えてくるのがナウバット・カーナ(Naubat Khana、ドラム・ハウスの意)です。
王族が到着するとここでドラムを鳴らし、この先にある謁見の間の人々にそれを告げるための施設だったそうです。
王族以外の全ての訪問者はここから先は象を降りて進まなければならなかったことから、ハティアン・ポール(Hathiyan pol、象の門の意)とも呼ばれています。
《ラール・キラー ⑧》【世界遺産】

これが一般謁見殿であるディワーネ・アーム(Diwan-i-Am)です。
《ラール・キラー ⑨》【世界遺産】

正面と両サイドはイスラム様式の美しい柱が建ち並ぶホールとなっています。
《ラール・キラー ⑩》【世界遺産】

写真左にちらっと見える白い構造物が総大理石造りの玉座です。
《ラール・キラー ⑪》【世界遺産】

当時は世界中から集められた宝石で飾られていたそうですが、ペルシャ軍の侵攻の際に全て略奪されてしまったそうです。
《ラール・キラー ⑫》【世界遺産】

ディワーネ・アームを抜けると大きな広場に面していくつもの建物が並んでいます。
《ラール・キラー ⑬》【世界遺産】

まず目に付くのが貴賓謁見殿、ディワーネ・カース(Diwan-i-Khas)です。
《ラール・キラー ⑭》【世界遺産】

どの辺から見ても左右対称のシンメトリックな構造はムガル帝国時代の建物によく見られるデザインです。
《ラール・キラー ⑮》【世界遺産】

建物は床も含めて全て大理石で造られています。
現在の天井は1911年に改装されたものだそうですが、完成当時は金や銀の象眼細工がちりばめられていたとのことです。
《ラール・キラー ⑯》【世界遺産】

内部の柱には数多くの美しい花の絵が描かれていることでも有名です。
《ラール・キラー ⑰》【世界遺産】

これらの内装は、13世紀末の有名なインド人の詩人アミール・ホスロー(Amir Khusrow)による「もし地上に楽園があるならばそれはここである」(If heaven can be on the face of the earth,
It is this, it is this, it is this.)という詩からインスピレーションを受けてデザインされたものだそうです。
《ラール・キラー ⑱》【世界遺産】

ディワーネ・カースのすぐ南に建つカース・マハル(Khas Mahal)は皇帝の私室で、東側(写真左奥)に設置されたバルコニーに立ち、ヤムナ河畔に集まる人々に毎朝姿を見せるセレモニー(Jharokha Darshan)に使用されていたそうです。
《ラール・キラー ⑲》【世界遺産】

内部には、ディワーネ・カースほどではありませんが、同様に豪華な装飾が施されています。
《ラール・キラー ⑳》【世界遺産】

通路の上部には、当時重要とされた皇帝の公正さを示すためのシンボルであるミザリ・アダル(Mizan-i-Adal、英語でいうところの「The Scale of Justice」)が描かれています。
《ラール・キラー ㉑》【世界遺産】

ディワーネ・カースの北に建つモーティー・マスジット(Moti Masjid、真珠のモスク)は、信仰心の篤かった当時のアウラングゼーブ皇帝が、礼拝毎にジャマー・マスジッドまで出かける手間を省くために1659年に建てられた彼専用のモスクです。
《ラール・キラー ㉒》【世界遺産】

敷地内の最北端に建つ3階建ての塔 シャヒ・ブルジュ(Shahi Burj)に隣接して建つパビリオンも アウラングゼーブ皇帝によって建てられた白大理石造りの美しいパビリオンです。
《ラール・キラー ㉓》【世界遺産】

下ぶくれの美しい柱が特徴的です。
《ラール・キラー ㉔》【世界遺産】

1842年建造のザファール・マハル(Zafar Mahal)はかつての貯水池の中央に建つ小さな建物です。
貯水池は1857年のセポイの乱の際に大きく損壊し水が抜かれてしまいましたが、それまでは水に浮かぶ姿がとても美しかったそうです。
《クトゥブ・ミナール ①》【世界遺産】

ニューデリーの約15km南にある Qutb Minar は、高さ72.5mある世界で最も高いミナレット(イスラム教施設に付随する塔)で、「デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群」というタイトルで1993年に世界遺産に登録されました。
《クトゥブ・ミナール ②》【世界遺産】

塔は赤砂岩と大理石でできた5層から成り、内部には螺旋階段があって以前は誰でも登ることができたそうですが、1981年に起きた内部の停電の際に中にいた人たちがパニックに陥り将棋倒しになって45人(その多くは修学旅行中の少女たち)が犠牲になる事故が起きて以来、閉鎖されてしまったそうです。
《クトゥブ・ミナール ③》【世界遺産】

この高さでも十分高いですが、1199年に建てられた当時は100mほどあったそうで、度重なる地震や落雷などで崩れたり壊れたりした後に何度も修復されて現在の高さになったとのことです。
《クトゥブ・ミナール ④》【世界遺産】

直径は基底部14.3mに対して先端部2.75mと、文字どおりの尖塔で、底部の壁面にはイスラム教の聖典「コーラン」の一節が刻まれています。
《クトゥブ・ミナール ⑤》【世界遺産】

脇に建つアライ・ダルワサ門(Alai Darwaza Gateway)は1311年に建てられたもので、砂岩に嵌め込まれた白大理石が美しいデザインを形成しています。
《クトゥブ・ミナール ⑥》【世界遺産】

アライ・ダルワサ門を通って中に入ると、1193年に建設が始まったとされるインド初のモスクであるクワットゥル・イスラーム・マスジッド(Quwwat-ul-Islam Masjid、別名クトゥブ・モスク)の遺跡があります。
《クトゥブ・ミナール ⑦》【世界遺産】

このモスクは、27のヒンドゥー教とジャイナ教の寺院を破壊してその石材を使って建てたとされていて随所にツギハギ感が感じられます。
《クトゥブ・ミナール ⑧》【世界遺産】

最近になって修復された部分もあるようですが、それにしても素人目にも統一感の欠如が見られます。
《クトゥブ・ミナール ⑨》【世界遺産】

ヒンドゥー教の寺院の柱をそのまま使ったのが見え見えのデザインの柱もあります。
《クトゥブ・ミナール ⑩》【世界遺産】

20年ほど後に増築されたという入口のアーチ状のデザインは素敵です。
《クトゥブ・ミナール ⑪》【世界遺産】

表面にはイスラム建築特有の幾何学模様が残っています。
《クトゥブ・ミナール ⑫》【世界遺産】

こちらは礼拝室の跡です。
《クトゥブ・ミナール ⑬》【世界遺産】

このモスクの中庭に立つのがデリーの鉄柱(Iron Pillar of Delhi)と呼ばれる長さ約7.2m(うち1.2mは地中)、重さ約6.5tの構造物です。
これは、4世紀頃に製造され(10世紀に現在の場所に設置され)たものですが、1600年以上経過した現在でも未だにほとんど錆びていないという世界でも屈指の謎の物体です。
錆びない理由は99.7%というという純度の高さによるものと信じられてきたそうですが実際はこの純度でも50年ほどで錆びるとも言われ、現在でも様々な説が唱えられているそうです。
《クトゥブ・ミナール ⑭》【世界遺産】

クトゥブ・ミナールの150mほど北に残っているこちらの構造物は、14世紀初めにクトゥブ・ミナールの倍ほどの高さの塔を建てようとして財政難で挫折してしまったアラーイーの塔(Alai Minar)の造りかけの遺跡です。
《アクバル霊廟 ①》

国内有数の観光地であるアグラの約10km西、ニューデリーからだと約200km南にあるシカンドラー(Sikandra)にある Akbar's Mausoleum は、ムガル帝国隆盛期の第3代皇帝アクバルの霊廟で、左の写真は正門になります。
《アクバル霊廟 ②》

正門を入って正面に見えるのは霊廟への入口です。
これらはアクバルが死亡した1605年に彼の息子であるジャハーンギール(Jahangir)によって建設が始まり1613年に完成しました。

ただし、1687年には、アクバルの統治に不満を募らせていた北インドのジャート族によって荒らされ、アクバルの遺骨は火の中に投げ込まれてしまったそうです。
《アクバル霊廟 ③》

そんな悲しい話は別にして、ヒンドゥーとイスラムが融合したムガル建築の代表例の一つとされるだけあって本当に美しい建物です。。

なお、霊廟本体はこの入口の奥に見える複雑な形をした建物です。
《タージ・マハル ①》【世界遺産】

アクバル霊廟の続きに見えなくもありませんが、こちらはインド観光の最大の目玉とも言える Taj Mahal の正門である大楼門(Great Gate)です。
《タージ・マハル ②》【世界遺産】

大楼門は赤砂岩造りで高さ約30mあり、嵌め込まれた白大理石によって美しく装飾されています。
中央部分はイスラム建築によく見られるイーワーン(ドーム型のホール)となっていて、両側には八角形の太い塔が聳えています。
《タージ・マハル ③》【世界遺産】

イーワーンの上に設置された11個の白いチャトリ(小塔)がチャーミングです。
《タージ・マハル ④》【世界遺産】

大楼門を入ると正面にタージ・マハル本体が現れます。

タージ・マハルはアグラ市内を流れるヤムナ川のほとりに建つ霊廟で、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった最愛の王妃ムムターズ・マハルのために建設した総大理石の建物です。

彼女が死亡した翌年の1632年に着工し、22年の歳月をかけて1654年に完成しました。
《タージ・マハル ⑤》【世界遺産】

インド・イスラム建築を代表する建物の一つで、世界で最も美しい建造物とも言われ、1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。
《タージ・マハル ⑥》【世界遺産】

年間約400万人(うち外国人は約20万人)の観光客が訪れるそうで、園内はいつも黒山の人だかりとなっています。
写真では見づらいですが、廟内に入るために基壇上には数百メートルの長い行列ができています。
《タージ・マハル ⑦》【世界遺産】

墓廟の両側(写真では片側)には、墓廟を挟む形で無モスク(向かって左)と集会所(同右)が設けられています。いずれも赤砂岩づくりの同じ外観で、対称的な形で向き合っています。
このように、敷地内の構造物や庭園は全て左右対称となるように配置されています。
なお、モスクや集会場が併設されたムガル帝国廟は他に例がないそうです。
《タージ・マハル ⑧》【世界遺産】

墓廟の基壇は一辺95mの正方形で、四隅に高さ42mのミナレットが建ち、中央に高さ58mの大ドームが聳えるという構造になっています。
《タージ・マハル ⑨》【世界遺産】

壁面には浮き彫りや透かし彫り、象眼細工などによって、華麗で緻密な装飾が施されています。
《タージ・マハル ⑩》【世界遺産】

ファサードにはコーランの一節がカリグラフィーで描かれています。
《タージ・マハル ⑪》【世界遺産】

一方で、基壇や本体底部の壁面には大きな大理石版が大胆に惜しげもなく使われています。
《タージ・マハル ⑫》【世界遺産】

先ほどちらっとご紹介した行列の一部です。

インドはどこに行っても人が多いので、人々は並ぶことには慣れているようで皆さんお行儀良く並んでいます。
間隔が日本の3分の1くらいに詰まっているのも、インドらしくて好感が持てます。
《タージ・マハル ⑬》【世界遺産】

こんな感じなので(2等列車の席取りなど一部場面を除いては)割り込みとかもほとんどなくマナーは比較的良いです(間隔は別にしても、またここに限らず、割り込みとかをすると普段温和しいインド人が一斉に罵詈雑言を浴びせかけてくるので、よほどの覚悟がないとできない雰囲気です)。
《タージ・マハル ⑭》【世界遺産】

こちらは墓廟に向かって左側に建つモスクです。
他の国ならこれだけでも一つの立派な見どころの一つになってしまうほどの出来栄えです。
《タージ・マハル ⑮》【世界遺産】

因みに、タージ・マハルの名前の由来は、王妃の名(本名ではなく夫の父である第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号)であるムムターズ・マハル(Mumtaz Mahal、「宮殿の光」の意)のムムが消え、ターズがインド風発音のタージになったという説が有力だそうです。
《タージ・マハル ⑯》【世界遺産】

モスク側から見たタージ・マハルの横顔です。
細部(基壇上部への階段など)を除いて、正面からのものと全く同じです。
《タージ・マハル ⑰》【世界遺産】

モスクの入口から撮った写真です。
どこから見ても絵になります。
《タージ・マハル ⑱》【世界遺産】

余談ですが、2017年10月現在のタージ・マハルの入場料はインド人の40ルピー(約70円、インドの物価からすると著しく高額)に対して外国人は1,000ルピーと25倍の開きがあります(詳しくはこちら)。
このような場合、入口は別々になっているのが一般的ですが、ここでは一緒です(男女は別)。
そのため、入場には非常に時間がかかる(特に女性)ので覚悟が必要です。
《タージ・マハル ⑲》【世界遺産】

最後になりますが、インド政府は、タージ・マハルは有事の際にパキスタン軍の空爆の標的になりやすいと考えていて、同国との緊張が高まると布をかぶせて偽装を行なっているそうで、容易に偽装できるよう中央ドームの外壁にフックが打ち込まれているとのことです。
いたいけな努力に頭が下がります。人類にとってかけがえのない財産をいつまでも大切に守って欲しいものです。
《アグラ城塞 ①》【世界遺産】

次に訪れたのはタージ・マハルの西2kmほど、同じくヤムナ川沿いに建つ Agra Fort です。
《アグラ城塞 ②》【世界遺産】

赤砂岩で築かれた城壁の色から「レッド・フォート」(ラール・キラー)とも呼ばれています。ただし、既にご紹介したとおりデリーにもラール・キラーがあり、単にインドで「レッド・フォート」と言えば、通常はデリーのほうを指します。
《アグラ城塞 ③》【世界遺産】
ただし歴史はこちらの方が古く、アクバル大帝がデリーからアグラへの遷都の際に建てた城塞で、1565年に着工され1573年に完成しました。
《アグラ城塞 ④》【世界遺産】

デリーのそれと同じく、ここの2か所の入口もデリー門とラホール門(別名「アマル・シン門」(Amar Singh Gate))がありますが、同様にラホール門(左の一連の写真)のみ解放されています。
《アグラ城塞 ⑤》【世界遺産】

前置きが長くなってしまいましたが、アマル・シン門を入って右に見えるのがジャハーンギール宮殿(Jahangir Mahal)です。
《アグラ城塞 ⑥》【世界遺産】

素人目にはジャイプールのシティ・パレスに似たデザインです。

あっちの方が新しいのでマハラジャが真似をしたのでしょう。
《アグラ城塞 ⑦》【世界遺産】

ジャハーンギール宮殿の内部です。
木造建築物のように見えますが石造です。
《アグラ城塞 ⑧》【世界遺産】

このようなアーチのデザインははヒンドゥー様式の典型だそうです。
《アグラ城塞 ⑨》【世界遺産】

ジャハーンギール宮殿を出て次の現場に向かいます。

なお、タージ・マハルも非常に広く内部の見学には(廟内に入らないとしても)2時間程度は必要ですが、ここアグラ城は(敷地の1/3ほどは軍の施設になっていて立入禁止ではあるものの)それに輪をかけて広いので(並んで入るようなところはありませんが)やはり2時間近くはみておいた方がいいと思います。
《アグラ城塞 ⑩》【世界遺産】

奥に見えるのが真珠のモスク(Moti Masjid)です。
時間の都合で残念ながら内部を訪れることはできませんでした。
《アグラ城塞 ⑪》【世界遺産】

外部の城壁やジャハーンギール宮殿は赤砂岩で築かれていましたが、その他の内部の建築物は主に白大理石が使われています。
写真は貴賓謁見殿だったディワーネ・カース(Diwan-i-Khas)の外壁です。
《アグラ城塞 ⑫》【世界遺産】

総白大理石造りのディワーネ・カースの内部は、床から天井に至るまで美しい象眼細工の装飾が施されています。

手前に見えるのは大理石の噴水です。室内に噴水があるなんてとてもお洒落です。
《アグラ城塞 ⑬》【世界遺産】

陽が傾いて日陰になっているのが残念ですが、ディワーネ・カースの西側の中庭 アンゴリ庭園(Angori Bagh) は、美しい花壇が整備されています。
《アグラ城塞 ⑭》【世界遺産】

ディワーネ・カースからアンゴリ庭園の北に隣接する Macchi Bhawan (Fish Palace、魚の宮殿)を望んだ様子です。芝生の部分にはかつて魚が泳ぐ池があったことかっらこの名が付いていたそうです。
《アグラ城塞 ⑮》【世界遺産】

上の写真の向こう正面から反対側を見るとこのようになっています。
中央がディワーネ・カース、その左に建つ小さな塔がムサンマン・ブルジュ(Musamman Burj)です。
《アグラ城塞 ⑯》【世界遺産】

これがアグラ城塞最大の見どころとも言えるムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)です。

ここには語るも涙、書くも涙の悲しいお話があるのです。
《アグラ城塞 ⑰》【世界遺産】

先述のとおり第5代皇帝シャー・ジャハーンは愛妃ムムターズ・マハルのために1653年にタージ・マハルを完成させましたが、1657年に彼が病気になると息子4人による後継者争いが始まり、それに勝利した3男のアウラングゼーブ(Aurangzeb )により皇帝の座から引き降ろされ、祖父アクバルが築造したアグラ城のこの八角の塔に幽閉されてしまいました。
なお、この塔もまた、元々はシャー・ジャハーンが愛妃の居室として建てた塔でした。
《アグラ城塞 ⑱》【世界遺産】

上の写真では見づらいですが、地平線の中央やや左寄りにタージ・マハルが見えます。

失意のシャー・ジャハーンはここから毎日タージ・マハルを眺めながらムムターズに想いを馳せ、7年後にこの塔の中で亡くなったそうです。
《アグラ城塞 ⑲》【世界遺産】

塔の壁や柱の至る所にはそんなロマンチックなストーリーに美しい花が添えられています。
《アグラ城塞 ⑳》【世界遺産】

これがシャー・ジャハーンが7年間毎日眺めていた景色です。
《アグラ城塞 ㉑》【世界遺産】

そんな訳で、アグラ城塞はタージ・マハルと同じ1983年に世界遺産に登録されました。タージとは別案件での登録です。

アグラ近郊にはこの他にもう一つ、ファテープル・シークリーというこれまた別個に登録された世界遺産がありますので次はそちらに向かいます。
《ファテープル・シークリ-のモスク地区 ①》【世界遺産】

このトトロのような風貌をした建造物は、アグラの中心部から約35km西にある Fatehpur Sikri のモスク地区の入口、ブランド・ダルワーザー門(Buland Darwaza)です。
《ファテープル・シークリ-のモスク地区 ②》【世界遺産】

高さは手前の階段部分を除いて本体だけで54mもあるそうで、現存する世界一高い門となっているそうです。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ③》【世界遺産】

ファテープル・シークリーは1571年から5年かけて建てられた城跡都市です。
当時の皇帝アクバルは跡継ぎに恵まれなかったため、この地に住むイスラム教の聖者を訪ね相談したところ、5年以内に息子を授かるだろうとの予言を与えられ、そのとおりジャハーンギールが誕生したため、記念としてここに新たな都を造りアグラから遷都したそうです。

写真は裏側(内部側)から見たブランド・ダルワーザー門です。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ④》【世界遺産】

遺跡内は全体で東西約3km、南北約1.5kmと広く、モスク地区と宮廷地区に別れています。
ここでは私が訪問した順にモスク地区からご紹介しています。

写真はブランド・ダルワーザー門を入って左に見えるジャマー・マスジッド(金曜モスク)です。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ⑤》【世界遺産】

イスラムのモスクでありながら回廊の柱の形や上部の装飾などにヒンドゥー建築の影響が多く見られ、多宗教を尊重したアクバルの理念が反映されています。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ⑥》【世界遺産】

右がイスラム・カーン廟(Tomb of Islamic Khan)、左がサリーム・チシュティー廟(Tomb of Salim Chishti)です。
敷地内の建物は宮廷地区も含め赤砂岩を使用したものがほとんどですが、サリーム・チシュティー廟だけは白大理石造りの建物です。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ⑦》【世界遺産】

なお、サリーム・チシュティーとは、アクバルに息子が授かると予言した聖者で、この墓廟は彼が亡くなった8年後の1580年に建てられたものだそうです。

壁面には美しい彫刻が施され、ムガル時代の建築物の中で最も精緻なものの一つと言われています。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ⑧》【世界遺産】

回廊で囲まれたモスク地区には、他にも数多くの墓が残っています。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ⑨》【世界遺産】

モスク地区はこんな感じで、次は宮廷地区へ向かいます。

写真は、宮廷地区へ続く王の門(King's Gate)から振り返って見たジャマー・マスジッドです。
《ファテープル・シークリーのモスク地区 ⑩》【世界遺産】

宮廷地区に向かう道から再び振り返ってみました。
手前に見えるのが王の門ですが、その奥に見えるのがブランド・ダルワーザー門です。
いかに巨大かがおわかりいただけるでしょうか。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ①》【世界遺産】

徒歩5分ほどで宮廷地区に到着です。
中央右よりの中庭に面した建物がディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am、一般謁見殿)です。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ②》【世界遺産】

上の写真の左側から後方にかけてが宮殿施設になっています。

中でもひときわ目を引くのが全く壁がなく列柱と床だけのファテープル・シークリー版五重塔、パンチ・マハル(Panch Mahal)です。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ③》【世界遺産】

パンチ・マハルは5層の楼閣で、1階にはヒンドゥー教で縁起が良いとされる84本の列柱が林立し、(当然のことながら)上階に行くほど本数が少なくなっています。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ④》【世界遺産】

柱は全部で176本あるそうですが、全体的にバランスの取れた特徴ある外見だけでなく、2本として同じデザインの柱がないところも見逃せないところなんだそうです。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑤》【世界遺産】

池(Anup Talao)の向こうに見える建物が皇帝の執務室ダウラット・ハーナ(Daulat Khana)で、その奥には皇帝の寝室フワーブ・ガー(Khwabgah)があります。

池の中心は舞台になっていてしばしば音楽会が上演され、アクバルは奥の建物の2階からそれを楽しんでいたそうです。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑥》【世界遺産】

一方、こちらの写真で奥に見えるのはバーバルの館(Birbal Bhavan)です。

アクバルが最も信頼を置いていた重臣であるバーバルのために特別に宮殿内に造らせた建物だそうです。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑦》【世界遺産】

これらの建物は木造のように見えますが、全て赤砂岩で造られています。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑧》【世界遺産】

バーバルの館は見る角度によって形が違うのも興味深い趣向です。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑨》【世界遺産】

こちらはアクバル帝の妃の一人であり後の第4代皇帝ジャハーンギールの母であるマリアム・ウッザマーニー・ベーグム(Mariam-uz-Zamani Begum)のために建てられた建物で、かつては黄金などで装飾されていたそうです。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑩》【世界遺産】

宮廷地区の最も北に建つのが貴賓謁見殿ディーワーネ・カース(Diwan-i-Khas)です。
《ファテープル・シークリーの宮廷地区 ⑪》【世界遺産】

他では見られない不思議な形だけど美しい建物です。

風通しが良い構造になっていて、アクバルはこの建物の2階の中央部分に据えられた玉座で過ごし、大臣や学者などと議論を交わしていたと言われています。
《ファテープル・シークリー》【世界遺産】

こんな感じで非常に特徴的な建造物に満ちているファテープル・シークリーですが、慢性的な水不足と猛暑のため遷都(建設開始)からわずか14年後(完成後9年)の1585年には放棄され、首都はラホールに移されました(なお、1598年には再びアグラに戻されています)。

ファテープル・シークリーは、1986年に世界遺産に登録されました。

以上は、主に2010年末に訪れた時の写真ですが、2015年の5月にもデリー市内を再訪しました。ジャマー・マスジッドは上の写真集と重複しますが、こちらの方が圧倒的に美しく撮れているので再掲させていただきます。
《ジャマー・マスジッド ⑧》

礼拝はメッカのある方向に向かって行なうので、モスクは広場の西側に建っています。
《ジャマー・マスジッド ⑨》

長さ約80メートル、幅約27メートルの堂々たる大きさで、3つあるドームの屋根部分は白と黒の大理石で覆われています。
《ジャマー・マスジッド ⑩》

ドーム下にある左右5つずつ、中央に1つある入口から入ることのできる礼拝室は、幅61m、奥行き27.5mの横長の空間となっていて、金曜礼拝の際には約900人が座れるスペースが確保されています。

写真は、中央のドーム直下の様子です。
《ジャマー・マスジッド ⑪》

それにしても、カメラも腕も全く同じであるにもかかわらず前回の写真との写り具合の違いは凄いです。
前回は快晴とはいかないまでも陽は差していましたし、時間帯も前回は17時頃、今回は14時頃と若干違うもののどちらも午後です。
恐らく、12月と5月という季節の違いが主な原因だと思われます(この地方の冬は霧や霞、靄などに覆われることが多いのです)。
この地域は夏は極めて暑いためベスト・シーズンは10月~3月頃というのが定説なのですが、これでは考えものです。
《フマユーン廟 ①》【世界遺産】

前回は時間の都合で断念した Humayun's Tomb も訪れることができました。

写真は入口に過ぎませんが、1993年に世界遺産に登録されただけあってユネスコ仕様の美しい施設です。
《フマユーン廟 ②》

中に入ると間もなく、天女のような出で立ちの地元ギャルが艶やかな姿態で微笑みを投げかけてくれたので写真を撮りました。
《フマユーン廟 ⑥》【世界遺産】

入口を入って真っ直ぐ進んむとフマユーン廟が見えてきます。
《フマユーン廟 ⑦》【世界遺産】

ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓廟として1565年から7年の歳月をかけて1572年に完成したこの建物は、ムガル帝国の廟建築の原型を示すと言われています。
《フマユーン廟 ⑧》【世界遺産】

建物を取り囲む10ヘクタール以上の広大な庭園は、水路や園路によって格子状に構成されたペルシャ風なチャハルバーグ(正方形の庭園)となっており、その中央に、どの方角から見ても左右対称の構造となっている建物が配置されています。
《フマユーン廟 ⑨》【世界遺産】

このような形式は従来のヒンドゥー建築やインド・イスラム建築には存在しなかったもので、後のタージ・マハルの建築様式にも影響を与えたそうです。
《フマユーン廟 ⑩》【世界遺産】

同時にどの角にもヤシの木が植わっていて、南国情緒を演出してくれているのはいいのですが、少しだけ邪魔です。
《フマユーン廟 ⑪》【世界遺産】

フマユーン廟の2階のバルコニーから見た西の入口です。

この方向には同じ敷地内に他にもいくつかの墓廟が建ち並んでいます。
《フマユーン廟 ③》【世界遺産】

フマユーン廟に隣接して建つイーサー・ハーン廟(Isa Khan Niazi Tomb) は1548年に完成した八角形の建物(基壇も八角形)で、数年後に完成したフマユーン廟の建築様式に大きな影響を与え、ひいては後のタージ・マハルの原型となったとさえ言われています。
《フマユーン廟 ④》【世界遺産】

イーサー・ハーン廟のすぐ西に建つイーサー・ハーン・モスクも、小さいながらも美しいモスクです。
《フマユーン廟 ⑤》【世界遺産】

これらの建物を取り囲む壁もまた八角形で、イーサー・ハーン廟、その基壇と合わせて美しい三層のグラデーションを描いています。

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