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旅の写真集  エジプト・アラブ共和国HEADLINE

エジプト観光の旅行記を兼ねた写真集です。今から20年以上も前の写真なので他の国とちょっと風味が違いますが、4000年の歴史の中での20年なので、内容については大差ないことを願っています。

《カイロ中心部》

カイロ中心部ゲジラ島(Gezira Island)から北の新市街地区を見た様子です。

20年以上前の1995年の訪問でしたが、既に高層ビルが林立する大都会です。
《リバーサードの中心部》

Cairo の中心部に流れるこの川は、かの有名なナイル川(Nile River)です。

最大延長6,650kmの、アマゾン川に次ぐ世界第2位の大河の、河口まで約200kmの地点でこの川幅というのはちょっと理不尽な感じもしますが、この水の中にはとても長い旅をしてきた者もいるのかと思うと、何だかメルヘンチックな気持ちになります。
《ギザの3大ピラミッド》【世界遺産】

子供でも知っているくらい有名な3つのピラミッド(Giza pyramid complex)です。カイロ市街地中心部から西へ約13kmのところにあります。

左から、クフ(Khufu)王、カフラー(Khafra)王、メンカウラー(MenKoura)王のもので、約4,500年前の紀元前26世紀頃に建てられたとされています。後方にはギザの市街地が広がっています。
《カフラー王のピラミッド》【世界遺産】

クフ王のピラミッドに次いで2番目に大きいピラミッドで、底辺約215m、高さは136m(元の高さは143.87m)あります。

因みに、クフ王のピラミッドは底辺230.37m、高さ138.74m(もとの高さは146.59m)ありますが、カフラー王のピラミッドの方が高いところに建っているので、頂上の標高はこちらの方が上です。
《ラクダ使いの少年》

ピラミッド周辺にはラクダにまつわるビジネスが横行しています。

この人たちに限らず、エジプトの人々は非常に仕事熱心で酷く強引な人が多いので、あまり関わらない方が無難です。
《ギザの大スフィンクス》【世界遺産】

Great Sphinx of Giza(略称 Sphinx)は、頭部は人間、身体はライオンというデザインで、全長57m、高さ21mある石像です。

3大ピラミッドとほぼ同時期の紀元前2,500年頃に建造されたという説が一般的ですが、他にも諸説あるそうで、詳細は未だ不明です。
《ピラミッドとスフィンクス》【世界遺産】

カフラー王のピラミッドを背後に、正面から見たスフィンクスです。

なお、これらの建造物は、ギザからナイル川沿いに30kmほど南のダハシュール(Dahshour)までの合わせて約20の主要なピラミッドと共に、1979年に世界遺産に登録されています。
《ピラミッド入口付近の町》

バス等でピラミッドに着くと、商売熱心な老若男女に取り囲まれて身動きが取れなくなる恐れがあるので十分注意しましょう。

基本的に暴力的ではないのですが、放っておくと30分でも1時間でも付いてきて、勝手にガイドを努めた挙句、料金を請求してくるのが常套手段のようです。
《カイロの夜景》

大都会らしい美しい夜景です。
《ツタンカーメン》

Tutankhamen と言うと写真の黄金のマスクそのものが連想されますが、実際は、紀元前14世紀に実在したファラオ(古代エジプトの君主)で、1922年にエジプト中部のルクソール郊外の王家の谷で彼の墓が発掘された際に、本人のミイラと共に発見された数々の装飾品の一つがこの黄金のマスクです。

現在はカイロにあるエジプト考古学博物館に収蔵されて観光客に公開されています。
《アスワンからアブ・シンベルへの道》

エジプト最南端のスーダン国境近くの Abu Simbel も、エジプト観光のハイライトの一つです。

アブ・シンベルには空港もあるのですが、予算の都合で約280km北の Aswan の町から日帰りでの観光ツアーに参加しました。

夜明け前の朝4時にアスワンを出て、周囲に何もない砂漠の中の道をひた走ります。
《アブ・シンベル神殿群》【世界遺産】

約4時間かけてようやく到着です。

入口を入ってまず左側にレリーフが刻まれた岩山があり、その向こう(写真では一つ目の岩山の陰)に大神殿、その向こうに小神殿と続いています。
《岩山のレリーフ》【世界遺産】

主に上部に肖像画、下半分に碑文が彫られています。

色々調べましたが、結局正体はわかりませんでした。
《アブ・シンベル大神殿 ①》【世界遺産】

これがご本尊様とも言える Great Temple of Abu Simbel です。

ラムセス2世により紀元前1250年頃に建造されたもので、4体のラムセス2世の像の高さは約20mあります。
《アブ・シンベル大神殿 ②》【世界遺産】

なお、神殿自体の大きさは幅約38m、高さ約33m、奥行きは約63mだそうです。
《アブ・シンベル大神殿 ③》【世界遺産】

なお、ご存じの方も多いと思いますが、オリジナルのアブシンベル神殿は、1960年代にアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没の危機にさらされたため、ユネスコによる救済キャンペーンで集まった国際チームが神殿を1,000パーツ以上に解体して、60mほど高台の200mほど離れた北西の丘の上に移設したものです。

遺跡や自然を守る世界遺産の制度は、この事業がきっかけとなって創設されたものです。
《アブ・シンベル大神殿 ④》【世界遺産】

その意味で、この遺跡は世界遺産の父とも言える存在なのですが、世界遺産に登録されたのは1979年の第3回世界遺産委員会でのことです(なお、初めて世界遺産がの登録が開始されたのは、その前年の1978年の第2回委員会で、その時にはガラパゴス諸島やイエローストーンなど、12件が登録されています)。
《アブ・シンベル神殿内部のレリーフ》【世界遺産】

中に入ると、両側の壁を始め至るところに美しいレリーフが残っています。

内部は写真撮影可能となっていますが、フラッシュは使用不可なので注意しましょう。
《アブ・シンベル小神殿》【世界遺産】

大神殿の北東側に隣接するネフェルタリの小神殿(Smaller Temple of Nefertari)は、ラムセス2世の妻ネフェルタリのために、愛と美の女神ハトホル(Hathor)を称えて造られたものです。

正面にはラムセス2世の立像4体とネフェルタリの立像2体が並び、足元には彼らの子供の像が刻まれています。
《ナセル湖》

Lake Nasser は、1958年から1970年にかけて建設されたアスワン・ハイ・ダムにより、ナイル川を堰き止めて造られた人造湖です。

前述の通り、オリジナルのアブ・シンベル神殿はこの湖面の下60mにありました。

因みに、この湖はエジプトとスーダンに跨がっていますが、17%の面積を占めるスーダン国内部分は、スーダン人からはヌビア湖(Lake Nubia)と呼ばれています。
《アブ・シンベル大神殿 ⑤》【世界遺産】

小神殿のある岩山に登ると大神殿とその先に広がるナセル湖の美しいコントラストが楽しめます。
《アブ・シンベル大神殿 ⑥》【世界遺産】

因みに、アブ・シンベルの移設費用は3,900万ドルだったそうです。

当時とは貨幣価値も違いますが、高いんだか安いんだか良く判らない微妙な金額です。
《アブ・シンベルからアスワンへの道》

帰りも4時間かかりました。

砂漠気候なので、朝は滅茶苦茶寒かったのですが、午後は滅茶苦茶暑かったです。
《アスワンの街角》

まあ、町自体は至って普通ですが、ちょっと油断していると、親切な人々に取り囲まれ、これから行こうとしているところに無理に付いてきたりして、後でお駄賃を要求されたりしますので、あまり関わらないようにしましょう。
《アスワンからフィラエ神殿へ》

アスワンも、ナイル川の畔に開けた町ですが、川には中州のような島が散在しています。

そのうちの一つ Philae 島にアスワンの見どころの一つフィラエ神殿があるということで、ボートで約20分です。

途中の小島に建つ民家もカラフルでチャーミングです。
《アスワンのフィラエ神殿 ①》【世界遺産】

フィラエ島にあるフィラエ神殿も、「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の名称でアブ・シンベル神殿と共に世界遺産に登録されている遺跡です。

保存状態も非常に優れていて内部も見応えがありますが、フィラエ神殿は水上からの眺めがより美しいとされています。
《アスワンのフィラエ神殿 ②》【世界遺産】

フィラエ島にいくつかある神殿の中でも最も中心となるのが紀元前4世紀に建てられたフィラエ神殿(別名イシス神殿(Temple of Isis))です。

正面の第1塔門の高さは18m、幅は45mあり、その奥の第2塔門でも高さ12mある堂々とした佇まいです。
《アスワンのフィラエ神殿 ③》【世界遺産】

実は、この神殿群も1902年に完成したアスワン・ダムの影響で半水没状態でしたが、アブ・シンベル同様、上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機に、1980年にユネスコによりフィラエ島から隣のアギルキア(Agilkia)島に移築されたものです。

元のフィラエ島は水没してしまいましたが、現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいます。
《アスワンのフィラエ神殿 ④》【世界遺産】

イシス神殿の東側にあるトラヤヌス帝のキオスク(Trajan's Kiosk)は、紀元前100年頃にトラヤヌス帝によって建てられたものだそうです。

因みに、キオスクとはペルシャ語で「日陰をつくる物」という意味で、ここでは船着き場や休憩所用の建物として使用されていたそうです。
《アスワンのホテル》

この度の旅では、クレジットカード会社の割引もあって、分不相応なホテルに宿泊する機会が何度かありました。

これもそのうちの一つ、ナイル川の河畔に建つオールド・カタラクト・ホテルです。

当時USD60くらいでしたが、先ほど調べたらいつの間にかソフィテル系列になっていて一番安い部屋でUSD200以上していました。

もう二度と泊まることはできないと思いますが、バルコニーからの景色は素晴らしく、いい思い出になりました。
《エレファンティネ島 ①》

アスワンの中心部のちょうど向かいに位置する Elephantine Island は、フェリーでのアクセスも容易な比較的大きめの島です。

保存状態はあまり良くないものの神殿跡も散在しており、アスワン博物館の他、高級ホテルもいくつかあるので、ナイルの風に吹かれてロマンチックな気分に浸りながら散策するのに人気の島です。
《アマウン島》

エレファンティネ島の南の小島 Amoun Island は、島全体が Amoun Hotel というプライベート・アイランドです。

この辺りには、このような島がいくつか存在するのですが、ホテルによっては100ドル以下で泊まれるものもあるようなので、興味のある方は検討されては如何でしょうか。

対岸から見る限り、個人的には非常にお薦めできる感じでした。
《エレファンティネ島 ②》

翌朝の様子です。

小型のヨットが沢山泊まっています。

時折、そこそこ大きなクルーズ船も通りかかります。

俗に言うナイル川クルーズを楽しんでいる人たちです。

現地で申し込むと意外とリーズナブルな料金で楽しめるものもあるようです。

船に乗らなくても、この辺りの川辺のホテルに泊まれば雰囲気は十分満喫できますが、せっかくなので、興味があれば検討してみるのもいいと思います。
《エレファンティネ島 ③》

これらの写真は、ナイル川の東岸から西岸を眺めた様子なので、朝は光の加減がとても良く、より美しい景色が楽しめます。
《ナイル川に浮かぶ島々 ①》

これも先ほどご紹介したアマウン島ですが、陽の光を目一杯浴びた日中の様子も、如何にも南国リゾートっぽくて素敵です。
《ナイル川に浮かぶ島々 ②》

奥の島にも立派なホテルが見えます。

先ほどから、いくつかのホテルの存在をご紹介してきましたが、この辺りの島や川辺のホテルはどこもセレブな雰囲気満載の割に、他の国のリゾートホテルと比べて、驚くほど安い金額で泊まれるところが多いので、この際なので、左の Booking.com のバナーにアクセスしてチェックだけでもしてみたら如何でしょうか。
《ルクソール神殿 ①》【世界遺産】

アスワンの北約210km、カイロからだと約660kmのナイル川沿いの町 Luxor は、かつてはテーベ(Thebes)と呼ばれ、古代エジプト最大の都市で、紀元前21世紀に最初に首都となった以降、紀元前16世紀から約400年に渡って最も栄華を極めました。

紀元前14世紀に建てられた写真のルクソール神殿は、市街地中央にあり、北に約3kmに位置する最大規模のカルナック神殿(Karnak Temple)の副神殿の役割を果たしていたものだそうです。
《ルクソール神殿 ②》【世界遺産】

入口に当たる第1塔門の前には一対のラムセス2世の座像と、4体の立像が立っています。
《ルクソール神殿 ③》【世界遺産】

塔門の向かって左前方に1本のオベリスクが立っていますが、元々は右の対称位置にも同じものが立っていたのです(台座が残っているのがご覧いただけるでしょうか)。

実は、右側にあったオベリスクは1819年にパリのコンコルド広場に移設され、現在ではパリジャンやパリジェンヌの皆さんに日夜親しまれているのです。
《ルクソール神殿 ④》【世界遺産】

第1塔門から入ってラムセス2世の中庭と呼ばれる広場を横切って第2塔門を越えると、高さ15.8mの巨大な柱が左右に7本ずつ、合計14本並ぶ列柱廊です。

誠に壮大なスケールでちょっとびっくりです。
《ルクソール神殿 ⑤》【世界遺産】

列柱廊を抜けるとアメンホテプ3世の中庭と呼ばれる広場に出ます。

ここには列柱郎の石柱ほど大きくはありませんが、広場を取り囲む形で64本の石柱が並んでいます。
《ルクソールの町》

観光客用の馬車やヌビアルックの黒装束の女性が歩く平和な街角です。

建物の建設も盛んで20年後が楽しみです。
《カルナック神殿 ①》【世界遺産】

紀元前2000年頃から建設が始まり、その後歴代の王によって増改築が繰り返されてきたカルナック神殿は、現存する古代エジプトの神殿群の中では最大の規模となっています。

ナイル河畔から続く西側の参道の両側にはライオンの身体に雄羊の顔を持つスフィンクスがずらりと並び、スフィンクス参道と呼ばれています。
《カルナック神殿 ②》【世界遺産】

スフィンクス参道を進むと第1塔門にぶち当たります。

実は、カルナック神殿というのはいくつかの神殿その他の構造物から成る複合体で、英語では Karnak Temple Complex とも呼ばれます。

この第1塔門は、それらの個別の神殿群の中でも最大のアモン(Amun)神殿の入口で、塔門の幅113m、高さ43m、厚さは15mもあります。
《カルナック神殿 ③》【世界遺産】

第1塔門を抜けて中庭を越えると第2塔門があります。

右側手前に見える塔は元の高さに修復されたタハルカ王の塔です。完成当時は10本あったそうですが、1本修復するだけで満足したようです。
《カルナック神殿 ④》【世界遺産】

第2塔門のすぐ手前には、左側にパネジェムの巨像、右側にラムセス2世の巨像が向き合って立っています。
《カルナック神殿 ⑤》【世界遺産】

第2塔門の壁面に彫られたレリーフです。

保存状態が良く凹凸がほぼ完全な状態で残っています。

この先には高さ23mもある巨大な石柱が134本も並ぶ大列柱室があり、それらの石柱の1本1本にも素晴らしいレリーフが彫られているのですが、レリーフはおろか列柱室の写真も撮っていませんでした。

いくらデジカメがまだ発明されていない時期だったとはいえ、若気の至りにも程がありますね。
《カルナック神殿 ⑥》【世界遺産】

カルナック神殿にはいくつかのオベリスクが立っています。

正面に見えるのはトトメス1世のオベリスクで、高さ19.5m、重さは約150トンもあるとされています。
《カルナック神殿 ⑦》【世界遺産】

こちらは、聖なる池と呼ばれる場所から見たアモン神殿の様子です。

右側に立つのが高さ29.56m、重さは323トンというハトシェプスト女王のオベリスク、中央にトトメス1世のオベリスク、その左が大列柱室となります。
《カルナック神殿 ⑧》【世界遺産】

カルナック神殿には、至る所にすごい数の精緻なレリーフが残っています。

写真は、葬送の船を担ぐ人々の姿を現わしたものだそうです。

こちらはカラーですが、モノクロ、碑文など各種あって切りがありません。
《カルナック神殿 ⑨》【世界遺産】

神殿南側の最深部付近から見たアモン神殿です。

ちょっとメインストリートを離れると瓦礫の山と言っても過言ではありません。
《カルナック神殿 ⑩》【世界遺産】

神殿内には遺跡保護のための警備員のおじさんがうろうろしていて「君は友達なので、本当は立ち入り禁止の高いところに登って素晴らしい景色を楽しんでみないか」と誘ってくれますが、ろくなものでない可能性が高いので、余程興味がない限り断った方がいいと思います。
《夜のルクソール神殿》【世界遺産】

誤解を与えかねないタイトルで恐縮ですが、ルクソール神殿は夜だけでなく昼間でも世界遺産です。
《ルクソール西岸へ》

ルクソールではこれまでご紹介したナイル川の東岸の遺跡も素晴らしいのですが、実は西岸の方が人気があるくらい多くの見どころが点在しています。

そういう訳で、フェリーに乗って西岸へ出かけました。
《メムノンの巨像 ①》【世界遺産】

まず出迎えてくれたのは、船着き場から2kmほど内陸に入った道端に座る、紀元前14世紀の王アメンホテプ3世の2体の像 Colossi of Memnon で、高さは約21mあります。

かつては、背後にアメンホテプ3世の葬祭殿があり、その入口部分だったそうですが、その後のファラオが別の神殿に使う石材を調達するために破壊され、現在ではただの原っぱになっています。
《メムノンの巨像 ②》【世界遺産】

顔や胴体部分はほとんど原形をとどめていませんが、玉座部分に描かれたレリーフは、何となく残っています。
《西岸の村 ①》

さらに進むと、古くから盗掘村として有名だったというクルナ(Gourna)村が見えます。
《西岸の村 ②》

紀元前13世紀以降は盗掘も一つの職業とされ、家業として代々受け継がれていたそうで、付近にある王家の墓からの盗品を売って生計を立てていたそうです。

ただし、今ではそんな掘り出し物が出ることも無くなってしまい、観光客向けの定番の土産や雑貨を売ったり、中には何食わぬ顔でゲストハウスを経営したりと、心を入れ替えて生きている人が殆どだそうです。
《西岸の道路》

西岸の見どころは広範囲に渡っている上、公共交通機関は全くないため、移動は車をチャーターするかバイクや自転車をレンタルする必要があります。

私は、一人旅だったこともあって、経済的な事情から自転車を借りて回ることにしました。
《ハトシェプスト葬祭殿 ①》【世界遺産】

正式名称をデル・エル・バハリ神殿(Deir el-Bahari Temple)というTerrace Temple of Hatshepsut は、紀元前15世紀にエジプト初の女王ハトシェプストによって岩山の一部をくり抜いたような形で建てられた神殿で、その美しい形状から、西岸では王家の谷(The Valley of The Kings)と並んで最も人気の観光スポットとなっています。
《ハトシェプスト葬祭殿 ②》【世界遺産】

ハトシェプスト葬祭殿は、古代エジプト建築の最高傑作の一つと言われているそうで、素人の私には、確かに近代建築の片鱗がびしびしと伝わってきます。
《ハトシェプスト葬祭殿脇の遺跡》【世界遺産】

神殿の脇には、古代エジプトに特徴的なレリーフもいくつか残っています。

因みに、このおかっぱ頭の女の子のような方は、古代エジプト神話で愛と美と豊穣と幸運を司ると言われているハトホル女神です。
《ハトシェプスト葬祭殿脇の山道》

葬祭殿に向かって左側からは、何気ない感じで岩山の上の方に向かう道が伸びていましたので、高所恐怖症でありながら高いところが好きな私は、吸い寄せられるように上り始めてしまいました。
《岩山からの景色》

当たり前のことですが、登れば登るほど視界も開けてきて、遠くまで見渡すことができるようになります。

エジプトはほとんどが砂漠地帯で肥沃なのはナイル川沿いと北の地中海沿岸地方だけと聞きますが、確かにナイル川沿いの緑は美しく自然の恵みを感じさせてくれます。
《岩山から見たハトシェプスト葬祭殿 ①》【世界遺産】

そうこうしているうちに随分高くまで来てしまいました。

本能の赴くままに登って来ましたが、報われて良かったです。案内看板も出ていないので、途中、獲物を探してふらふら歩いている地元の若者にごくたまにすれ違うくらいで観光客の姿は全く見当たらず、この素晴らしい景色を独占できてラッキーでした。
《岩山から見たハトシェプスト葬祭殿 ②》【世界遺産】

そうはいうものの、この神殿ではこの私の訪問から2年2ヶ月後の1997年11月に、イスラム原理主義者の集団により外国人観光客らが銃撃され、日本人10名を含む観光客ら61名が殺害されるという痛ましい事件が起きています。

何に注意すればいいのかわからない時代になりつつありますが、、注意は怠らないように注意しましょう。
《王家の谷へと続く道》

このまま進めば王家の谷に着きそうな雰囲気もありましたが、標識も出ていないので諦め、ひどく遠回りになるものの、一旦ハトシェプスト葬祭殿に戻って再び自転車で王家の谷に向かうことにしました。
(仮にこのまま歩いて王家の谷に到着できたとしても、自転車を取り戻すために再びこの山道を戻らないといけないと考えたのも理由の一つです。)
《王家の谷 ①》【世界遺産】

急がば回れ的な発想が幸いし、無事王家の谷に到着しました。
《王家の谷 ②》【世界遺産】

王家の谷とは、紀元前16世紀から同12世紀までの約400年間、王家の墓所として造営された64の墓(うち24が王の墓)から成る墳墓群で、中には1922年に発見されたツタンカーメンの墓もあります。

墓のうちのはいくつかは公開されていますが、内部は撮影禁止なので、残念ながら非常に美しい内部の写真はご紹介できません。。
《ラムセス3世葬祭殿 ①》【世界遺産】

メディネスト・ハブ(Medinet Habu)と呼ばれる複合遺跡群にある The Mortuary Temple of Ramesses III は、12世紀前半にラムセス3世によって建てられた神殿で、保存状態の良い色彩豊かなレリーフが多く残されていることで人気があります。

写真は、高さ22m、上部の幅が63mという第1塔門です。
《ラムセス3世葬祭殿 ②》【世界遺産】

第1塔門の正面両側の壁にはモノクロながらも保存状態が良いレリーフが描かれています。

デザインはどちらも敵を破ったラメセス3世の活躍の場面です。
《ラムセス3世葬祭殿 ③》【世界遺産】

途中、色彩豊かなレリーフがあるはずだったのですが、修復中のためか拝観することはできませんでした。

写真は、最深部にある列柱室の様子です。

どういうわけか全て上部がきれいに切り取られていたのが不思議でした。
《ラムセス3世葬祭殿 ④》【世界遺産】

ただ、レリーフは、天井がないためか色はほとんど残っていませんでしたが、彫りは深くデザインがはっきりわかるので結構楽しむことができました。

西岸には、他にもいくつか見どころがあるのですが、最低限のノルマは達成できたと思い込むことにして、この後、フェリーで東岸に戻りました。
《黄昏のナイル川》

言わなければナイル川であるかどうかわからないような写真ですが、黄昏時の風景はどこも素敵な気分にさせてくれます。
《ルクソールの街角 ①》

どこにでもあるような中心部の風景です。
《ルクソールの街角 ②》

こちらは、よりマーケット寄りの雰囲気です。
《アレキサンドリア中心部の街並み ①》

Alexandria は、カイロの約220km北西にある国内第2の都市で、紀元前332年にアレキサンドロス大王によって築かれ、プトレマイオス朝(紀元前306年~紀元前30年)最後の女王であるクレオパトラ(Cleopatra VII Philopator、が生涯(紀元前69年~紀元前30年)を送った町としても知られています。
《アレキサンドリア中心部の街並み ②》

地中海に面した古くからの港湾都市で、その歴史ある街並みと共にカイロとは違った洗練された雰囲気が楽しめるため、多くのヨーロッパ人が訪れる人気の町です。
《アレキサンドリアのトラム》

市内の公共交通機関は、市バス、ミニバスなどもありますが、路面電車網も充実していて市民に最も人気の交通手段です。
《アレキサンドリアのモンタザ宮殿 ①》

Montazah Palace は、アレキサンドリアの中心部から東へ20km弱の海岸沿いに建つ1892年完成の宮殿です。

もともと王家の別荘として建てられ、その後改装されて美術館として使用されていたこともあるそうです。

ただし、現在では庭園には入場できますが内部は一般公開されていません。
《アレキサンドリアのモンタザ宮殿 ②》

こちらは、地中海側に広がる庭園から見た様子です。
《モンタザの灯台》

同じ公園から見た、東側の防波堤に立つ灯台です。
《ポンペイの柱》

ローマ皇帝ディオクレティアヌスによって西暦297年に建てられた Pompey's Pillar は、高さ約275m(柱自体は約20.5m)、基部の直径が2.7mある柱ですが、ローマの武将ポンペイとは関係ありません。

かつては、400本あったとされる他の柱を含む周囲の建造物は、4世紀末にイスラム勢力により破壊され、現在はこの柱が1本と、その前に座り込む2体のスフィンクスのみが遺されています。
《カイト・ベイの城塞》

アレキサンドリア中心部の北に突き出した小さな半島の先端にある Fort Kait Bay は15世紀末に建てられた城塞で、ここから眺める東側の海岸線は非常に美しいことで有名です。

また、この城塞が建つ場所には、かつて、世界の七不思議の一つとされているファロス島の大灯台が建っていたとされ、この城塞は度重なる地震で崩壊してしまったその灯台の残骸を利用して建てられたものだそうです。
《アレキサンドリアの海岸線》

カイト・ベイ要塞付近から東の海岸線方向を望んだ様子です。

白を基調としたビルが果てしなく続いています。
《海外沿いのプロムナード》

欧米的な雰囲気が強い国際都市だけあって、他のエジプトの都市と比べて、異常に熱心な客引きなどは少なく、落ち着いて散策できる中心部のベイ・エリアです。



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