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旅の写真集  カンボジア王国HEADLINE

カンボジア観光の旅行記を兼ねた写真集です。ここでは、首都プノンペンと、アンコールワットやアンコールトムの遺跡群の町シェムリアップ周辺の様子をご紹介します。

《プノンペン中心部 ①》

カンボジアの首都 Phnom Penh は、カンボジアの行政、文化、経済の中心地で、かつては「東洋のパリ」「インドシナのオアシス」などと称えられたフランス植民地時代の美しい街並みが残っています。
《プノンペン中心部 ②》

人口は200万人を超えますが、周辺のタイヤベトナムの大都市に比べると若干のんびりとした雰囲気が感じられます。
《独立記念塔》

市街地中心部に立つ独立記念塔は、1953年のフランスからの独立を記念して1958年に建てられたもので、祖国のために戦死した兵士達を祀る慰霊塔でもあります。
《王宮 ①》

独立記念塔の500mほど北に広がる王宮は、1866年に当時の首都ウドンから遷都したときに創建され、1919年にフランス人建築家によって今の形になりました。
《王宮 ②》

現在でも国王の居住地(宮殿)となっているため、ほとんどの建物は閉鎖されていますが、多くの建物は前庭から外観を楽しむことができます。
《王宮 ③》

写真は、前庭の正面に聳える即位殿で、戴冠式や国王誕生日の式典など重要な王室行事はここで執り行なわれます。
《ナポレオン3世の館》

王宮に向かって右側に建つナポレオン3世の館は、ナポレオン3世の妻だったユージーヌ王妃から1876年に当時の国王だったノロドン王への贈り物としてフランスから移築されたちょっと場違いな美しい建物です。
《シルバーパゴタ ①》

王宮の南側に隣接する敷地にはシルバーパゴタ(正式名称はエメラルド仏の寺院)の建築物群です。
《シルバーパゴタ ②》

こちらがシルバーパゴタ。

1902年完成当時は木造とレンガで造られていたそうですが、1962年に大理石の支柱が美しい現在のスタイルに再建されたものです。
《シルバーパゴタ ③》

敷地内にはいくつものストゥーパ(仏塔)が立ち並んでいます。
《シルバーパゴタ ④》

各ストゥーパの内部には数々の仏典や仏像などが納められているそうです。
《シルバーパゴタ ⑤》

カンボジアでは、どこへ行っても僧侶の方をよく見かけます。

上座部仏教が国教と定められていて(ただし信教の自由は保障されています)、国民の9割以上が敬虔な仏教徒です。
《国立博物館》

王宮のすぐ北側には国立博物館があります。

1920年開館で、アンコール遺跡を始めとしたカンボジア全土で発掘された彫像や青銅器などが数多く展示されています。
《ワット・プノン ①》

王宮の北1kmほどにある丘の上に建つワット・プノン(Wat Phunom、丘の寺の意)は、プノンペンの名前の由来となった寺です。

14世紀に実在したペンという名の裕福な婦人がメコン川を流れる流木の中にある仏像を見つけこの丘に寺を建てて祀ったことから、ここが「ペン(婦人)の丘」と呼ばれるようになったのが始まりだそうです。
《ワット・プノン ②》

寺の壁面には美しい装飾も見られます。
《ワット・プノン ③》

そしてこちらが本堂の裏に祀られている噂のペン婦人です。

何やら大阪の庶民的なおばちゃんのような雰囲気が漂っていますが、とても高貴なお方です。
《トゥール・スレン博物館 ①》

次に訪れたのは、王宮の約2kmほど南西にあるトゥール・スレン博物館(Tuol Sleng Museum)です。

ここは、1976年10月から1979年1月までの3年8ヶ月に及んだポル・ポト政権下で約2万人が処刑されたという刑務所を博物館として公開している場所です。
《トゥール・スレン博物館 ②》

ここに収容された善良で全く罪のない人たちは、残虐な拷問から楽になりたいために「自分は反革命分子だ」という嘘の自白を強いられ、殺害されて行きました。

いくつもの部屋の壁一面に貼られた写真は全員処刑された人たちです。
《トゥール・スレン博物館 ③》

こちらは独房です。

ポル・ポトの社会主義改革の考え方は極端な重農主義で、学校、病院、工場も閉鎖し、知識人とされる人物を片っ端から捕まえてこの刑務所に送り込みました。
《トゥール・スレン博物館 ④》

こんな部屋が延々と続きます。

メガネをかけているとか手がきれいだというだけでもインテリだと見なされて逮捕されたそうなので部屋がいくらあっても足りないわけです。
《トゥール・スレン博物館 ⑤》

こちらは拷問に使われた鉄柱です。

ここに足から逆さに吊るされ、質問に対して意にそぐわない回答をした際には下に置いてある壺に満たされた糞尿に頭を浸されるというやり方も採用されていたそうです。

少々不衛生なので尋問する側も気持ちよくはなかったはずですが、彼らの多くも明日は我が身の少年少女たちだったそうなので仕方ありません。
《キリング・フィールド ①》

当初は処刑自体もトゥール・スレン刑務所内で執り行なわれていましたが、そのうち手狭になってしまいました。
《キリング・フィールド ②》

そのため、市街地の中心部から約10km南西にあり現在ではキリング・フィールド(Killing Field)と呼ばれる場所が新しい処刑及び死体の埋設場所となりました(キリング・フィールド自体はカンボジア全土に約300カ所あり、ここはそのうちの一つですが、一般的にキリング・フィールドと言うとここを指します)。
《キリング・フィールド ③》

因みに、ポル・ポト率いるクメール・ルージュは銃弾は高価なので処刑には使用せず、ナイフ、斧、鉈、ハンマーなどが使われたそうです。
《キリング・フィールド ④》

最も酷いのはサトウヤシの木の葉。

この葉にはアロエを少し硬くしたようなのようなギザギザが付いていて、これをノコギリの代わりに使ってゆっくり時間をかけて首(喉)を切ったそうです。
《キリング・フィールド ⑤》

今では慰霊塔が建っています。
《キリング・フィールド ⑥》

ここのキリング・フィールドで処刑された人数は200万人前後、カンボジア全土では300万人くらいいたと見積もられていますが、この慰霊塔の中には8985人分の遺骨が安置されているそうです。
《射撃体験 ①》

キリング・フィールドにはバイクタクシーで訪れたのですが、帰り際にドライバーが「近くに人気の射撃の体験場があってお薦めだ」というので、トゥール・スレン博物館とキリング・フィールドでのショッキングな訪問醒めやらぬ中、気分転換を兼ねて訪れてみることにしました。
《射撃体験 ②》

射撃というのはもちろん初めてでしたが、50mほど先の的に向けて30発ほど撃ったものの、要領を得ないうちに3分ほどで終わってしまいました。

料金はUS$20でしたが、これが高いのか安いのかも判断がつきかねました。

まあ、人生で一度くらい体験してもいいかなという感じで、また撃ちたいとは思いませんでした。
《トンレサップ湖》

プノンペン観光は丸一日で終え、翌日はプノンペンから北西へ約250km離れたシェムリアップ(Siem Reap)に向かいました。

国内線飛行機で約40分、途中、国内最大(東南アジアでも最大)の湖、トンレサップ湖が眼下に望めます。
《シェムリアップ近郊 ①》

トンレサップ湖の乾季の面積は2,500㎢と琵琶湖の4倍程度ですが、雨季の終わり頃には6倍強の16,000㎢にまで拡大します。
《シェムリアップ近郊 ②》

そのため、周囲にはとても肥沃な土地が広がります。
《シェムリアップ近郊 ③》

そんなトンレサップ湖の畔からほど近いところにあるのがシェムリアップの町です。
《シェムリアップ航空機》

これが乗ってきたシェムリアップ航空機です。
《シェムリアップ空港》

空港は町の中心部から10km足らずの所に位置しています。

アンコール国際空港(Angkor International Airport)という愛称も付いているだけあって、近隣各国からの国際線も多く就航しています。
《ソフィテル・ロイヤル・アンコール ①》

今回の旅行では(いつも同様)宿の予約はしていなかったのですが、空港で拾ったバイクタクシーの運転手が、「今、ソフィテルが値引きしている」という情報をくれたので、通常ならそんな言葉は相手にしないのですが一応立ち寄ってみることにしました。
《ソフィテル・ロイヤル・アンコール ②》

というのも、この時は2003年のSARS騒ぎの時で、飛行機も空いていたし試してみる価値はあると思った次第です。

案の定、フロントで料金を訊いてみると50%引きの約US$100でプロモーション中だというので、清水の舞台から飛び降りるのなら今だという気持ちで2泊することにしました。
《ソフィテル・ロイヤル・アンコール ③》

実際に泊まってみるとホテルはガラガラで、滞在中にも他に宿泊客は3グループほどしか見られませんでした。

おかげでプールも独り占めです(カンボジアでプールや海水浴は全く想定していなかったので水着は持っていませんでしたが、何食わぬ顔でブリーフの上にトランクスを穿いて楽しんだところ、他に誰もいないので全く問題ありませんでした)。
《バイクタクシー》

因みにこれが空港で捕まえたタクシー(正式にはルーモーと呼ばれています)とその運転手です。

名前はナーリン(Narin)と言っていました。

結果的に、彼は頼んでもいないのにいつもホテルのゲート近くに待機していて、2泊3日の滞在中はずっと貸切状態でした(料金は行き先によってその都度交渉しましたが、ソフィテルに泊まっている私たちの足元を見るでもなくとても正直で親切だったのでとても良かったです)。
《アンコール・トム ①》【世界遺産】

そんな訳で、ホテルで一息入れると早速、彼の車で遺跡観光に出発しました。
《アンコール・トム ②》【世界遺産】

ホテルからだとアンコール・ワット(Angkor Wat)が一番近いのですが、ナーリンのアドバイスもあって、まず向かったのはアンコール・トムです(Angkor Thom)。
《アンコール・トム ③》【世界遺産】

アンコールの遺跡群は、802年から1431年まで栄えたクメール人のアンコール王朝が築いた城や寺院の遺構で1992年に世界遺産に登録されていますが、その中で、アンコール・トムは、高さ約8m、周囲12km(一辺3km)のほぼ正方形の城壁に囲まれた遺跡群で、これはその南の入口にある南大門です。

門の上には四面に華をヶ掘られた塔(四面塔)が建っていますが、これは顔の長さだけでも約3mもあります。
《アンコール・トム ④》【世界遺産】

南大門をくぐる道路の手前の両側には左右に神々と阿修羅がナーガ(インド神話に起源を持つ蛇神)の胴体を引き合うそれぞれ27体の像が並んでいます。

こちらは左側。
《アンコール・トム ⑤》【世界遺産】

こちらは右側です。
《アンコール・トム ⑥》【世界遺産】

そしてこちらがアンコール・トムの中心にあるバイヨン寺院(Bayon)です。

なお、クメール語の発音ではバヨンの方が近いそうで、バは「美しい」、ヨンは「塔」の意味を持つとのことです。

その名のとおり、クメールの微笑みと呼ばれる巨大な顔が石壁に約120も彫り込まれていることで有名です。
《アンコール・トム ⑦》【世界遺産】

バイヨンへは東側の門から入ります。
《アンコール・トム ⑧》【世界遺産】

内部は2段階の回廊状になっていて、そこかしこに門柱が立っています。
《アンコール・トム ⑨》【世界遺産】

門柱の上にも精緻なレリーフが刻まれています。
《アンコール・トム ⑩》【世界遺産】

こちらは柱に施されたレリーフです。

複数の岩に跨がって彫られてるのがバイヨンのレリーフの特徴です。
《アンコール・トム ⑪》【世界遺産】

柱の各面にも抜かりなく彫られています。
《アンコール・トム ⑫》【世界遺産】

東門を入ってすぐ左側(南側)の第一回廊東面にあるレリーフは、チャンパ軍との戦いにおけるクメール軍の行進を表わしたものだそうです。
《アンコール・トム ⑬》【世界遺産】

非常に大きな部隊であったことが匂わされています。
《アンコール・トム ⑭》【世界遺産】

一人一人が非常に丁寧に描かれています。
《アンコール・トム ⑮》【世界遺産】

こちらは第二回廊です。
《アンコール・トム ⑯》【世界遺産】

この内側にクメールの微笑が乱立しています。
《アンコール・トム ⑰》【世界遺産】

第二回廊の柱に彫られたデバター(女神)です。

アンコール・トムやアンコール・ワットには表情や姿が異なる数多くのデバターが描かれています。
《アンコール・トム ⑱》【世界遺産】

因みに、 アンコール・トムは、アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されています。
《アンコール・トム ⑲》【世界遺産】

そのため、方位や位置によって全体像の見え方も随分違います。
《アンコール・トム ⑳》【世界遺産】

例えばこの仏陀の像は、当初からあったものではなく、後世になって持ち込まれたものだそうです。
《アンコール・トム ㉑》【世界遺産】

第二回廊には迷路のような通路が張り巡らされています。

これも時代ごとに増築やデザイン変更が繰り返されてきた結果によるものとされています。
《アンコール・トム ㉒》【世界遺産】

通路の隙間からは、所々で内部の観世音菩薩様の顔が覗けます。
《アンコール・トム ㉓》【世界遺産】

これが第二回廊の内側の様子です。
《アンコール・トム ㉔》【世界遺産】

2階に上がると中央テラスを囲む形で16基の尖塔が配置されています。
《アンコール・トム ㉕》【世界遺産】

そして、それぞれの塔の四面にはクメールの微笑みをたたえる菩薩の顔が刻まれているのです。
《アンコール・トム ㉖》【世界遺産】

一つ一つの顔が大きすぎるため、いくつもの石が積み上げられた上に彫られています。
《アンコール・トム ㉗》【世界遺産】

ところどころにデバターも見られます。
《アンコール・トム ㉘》【世界遺産】

複数の塔が同時に見られる場所もあります。
《アンコール・トム ㉙》【世界遺産】

こちらが、最も有名なお顔を正面から捉えたものです。
《アンコール・トム ㉚》【世界遺産】

どれも似た顔に見えますが、ガイドブックやパンフレット、更には紙幣などに採用されているのはほとんどこの方です。
《アンコール・トム ㉛》【世界遺産】

バイヨンの見学を終えて次に向かったのは、バイヨンの北西に位置する王宮跡です。
《アンコール・トム ㉜》【世界遺産】

ここには、東西600m、南北300mの広大な敷地にいきつかの見どころが点在しています。
《アンコール・トム ㉝》【世界遺産】

まず、一番北にあるのがライ王のテラス(Leper King Terrace)です。
《アンコール・トム ㉞》【世界遺産】

一辺が約25メートル、高さは約6メートルのU字型の構造物で、12世紀末に原型が造られ、後生に修復されたものだそうです。
《アンコール・トム ㉟》【世界遺産】

壁面には非常に多くの神々が彫られています。
《アンコール・トム ㊱》【世界遺産】

ライ王のテラスのすぐ南側にあるのが象のテラス(Elephant Terrace)です。

12世紀末に建てられましたが、王宮の正面入口に当たるため、13世紀以降も各王によって順次改造が施されてきたものだそうです。
《アンコール・トム ㊲》【世界遺産】

王宮の中央に位置するピミアナカス(Phimeanakas)は11世紀初頭に建てられた寺院で、王の住まいでもあったそうです。
《アンコール・トム ㊳》【世界遺産】

以上、アンコール・トムを一通り見て回りましたが、前述の通りSARS騒動で観光客がほとんどいない中、順調に進んでも3時間弱かかりました。

当たり前ですが、カンボジアは日中はとても暑いので、ゆっくり見ていると更に時間がかかると思います。

シェムリアップ滞在中はアンコール・ワット観光が主体でアンコール・トムにはそれほど時間はかからないだろうと油断していると痛い目に遭う恐れがあるので、時間に余裕を持って計画を立てることをお薦めします。
《アンコール・ワット ①》【世界遺産】

と言いつつ、そのまま次に訪れたのは、シェムリアップのメイン・イベントとも言えるアンコール・ワットです。
《アンコール・ワット ②》【世界遺産】

12世紀後半に建てられたヒンドゥー教寺院で、ヴィシュヌ神を祀っていましたが、16世紀後半に仏教寺院に改修されています。

因みに、クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院を意味するそうです。
《アンコール・ワット ③》【世界遺産】

上の写真の西塔門を抜けると、早速本堂に当たる中央祠堂が目に入ります。
《アンコール・ワット ④》【世界遺産】

祠堂へ向かう参道の両側には経蔵が配置されています。
《アンコール・ワット ⑤》【世界遺産】

前述のとおり現在では仏教寺院なので、仏教徒の方々も多く目につきます。
《アンコール・ワット ⑥》【世界遺産】

通常であれば午後は観光客でごった返すところ、SARSのおかげで観光客がほとんど映り込まない瞬間を捉えることができました。
《アンコール・ワット ⑦》【世界遺産】

中央祠堂は、3層から成る回廊に囲まれています。
《アンコール・ワット ⑧》【世界遺産】

アンコール・ワットは外観も素晴らしいですが、見逃してはならない重要案件として第一回廊(一番外側の回廊)に刻まれたレリーフも有名です。
《アンコール・ワット ⑨》【世界遺産】

こちらは、戦の前に出陣の日取りを占ってもらっているスールヤヴァルマン2世(アンコール・ワットの創建者)だそうです。
《アンコール・ワット ⑩》【世界遺産】

南面東側の天国と時刻を表わしたレリーフの一部です。

下段の中央やや右の男性は虎に足を食われているところです。
《アンコール・ワット ⑪》【世界遺産】

柱の彫刻も精緻なものが見られます。
《アンコール・ワット ⑫》【世界遺産】

東面南側には、有名な「乳海攪拌」と呼ばれるレリーフが彫られています。
《アンコール・ワット ⑬》【世界遺産】

乳海攪拌は、古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」にあるヒンドゥー教の天地創世神話で、ヒンドゥー教の世界の中で、神々・太陽・月・雲や雷などはどのように誕生したのかを著わした物語です。
《アンコール・ワット ⑭》【世界遺産】

あらすじとしては、不老不死の霊薬アムリタをめぐり、神々と阿修羅(悪神)が壮絶な戦いを繰り広げていた時、ヴィシュヌ神が「争いをやめ、互いに協力して大海をかき回すがよい」と言ったことから、ヴィシュヌ神の化身である亀の王クールマの背に乗せたマンダラ山を両軍が両サイドから綱引きの容量で引き合うことによって海中を掻き回すことになったというものです。
《アンコール・ワット ⑮》【世界遺産】

ここでは、その時の綱引きの様子が約50mに渡って描かれているのです。
《アンコール・ワット ⑯》【世界遺産】

向かって左側が阿修羅軍、右側が神々の軍だそうです。
《アンコール・ワット ⑰》【世界遺産】

中央にはマンダラ山の上で指揮を執るヴィシュヌ神が見られます。
《アンコール・ワット ⑱》【世界遺産】

第一回廊の内側にあるのが第二回廊です。
《アンコール・ワット ⑲》【世界遺産】

第二回廊には格子がはめ込まれた連子状の窓が多用されています。
《アンコール・ワット ⑳》【世界遺産】

第二回廊の西側には十字回廊と呼ばれる第一回廊との連結部があります。
《アンコール・ワット ㉑》【世界遺産】

この十字回廊には完成当時の朱色の塗装の柱や天井が一部で残っています。
《アンコール・ワット ㉒》【世界遺産】

第二回廊の更に内側には第三回廊があります。
《アンコール・ワット ㉓》【世界遺産】

第三回廊へはいくつもの急な階段が設置されていますが、そのほとんどは閉鎖されていて、登れるのは一部のみとなっています。
《アンコール・ワット ㉔》【世界遺産】

その階段を登って第三回廊の内側に入ると中央塔が間近で望めます。
《アンコール・ワット ㉕》【世界遺産】

高いところにもデバターなどの装飾が施されています。
《アンコール・ワット ㉖》【世界遺産】

第三回廊自体にも美しいデバターのレリーフが残っています。
《アンコール・ワット ㉗》【世界遺産】

中央塔付近からの眺めも中々のものです。
《アンコール・ワット ㉘》【世界遺産】

アンコール・ワットのすぐ外側には熱帯雨林が広がり、ここがジャングルの中に立てられた寺院であることがよく理解できます。
《アンコール・ワット ㉙》【世界遺産】

第二回廊と第三回廊の間にも経蔵があります。
《アンコール・ワット ㉚》【世界遺産】

西側を見ると参道の向こうに西塔門が見えます。
《アンコール・ワット ㉛》【世界遺産】

因みに、アンコール・ワットの中央祠堂は正面が西を向いているため午前中は逆光になり、午後の方が美しい姿が見られます。
《アンコール・ワット ㉜》【世界遺産】

バイクタクシーの運転手のナーリンが、午前中にアンコール・トムを訪問し、午後にアンコール・ワットを後回しにした理由がここにあったのです。
《プノン・バケン ①》【世界遺産】

そしてナーリンの案内で次に向かったのはアンコール・ワットの北西約1.2km、アンコール・トムとの間の丘の上に建つ Phnom Bakheng です。
《プノン・バケン ②》【世界遺産】

ここは日没前になると多くの観光客が集まる夕日のビューポイントとなっているのです。
《プノン・バケン ③》【世界遺産】

アンコール・ワットが見下ろせる唯一の場所でもあります。
《プノン・バケン ④》【世界遺産】

夕日はトンレサップ湖の向こうに沈みます。
《アンコール・ワット ㉝》【世界遺産】

翌日はまだ外は真っ暗な朝5時に起きてアンコール・ワットに入場し、日の出を拝みました。
《アンコール・ワット ㉞》【世界遺産】

先述のとおり、アンコール・ワットは真西を向いているため、朝日は中央祠堂の裏側から昇ることになるのです。
《アンコール・トム ㊵》【世界遺産】

一度ホテルに戻って一休みした後、再び観光に出向きました。
《アンコール・トム ㊶》【世界遺産】

この日はアンコール・トムを突っ切り、その東門に当たる勝利の門を抜けて、東部の遺跡群を訪れました。
《バンテアイ・クディ》【世界遺産】

Banteay Kdei は、 12世紀末にジャヤーヴァルマン7世によって建てられた、仏教(ヒンドゥー教様式と混交)寺院です。

規模はあまり大きくないので仕方ありませんが、写真は1枚しか残っていないのが残念です。
《スラ・スラン ①》【世界遺産】

Sras Srang は、バンテアイ・クディのすぐ東にある池です。
《スラ・スラン ②》【世界遺産】

王の沐浴のための池とされていますが、現在では多くの地元の人たちが水浴びをしています。
《スラ・スラン ③》【世界遺産】

一方で、ただの沐浴でもなく、洗濯でもなさそうな人たちもいました。

川底から何かを掬っているようでしたが、ナーリンに聞いてもわからないと言っていました。
《タ・プローム ①》【世界遺産】

次に向かったのは、この日の観光のメイン・イベントとも言える Ta Prohm です。

西門と東門がありどちらからも入れますが、こちらは西門です。
《タ・プローム ②》【世界遺産】

入ってすぐ見えるのがタ・プロームで最も有名な木です。

ガジュマルが寺院の壁を侵食して、半ば一体化してしまっています。
《タ・プローム ③》【世界遺産】

タ・プロームは、1186年に仏教僧院として創建された後にヒンドゥー教の寺院に改修された寺院ですが、このようにガジュマルなどの木に覆われた様子が人気の秘密なのです。
《タ・プローム ④》【世界遺産】

以前、インドの研究隊がこの遺跡の修復計画を発表しましたが、この巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それとも今や遺跡を支えているのかという議論が沸き上がり頓挫してしまったという経緯もあるそうです。
《タ・プローム ⑤》【世界遺産】

全体的に神秘的な雰囲気に包まれているものの、建造物自体に特に特徴的なところはありません。
《タ・プローム ⑥》【世界遺産】

とは言うものの、一部には精緻なレリーフも散見されます。
《タ・プローム ⑦》【世界遺産】

保存状態の良いデバターのレリーフもほんの数点だけ残っています。
《タ・プローム ⑧》【世界遺産】

こちらは、東門近くにある木です。

大蛇が石の間を這い回るようだと言われています。
《タ・プローム ⑨》【世界遺産】

タ・プロームはあまり大きくない遺跡なので、空いていれば30分程度で見て回れますが、混んでいると渋滞するので注意が必要です。
《タ・ケウ》【世界遺産】

Ta Keo は、タ・プロームの北東約1km(アンコール・トムの勝利の門の約1km東)に位置する寺院です。

5層の基壇の上に5つの主堂が並ぶ美しいデザインですが、当時の王であったジャヤヴァルマン5世の突然の死によって未完成で終わってしまったそうで、そのためレリーフの類が全く残っていないのが特徴です。
《プリア・カーン ①》【世界遺産】

この日最後の訪問はアンコール・トムの北大門を出て約1.5kmにある Preah Khan です。

参道の両側にはリンガを模した彫刻が並んでいます。
《プリア・カーン ②》【世界遺産】

一方、西塔門を入ってすぐの環濠を渡る橋の欄干は、アンコール・トムの南大門の手前やその他のアンコール遺跡で多く見られる乳海攪拌の様子を彫った欄干で飾られています。
《プリア・カーン ③》【世界遺産】

ここの経蔵は円柱による2階建てとなっていて、アンコールでは非常に珍しい構造です。
《プリア・カーン ④》【世界遺産】

壁面に彫られた観世音菩薩も、姿や雰囲気が通常とは随分違った感じで興味深いです。
《プリア・カーン ⑤》【世界遺産】

ここにもタ・プローム同様、ガジュマルの侵食が見られました。
《バンテアイ・スレイ ①》【世界遺産】

翌日は、シェムリアップかの約40km北にある Banteay Srei を訪れました。
《バンテアイ・スレイ ②》【世界遺産】

ここは、周囲約400mと非常に小さな寺院ですが、赤色の砂岩に彫られた精緻で美しいレリーフが多く見られることで有名です。保存状態も非常に良いものが多いです。

写真は東門の上部のもので、東の方位神インドラ(雷神)が描かれています。
《バンテアイ・スレイ ③》【世界遺産】

東門を抜けると、ここでも参道の両側にはリンガの彫刻が並んでいます。
《バンテアイ・スレイ ④》【世界遺産】

参道の先の第一周壁の東門にはナンディに乗ったシヴァ神とウマ。
《バンテアイ・スレイ ⑤》【世界遺産】

その裏側にはヴィシュヌ神の化身ナラシンハが阿修羅王を組み伏し殺そうとしている様子が描かれています。
《バンテアイ・スレイ ⑥》【世界遺産】

第二周壁の塔門です。
《バンテアイ・スレイ ⑦》【世界遺産】

上部にはラクシュミーに象が聖水をかけている様子を表わすレリーフが彫られています。
《バンテアイ・スレイ ⑧》【世界遺産】

第三周壁の塔門にはマカラの上に座るヴィシュヌ神(一番下の部分)。
《バンテアイ・スレイ ⑨》【世界遺産】

こちらは北経蔵。
《バンテアイ・スレイ ⑩》【世界遺産】

ここのレリーフは神象に乗ったインドラが美組の雨を降らせている構図です。
《バンテアイ・スレイ ⑪》【世界遺産】

南経蔵のレリーフは魔王ラーヴァナがカイラス山を動かそうとしている図だそうです。
《バンテアイ・スレイ ⑫》【世界遺産】

中央祠堂の正面に彫られたマカラの上に座るヴィシュヌ神。

知ったかぶって書いてきましたが、どれもガイドブックなどの受け売りで、ヒンドゥー教に詳しくない私にはどれも何のことだかよくわかりません。
《バンテアイ・スレイ ⑬》【世界遺産】

中央祠堂の脇の入口の両側にはデバター象が彫られています。
《バンテアイ・スレイ ⑭》【世界遺産】

これらは「東洋のモナリザ」と呼ばれる有名なものです。

因みにバンテアイは砦、スレイは女で「女の砦」を意味するそうですが、このデバターと直接関係があるということではなさそうです。
《バンテアイ・サムレ ①》【世界遺産】

シェムリアップに戻りました。

Banteay Samre は、スラ・スランの約5km東に位置する寺院遺跡です。
《バンテアイ・サムレ ②》【世界遺産】

高さ6メートルの外周壁には連子窓が多く見られます。
《バンテアイ・サムレ ③》【世界遺産】

アンコール・ワット造営直後に建てられていて、中央祠堂や連子(れんじ)窓、尖塔の形、十字型テラスなどにアンコール・ワットの建築様式が受け継がれています。

規模は全然違いますが、小アンコール・ワットと呼ばれることもあるそうですので、建築に興味がある方は圧倒的に空いているこちらで細部を観察するのもいいかもしれません。
《ロレイ ①》【世界遺産】

シェムリアップの東12kmほどにあるロリュオス・エリア(Roluos)にもいくつかの遺跡が散在しています。

その中の一つ Lolei は、790年頃に王都として築かれた寺院の遺跡です。

現在は4基の祠堂(とその側面に彫られたデバターや金剛力士像)が残るのみです。
《ロレイ ②》【世界遺産】

ワット・ロレイは、ロレイの4基の祠堂の左手前(南東)にある現役の寺院です。
《バコン》【世界遺産】

こちらもロリュオス・エリアにある Bakong です。

ロリュオス遺跡群の一番の見どころとされ、東西約900メートル、南北約700メートルの大きさはロリュオス遺跡群で最大かつアンコール王朝初のピラミッド型寺院でもあると言われています。

中央祠堂の規模が基壇に比べて小さいのも特徴です。
《まとめ》

以上でカンボジアの旅行記は終わりです。

主な見どころとしては、プノンペンのポルポトの負の遺産とシェムリアップ周辺の遺跡群ということで、合わせて1週間から(余裕を持っても)10日間くらいで見て回ることができますので、ちょっとした休みが取れた時などに是非訪れてみて下さい。
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